▶旬花朱刀◀シュンカシュウトウ▶春夏秋冬◀
本作品では仙台真田氏系譜における真田幸村元亀元年産まれ(1570年)の説をとってますので、1話時点での年齢は12〜13程、一般的な戦記物ですと永禄10年産まれ(1567年)ですので15〜16程ですね。作者は前者のつもりで書きますが明確に歳を記述する事はないので読者の皆様のお好きなようにご想像下さい。
真田幸村等という名の戦国武将は、実在しない。
その名は真田信繁で、幸村という名は江戸時代から広まったものという。
主君に忠義を尽くし関ヶ原の戦の際は後の2代目将軍徳川秀忠が率いる三万以上の軍勢に三千の兵で敗り、絶望的な戦力差である大坂冬の陣では真田丸なる砦を築き徳川勢に万を超える損害を与え撤退させ、夏の陣では家康を後一歩といったところまで追い詰めた。
天下人を最後の最後まで脅かした彼は敵である徳川の世においても英雄視され続け、彼を題材とした創作物が後を絶たず、広く流布した為に間違った幸村なる名が広まったのではないかとも言われるが、さて…
では幸村の名は、一体どこから来たのであろうか。
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戦国の世天正10年春、桜が城下に咲き誇り、煌びやかとは言い難い城を彩ってくれる。砥石城のとある一室では、城の主である真田昌幸が次男弁丸を呼び出していた。
「父上、何用でしょうか」
今は真田の主家である武田家が配下の裏切りによって滅亡し、真田家もそれに巻き込まれる形で危機的状況にある。
その当主である父昌幸が家族であろうと油を売っていていい訳もなく、当然昌幸の呼び出しは何かしら大事な要件があっての事だろうと弁丸は推測していた。
「………弁よ」
「はい、父上」
「織田に…人質を出す事と相成った」
昌幸の厳つくも本来の温厚な性格が表れた様な声からは、神妙な面持ちが垣間見えた。
「……私が人質ですか?」
弁丸は半ば確信しつつも疑問符を付けた口調で問い掛ける。
「違うな」
てっきり自らが人質として向かう事になると考えた弁丸は否定の言葉を受けて拍子抜けするように
「では、姉上でしょうか?それとも四郎でしょうか?四郎はまだ幼子です……まさか、兄上という事はありますまい」
姉上とは、後に村松殿として知られる於国の事。
四郎とは、弁丸の腹違いの弟で、まだ片手の指で数える程の齢の庶子である。
そして兄上とは、弁丸が敬愛する真田家跡取り真田源三郎信幸その人。
「違うな、そうであれば、わざわざお前一人を呼び出さん」
そこまで言われれば、弁丸にはもう察しが着いた。というより、それ以外に身内などいない。
「好白丸を、人質に差し出すのですか」
「…そうだ、好白を弁として、質とする」
「余りにも酷にございます!」
弁丸は激昂する。それもそうだろう____好白丸とは、弁丸と共に産まれた、二つ腹…今で言う双子であった。
…この時代において双子は、一度に複数人産まれるのは〝 家畜と同じ〟として、畜生道に堕ちると忌み嫌われる存在だ。武家であれば産まれた時点で絞め殺されていてもおかしくないのだが、父親であり家長たる昌幸は、これを隠し生かし続けた。
昌幸が何を思って弁丸、好白丸を生かし続けたのかは弁丸には分からぬ事だが、生き写しのような二人が共に居ては双子であると宣伝しているようなもので、その為に好白丸は幽閉されて過ごしている。
2畳半あるかどうかといった部屋に押し込められて、いざ出されれば兄弟の代わりに人質に送られるなど…片割れである弁丸には受け入れ難いものだ。
「勘違いするでない、儂は、好白丸を捨てるつもりなどないぞ」
「っ!では何故私でなく、好白丸にございますか?!」
「好白のためである」
「どういう事でしょう」
「お前達には次代の源三郎を支える支柱となって欲しいのだ。このような機会がなければ好白は外に出せまい……人質とはいっても、それは織田への忠誠の証、寧ろ天下の織田の元で学ぶ事は好白にとっては良いであろう。更にいえば、人質に出向くのは新たに関東管領に任じられた織田家の滝川一益の下へだ…関東管領へは、厩橋城や沼田等の城を明け渡す算段にて、そう離れる事もない」
「しかしそれならば私でも…」
「人質となると、織田は籠絡を画策するやも知れぬ。故にお前は出せない」
「何故に」
「源三郎に何かあれば、代わりの跡取りが必要だ。お前はそう教育してきたが、好白では不安が残る」
そこまではっきりと言われてしまえば、弁丸はもう口出しできない。昌幸は熟慮の上で弁丸に話を持ちかけたのであり、弁丸ごときが訴えたところで、何を言っても覆らぬ事であろう。
「分かりました。しかし、条件がございます」
「何だ?」
「好白丸に私を名乗らせて人質に出すのであれば、真田家の子息としての次男は好白丸にお譲りいただきたい」
「………なるほど」
弁丸の言うことはつまり、存在を認められない好白丸と立場を逆転させること。
「よいのだな?」
「はい」
弁丸は、間髪入れず応える。その瞳には、一切の迷いや不安などの曇りは見えない。
昌幸は、かつて憧れ尊敬していた兄、真田信綱を思い出した。
信綱は正嫡で真田や主であった武田の皆々から将来を期待される程の豪勇の若武者であった。
昌幸が真田家当主となったのも、父が亡くなり、跡を継いだ信綱と同腹の昌輝が後を追うように長篠で織田との戦の中討死しあれよこれよとお鉢が回ってきただけのこと。昌幸は真田の家長の座を正統なものとすべく、次期跡取りである源三郎と信綱の娘であるお清を結婚させる〝 いとこ婚〟まで行っている。
そこまでするほどに慕っていた兄を奪った織田家には、昌幸は並々ならぬ怨念が溜まっているであろう。それでも織田に下り息子を差し出すのは、一重に真田のお家を思っての当主としての判断だ。
昌幸は、息子の言葉に了承するのであった。
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「それで、これからは某が真田源次郎弁丸を名乗ると…はぁ」
「嫌か?」
「いえいえとんでもございませぬ、ただそれだと某は、弁丸の事をなんと呼べばいいのでしょう?」
会話を繰り広げる二人の声は、まさに生き写しのようにそっくりで、小柄な童が同じ声を紡ぐ様はまさしく人形遣いのひとり芝居といったところか。
「お主が弁丸になるのだから、私は好白丸でよかろう」
「うーん……しかし、好白丸は某故…それで呼ぶのはなんだかおかしくてむず痒うございます」
「むぅ、一応父上より新たに通名を賜りはしたが」
「ほう!是非お聞かせ願いたく!」
「…亡き叔父上から、左衛門佐と」
亡き叔父とは、信綱の事で、左衛門尉の官渡からであろう。
「左衛門佐ですか……某は、叔父さま方とはお目に掛かる機会を得なかったために、人聞きでしか知りませぬが……良い名ですね、左衛門佐」
好白丸…いや、弁丸は噛み締めるようにその名を口ずさむ。
「では私も、これからお主を源次郎と呼ぼう。それと、某の自称は畏まった場以外では使うな…家中の者には口調の違いから別人と見抜かれるやも知れぬ」
「はい、左衛門佐」
「おうよ、源次郎」
「では、それ…私は織田に人質として出向きます。しかし、私の心は左衛門佐と共にありまする」
「ああ、私たちは一心同体。私の心も、源次郎と共にある」
「名前も…あります故に」
「はははっ、それは良いな!しかし私はお主と叔父上両方持っておるぞ!」
「それは狡うござる」
「そう言うでない、先程一心同体と申したばかりであろう」
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それから一週間程の時が経ち…
上野箕輪城から出立した滝川一益率いる一行は、織田家に屈した真田領厩橋城を接収すべく辿り着いた。出迎えるのは真田昌幸と真田源次郎弁丸。二人とその配下らは、敵意の無い事を示すため武装も簡易なものとなっている。
「織田が家臣左近将監、滝川一益である。此度は関東管領として、この厩橋城を召し上げ居城とする。真田安房守昌幸殿は私の与力に組み込まれる」
「心得ましてございます」
「横の少童が、件の倅か?」
滝川一益は、やけに色白な弁丸を差す。
「左様にござりまする…さぁ、源次郎」
「はっ!某は真田安房守昌幸殿が次男、真田源次郎にござりまする!」
「我等は砥石城へ戻りますが、案内はこの源次郎に…」
砥石城とは、真田の本拠地である真田郷近くに立する厩橋城とは二十里近い道程である。
少数で騎馬とはいえ今からでは早くとも明日の晩といったところか…昌幸は源次郎を残して厩橋からそそくさと去っていった。
「さて、源次郎といったか…早速だが城内の案内を頼もう」
「はっ!然しその前に、濯ぎ湯の手配をしております。上野国迄の道中は険しくお疲れのことと思いまして…馬上沓を解きまする故、さあどうぞ」
「ほう、目配りの利く伜よ」
源次郎は、父に数日の内に厩橋城の構造を叩き込まれ把握している。あとは、父との打ち合わせ通りに城を周って案内をする手筈だ。
「…滝川様の差されている刀はもしや、古備前派の太刀でございますか?」
源次郎の目に止まったのは、鞘を鮮やかな朱色に染められた刀だ。
「ほう、抜いてもいないのに見ただけで分かるのか?」
「深く反ったのは古備前派の特徴です」
「それだけならば、他の刀派にも無数にあろう」
「あとは、勘です。華美な拵えや滝川様が大事そうに扱っているのを見るに、それなりに古く名の知られた刀ではと…」
「見事なり、確かにこの刀は古備前の太刀。関東管領に任じられた折に、信長様より頂いたものでこの拵えは安土で流行りの桃山の拵えだ……では、この脇差は何か分かるか?」
一益は、その脇差を抜刀しては源次郎の眼前に移す。後ろを着いてきていた家臣や小姓は、主が突然刀を抜いて切迫した空気に呑まれてしまう。しかし当の源次郎は…。
「…大和五派、おそらくですが保昌派のものかと、かなり良く鍛えられています。ただ、刃文に匂切れの跡があります」
「どういうことだ?」
「匂切れは、焼入れのムラや火災など強い熱を受けて刃文の匂線が消えてしまう事です。…これだけ鍛えられた刀を打った刀工が、焼入れを失敗するとは考えにくいのでおそらくは火災で焼け残った刀でしょうか」
源次郎は素知らぬ顔で語り、それを見た一益はその豪胆さに面白くなって笑いがこみ上げてくる。
「中々面白い童ではないか、刀についてはどこかで学んだのか?」
「……引退なされた刀匠の方から教わり申した。元は名刀の真贋を見分け付けられるようにと、それで滝川様どうでしょう!その脇差は保昌派のものですか?」
源次郎は宝くじの当たり外れでも見るかのような眼差しだかさて…。
「分からん、これは無銘の刀だ。石山合戦に折討った一揆衆の物でな、業物なので佩いでいるのだ」
「むっ……そうでございますか…………」
「とはいえ大和五派といえば寺社勢力に抱えられているのは周知のこと、お主の予想は外れてはいないだろう」
無銘刀と聞いて明らかに落ち込んでいたのだろう源次郎への助け舟のような言に、源次郎は知ってか知らずかまた笑顔になるのであった。________________________________________________
時を同じくして、羽柴秀吉は備中国に侵攻していた。とは言っても合戦等をしている訳ではない……敵との睨み合い____そしてその裏では手の者に地理の調査をさせている。
「……足りぬ」
「は?」
弟の秀長は、兄のつぶやきを聞きのがさない。
「いんやー…手が足りぬのよ」
「手はどっちの手の意ですかな」
「人手の手に決まってるわい!」
「人手でしたら充分では?……さてはまた何か成される気ですか?」
秀吉は、弟の言葉にニマリと笑って答える。後日羽柴軍陣営から安土へ援軍を求める使者が送られる。それと同時に、秀吉はとある工事の着手に取り掛かった。
攻略せしは備中高松城…かの有名な水攻め戦の始まりである。
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