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第十五話 思出と目的

 夜というものがあれ程までに長いと知ったのは、初めてのことかもしれない。

 体調が悪いのにも関わらず、その所為で眠れないという、悪循環。特に、一晩中私を苦しめたのは咳である。熱や頭痛なども辛いものがあるが、呼吸する度につきまとう咳だけは、耐えられるものではない。また、咳によって胃が刺激されるのか、嘔吐しそうになることも困り物だ。

 それらに一晩中抗った為か、はたまた朝日を見たからか、夜が明けるにつれて、猛烈な睡魔に襲われていった。

 だが、それでも熟睡は出来ないのか、すぐに咳によって目が覚めてしまう。気分的にも体調的にも、もう少し寝ていたいのだが、一度目が覚めてしまうと寝付けないのが性である。暫く横にはなっていたものの、半刻もしたら完全に冴えてしまい、仕方なく私は布団から抜け出すことにした。

 起き上がって伸びをしてみたが、昨日飲んだ薬がまだ効いているのか、体調は昨日まで悪くない。これで咳さえ落ち着けば文句はないのだが。


 朝食の席でも、あまり食欲がないことは昨日と変わりがないが、体力も戻ってきているのか、少しは食べられるようになっていた。…ただ、師匠の薬の味だけは、どうにも慣れることは出来そうにない。異物を吐き出そうと暴れる胃をさすりながらも、私は部屋へと戻り、敷いたままだった布団に滑り込んだ。


 ……それにしても、永遠亭という場所は本当にすることがないのだ、と思う。

 そうは言っても師匠は薬を作っていたり、私やてゐはその薬を里に売りに行ったりもするが。それ以外には時々の料理当番と、掃除をこなすくらいのものである。おつかいにも行ったりはするが、それも暇な時間と比べれば、微々たる時間でしかない。

 それらは、この屋敷が永遠と共にしているからだと思う。姫様は永遠を操るし、何よりも蓬莱人が二人も住む屋敷である。必然的に、流れる時間も遅くなる。何もせずとも良い、という訳ではないが、今やらずとも良い、となるのだろう。

 実質、姫様や師匠は食事すら取る必要がないし、言うなれば、私やてゐがいるからこそ働いているとも言える。もしも蓬莱人二人だけでの生活ならば、何もせぬままに永遠が過ぎてしまうのでは、とも思う。

 何にせよ、することが少ないことだけが事実である。だからこそ薬学を学んだり新薬を開発したりと出来る訳だが、裏を返せば暇を潰す手を考えなければ、退屈で仕方がない。

 慣れているのか、姫様は一人で座っているだけでもどことなく楽しそうである。師匠もどことなく近いような気がするが、姫様には遠く及ばない気がする。

 勿論姫様だって、みんなといる時には話すし、笑う。戯れることもしばしばだ。ただ、その時の雰囲気と一人の時の雰囲気があまりに相違しており、どうしても、永い永い年月を生きていることを、感じさせる。


 ……そしてもう一つ、わかっていることがある。……今がとてつもなく、暇であることだ。

 健常でも病気でも、時間が余っていることに変わりはない。むしろ、体調がすこぶる悪い方が、時間の流れは速いものである。それは寝ていたり、朦朧としていたりするからこそ、時間の経過を感じていないだけなのだが。それとは違い、正しく今のようなどことなく体調が悪い時が一番、質が悪い。

 何をする気も起こらないにも関わらず、それでいて頭だけはしっかりと働いている。思考は動くが身体が動かないだけに、暇を持て余し、僅かな頭痛や咳と向き合わねばならないのだ。……やっぱり、質が悪い。


 ただ、一つだけ恵まれていたのは、師匠の薬は服用して少しすると眠くなることだ。およそ、そういう成分が含まれているのだろう。やはり、辛い症状を抑えるには、寝ていることが一番楽なのだろうか。

 …そうだとしても、個人的には寝ている時は記憶がない為に、寝る前と起きた後の記憶が繋がってしまう。すると、結局は延々と症状と戦わねばならない訳で、それはあまり楽しいことではない。むしろ残り限られた時間を寝て過ごすのも勿体なく思えて、眠気を堪えてしまうのも、昨日から続いていることだ。

 …眠りたいのに眠れず、寝たくないのに寝てしまうとは、何とも矛盾していて、難儀だ。


 本格的に薬が効き始めたのか、眠気の波が襲ってくる。確かに、これからすることもない訳だし、寝てしまっても問題はない。だが、やはり寝てしまうのには抵抗があり、思わず目を開いてしまう。

 そんな中、廊下から足音が響いてくる。その足音はとてもゆっくりとした歩調で、あからさまに通ることを目的としたものではないだろう。また、どうにも一定に響いてこない足跡が、迷いがあることを連想させる。

 その足音は、私の部屋の前で止まった。そして、怖ず怖ずとした微かな声が、襖越しに聞こえてくる。


「鈴仙、入っても良い?」


「どうぞ」


 そう返事をしてから少しの間を置いてから、遠慮がちに、襖が開いた。

 声から察しはついていたが、そこにはてゐが立っていた。格好は朝食の時と変わりないが、頬には少しばかり紅が差し、俯いている為か、僅かに表情が暗く見える。てゐは少しばかり戸惑うような素振りを見せながらも部屋へと入ると、ゆっくりと襖を閉めた。


「体調は、どう?」


「う〜ん…。ひたすらに眠たい、かな」


「じゃあ、良くはないんだね……」


 ……この既視感は一体何なのだろう。と言うよりも、私はこの場面を経験したことがある気がする。

 もしも前の世界と変わりがないならば、遊びに誘われるに違いない。最後の思い出を作る機会として。


「どうしたの? 何か用事?」


「いや、大したことじゃない…大したことなのかな? んー…。え〜と……」


「躊躇わずに言ってみてよ。別に怒らないからさ」


「と、言われてもね…」


「なーにを病人だからって遠慮してんの。別に病気って言っても、今はさして悪い訳じゃないし」


 あのてゐでも、病人を目の前にしたら黙るのだと、ある種感心にも似た感情を抱く。


 私もそうだった。てゐを里に誘う時には、不安で一杯だったものだ。相手の病気の程度が知れない、特に不治の病という未知の病気であるだけに、どうしても躊躇を誘うものだ。“もしも無理をさせてしまったら”“もしも病気を悪化させてしまったら”。その思いが、踏ん切りをつかなくさせる。迷いを落とす。

 だが、そこまでわかっているのなら、私から声をかけてみるのも悪くない。最も、てゐが私をどこかに誘おうとしていることが前提だが、今の世界は恐ろしい程前の世界と酷似している。それならば、やってみる価値はあるだろう。


「言えないなら、てゐが言おうとしていることを当ててあげようか」


「え? …う、うん」


「えーっとね……

“里に一緒に行こう”とか?」


 合っていれば合っていたで面白いし、違っていれば笑い話。ただそれだけ。これで少しでもてゐが話しやすくなったら、とも思う。


「な…何でわかったの?」


「てゐの顔にそう書いてあるからだよ」


「……鈴仙に、あの鈴仙に表情を読まれる日が来ようとは。なんだか複雑な気分」


「あのって何よ“あの”って! それじゃまるで私が他人のことを一切わからない人みたいじゃない」


「いや、実際そうかと」


 てゐがそう言うのと同時に、私も心の中で“実際そうだよ”と呟いていた。私だって、前の世界があるからこそ言い当てられた訳だし、それがなければ皆目検討もつかなかっただろう。

 論より証拠、もしもてゐの言おうとしていることが里に行くことでなかったのなら、何が言いたいのかなんて、さっぱりわからなかったのだから。


「さて、なら里へと行ってみましょうか」


「…でも鈴仙、本当に体調は大丈夫?」


「平気平気、大丈夫よ。

それよりも、てゐはその格好で行くの? あからさまに部屋着だけど」


「ん、いや、ちょっと着替えてくる」


 そう言うなり、てゐは部屋を出て、廊下をかけていった。その音を聞きながら、ふと、思う。

 前の世界では、一緒に里に行ってから発作が起きて、その日の内にてゐは息を引き取った。それから考えるに、私は今日死ぬと考えてもおかしくはない。

 考えてみても、私の体調は万全ではないし、不治の病でいつ死ぬかはわからない。さらに、前の世界との酷似。私が死ぬことは最早、必然となっているのかもしれない。

 それなら何故、私はてゐの誘いに応じたのだろうか。少しでも長く生きたいなら、自分の知らない世界を見たいのなら。私は今日、永遠亭で過ごせば良い。発作が起きてもすぐに師匠に診てもらえるし、もしかしたら明日くらいまでは、生きられるかもしれない。

 それでも尚、私が里に行く理由は何なのだろう。

 前の世界では、私自身の為に里に行った。てゐの為と銘打って、自分の思い出を残す為に。てゐがいなくなった時に、少しでも私の中にてゐが残るように。

 だとすれば、今回は逆の立場だ。私は別に楽しまなくとも良い。後に生きるてゐが楽しければ、良い。

 別に、遊びに行くことなんかに、そんな理由付けをする必要なんてないのだけれど。それでも、“これが最後”と考えたら、後悔だけはしたくない訳で。前の世界で私は後悔ばかりしていたから。この世界では、てゐに後悔はさせたくない。


「どうせ私は死ぬんだし」


 箪笥に向かって一人でそう呟いてみたが、何故か悲しくなって、ひとまず考えるのを止めた。




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