いつもの朝
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その島の存在を知っているのは、ごく限られた人間だけだった。
そして、その正確な所在を知っている人間は、さらに一握りに限られる。
そんな島ではあるが、そこに住む当人たちは、自分たちの存在の特異さなど、さして気にしてはいなかった。
島の住人の一人である千波は、まぶしい朝日の注ぎ込む窓を開けると、吹き込んできた心地よい風を浴びて大きく伸びをした。十五歳という年齢にしては、いささか小柄で、線の細い印象の少年である。まっすぐな黒髪を風になぶらせながら、潮騒と、それにまじる鳥の鳴き交わす声を聞く。
5月の朝である。比較的温暖なこの島では、すでに昼間は汗ばむくらいの日が多いが、朝の風は涼しい。
部屋の左右には、二つの二段ベッドがそれぞれ壁に押し付けられるようにして設置されている。その四つの寝床のうち二つは空で、二つはまだ埋まっていた。
壁の時計に目をやると、そろそろ朝食の時間である。起き出す気配のない二人に、千波は軽くため息をつく。
「先輩たち、もうすぐ7時になるよ。そろそろ起きなよ」
返答は一人分のうめき声だけだった。
毎朝のことなので、千波はそれ以上彼らを起こす努力をすることなく寝室を出た。一応声はかけたのだし、そもそも彼らの遅刻に関して自分が責任を負う理由もない。そう一人頷きながら、洗面所へ向かう。
彼らが暮らしているのは、学生寮の一室である。
島には、中等部から高等部までの生徒が通う学園があり、そして、島にあるのはそれだけだった。島全体が一つの学園となっている。
存在さえ秘匿されている島だから、当然、定期便などというものはなく、学生も教職員も全員が、島で生活をしていた。
学生寮は基本的に4人部屋で、寝室のほか、リビングルームとバス、トイレ、ミニキッチンまで備えられ、集合住宅と変わらない。ほかの寮で暮らした経験のない千波には、学生寮の基準というものがわからなかったが、想像よりはずっと快適に暮らせている。
身支度をととのえていると、部屋の玄関扉が開き、もう一人の住人が顔をのぞかせた。アッシュブラウンの髪の毛をすっきりと短髪にした少年である。トレーニングウェアからのぞく腕や脚は、ほどよく鍛えられていて、日に焼けている。大柄ではあるが、威圧感がないのは、そのやさしげな目元と、彼のまとうおおらかな雰囲気のおかげだろう。彼を見ると千波はいつも、隣家で飼われていたゴールデンレトリーバーを思い出す。
「おかえり、多喜くん」
千波が声をかけると、多喜は微笑を返す。
「おはよう、千波。先輩たちは?」
「さあ。レント先輩はうなってたけど」
肩をすくめてみせると、多喜も呆れたような表情になる。
「また飯抜きコースかな」
各部屋にミニキッチンがついているとはいえ、自炊する生徒はほとんどいない。千波の部屋のキッチンも、もっぱら、深夜の即席ラーメン用である。学生も教職員も、学園の食堂や購買部を利用するのが常だ。
朝食が提供される時間に起きることができなければ、空きっ腹をかかえて授業に臨むことになる。
幼いころからの習慣で、朝食を抜くという発想がない千波には、できない芸当である。
「まあ、あの人たちのことは放っておこう。千波は?」
「これから行こうと思ってたところ。席とっておこうか?」
「頼む」
ひらりと手を振って、多喜はバスルームへと入っていった。それを見送り、鞄の中身を確認すると、千波は念のため、寝室の扉を開いてみた。が、案の定、そこには数分前と変わらぬ光景が広がっている。
「先輩、俺もう行きますからねー」
義理堅くもう一度声をかけるが、今度はうめき声すら返ってこない。器用に片眉だけを上げ、やれやれ、という表情をつくると、千波は無言で居室を出た。