第十四話「仕事スイッチ」
【春臣視点】
「もしもし野咲です。今話してて大丈夫ですか?」
「大丈夫です。今、昨日のスーパーで牛乳を見ているところですし」
「あれ? 牛乳は昨日買いませんでしたっけ?」
「あ……そうでしたよね………」
「ところでさくらさん。急な話で申し訳ないのですが、今夜会社の友達がウチに来たいって……」
「わ、わかりました。じゃ、じゃあ私、今夜は適当に時間を潰しますので……あ、もしあれでしたらビジネスホテルにでも泊まります」
「い、いや、ビジネスホテルだなんて……。あ、友達は男ですよ?」
「お、お、おと…………あ、わそうだ ! 私、幼馴染が東京にいるんですよ! 向こうだって久しぶりに私と話したいんだと思いますし、一晩くらいだったら泊めてくれると思います。ですからお金の事も心配いりませんし私なら大丈夫です!」
「そう言う意味じゃなくてですね……」
「わ、私だって、そ、そう言う意味じゃ……と、とにかく私に気を使わず、春臣さんは普段通りご自分のプライベートをお過ごしください!」
なんだろ、さくらさんのこの慌てぶり。
全く話にならないな……。
「ちょ、ちょっとだけ僕の話を聞いてもらえますか?」
「は、はい……」
「さっき友達がさくらさんが作ってくれたお弁当を食べたのですが、それがよほど美味しかったみたいで、是非ともさくらさんが作る夕飯を食べに行きたいって言うんですよ」
「はあ……」
「本当、急な話で悪いのですが、今日のハウスキーパーさんの食事は冷凍でもするとして、今夜から食事を作ってもらえませんかね?」
「しょ、食事を作るのは構わないのですが、食事は作り置きしておきますので、やっぱり私は幼馴染のところへ行きます」
「い、いや、友達はさくらさんとも話したいって言ってるんです。むしろ居てください」
「は、はあ……」
「良かった。今、スーパーなんですよね? 昨日お渡しした封筒はお持ちですか?」
「はい……」
「ならちょうど良かった。友達は一人なんで、お金はそこから出して三人分の食材を買ってください。友達も特に好き嫌いはないので、何を作るかはさくらさんにお任せします。ではよろしくお願いしますね」
「え?」
「では僕、仕事に戻りますので帰宅時間はまた後でご連絡します」
「は、はい……」
何だか良くわかってない感じだったな、さくらさん。
確かに急な話すぎだよな、本当。
「これでいい?」
「ああ。100点」
「や、やめっ……」
雅也が僕の頬にキスをして来た。
社内ではやめろって言ってるのに、こうして偶にキスして面白がっている。
「春臣、これはみんなに見せつける為にも必要な儀式だぞ?」
「いや、別に見せつけなくていいから。それに普通のノンケカップルだって社内でこんな事しないでしょ……」
文句を言ったところで効果がないのは知っている。
でもこのニヤニヤと笑う雅也を見ると言わずにはいられない。
結局、雅也には本当の事を白状した。
変に嫉妬されて面倒な事になると思ってついた嘘が、そのままにしてたらそれ以上の面倒事になり兼ねない。
つまらない嘘で無駄に拗れたくない。
「まあ、料理を褒められたんだから断り辛いでしょ? とにかく、そんな話になってたんなら尚更俺が見てやらないとな?」
「だからって今日じゃなくっても……」
「こう言う事は早い方がいい。それにこれからは俺の方も忙しくなってくるしな?」
ショーが近くなればなるほどプレスの雅也は忙しくなる。
それはわかるんだけど今日の今日ではあまりに急すぎる。
急に三人分の料理を作らされるさくらさんからしたらいい迷惑だ。
「じゃあ春臣の仕事が終わるまで待ってるから、帰る時にプレスルームに寄ってくれな?」
「わ、わかったよ……」
雅也が「終わる時間が見えたら連絡くれ」って電話のポーズをして帰って行く。
いつもなんだかんだ雅也ペースになってしまうな。
まあ、それはそれである意味楽だし、別に悪意がある訳でも無く、むしろ大抵は僕の事を思って仕切ってくれてるんだけど。
ただ、今日は第三者を巻き込んでいるからな……。
そんな事を思いながら雅也の背中を見送っていると、ふと背中にねっとりとした視線を感じた。
振り返るとやはりと言うか、統括部長の坂間さんだった。
坂間さんは上目遣いで手でハートの形を作っている。
クイクイ、クイクイ、と、片方のハートのアーチ部分の指で手招きしてくる。
ばっちり目が合ってしまったけど、僕は見ていない。
後でなんか言われたら坂間さんの後ろの予定表を見ていた事にしよう。
さて、がんばって仕事するか……。
【さくら視点】
「では僕、仕事に戻りますので帰宅時間はまた後でご連絡します」
「は、はい……」
って、切れちゃったよ、電話。
最後はいとか言っちゃったけど、全然はいじゃないよ。
いやいやいやいや。
これ、もしお友達がカミングするんなら私はアウトしなきゃでしょ?
でも、もしカミングアウトされたとしても、美冬おばさんが気づいている事を知らないふりすればいいか。
しかし、今まではそんな話題にならなかったから良かったけど、もし聞いてしまったら隠し事なんか出来ないしな、私。
春臣さんがお母さんだけには知られたくないとか思ってて、黙っててくれとか言われたらそれこそ厄介よね?
うーん。私はどうすればいいんだろう。
「それ、買わないんですか?」
「え? 」
大きな黒縁メガネをかけた多分同じくらいの歳の女の人だ。
左手の薬指に指輪があるところを見る限り、彼女も結婚しているのだろう。
彼女はその左手でメガネのブリッジをクイっと押し上げた。
思わずキラリと光る指輪に目が行ってしまう。
「牛乳ですよ、牛乳。私、その特売の牛乳目指して来たんです。でも、どうやらそれが最後の一本なんです。もし買わないんなら譲っていただけますか?」
「あ、はい。ど、どうぞ……」
「ありがとうございます」
私が牛乳を手渡すと、女の人はお礼を言ってカクカクとした動きで回れ右して歩いて行った。
ポケットからチラシの切り抜きを取り出し、キョロキョロしている。
私もあのくらいやらなきゃな。
とにかく、決まったからにはちゃんとお仕事をしなきゃね?
私は同年代のがんばっている主婦を見て、俄然やる気が出てきた。
いや、本来ならばこんな後押し無しに喜んでやらねばならない。
だって、これは雇い主である春臣さんの初依頼なのだ。
見事期待に応えてみせなくては。
さあ、お仕事がんばらなきゃ!
お読みくださりありがとうございました。
土日は更新お休みします……m(_ _)m




