第三話 満月と半月
「優曇華!
その傷は一体どうしたの!?」
永遠亭に帰ってから早々に響き渡る、師匠の素っ頓狂な声。日頃から冷静な師匠だが、いかなる時でもそうである訳ではない。永遠亭の中で、それも顔を知った人の中にいる時は、外では見せないような表情を垣間見ることが出来る。
「ちょっと、ぶつけちゃって…」
「ぶつけた位でそんなに出血するはずがないでしょう!」
確かに“ぶつけた”と言うのは、少し苦しい言い訳になるのだろう。応急処置で止血だけは済ませ、手で押さえながら戻ってきたのだが、てゐ曰く顔の半分は血だらけで、さらに服にもべったりと血糊がついていることから、原因を知らぬ者が見ても“ちょっとぶつけた”どころの話ではないことに気付くだろう。おまけに師匠は医師である。傷口を見れば即座に、打撲系の傷ではなく、切り傷であることは見破られるに違いない。
それでも、私は白を切ることを決めた。もしも私が本当のことを師匠に言ったとすれば、てゐは師匠にこっぴどく叱られることは間違いない。確かに悪いのはてゐだと言えばその通りだし、叱られることがそれに対する代償だと捕らえるのなれば、怒られることもまた、良いことなのかもしれない。
もし今回、てゐが少年たちについたのが嘘ではなく冗談だったとすれば、私も大人しくてゐを師匠の前に引きずり出すだろう。勿論、師匠の鉄槌という罰を受けさせる為にだ。
ただ、今回の場合は冗談ではなく、てゐは嘘をついていた。少年たちを救う為の嘘を。
人間の里からの帰り道、渋るてゐを何とか説き伏せ、何故嘘をついたのか、理由を聞き出したのだが…。
てゐの話によれば、どうやらあの少年たちは、満月の夜に迷いの竹林へ探索に行こうとしていたらしい。それも、とある決闘を観戦する為だけに、である。
そもそも、迷いの竹林は危険な場所である。とはいっても、幻想郷において人間にとって安全な場所と言えば、人間の里か博麗神社くらいのもので、それ以外は何らかの形で危険が潜んでいるのだが。
私たちの住む迷いの竹林において危険と言われる理由が幾つかあるが、まずは地形を覚えることが困難なことにある。
竹は、成長が早い。一年で天高く真っ直ぐに伸び、春には地一杯に広がる根から次々に芽を吹く。その一つ一つが筍になり、幼竹となり、そして季節が秋になる頃には立派な成竹となる。この移り変わりが激しいのが竹林の特徴だが、その所為で目標となる物が一切無いのもまた、特徴だろう。
延々と続く、無味乾燥とした竹林。どこまで行っても同じような景色で、来た道もわからず、運が悪ければ餓死するしかない。また足下には竹の葉が堆積している為に、急勾配の場所や極端に乾燥している場所では足が取られ、体力も大きく削られる。迷いやすく、歩き続けることが困難である為に、迷いの竹林を我が物顔で歩くのは、さながら地形を熟知した者だけである。
そして、迷いやすさに加えて危険と言えば、やはり妖怪の存在だ。
幻想郷に住む以上、どこに行こうとも妖怪やその類に会わない方が難しい。類と言えば霊、鬼、魔法使い、妖精などのことだが、竹林は勿論、森にも、山にも、川にも、平野ですら、そこを住処とする妖怪は存在する。人間の里の中にも半獣が住んでいるくらいなのだから、それこそどこにでもいる。
そのことの問題点はただ一つ。その妖怪が人間や他の妖怪に対して好意的であるかどうかということ。基本的に、人間の里に近い所に住む妖怪程好意的であるように感じるが、それもその限りではない。ふらふらと人間の里から出てくる者を食べようと、ただひたすらに待つ妖怪もいるからだ。そうかと思えば、人間に歴史を教える半獣がいたり、魔法の森の近くで道具屋を営む半妖がいたりと、様々だが。
もとい、私たちだって例外ではない。私たちも幻想郷においては妖獣の扱いだし、師匠に至っては蓬莱人という妖怪のような位置づけにありながら医療に携わるという、かなり特殊な立場である。“妖怪だから危ない”という方程式は、時に正論でもあり曲論でもあるのだ。
そんな、どこもかしこも危険が潜む幻想郷であるが、その中において迷いの竹林には、言うほどの危険は潜んでいない。確かに妖獣の巣窟であったり、迷う人間を標的にした妖怪もいることはいるのだが、それでもその絶対数は、他と比べれば圧倒的に少ない。言い換えれば、迷いさえしなければ比較的安全な場所なのだ。
ただ、その安全が崩れる時がある。満月の夜だ。
満月の夜は、妖怪が一番活発な時である。満月は妖力を高め、それに比例するかのように、どの妖怪にしても気分が昂揚し、そしていらぬ争いを起こしたりもする時である。だが、そんな鼻息を荒くする妖怪ですら、満月の夜には迷いの竹林には近寄らない。正確に言えば、迷いの竹林の一区画、小高い丘の上にある、竹の生えていない開けた場所だ。元々はそこも綺麗な竹林だったが、度重なる決闘により竹が傷つき、地が荒れ、今となっては草すら生えぬ不毛の土地になってしまった。
蓬莱山輝夜と藤原妹紅との、蓬莱人同士の決闘。満月の度に行われるその決闘は、その派手さとは裏腹にあまり人間には知られていない。場所が迷いの竹林の最奥であり目立たないことに加え、人間や力の弱い妖怪は自らの身を案じ、満月の夜には近寄るどころか、動き回ろうとすらしないからだ。
その二人の決闘、私も何回かは見たことはあるが、どんな妖怪も近寄らない理由がよく解る。
…偏に危険なのだ。言葉で表現するならば、第二の満月が地上に墜落したとでもいうのだろうか。上空には、夜空を埋め尽くさんとする月。そして地上には、決闘を繰り広げる二人を中心とした光り輝く弾幕が、地面からせり出すように半球を描く為、私には地球に堕ちた月に見えるのだ。そのことから私はこの光景を“天の満月地の半月”と表現したが、その表現方法は、珍しく師匠を納得させるまでの出来だった。
この決闘、“一応”スペルカードルールに則って行われている。だが、弾に手加減が一切無い。具体的に言うと、弾の一つ一つが“相手を殺す為”だけに放たれているのだ。それら全てが弧を描き、目前の敵めがけて飛び交う。
それこそが、迷いの竹林で一番の危険因子である。お互いに全力投球での決闘は当然、周囲に気を配る余裕などはない。数え切れない弾幕が半円形に降り注ぐ中、当然、流れ弾も四方八方に飛び散るのだ。それら一つ一つが有り余る殺傷力を有する訳で、辺りにいるだけで、かなりの高確立で被弾してしまう。“被弾”なんて生温いものではない。腹に風穴が開くか、頭が吹っ飛ぶか、燃え尽きるか。弾の種類によりそれらは決まるが、どれも危険極まりないことは変わりがない。
一度、近くで決闘を観戦していた時に、弾の一つが運悪く私に直撃し、腕を抉られた経験がある。あの時は師匠が近くにいたこともあり、治療のお陰で完全に回復もしたが、当たり所が悪かったら、と思うと今でも鳥肌が立つものだ。
ちなみに、辺りに死の弾幕を撒き散らす当の本人たちは、何食わぬ顔で決闘を終える。身体は瀕死の重傷を負い、見た目からして今にも死にそうなのだが、そこは蓬莱の薬を飲んだ蓬莱人。不老不死に加え、傷の再生速度も人間などに比べて著しい速さを誇る。だからこそ、満月の度に起こるこの決闘は、彼女らにとってただの日頃の憂さ晴らしでしかないらしい。
そんな迷惑極まりない決闘を見に来ようとしていたのが、今日の夕刻、私に石を投げつけてきた少年たちだ。見に来たら最後、弾幕の避け方すら知らぬ彼らなら間違いなく死傷を負うことだろうに。それを事前に回避出来たのは、とても幸運なことと言えるだろう。
今回、てゐがついた嘘は少年たちを怒らせたが、その矛先がてゐに向いている限り、彼らが決闘に巻き込まれることは無い。ただし、これから彼らがてゐの嘘に踊らされるかはわからない。何より血気盛んな年頃である。次の満月の時には、何があっても決闘を見に来るのかもしれない。そうなれば、悲しいことだが彼女の嘘は全て無に返るのだろう。そうならないことを、私は切に願うことしか出来ない。
彼女か嘘をつくとき。それは、他人の未来を考えているときということ。そして私はその“嘘”を尊重する。
確かに悪戯も度を過ぎる時もあるし、手癖が悪いことも否めない。だが、嘘をついている時だけは、彼女の後ろ盾となれるように、私は行動したい。だからこそ、嘘を糺そうとする師匠に、私は嘘をつく。
いつの間にやらてゐはどこかにいなくなっており、私は治療の為に診察室へと入った。この部屋は、薬品の臭いが鼻につき、あまり好きな部屋ではない。そうは言っても、薬師見習いの私には縁の深い部屋でもあり、あまり好き嫌いも言ってはいられないのだが。それでも、嫌いな物は嫌いである。
「優曇華…」
私の傷の手当てをしながら、師匠がおもむろに口を開く。
「どうかしましたか?」
私のその言葉にも、師匠は返事を躊躇う。その様子を見るに、言うか言わないかで迷っている訳ではなく、あまり言いたくはない事柄のようだ。師匠は、気が進まないことをする時には決まって眉間にしわが寄る。まるで、今がそうであるように。
「…師匠?」
「…言いにくいんだけどね。
どうやら私、薬を間違えたみたいで…」
話をどこか曖昧にしてわかりにくくするのも、師匠のいつものことである。
ある種の誇り、とでもいうのだろうか。それとも、やはり師匠として、私よりも上に立つ立場だからだろうか。師匠は、私に素直に頭を下げることはない。
「いえ、薬屋さんから色々とお話は聞かせて貰ったので…
それに、師匠も急いでいたみたいだし、仕方がないですよ」
やっぱり、てゐの嘘が効いている。もしも薬のことでてゐが一枚噛んでいなければ、こんなに和やかな雰囲気のまま、本当のことを師匠が私に告げることはなかっただろう。師匠の面子も潰れず、失態も起こらず、私の過失にもならず、直接には関係ないが、薬屋の信用すらも失わせていない。今考えてみても、てゐが取った行動以外に今と同じ未来を導く答えは存在しないように感じる。
「…さっきは、殴ってしまってごめんなさいね」
師匠の柔らかな手が、私の頭をさする。気温が低いにも関わらず師匠の手はどこまでも暖かで、とても気持ちが良い。
ただ、これは私ではなく、てゐが受けるべきである。それでもそのことを知っているのは私だけ。そして、それを私が隠そうとしているのだから、てゐがこの心地よさに浸ることはまずないだろう。
だから、私がてゐの頭を撫でよう。私の手が、今の師匠の手のように柔らかで、暖かなものかはわからない。それに、てゐがそれを望んでいるかすらわからない。そうだとしても、影の功労者であり、一番損な立ち回りをするてゐを褒められるのは、他でもない私しかいないのだから。