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第十三話 刑罰と盗聴

 いつの間にか、ぼんやりと目を開いていた。目が覚めたからとか、音がしたからではなく、本当にぼんやりと、目に映る天井を見ていた。いつから見ていたのかはわからないが、自分が布団に寝ころんでいることだけは理解出来た。


「あ、イナバが起きたわよ」


「……姫…様?」


 ひょいと、目の前に姫様が顔を出す。姫様は長く滑らかな黒髪の持ち主だが、それが顔を撫でてあまりにくすぐったい。

 髪を避けるように私が首を動かすと、それに気付いたのか姫様は髪を肩にかけた。


「イナバねぇ…

倒れるのは自由だけど、もう少し倒れる場所を考えなさいな。

まぁ、運ぶのは永琳とてゐだから、どうでもいいのだけれど」

「てゐ…?

てゐは死んだんじゃ」


「一体、だ、れ、を、死んだ人扱いにするかね。ここまで運んでやった恩も忘れて。外にほっぽりだしてやろうか」


 姫様とは別の方から顔を出したのは、紛れもなく、てゐだった。それも、病気などとは思えない程明るく、元気そうである。


「いや、あなた、死……あれ?」


 私の記憶では、間違いなく死んだはずである。最期を看取ったのは私だった。間違いようがない。

 師匠を呼び、姫様も呼び、師匠のすることの手伝いもした。そして、手を尽くしても、駄目だった。はずなのに。


「……姫様、こいつ、やっちゃっていいですか?」


「死なない程度に、やっちゃいなさい」


「了解」


 悪魔のような笑みを浮かべて、てゐは私に馬乗りになる。

 …この流れ、記憶にはあるがあまり思い出したくはない。馬乗りの後は、くすぐるということが決まっている。私はこれに至極弱い。

 とはいえ、逃げる力もないからどうすることも出来ないのだが、てゐが動き出す前にどうしても確認したいことがあった。


「…一体、足なんて触ってどうしたのさ」


「足がある。幽霊じゃない」


「……姫様。ご協力を」


「了解」


 いや、了解て、手を持つのは反則…いや…いや……、脇腹は、脇腹だけは………………!!



「……ふう。今日はこれくらいで許してやるうさ」


「てゐ、あなたが“うさ”って使うと、とても素敵な響きがするわね」


「そりゃ姫様、私は純正な地上兎ですから。“うさ”でも“ぴょん”でも言いますよ」


 今日のくすぐりは強烈だった。姫様が手をがっしりとつかんでいるだけに、脇腹のあばらが浮かんだ所を執拗に攻められれば、誰しも耐えることは出来ないと私は思っている。

 だが、うくら私がてゐの横腹をくすぐっても、全く効果はないので、万人に効く訳ではないらしい。それにしても、てゐは私の弱点を知っているのに私はてゐの弱点を知らないのは、少し悔しい。


 姫様とてゐは、くすぐられた私の反応で未だに談笑を続けている。その姿を見て、何故か私は涙を流していた。

 多分、嬉しいのだと思う。てゐが死んだ時は永遠と悲しみの涙に暮れたものだが、こうして再び会うと、嬉しさがこみ上げてくる。理屈も何もわからないが、また話せた喜びに涙が出るのだと思う。


「…あれ? イナバもしかして、くすぐられるの好きなの?」


「…え?」


「だって、泣くくらい気持ち良かったんでしょ?」


「ふぅん、そうなんだ。鈴仙はくすぐられるのが好きなんだ。…なら、もっとやってあげないとね!」


「……もう、それくらいにしてあげなさい。優曇華は体調が悪いのよ」


 この騒ぎを聞きつけたのか、襖が開き、師匠が部屋へと入ってくる。その表情は暗く、私の目の前にある二つの笑顔とは、あまりにも対照的だ。

 師匠は私の枕元に座ると、額に手を置く。おおよそ、熱を計っているのだろう。

 そんな中、てゐや姫様はばつが悪そうに、部屋の隅へと退却していった。二人とも正座であり、どうにも師匠の一言の威力が絶大だったらしい。


「優曇華、体調はどう? 落ち着いた?」


「はい。大分良くなりました。

…あの、私は、どうなっていたのですか?」


「廊下で倒れてたのよ。多分疲れからだと思うけど、風邪の引き始めかもしれないわ。今日は安静にすること。

それと姫、てゐ。お粥を作るから手伝って頂戴」


 師匠はそう言うと、再び部屋を後にした。部屋の片隅で小さくなっていた二人は、師匠の言葉に短く返事をして、せかせかと師匠について行った。



 …この会話、どこかで聞いたことがある。いや、間違いない。私は前に一度、この部屋で、この会話を聞いたことがある。

 前に聞いた時に、私はお粥を作りに行く側だった。こうして布団には入っていなかったし、台所でてゐの病気のことを知り、師匠や姫様と対立したのもまた、その時である。

 ということは、前の世界は正夢か何かだろうか。…いや、見る限り、この世界のてゐは病気には見えない。それならば、前の世界ではてゐは病気で死んでしまったのだから、正夢ではない。


 ……現在起こっていることの意味はわからないが、夢の話でまとめるのが、一番しっくりくる気がする。

 今までの一連は、全て私の体調不良からくる悪夢で。全てが夢、幻想。それだったら、大歓迎だ。

 でも、もしかしたら前が現実で今が夢なのかもしれない。前が夢である可能性があるならば、逆に今が夢である可能性もある。

 頬を、つねってみた。だが痛いだけだ。最も、この方法で夢から覚めたことなんて一度もないが、感覚的に、今は夢ではないだろうと思う。それに、さっきてゐにくすぐられた時にも感覚が嫌に現実的だったし。もしも夢なのだとしたら、どれだけ嫌な夢なのだろう。


 ただ、前の世界を夢だとしても、今の世界との類似点が多すぎることが引っかかる。

 前はてゐが倒れて、残りの三人が粥を作りに行った。だが、今は私が倒れ、やはり残りの三人が粥を作りに行っている。

 もしも前の世界の流れで考えるならば。私は不治の病であり、もう症状は末期。次の発作が起きれば命の保証はない。てゐの発作は倒れてから数日後に起こった。すなわち、私は後数日の命だと予測することも出来る。

 そう考えると、思わず身震いしてしまう。額や背中からは冷や汗が止まらず、やたらと心臓の音がうるさい。


 …ただ、もし本当に私の命が残り数日ならば、それは好ましいことでもある。

 てゐが病気だとわかってから考えたことなんて、何故自分が代わってやれないのか、くらいだ。もしも私が不治の病なら、自分が望んでいたことでもある。あくまで、私が不治の病ならば、そしててゐが健康であればの話だが。

 …そういえば、師匠が粥を作る時に私と姫様を呼んだのは、てゐが病気であることを伝える為だった。もしも今が前の繰り返しであるならば、まさに今、師匠が説明していてもおかしくはない。


 そう思うといても立ってもいられなくなり、私は布団から抜け出した。まだ体は重く、あまり自由も利かないが、先程に比べれば、動けない訳ではない。

 音が立たないように襖を静かに開け、壁を支えにしながら、一歩一歩慎重に歩く。台所はそう遠い訳ではない。この調子で歩いていけば、すぐに着く。

 それを示すかのように、廊下の先からはがやがやとした忙しなさが流れてくる。皿がぶつかる音や、包丁を使う音。そして、楽しそうな話し声。私が台所に近付くにつれ、その音量も増してくる。音だけ聞いていれば、まるで私も台所の中にいるのかと思ってしまう程だ。

 しかし、そんな騒がしさも唐突に静まりかえる。聞こえてくるのは火のはぜる音と、何かが沸き立つ音くらいで、それ以外は何も聞こえてこない。その中で第一声を発したのは、師匠だった。


「鈴仙は、不治の病に冒されているわ」


 やはり、か。

 自分の中で予測出来ていただけに、さほど驚くこともない。ただそれでも、少しばかり心が重くなったことも、否めない。


「……つまり、鈴仙の病気を治すことは無理…ということですか?」


「えぇ…

それも、鈴仙の病気はもう大分進行してて、もうあまり長くは……」


 てゐはこの日から、数日の命だった。ならば私も同じく、残り数日の命と考えるのが妥当だろうか。


「そんな…イナバが……

でも、永琳ならどうにか出来るんでしょ!? お薬とかで、止める方法があるんじゃないの?」


「残念ながら…。それがないからこそ、不治の病なのです。死んだ者を蘇生させる薬は出来ないことと同じ。死に行く者には、どの薬も効かないのです」


「…お師匠様、鈴仙は後、どれくらいなら生きていられるのですか?」


「…このまま何もしなければ、一ヶ月くらいは生きられるかもしれない。でも、文献にあった通りの症状が出たならば、優曇華は相当辛い生活を強いられる。

ただ、私の薬で症状だけは抑え込むとしても、それは寿命と引き替えに得られるもので。多分、薬を服用したら一週間が限度だと思うわ」


「…一週間、ですね」


「たったそれだけ…」


「いえ、姫様。あと一週間もあるのです。それまでに私たちに出来ることを、探しましょう」


「…何よ、てゐ。あなたそんな笑顔で。よくもまぁそんな前向きに」


「時間はありません。迷っている場合ではないのです。

鈴仙も、姫様やお師匠様のような小難しい表情はみたくないと思います。笑顔で、最期くらい楽しく。それが、大事だと」


「…そうね、それが大事なのかもしれない」


「何よ、永琳まで…」


「鈴仙には、病気のことは伏せておきましょう。風邪薬と言って、症状を抑える薬を渡すわ。だから、みんな普通に、今まで通りに。そしてみんなが、優曇華が、笑顔になるように」




 ……あの時に、もしも私が師匠に八つ当たりをしていなければ、みんなが笑顔のままでいられたのだろうか。てゐに迷惑をかけずに済んだのだろうか。

 ……もっと、良い運命へと変わったのだろうか。


 それは、誰にもわからない。


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