初演習6
炎は勢いよく燃え上がり、燃え盛る。先程のフィオナの炎の比ではない。
立ち昇る炎は、広いホールの天井を焦がす勢いである。その炎は天井近くでうねるように形を変えた。
その魔法の規模に呆気にとられていたのは、柳やフィオナだけではなかった。クラスメイトの測定を見物してやろうと、城内の探索を終えて戻ってきた生徒たちもまた、一瞬何が起きているのか理解できなかった。
「これ……千波がやってるの?」
花は、隣に立つ千波の保護者に問う。しかし、多喜も、炎に顔を赤く照らされながら、その光景を眺めることしかできなかった。
「あれ……龍か?」
愕然とした声で、誰かが呟く。それは、その場にいる人間すべての思いを代弁していた。
千波の放った炎は、いまや巨大な細長い形を成し、その長大な身体の頭部にあたる部分には、ひときわ赤く燃える二つの目が見えた。
天井近くからゆったりと下降すると螺旋を描きながら再び上昇する。そして、シャンデリアの周囲にとぐろを巻くようにすると、次の瞬間には、咆哮するようにあぎとを開き、ホール中央へ急降下する。
炎の龍を生みだした張本人である千波は、しかし、ホールの中央でくずおれるように膝をついていた。自分めがけて降下してくる炎の塊を、ただ見上げることしかできない。
いくつかの悲鳴が上がり、幾人かが千波の名を呼ぶ。
半ば唖然としながら成り行きを見守っていた柳も、ようやく我に返り、急いで彼の生徒を守るための魔法を構築する。
しかし、到底間に合うものではない。全身の毛が太るのを感じた瞬間、人影が千波に駆け寄るのが見えた。
人影の正体は玲であった。玲は千波の前に立つと、頭上に左手をかざす。
「障壁展開」
いつもと変わらぬ冷静な声音で呟くと、彼と千波を覆うように術式がきらめき、不可視の障壁が出現する。
それとほぼ同時に、炎の龍が彼らに襲いかかった。その威力と勢いに、玲の足元がぐらつく。
龍は障壁にぶつかると、つぶれるように形を崩す。四方へ炎が飛び散った。
どうにか玲が耐えきると、その場にいた全員が安堵の息を吐く。しかし、玲だけは緊張を途切れさせずに周囲を警戒していた。
もともと実体をもたない炎の龍は、四散してなお生きていた。
飛び散った炎がふたたび集束し、ひとつの生命体を形づくる。
炎を消さなくては埒が明かない。柳と玲はそう判断し、柳は水の術式を、玲は冷却の術式を構築しようとする。しかし、彼らよりも早く動いたのは、ぐったりとうずくまる千波であった。
手元の機械の液晶に表示された青いボタンを押し、水の術式を呼びだす。
水ならば、炎よりも身近にある。大量の水を思い描き、術式に手を添える。
千波が何をしようとしているのか気づいた玲が振り返り、彼には珍しく焦りの表情を浮かべる。
「やめろ!」
制止するが、すでに千波には聞こえていない。ただ、火を消すことしか、彼の頭の中にはなかった。
水道の蛇口から流れる水。清涼な川の流れ。夏の夕立。青い海。ごく身近に当たり前に存在するそれ。しかし、ときに激しく牙をむく。激しい水の流れに飲み込まれるような感覚。その水底は、しかし凪いでいて、何も聞こえない。深い水の底から、遠くの水面の光に手をのばす。
「水よ」
声を発した瞬間、体中の力がごっそりと奪い取られるような感覚が千波を襲う。しかし、その感覚に、千波は魔法が成功したことを知り、朦朧とした意識のなかで安堵した。
術式の補助を受けて魔法が発動する。
千波を中心に水が勢いよく湧き出し、たちまちホールが水で充たされる。数秒のうちに十数センチの深さにまでなったと思えば、座り込んでいる千波のすぐ隣に集束していき、形を成す。
それは巨大な狼の形であった。
雄大な姿を現した水の狼は、一声吼えるようにすると、四肢を躍らせ、まさに龍の形に戻った炎へ向け襲いかかる。
龍もまた呼応するように鳴くと、狼を迎え撃つ。
狼が力強く跳び上がる。龍が猛々しく急降下する。真っ向からぶつかりあう。両者がぶつかった瞬間。炎と水は相殺し、その場所を中心に、水蒸気が爆風のように広がった。
離れた場所に立っていた生徒たちも、その勢いに身体が煽られる。
どうにか風をやりすごすと、数人の生徒が中二階の手すりに飛びつき、身を乗り出すようにホールの状況をうかがう。
もうもうと水煙がたちこめるなかに、かろうじて人影が見える。それを確認した多喜は、豪奢な階段を駆け降りた。
それに続こうとするクラスメイトたちを、花が留める。大勢で駆けつけたところで、できることはない。
ホールには、高温の水蒸気が充満していて、魔法の規模の大きさが知れた。すぐに服がじっとりと濡れ、肌にはりついた。
靄のなかを、中央へ向かい進むと、座り込む千波と、彼を支える玲の姿が見えた。さらに、向こう側から、柳とフィオナが駆けつけてくる。
千波はどうにか意識を保っているようで、玲に身体をあずけたまま、ぼんやりと駆けよって来る友人や教師を見上げた。血の気が引いて、常にも増して白い顔に、柳が手を添える。
周囲はサウナのような状態になっているにもかかわらず、その身体は冷え切っていた。顔を覗き込むと、濡れたような黒い瞳がゆっくりと焦点を結ぶ。
「せんせい?」
数度まばたきして、千波が問うようにして言うと、柳は安堵の息を吐いた。意識障害を起こしていないのであれば、しばらく休めば回復するはずだ。
「気分は?」
「さいあく。はきそう」
「それなら、問題ない。眠ってろ」
柳に言われて、疲れてきっていた千波は、すぐに瞼を落としてしまう。
その千波の手元から、柳は術式の登録された機械を取り上げる。液晶に表示されたままになっている水の術式を丁寧に確認していく。
「先生、千波は、大丈夫なんですか?」
術式の確認を始めたまま黙ってしまった柳に、焦れたように多喜が訊ねる。柳は、液晶から目を離さないまま頷いた。
「ああ……。力の使い過ぎだろう」
柳の回答に、フィオナが首をかしげる。
「たしかに、とても大きな規模の魔法でしたけど……そもそも術式は魔力量の二パーセントの出力に設定されているのでしょう?」
「それなんだよなあ」
術式を見ながら、柳も首をひねる。
機械に表示されている術式に不備はない。つまり、千波は規格外に膨大な魔力を有していることになる。しかし、本当に魔力量の二パーセントしか使っていないなら、このような状態にはならないはずである。
あるとすれば、魔力の大きさに身体がともなっていないという場合だが、普通ならば、成長の過程で魔力量に見合っただけの体力が身に着くものである。
もしくは、魔力に身体が耐えられず、壊れるか。
いろいろに思案をめぐらせている柳に、玲が声をかける。いつもの冷静な調子に戻った声であった。
「先生、分析は後に。俺は千波を医務室に運びます」
両腕で千波を抱えあげる。
「あ、先輩。俺が……」
代わろうと、多喜が両手を差し出す。千波の保護者役がすっかり身に染みついているらしい。
しかし、玲はその手をやんわりとおしとどめる。
「お前たちは授業中だろう。俺が連れて行く。放課後に迎えに来てやってくれ」
言うが早いか、歩みはじめる。
その振動に気がついたのか、千波が顔をしかめながら目を開いた。じっと玲を見上げてくるその瞳を見つめ返し、玲はわずかに微笑んだ。
「大丈夫だ。疲れているだろう。おやすみ」
その言葉に応えようとするように、千波は口を開いたが、結局言葉は出ず、数度まばたきをすると、玲に身体をあずけて眠ってしまった。
閉じてしまった漆黒の瞳に、わずかに紅色がにじむように混ざっていたことに、玲だけが気づいていた。
無事、魔法は発動しました。
お約束の魔力チートです。
今後の展開は修正加えたいので、
また少し時間が空くかと思います。
ご容赦を。




