授業の風景
2
学園には、普通あるものがなかった。
一つは、名前である。秘匿された学園には、それを呼ぶ名が存在しなかった。
もう一つが、学級である。それぞれに授業を選択し、受講するというシステムで、便宜的なクラスすら設けられていない。
もちろん、学年ごとに定められた単位があり、それに則って授業を選択するようになっている。こういうシステムだからこそ、留学生も受け入れやすいのだという。
しかし、途中入学の千波にとっては、あまりありがたくない話であった。
何しろ、外界に秘匿されている学園である。通常のカリキュラムとは異なる授業も多い。中等部の段階で受講しておくべき授業のいくつかは、千波の通っていた普通の公立中学校では扱っていない科目であった。千波は高等部の授業と合わせて、それらの科目も受講しなくてはならなかった。
結果、彼のスケジュールはかなり高密度である。
「授業だけなら何とかなるよ。でも、試験のことを考えると、今からぞっとするんだよね」
うそ寒いような心地の千波の呟きに対し、多喜はこともなげに答える。
「授業をきちんと受けていれば、簡単な復習さえしておけば大丈夫だろう」
非の打ちどころのない正論である。しかし、千波は多喜の言葉を鵜呑みにはしなかった。
なにしろ、勉学の分野で入学当初から学年首席の座を守り続けている男の弁である。自分とは前提条件が違うと自覚している。自覚したからといって、今から試験対策に真面目に取り組むかといえば、それはまた別の話である。
この日、千波が受講すべき最初の授業は、術式学基礎、という名称だった。
この授業も、本来であれば中等部一年生のときに修了しておくべきものである。当然、教室で共に学ぶのは、大半が入学したての後輩たちである。
教室は、千波が通っていた中学校と大差ない。正方形の空間に、机といすが当間隔で並べられている。
ただ、クラスルームがないという学園の性質上、机には引き出しがなく、机と机の間隔も比較的ゆったりしている。
また、千波の中学時代には、教室の壁は各学級のスローガンや掃除当番表、習字の作品などによってにぎわっていたが、この教室の壁にはいたるところに担当教諭のものとみられる走り書きが見える。千波も数度、教諭が壁に術式を書きつけるところを目撃した。どうやら彼は壁と白板の区別がつかないらしい。
席はとくに決められていないが、入学後一カ月もすれば、自然と席割が決まってくるものだ。今朝も千波は、窓際の前から三番目という席についた。
年下の学友たちに気をきかせ、一足先に成長期を迎えているはずの彼は、最初は一番後ろの席を選んだが、そのとき前に座った少年の背中が大きすぎたため、今では大人しくこの位置に落ち着いた。
「千波、おはよう」
声をかけながら、千波の隣に座ったのは、美しいブロンドの巻き毛が目を引く少女である。小柄な肢体には、今日も快活なエネルギーがみなぎっている。フィオナという名の彼女も今年学園にやってきた留学生で、年齢は千波の二つ下の十三だという。
「おはよう、フィオナ。今日もくるくるだね」
挨拶とともに彼女の見事な巻き毛を褒めるが、褒められた当人は、あまり気に入らなかったらしい。
「褒め言葉としてうけとっておくわ」
「もちろん、褒めたんだけど。ああ、ブロンドがまぶしいね、とか、笑顔がチャーミングだね、とかのほうが良かった?」
「さっきのよりはましだけど、独創性に欠けるわ」
「精進します」
うやうやしく千波が頭を下げると、フィオナはおかしそうに笑った。
ほかにも幾人かの後輩たちと挨拶を交わすうち、予鈴が鳴った。それとほとんど同時に、担当教諭が教室に現れる。とたん、潮が引くように教室内は静まり、自然に講義が始まった。