第五話「納得いかない」
【春臣視点】
結局は母さんの目論見通りになったな……。
まあ、最近のハウスキーパーさんの出来を考えると、母さんが来てくれないかなって思っていたくらいだから、この結果もいいっちゃいいんだけど。
しかし僕が良ければいいって事ではないよな。
実際のところ、さくらさんはどう思っているんだろう。
こうしてウチへ転がり込んで来たくらいだから、今のさくらさんに彼氏はいなそうだけど、結婚前の若い娘には変わりない。
僕と同居なんかしてたら、もし彼氏が出来た時に気まづいんじゃないのか?
と言うより、こんな生活してたら彼氏なんか出来ないんじゃないのか?
そうだ。そこら辺もちゃんと考えてあげた方がいいな。
って事はこれは没だな。
プリンターから出て来たばかりの用紙をゴミ箱に捨てる。
僕はもう一度パソコンを開いて契約書に追記することにした。
☆☆☆
「さてと。こんなもんでいいかな……」
僕は追記した契約書を出力して、さくらさんへ見せる前に文面の最終をチェックしていた。
とりあえずの契約書だ。不備があるのは否めない。
まあ、後は月一のミーティングで詰めて行けばいいか。
「さくらさん、今いいですか?」
彼女にあてがった部屋をノックする。
さっきまで自分一人の家だっただけに不思議な気分だ。
この部屋は元々母さんや友達が泊まりに来た時の為の部屋で、それ用のソファベットを置いている。
造り付けの収納もあるので、あのダンボール四個分の荷物くらいならなんとかなるだろう。
そしてここは普段ちょっとした運動をするのに使っていたので、バランスボールやヨガマットが置いてあったのだが、それらは自分の部屋へと移動してある。
その分自分の部屋が手狭になったが、物がものなのでそれほど問題ではない。
最悪バランスボールは空気を抜けばいいんだし。
「春臣さんの服って黒ばっかりなんですね?」
ドアを開けて開口一番、さくらさんは含み笑いで聞いてきた。
確かに黒ばかりだし、形も一見すると似たようなものばかりだ。
興味がない人からすれば、マンガの主人公のように、毎日同じ格好をしてるみたいに見えるだろう。
「そうでした。そう言えばラックを空けなければいけませんね……」
この部屋はちょっとしたクローゼット代わりにも使っていたのだ。
と言ってもラック二本に服を掛けて、その上から白い布でカバーして壁に寄せているので、そう邪魔にはなっていないと思う。
それもあって、さっきはとりあえずバランスボールとヨガマットだけ撤去したのだった。
「いいですよ、このままで。私、あまり衣装持ちじゃないし、ここの収納と備え付けのラックで事足りますから。同じ黒い服ばかりで、ちょっと面白かったから言ってみただけです」
「そうですか……」
本当に面白かったようで、さくらさんは可笑しそうにクスクス笑っている。
同じではないんだけど……。
「とりあえず契約書を出力したので、お互いサインして保管しましょう。それと、これは僕の好きなものリストです。今後の参考にしてください。とは言っても、本当に好き嫌いはありませんので、さくらさんの好きなようにしていただいて構いません」
契約書とリストをさくらさんに手渡す。
「お茶でも飲みながらにしましょうか。今度は紅茶にしましょうかね?」
「あ、はい。じゃあ私がやりますので、春臣さんは座っててください」
さくらさんは見ていた書類を慌てて返してきて、キッチンへと小走りで向かった。
そう言うつもりで言った訳じゃないんだけど……。
まあ、いっか。
「紅茶はそこの棚に入ってます」
「あ、はい。ありがとうございます。何処に何があるのか後でちゃんとチェックしておきますね?」
さくらさんはがんばり屋さんのようだ。
なんだかこれからが楽しみになってきた。
「でも、どうしてハウスキーパーさんを頼んでいたんですか?
なんか春臣さんなら家事もそつなくこなしそうですけどね?」
さくらさんがポットに茶葉を入れながら聞いてくる。
うーん、どうしよう。
ここは本当の事を言った方がいいのだろうか。
でも、引かれても嫌だよな?
「確かに一通りの家事は自分でも出来るんですが、僕は生涯独身を通すつもりなので、年老いてからハウスキーパーさんだったり、ヘルパーさんだったりの世話になると思うんですよ。その時の為に今からそれらの支出や、他人の世話になる事に慣れておこうと言うか、今は仕事に集中してお金を稼ごうと言うか、そんな感じの理由です」
さくらさんとはこれから暫く一緒に生活する事になる。
だからあまり隠し事は良くない。
生涯独身宣言したところで、今時そこまで引くとは思わないしね。
「そ、そうですか……。や、やっぱり…………」
ドン引きなんですけど、この子。
って言うか、やっぱりってなんだ?
なるべくサラッと言ったつもりだったのに……。
「ひ、人それぞれで色々ですからね、人生って……」
いや、そうだけどさ。
人生語る時は目を見て話そうよ。
「でも私はあまり法律に縛られない方がいいと思いますよ?」
「法律?」
「あ、いや、なんでもないです……」
なんの話をしているのだろう、この子。
さっきも急に驚愕事故物件24時とか優勝云々言ってたし、偶に異世界に行っちゃうタイプの子なのだろうか。
行きっぱなしにならなければいいが……。
「春臣さん、ミルクは入れますか?」
「あ、いえ。僕はストレートで飲みます」
今のところ大丈夫そうだ。
もしさくらさんが突然いなくなったら異世界に行ったと諦めよう。
「ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから当然です」
うん。意識が高い。ちゃんとカップをソーサーに載せてるし。
とにかく仕事と割り切ってもらえると、こっちも随分楽になる。ありがたい事だ。
「えーと。これ、さっきありましたっけ?」
早速気づいてくれたようだ。
それに、ちゃんと契約書に目を通すのは良い事だ。
「いや、さっき付け足したんですよ。この仕事のせいでさくらさんの恋愛を邪魔したくないですしね」
「あ、ありがとうございます……。
でも、実は私も生涯独身だと思いますので、ここまで気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」
そうなの?
未だ23歳なんだし顔だって可愛らしいんだから、そんなに早く諦めなくても良くないか?
まあ、人それぞれ考えがあるって事か。
何より僕もそうなんだし。
「でも、これ面白いですね?」
「どれですか?」
覗き込むと、さくらさんは[従業員が彼氏を連れて来る際は雇い主に断りを入れ、雇い主の居ない状況を作る事。雇い主は24時間以内の急な申し出以外は協力する事。]との僕が書いた一文を指差していた。
何も面白くないじゃないか。
[※泊まりは月に一度までとする。彼氏の家への宿泊は業務に支障を来さなければ基本自由とする。]との但し書きまで添えてあるじゃないか。
ウチで彼氏と同棲されても困るじゃないか。
「これとかも良く考えましたね。駄洒落ですか?」
さくらさんは[従業員が懐妊した際は雇い主は予告なく解任する事が出来る]の一文を指差して笑う。
笑い事じゃないだろう。
無理して働かれても困る。
冷たいようだが、雇い主にはこのくらいの権利があっても良いはずだ。
妊婦が自己判断で無理をして流産する事だってあるんだよ。
ちゃんと冷静な目で判断出来る人が、まだ働けるかどうか的確に判断した方が安心じゃないか。
そうした従業員の為を思っての事なんだよ。それに駄洒落じゃないし。
笑い事じゃないんだよ。
全くもって納得がいかない。