不安と眠る夜
「……っぷはぁ!」
池の水を飲んで喉を潤す。前世ではやろうとも思わなかった新鮮なことだ。
水面にはやっぱり亀の姿が写っていて、それは紛れもない俺の姿だってことは変わらないけれど。
俺がこの世界に生まれ変わって既に一週間ほどが経った。
俺の前世での最後の記憶は迫ってくるトラック。今見ているこの世界が幻でないのだとしたら、こうして亀になって生きていることの説明はファンタジーな解釈をしないとできやしない。
だから、難しいことを考えるのはやめて、本屋とかで見かける、いわゆる『異世界転生』であると思うことにした。
「――✲✲✲」
「はいはーい。今行くよー、おかーさーん。」
空腹を感じるようになってきたこの時間帯。太陽は西の空へと大きく傾いている。夕食の時間だ。
「……やっぱ、そうだよなぁ。」
俺の目の前にあるのは夕食。カブトムシの幼虫みたいなやつ(大きさ地球の幼虫のおよそ5倍)と、ぐしゃりと頭がかみ潰されたトンボのようなやつ(大きさ地球のトンボのおよそ10倍)だ。
これは今日も……草でも食うかなぁ……
「ごめん。俺はそれいいわ。兄さんと食べといて。」
「✲✲✲」
俺には理解のできない言葉で返事をする母亀。
それを承諾の意と捉えて俺は近くの茂みへと近づいていく。
お察しの通り、母亀というのは初日で俺の目の前にいた巨大亀である。
あのときはまだ転生してきただなんて理解できるはずもなかったが、向こうもこちらを殺そうとするつもりもなかった。そこで俺は、やっと状況が見え始めてきたのだった。
ま、即理解して順応できるやつなんていたら見てみたいわ。こんなこと自分の身に起きれば、冷静さなんて保てるはずもない。
そんなとりとめのないことを考えながら、茂みの草をモシャモシャと喰らう。……不味い。
「☼☼☼☼」
「え?あー、いいよいいよ。俺は草のが好きだし。」
俺と同じくらいの体長のその亀は、咥えて持ってきた幼虫を押し付けてきたのでお断りする。
まぁそしたら遠慮なくその幼虫を噛みちぎってグロテスクな惨状を目の当たりにするわけなんですけども。
肉をちぎり体液が噴出する様子に、思わず俺は顔をしかめた。
よくもまぁそんなものを食べられるものだ。こちとら見るだけでうわぁってなるのに。
……でもまぁ、気持ちは嬉しい。
「……ありがと。兄さん。」
「☼☼☼☼☼」
俺は数枚の葉っぱを食し、今日も来る夜に備えるのだった。
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「……」
半月が空高く浮かび、優しく照らされた森は昼間とまた違う顔を見せる。美しく、蠱惑的な夜である。
「……」
長々とした、永遠と続いていくかのような夜。美しく、蠱惑的で、そして底なしの恐怖で満ちた、夜。
「……」
そうして俺は、今日も恐怖と孤独の綯い交ぜになった闇に溶けて、眠りについていく。