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第十七話 本心と最期

「優曇華、よく聞きなさい」


 師匠の部屋に敷いてある布団に寝かされた私の横で、師匠は恐ろしいまでに真剣な表情を浮かべている。その対には姫様が座り、私は二人に挟まれるような格好だった。


「あなたは…。もう、自分でもわかっているかもしれないけれど……」


「永琳、何を躊躇っているの。早く説明なさい」


「しかし…」


「…もう、隠す必要もないでしょう。真実を知れば、後はイナバが自分で考えるわよ。私たちとは違って、時間というものは、僅かしかないのよ」


 頭がぼんやりとする。姫様や師匠が話している内容も、理解が出来ない訳ではないのだが。ただただそれが眼前に迫っていることが、不思議だった。

 確かに、身体は重たい。症状も私を逃すことなく蝕み続け、指を動かすことですら、ままならない。だが今の私には、里で襲われたような不安はなかった。ひたすらに体調が悪いだけ。そして、瞼を閉じていたいと思うだけだった。


「優曇華…。あなたはもうすぐ、死ぬわ」


 意を決したのか、師匠は重い口を開いた。だが、言葉は続かない。部屋中に沈黙が立ち込めて、声どころか、音を出すことすらはばかられる。それでも、私の死が明らかになった今、次に言葉を紡がなければならないのは、他でもない私だろう。


「……やっぱり、私は死ぬんですね。何となくですが、予測はついていました。

最期まで、ご迷惑をかけてしまって、申し訳ありませんでした」


 正確にいえば予測ではなく、盗み聞きからの情報ではあるが。この期に及んでそのことを晒す必要もない。


「別にイナバは謝る必要はないのよ。むしろ、今まで本当に、ありがとうね」


 姫様はそう言いながら、今までに見たことがない程優しく、微笑んでいる。そして私の手を取ると、包み込むように握ってくれた。それがあまりに暖かくて、柔らかくて、とても心地が良い。それを察してか、姫様も手を離さずにいてくれた。


「あの、師匠…。私は、後どれくらい生きられるんですか?」


「…私が診るに、今夜は越せないわ。あと…半日が限界かしら」


 師匠はそう言いながらも、脇にあった、透明な液体の入った瓶を手に取った。その瓶を見つめる師匠はあまりにも悲しそうだったが、しばし薬を眺めた後に、薬瓶から顔を上げて、私と目を合わせた。


「……この薬は、刻を一つ数える間だけ、服用した者を健常に出来る薬なの。例え、今の優曇華くらい身体がぼろぼろでも、飲んでから少しの時間は元気になれる。でも、その後“絶対に”死ぬ」


「毒薬…ですか」


「そうね。薬が毒である最たる例のような薬よ。

もしこの薬を飲まずにこのまま過ごせば、優曇華は助かるかもしれない。これから優曇華に起こる症状は、予測は出来てもそれはあくまで予測に過ぎない。何らかの奇蹟が起こるかもしれないし、未来は断言出来ないの。

でも、この薬を飲めば、絶対に僅かな時間は元気になれる。でも、絶対に、死ぬ。これは未来のことだけれど、断言出来るわ」


 師匠はその薬を元々あった場所に置くと、言葉を続けた。ただ、視線だけは私の視界から逸れて、どこか遠くを見つめるように天井辺りを眺めているようだった。


「……この薬は、何となく作りたくなったから作ってみたの。だから別に無くなっても問題ないし、こんな毒薬、飲みたいなんて人もいないし。間違って飲んだら大事だし、後で、捨てておきましょう」


 今日に限って、師匠の演技は下手くそだ。そんな遠回しに言わずとも、直接私に問うてくれたら良かったのに。

 ……しかし、それもまた師匠が私の為を思っての行動だろうから、文句もないのだが。


 それにしても、選べるのが一時の健康か起こりもしない奇蹟かなんて、あまりにも偏っている気がする。

 それでも、選べるだけまだ良いのだろう。万物が死ぬ時なんて、死ぬことしか選べないんだから。私の場合も、結末は同じになると思われるが、自分の好きなように選べるのは、幸せなことなのかもしれない。

 その幸せに感謝しつつ、私はどちらを選ぶのだろうか。確実な死か、高確率な死か。やはり、どちらも大差ないようにも思えてしまう。

 それならば、少しでも元気でいられる方が良い。元気な姿を見せれば、てゐも少しは安心するかもしれない。もう、二度とは会えないのだ。最後くらい、笑顔で接してあげたい。


「なら、その薬、私が頂いても宜しいですか?」


「イナバ、その質問はちょっと野暮ね。永琳は“捨てる”って言っているんだから、今なくなろうが後なくなろうが同じことよ。…だって、私たち蓬莱人は、過去のことは気にしないんだから。なくなっていれば、それで良いのよ」


 私の言葉にも姫様の言葉にも、師匠は何も言わなかった。それに薬の方には見向きもせず、我関せずと言った様子だ。

 ……そうであれば、師匠が“見ていない”内に薬を飲まなければ。

 腕を必死に使い、身体を無理矢理に起こす。それでも最早一人で起きていられるだけの力も残っておらず、私は背中を支えてくれる姫様に寄りかかる形になっていた。

 力を込める度に震える手で、何とか薬瓶をつかむ。薬自体はそれ程の量はなく、瓶も薄く出来ており、けして重たい訳ではない。それなのに、持つ手は震え、薬は狭い瓶の中で激しく波紋を描いていた。

 苦戦しながらも何とか蓋を開けて、おぼつかない手つきでそれを口に運ぶ。


 …師匠の薬は苦いというのが通例ではあったが、この薬はほのかに甘く、それを除けば無味無臭である。また、甘さも嫌らしい甘さではなく、とても飲みやすい薬ではあった。

 薬が胃に到達し、広がっていくのがわかる。身体全体が温かくなり、重たかった体もいつの間にか軽くなっている。更には指先やらの各所が自分の思うがままに動くようになり、気付けば姫様の支えも必要がなくなっていた。

 私は布団から出て、姫様と師匠に向かい合うようにして正座となる。そして、額が畳につくまで深く頭を下げた。


「今まで、本当にお世話になりました」


「お礼はもう、しっかりと受け取ったわ。そんなに畏まらないで、頭を上げなさい。

……そういえば、昔々に聞いた話なんだけどね。誰かに飼われた動物っていうのは、死ぬ前に主人に挨拶をしてから、主人に見つからないようにひっそりと死ぬんだって。最期に迷惑をかけないつもりなのかしら。でも、それが性なのだとしたら。仕方のないことなのかしらね。

……それと、今のは独り言だから。気にしないで頂戴」


 姫様はにこりと笑うと、“歳を取ると独り言が増える”などと言っている。それもまた独り言なのか、それとも独り言を隠す為の独り言なのか。それは私には判断出来ない。


「優曇華…」


「…はい」


「今日はもう遅いわ。ゆっくりと休みなさいな」


「……それならば、お言葉に甘えて…。姫様、師匠。おやすみなさい…」


「…おやすみ」


 私はもう一度頭を下げて、部屋を後にする。襖をゆっくりと閉めれば、漏れていた部屋の灯りも閉ざされて、闇に染まる廊下に、私は一人立っている。

 ……てゐは、どこにいるのだろうか。自室にいるだろうか。…いや、私の部屋にいるに違いない。根拠こそないが、そんな気がする。


 私が部屋に向けて歩く中、師匠の部屋からは、僅かに嗚咽が漏れていた。




「鈴仙!」


 自分の部屋の襖を開けると案の定、てゐは部屋にいた。ずっと立ったまま歩き続けていたのか、襖を開けた瞬間には、部屋の隅で壁に背を向けるようにして歩いていた。

 てゐの声は明るかったが、反面表情は陰っている。そして、彼女は私に駆け寄ると、有無を言わさずに抱きついてきた。

 今にも泣きだしそうな、彼女の小さな背中をさする。その背中は僅かに震えており、私を抱きしめる腕は、力任せなのか、あまりにもきつい。


「もう…もう、話せないのかな、なんて、ずっと、考えて」


「…大丈夫だから。私はここにいるから、落ち着いて」


 暫く背中をさすっているとてゐも落ち着いてきたのか、自ずと離れていった。その顔には笑顔も見えて、“いつもの”てゐのような、そんな雰囲気が漂っている。


「さて、立ち話もあれだから、部屋の中で話そうか」


「それ、私の台詞…」


「まぁ細かいことは気にしないの」


 さっきまでの態度はどこへやら、てゐは打って変わって、どこまでも明るかった。おおよそ、雰囲気を重たくした自分を戒める意味も含まれているのだろう。だが、この後のことを考えると、私としても場は明るいに越したことはない。


「さて。なら私は寝るけれど。てゐはどうする?」


 寝る気などは更々ない。後少しの命なのだ。寝てしまえば、師匠の薬を飲んだ意味がなくなってしまう。


 てゐが、前の世界で“添い寝”をさせたこと。その意味が今になってなんとなく理解出来た。

 てゐがあの時に欲したのは、暗闇だ。光がなく、相手の顔すら見えない状態。添い寝はもしかしたら、その暗闇を正当化する為のこじつけだったのかもしれない。

 何故暗闇が必要なのか。それは今でこそわかるが、この世界は、眩しすぎるのだ。色々な物が見えすぎて、邪魔な物が多すぎて。直視することなんて、そう簡単に出来ることではない。

 暗闇は、眼で見る物は少ないけれど。見えるものがない訳ではない。むしろ、邪魔が入らないだけ、それを素直に見つめることが出来る。それを見つめても眩しくはないし、もしかしたら、それに触れることですら、出来るかもしれない。

 ……ただし、暗闇で話すなんてことを普通ではしないだけに、それに持ち込む為には少々強引さも必要そうであり。私は寝ることを匂わせて、強引に暗闇を作り出そうとしている。



「れ、鈴仙が寝るんなら、私は」


「てゐも一緒に寝ない?」


 …恥ずかしい。勢いで言うまでは良かったが、あまりにも恥ずかしい。前の世界のてゐは、よくもまぁあんな行動を取れたものだ。私なら途中で絶対に挫折している。

 ただ、言われた側もやはり恥ずかしいらしい。てゐはてゐで少しばかり頬を赤らめて、動きが止まっている。幾許かの間の後、てゐは思い出したかのように、ややぎこちないながらも動き出した。


「…まぁ、寂しくて眠れないんなら、一緒に寝てやらないこともないけど」


「あら? 私の部屋にいたからには、何かお話があるのかと思ったのだけど、違ったのかしら」


「違う…訳じゃないけど。

…なんか、鈴仙にそうな風に言われるのは心外というか…。ちょっと、悔しい」


「それはそれは。お褒めの言葉をどうも」


「……やっぱり、なんか違うんだよなぁ」


「で、どうする?」



 てゐは渋々といった様子で、押入に入った布団を引っ張り出した。言葉こそないが、どうやら私の我が侭に付き合ってくれるらしい。

 それにしても、てゐは私の部屋のことをよく知っている。以前のへそくりを盗まれた時もそうだったが、もしかしたら彼女は、私よりも私の部屋について詳しいのかもしれない。

 ただ、少しばかり身長が足りていないのが見ていて面白い。布団をしっかりとつかもうとしているのに、身長が足りない分、背伸びをしなければならない。そうなれば当然力も上手く入らない訳で、てゐは布団一式を取り出すのに大分苦戦していた。


「……何笑ってるのさ」


「いや、可愛いなぁって思って」


「…折角人が寝床を準備してやったというのに、言う台詞がそれかね」


「ごめんごめん。ありがとうね、てゐ」



 灯りを消して部屋が暗闇に包まれると、眼のほとんどは機能せず、自然とそれを他の部分で補おうとするものだ。音、感触、匂い。全てに敏感になって、逆に具体的に感じるものも少なくはない。

 例えばそう、てゐの衣擦れの感触から伝わってくる四肢の動きとか、僅かに聞こえる落ち着いた息遣いだとか、一言一句から伝わる、細やかな感情とか。

 それらが力強く感じられるからこそ、てゐという存在がより具体的に感じられるから、不思議なものだ。


「てゐの話の前にさ、私から話しても、良いかな」


「…うん」


 私はいなくなる。それをてゐは知っている。私が不治の病と盗み聞きした時に、てゐは正面からその言葉を受けているのだから。

 でも、それを明らかにしておきたい。もしかしたら死ぬとか、もしかしたら奇蹟が起こるとか。そんな曖昧にするんじゃなくて、もう死ぬんだってことを伝えないといけない。そうすることで、同じ立場に立って話すことが出来る。

 逆に立場が違ったままならば、私はいつまでもどこまでも、真実から逃げてしまいそうだから。私が死ぬことが前提にあってこそ、出来る話もあることだろう。


「私はもう、死ぬらしいの」


「鈴仙……」


「師匠は、不治の病だって言っていた。もう、治らないんだって。だから、毒にも近い薬で抑え込むんだって」


「……」


「さっき、言われたの。明日までは持たないだろうって。今夜が限界だろうって。だから、最後にてゐと話しておかないと…ってね」


「……ごめん。その話、私前から知ってたんだ。お師匠様が教えてくれて。それで、みんなで鈴仙にはそのことは隠しておこうって決まって…。……黙っててごめん」


「気にしないで。それも、私を思ってのことでしょ? だったら、別にてゐが引け目を感じる必要はないよ。それに、私も何となく気付いてはいたし。でも、教えてくれて、ありがとうね」


 そういえば、私はてゐに、隠していたことを曝露しただろうか。隠していて申し訳ないと、謝っただろうか。……今更のことではあるが、謝っていない気がする。


「だから、今までお世話になったから、お礼を言わなきゃって思ってね。てゐには色々と助けられてきた訳だし。話し相手とか、遊び相手とかにもなってくれたし」


「……」


「今まで、本当にお世話になりました」


 てゐは言葉を返すこともせず、ただ黙っているだけだった。それが続く内に、一方が沈黙に浸れば私まで話せなくなる訳で。部屋にはあまりにも話し辛い空気が立ちこめる。

 しかし、その空気を作ったのもてゐならば、壊すのもまた、てゐだった。


「今度は、私の話の番だね。

……私は、嘘をつくよ。確かに鈴仙にはつかないようにしているし、嘘と冗談が同じでないことも、話した通りだよ。

…ならさ、鈴仙は嘘をつかないの?」


 私が…嘘を?

 絶対につかないと言えば、間違いなく嘘になる。さっきも、自分が不治の病であることを知らないように装ったし、私だって、嘘をつかない訳じゃない。


「嘘も少しは……つくかなぁ」


「何だ、鈴仙も嘘つきじゃない」


「…どういうこと?」


「まぁ、生きていく上で仕方のない嘘とか、波風が立たないようにする嘘なんかはあるさ。そんなのを数え始めたらきりがない。

でも、鈴仙はそういう類の嘘は少ないと思うよ。馬鹿正直というかなんというか。嘘で逃げるより、正直に言って怒られる方を選ぶでしょ」


 確かに、私は自分でも素直すぎるというか、正直が過ぎる部分があると思う。もう少し上手く立ち回れれば、とも思うが、いざそんな場面に遭遇すると、嘘をつけない自分がいることは、紛れもない事実である。

 しかし、それならばてゐは私のどこを嘘つきだというのだろうか。てゐ自身も私のことを馬鹿正直だと言ったばっかりだし、言葉の意味がいまいち繋がってこない。


「…それなら、どこが嘘つきなの?」


「自分に、だよ」


「……自分に?」


「鈴仙は、なんでそんなに自分を追い込むの? なんで自分に素直にならないの? なんで、他人の罪まで、鈴仙が被るの?」


「……」


「いつも、自分の体のことなんて二の次だよね。今日だって、体調が悪いはずなのに私と里に行くし。帰るときも、発作が起きてるのに無理して永遠亭まで帰ってくるし」


 それは、みんなの、てゐの、笑顔の為に。


「私の悪戯でも、責任を擦りつけたら、関係もない癖に自分で背負い込もうとするの」


 それは、擦りつけられるからには、私にも非の一端はあるのだから。


「なんで、他人のことにはすぐに熱くなる癖に、自分には冷酷に接するのさ」


 それは、他の人のことを思えばであって。自分なんて、どうなっても自分の責任なんだし…。



「あのね、鈴仙」


 そう言いながらてゐは、私を抱きしめた。今までとは違いその華奢な身体で、私の頭をゆっくりと、包み込んでくれる。


「無理をすることは、嘘をつくことなんだよ。物事には限界がある。その限界を超えて無理をしたって、どこかに歪みが出来るだけ。

その歪みは全部自分に跳ね返ってくるの。そしたら、それも全部含めてまた無理をする。それを隠すことを自分に対する嘘と呼ばずに、なんと呼ぶの」


 頭のどこを探そうとも、返す言葉が見つからない。

 ……それに、何故だろう。目頭が熱い。泣きたくなんてないのに、自然と涙が零れてくる。声こそは出ないのだが、涙は留まることを知らないかのように、溢れ続けている。


「…自分が死ぬことは、前からわかっていたんでしょ」


「……うん」


「だったら、なんで自分に正直にならないのさ。なんで死ぬ直前まで、他人の世話を焼いて、自分で抱え込もうとするのさ」


「それは…。みんなに、笑っていて欲しいから」


「……そんなこと、死ぬ奴が考えることじゃないのに」


「でも、私はもうすぐ死ぬけれど、みんなは、てゐは、これからも生き続けるんだよ。

だったら、死ぬ私なんかよりも、みんなが笑っていた方が、良い」


「あんた、本当に馬鹿よね。

最後くらい、…最後じゃないとしても、我が侭の一つや二つ、言えば良いのに。私じゃ何も出来ないかもしれないけれど。それでも、力にはなれると思う。

…だからね、鈴仙。一つだけ、約束して欲しい」


「約…束…?」


「私は鈴仙に嘘はつかない。約束する。だから、鈴仙は、自分に嘘をつかないで。

鈴仙にも思うことは沢山あるんだと思う。私なんかより遙かに忙しい生活をしている訳だし、過去だって、細かいことは私は知らない。

でも、自分を犠牲にすることだけは、止めて欲しい。それだと鈴仙の身体が持たないから。いつか、己の身を滅ぼすから。…だから、自分には正直に、生きて欲しい」


 死ぬ人間を前に、生き方を説かれるのもまた、少しばかりおかしい気もする。

 でも、そういう心がけで生きるのも、悪くないかもしれない。全部が全部、自分に正直になる訳にはいかないけど。それでも、自分が言いたいことくらいなら、自分を誤魔化さずに本音をぶつけた方が、良いのかもしれない。

 …以前に、自分がはっきり伝えないからこそ誤解を招いたこともあった。その時も、自分の伝えたいことははっきりと伝えると心に決めたはずだが。てゐの言葉は、それを後押しをしてくれたのかもしれない。


「自分に正直に、ね……

だったら、今のこの気持ちにも、正直になるべきなのかな」


 私の心をじわじわと浸食するもの。それは里で襲ってきたあの不安感と酷似したもので。あの時はてゐが来てくれたことでどうにか落ち着いたけど、今はもう、どうやってもその気持ちを抑えることが出来ない。

 おおよそ、“死”というものがすぐ傍まで迫っているのだと思う。少し前までは体調も良かったはずなのに、気付いてみれば息をすることですら、困難になってきている。

 暗闇の中で意味もなく開けていた瞼も開けていられなくなり。しっかりとつかんでいたはずの拳も、だんだんと弛んできて。耳元で感じる自らの心音は、あまりにも弱々しく。いつ止まっても不思議ではない。

 だから、最後に、その気持ちだけは伝えなければ、と、出来うる限りで、肺に空気をため込んだ。


「……怖い。怖いの。死ぬことが、身体が動かなくなっていくことが。一人になることが、…怖いの」


 それ以上話すことは無理だった。力が抜けるのを自分で感じて、頭の隅から冷水が流れ込んでくるかのように、思考が止まっていく。まるで、冷水が通った後は凍ってしまったかのように。

 それでも、最後に残った僅かな思考で、てゐの呟きだけは理解が出来た。



「大丈夫だよ、鈴仙。いつまでも、私は一緒だよ」




 地面が、崩壊する。初めから何もなかったかのように、端からなくなっていく。

 その崩壊に飲み込まれて、私は黒闇に堕ちる。目も耳も使い物にならず、ただただ堕ちていくだけだ。

 そんな中、風を切る音が途絶え、代わりに人の声が聞こえてくる。


「鈴仙が死ぬ時に、それからも生き続ける私に、どういう風に生きて欲しいと思った?」


「……笑顔で。笑っていて、欲しい」


「私も同じ気持ちだよ。

私は鈴仙に嘘をつかないから。この言葉、信じて」



 …今まで、色んなことを思って、死にたいとか、辛いとか、様々なことを考えたけど。

 てゐの身代わりとか、私がいなくなったらいいとか、全て私の責任だ、とか。

 てゐの為、自分の為。そして、自らの罪業を償う為。全てのことを思い出すことすら、出来ないけれど。

 もしも。……もしも、許されるなら。


 “生きたい”と。


 そう思った。


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