第十話 再燃と発作
私たちは長い時間、里を歩き回った。様々な店を回り、色々な会話を交わし、気付けば日も暮れようとし始めている。暗くなるまでに帰ろうと思えば、そろそろ帰路につかなければならない時間だ。じきに、身を凍らせる程に冷たい風が吹き荒れることだろう。
「鈴仙、そろそろ帰らないと…」
てゐも同じことを心配していたらしい。沈みゆく太陽をちらちらと見つめる姿が、何故かとても忙しなく見え、そしてまた、自分も急がなくては、と思ってしまう。
病を患っている時に、身体は冷やさない方が良い。それに、気温が低い為かてゐの顔色も幾許か悪く見える。早く帰って、暖かい部屋にこもる方が良いだろう。
…最も、こうして人間の里に連れてきた時点でてゐには無理をさせているのだが。
「なら、帰ろっか」
「…うん」
人間の里から出て、辺りに広がる草原を見る。
数日前に薬を買った時にこの辺りも通ったのだが、経過した時間も短い為か、変わった所など見受けられない。いつも通り、今まで通りの寂しく枯れた草原が広がっている。
そういえば、先日里の子供に石を投げられたのもこの辺りだった。そして、今日と同じ、沈みゆく夕日を見ていたら私に石が直撃し、霊夢の鉄拳が振り下ろされたんだっけ…。
その日のことを思いだし、ふと辺りを見渡してみる。今日は里の子供に石を投げられた日とあまりにそっくりだ。変わるところと言えば私たちの持ち物が薬なのか味噌なのかの違いであり、それ以外は全くと言って良いほど、あの日と酷似している。
それならば、あの子供たちも再び茂みに隠れてはないかと、思ってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。
…前は丁度、あのすすきが揺れる草むらのあの辺りから、僅かばかり見える頭で気がつくことが出来た。
もしかしたらという思いで、今日もいるのかと草むらを眺めてみたが、目を凝らす中に、どうも、不自然に動く陰がある。
まさか、と思った。いくら様子が同じだとはいえ、少年たちまで忠実に再現されているなんて、いささか信じられない話である。
しかし、いくら信じられずとも草むらには確かに蠢く陰がある訳で。ちらりと見えたその表情はまさに、子供という文字がよく似合う。そしてその陰も、一つではなく複数あるようで、それすらも数日前との違いはない。
……それにしても、石を投げられるところまで同じだとは驚いた。数日前とは違い、こちらが少年たちの存在に気付いている為に、投げられる石に当たることはないだろうが…。
少年たちも懲りないものである。少し前に霊夢に殴られ、あの様子からして里に帰ればおおよそ寺子屋の教師である慧音に、説教と頭突きをお見舞いされただろうに。それでも石を投げてくるということは、余程恨みを買っているのだろうか。
だからといっても、里に来る度に石を投げられるのも困ったものである。先日には、投げられた石に当たって実際に怪我もした訳だし、それに他人の痛みがわからぬ歳でもないだろうに。それ程までに恨まれるのもまた、珍しいのではないかとも思う。
ただ、いくら本気で投げられているとはいえ相手は子供。日頃から姫様や師匠の戯れ言に付き合ったり、巫女やら魔女やらと弾幕を交わす私にとっては、避けることもまた容易いことではある。数も少なく速さだけの変化に乏しい石なんて、左右に少しずれるだけでかすりもしない。
しかし、人間、もとい子供相手に反撃することは少々はばかられる。
最近では人間も弾幕を扱うなどと聞くこともあるが、もしこちらが反撃すればまず相手は避けられないだろうし、避けられないならば怪我をさせてしまったり、ともすれば最悪の事態になることは目に見えている。この幻想郷において医療に携わる私が、相手を傷つける為の弾幕は放てない。
だが、私が避ければ後ろにいるてゐに当たる訳で。てゐも弾幕には慣れているはずではあるが、病気であり、避けるのは困難であることに違いはないだろう。
それに、前に石を投げられた時にてゐが取った行動を忘れた訳ではない。私の前に立ち、庇うように手を広げ。
私はあの時に怪我をしていた。今となっては大したことのない怪我だったように感じるが、それでもあの時はその場から動くことは出来なかった。
今度は私が守る番だと頭の中で自分に言い聞かせ、石を投げる少年たちに向き直るようにして立つ。足を開いて仁王立ちになり、手を左右に突き出すようにして、石一つすら後ろには漏らさないようにしながら。今はてゐが動くことは出来ないんだ、私が守らなければ怪我をしてしまうのだ、と覚悟して。
こちらに向かって幾つも飛んでくる拳大の石を、目の動きだけで追う。前回と同様、投擲に手加減されている様子はうかがえない。時には私の髪を掠める石もあり、その刹那には冷水が背中に注ぎ込まれるような感覚に襲われた。
石を避けずに堪えることに恐怖を覚え、その迫り来る恐怖に目を瞑ることも何度かあった。それでも避けてはならないと足を強ばらせ、頭部を隠そうとする左右の手を無理矢理に開き直す。…恐れるな。まだ、石には当たっていない。てゐにも石は及んでいないはず。
…前は、ここで霊夢が助けてくれたんだっけ。助けてもらったという表現が正しいのかはわからないけれども、それでも、あの時は霊夢のおかげで助かったことには違いない。
だからといって、今回も霊夢が助けてくれるとは限らない。むしろ、あの時に霊夢が偶然居合わせたのであろうことを考えると、他の人がこの場にいるかどうかすらわからないこの状況下において、助けてもらえることはまずあり得ないだろう。
それならば、自分でどうにか現状を打破する方法を考えねば…。
前からは石。後ろには下がれないし、左右にずれることも不可。今は一つとして命中してはいないが、近付けば距離と比例して命中力は上がるに違いない。それに加えて遠距離攻撃である弾幕も好ましくないことを考えると、私に出来ることなんて何もないように感じてしまう。
打開策が見つからない中、辺りには鈍い音が響き渡った。何かがぶつかりあうような、鈍くもどこか軽い音だ。
音の正体は少年たちの背後にあった。石を投げつけるのに夢中なのか、背後にある陰に気付かない少年たち。その陰は何かの棒を振りかぶったかと思えば、順番に少年たちを伸していく。
「お前たち、一体何をしているんだ?」
夕日も沈み、草原は闇に包まれようとしている。その中で、一足先に闇に取り込まれたかのように真っ黒な衣装に身を包み、更には真っ黒な三角帽子を小粋に被っている少女が一人立っていた。
霧雨魔理沙。魔法の森に住む普通の魔法使いである。気さくな人間であり、いつもは竹箒に跨り空を飛んでいるが、さっきの音はどうやら箒の柄で少年たちを殴打したらしい。暗い中でも僅かにその光景を垣間見ることが出来た。
魔理沙は箒を肩に担ぎ、どうやら少年たちを見下ろしているらしい。そんな彼女の動きにあわせて揺れる金色の髪が、闇に集まる光のようで、思わず見やってしまう。
その視線に気付いたのか、魔理沙は顔をあげてこちらに視線を返してきた。
「…真実とは、いくら耐え忍ぼうとも変わることはない。それに逆らってこそ、成就される」
……霊夢の時と同じだ。助けてくれたことも、謎の言葉を残すことも。そして、少年たちの首根っこをつかんで、里まで引きずって行くことも。
ともあれ、これで危険はなくなったはずだ。霊夢や魔理沙には、後でお礼をしなければ…。
「…ごめん、鈴仙……」
「…てゐ?」
「ちょっと…苦しい…」
てゐは膝をついてうずくまり、胸を押さえていた。不規則に荒い呼吸はどこかか弱く、痰が絡むのか、息を吸う度に掠れるような風の音が聞こえてくる。
てゐに駆け寄り、背中をさする。声もかけるが、話すこともままならないのか返答はない。
「…薬…鞄の中に……あるから……」
絶え絶えに紡がれた言葉の通りに、てゐの持つ鞄を開く。その中には粉の入った薬包紙が幾つかと、栓のついた小さな竹筒が入っていた。およそ、粉薬と水に違いないだろう。
それを取り出すと、てゐは身体を起こして粉薬を手に取り、一気に口の中へと放り込んだ。余程苦しいのか、彼女の浮かべる表情は苦悶に歪み、水を飲むことですら苦痛であるかのように、僅かに呻く。
「てゐ、大丈夫?」
僅かに横に振られた首が、私の言葉を否定する。
「今ならまだ人間の里に近いし、慧音さんなら、休ませてくれるかも」
「永遠亭に…帰ろう」
「え…?」
「私は、大丈夫。薬も飲んだから、すぐに落ち着く。
…だから、永遠亭に、帰ろう」
……いくらてゐの頼みといえども、あまり無理をさせる訳にはいかない。せめて落ち着くまでは、どこか近くにいられたら…。
「…お願い」
私の眼を射抜くてゐの眼光はどこまでも鋭くて。それを断ることなんて、私にはとてもではないが出来ない。とはいえ、てゐが自分で歩ける訳もなく、永遠亭に帰るならば、私が背負うしか方法はない。
…永遠亭まで、私の体力が持つかどうかはやってみなければわからない。そんなにやわな身体ではないと思っているし、大丈夫だとは思うが、もしかしたら途中で限界もくるかもしれない。
それでも、てゐが望むならば。永遠亭に帰りたいと望むならば。私の無理なんて、ちっぽけな問題だ。てゐの命が残り短いことを考えたのなら、自分とは如何に出来ることの多きことか。
「…鈴仙……ありがとう」
背中にもたれるようにしておぶられているてゐは、私の耳元で、ぽつりと呟く。
その言葉に返事をすることすら出来ず、ただただ私は自分の力の無さに嘆くことしか出来なかった。