第十三話「15AのAさん」
【さくら視点】
例のハウスキーパーのおばさんが帰ったので、散歩がてらスーパーまで来ている。
それにしてもあのおばさんはたくましい。
まさに鋼のメンタル。
あと二回しか会わないと思うけど、私はハガネンタルさんと呼ぶ事にした。
そのハガネンタルさんは、私にクレーム入れないように約束させると、申し訳程度にシンクの掃除をしてさっさと帰って行った。
結局ハガネンタルさんの滞在は凡そ1時間。
そう、2時間の勤務時間のところを1時間弱でのお帰り。
まあ私が洗濯を済ませてしまったのにも多少の原因はあるんだけど、それだけではそんな1時間弱もの時短にはならない。
では何故ハガネンタルさんがそんな奇跡的な時短に成功したか。
その成功の鍵はやはり、私がハガネンタルさんと呼ぶだけの強靭な鋼のメンタルにあった。
って言うか聞いてくれる?!
あのね、ハガネンタルさんときたら私が春臣さんの食事に言及したのをいい事にこんな事いったんだよ?
「やっぱりお口に入るものですから私に任せるのは心配ですよね? それに何よりチンしたご飯より、好きな人に温かいご飯を作ってもらった方が野咲さんもお喜びになると思うんですよ。なんと言っても未来のお嫁さんの仕事を奪うのも忍びないですし。とにかく、そう言う理由ですのでタイムカードには通常の時間を書かせていただきますね」
で、結局そのまま食事の用意をせずに帰ってったんだよ!?
しかも恩を売ってやった的なドヤ顔の後、柔らかく笑ったんだよ?
信じられる?
ハガネンタルさんは危険すぎだよ!
本当にあんな人じゃないと社会では通用しないの?
だったら私、一生社会人にはなれないよ……。
私、春臣さんのところ以外で働けるか心配になってきたよ。
人生初の採用とか言って浮かれていた自分が凄く惨めに思えてきた……。
結局私は結婚どころか就職も出来ないのか……。
私、可哀想……。
あ、可哀想と言えばマンションを出る時にこんな事があった。
「ねぇ聞いた? 橋本さんから聞いたんだけど、あの15Aの野咲さん、若い女の子と一緒に住み出したらしいのよ」
「それ本当? あの人ってこっちの人じゃなかったの?」
「いや、だから私も驚きだったのよう。って言うか、そっちの噂もあるけど、単に成人女性には興味がないあっちの人って噂もあるじゃない? 私、うちの子には見た目がカッコ良くても怖い人だから、絶対に口を聞いちゃだめって言い聞かせてたもん。私がしつこく言うもんだから、今じゃうちの子、野咲さん見かけたら走って逃げてるわよ。だから私、橋本さんからその話を聞いた時、なんか悪い事しちゃったなぁって」
「まあね……。でも子供を守る為だったんだからしょうがないよ。恵さんは悪くないって。それにまだ幼児好きの容疑は晴れてないし」
「確かにその子、小柄で童顔の可愛らしい子だったって橋本さん言ってたけど……」
「ほら。だったら未だあっちの人の可能性があるんだから、子供にはこのまま警戒させといた方がいいわよ」
「そうよねぇ……。子供に何かあってからじゃ遅いものねぇ……」
私はそんな二人の主婦の立ち話を、スニーカーの紐を結んだり解いたりしながら切なさいっぱいで聞いていた。
しかも私の格好ときたらパーカーに半ズボン姿で、ぱっと見だとまるで子供。
それに気づいた私は慌ててフードをかぶり、逃げるようにそこから撤退した。
それにしても春臣さん、あっちの人とかこっちの人とか言われて可哀想だよ。
春臣さんみたいなイケメンで優しい人なんて滅多にいないのに。
酷いよ。
とにかく、最初のお給料で大人っぽい服を買おう。
そう心に誓いながらお肉のコーナーを物色していると、デジャブかと思えるような会話が聞こえてきた。
「ちょっと聞いた? 15Aの野咲さん、彼女と同棲してるらしいわよ?」
「嘘っ、15Aの野咲さんってあのイケメンくんでしょー? うわー、夢が無くなるわー」
見ると小綺麗にした年増な主婦三人組が、カートを押しながら私の後ろを通り過ぎて行くところだった。
俗に言う美魔女って感じの主婦三人組。
これは尾行だ。
「何言ってるのよ、美咲さん。あなたにはあんなダンディな旦那さんがいるじゃないのよ」
「ダンディって言ったら聞こえはいいけど、もう五十八よ? 結婚が二十歳代前半だったから気にもしてなかったけど、この歳になって来るとやっぱり十九歳差はキツイわよー。少し年下のイケメンとのアバンチュール。美貌を保つ為にも私には必要だわっ」
「またそんな事言ってー。同じマンションでそんな事になったら、流石に私達だって庇いきれないわよ?」
「本当よ本当。でも、あんなイケメンと同じマンション内で濃厚ないけない関係…………なんか、いいわね?」
「確かに。間取りがほぼ同じってのもなんだか興奮するわよね……」
「ちょっと、美希さん、ウチの旦那がダンディ云々言ってたのもそう言う事? 美希さんの発想が一番危ないんですけどー」
「危ないって、ちょっと想像しちゃっただけでしょー」
「だからその想像がヤバイのよ。ウチの旦那で興奮して一人エッチとかしないでよね。想像するだけで引くから」
「ちょっとー」
尾行終了だ。
これ以上の尾行は危険すぎる。
私が足を止めると、美魔女達は年甲斐もなくキャッキャと騒ぎながら遠ざかって行った。
ふう。
あれはお味噌やお砂糖に囲まれて話す話ではないな。
せめてリカーコーナーで話して欲しい。
いや、居酒屋さんの奥の方の個室でお願いしたい。
それにしても春臣さんって…………。
『大丈夫ですよ、Aさん。放送では目は黒く目隠し加工されますし、音声変換だってされますから、Aさんを知る人が見てもそう簡単にはわかりませんからね?』
『あ、はい……』
『さくらさんもAさんも、準備の方は大丈夫ですか?』
『はい!』
『あ、はい。よろしくお願いします……』
『じゃあ行きます、本番5秒前! 4、3…………』
『さくらのー、ズバッっとAさんに聞いてみたーーーっ! イェイっ!
さぁー、毎週木曜深夜2時、深ーい時間にさくらがお届けしますさくズバAさん。今週も元気いっぱいハイテンションにズバッと聞いてきますよー。それでは早速今週のAさんをご紹介します。今週のAさんはこの方です! こんばんは、Aさん』
『あ、はい。こんばんは……』
『今日はさくらが直球勝負でズバッと聞いて行きますから、覚悟してくださいねー!』
『いや、覚悟もなにも……』
『今更遅いですよー。では早速ズバッっと聞きます。Aさんは今回の幼児に対する強制わいせつ行為での逮捕、ご自分ではこの逮捕、どう受け止めていらっしゃいますか?』
『どうもこうもそんな事実はありませんから、こんなもの受け止められる訳ないじゃないですか』
『でも、Aさんがお住まいになるマンションでは、以前からAさんが幼い子供に興味があるとの噂があったと聞きましたが?』
『出鱈目ですよそんな噂。ただ……。ただ僕もおかしいとは思っていたんですよ。偶に小さい子が僕を見た途端、泣き顔になって逃げてくし……。とにかく何処から出た噂か知りませんが絶対にそんな事実はありません』
『でも火の無い所に煙は立たないとも言いますし、Aさんも知らず知らずにそう言う目で幼児を見ていたって事はありませんか?』
『僕がですか? だからそんな趣味はないんですって……。なんで僕が逮捕されてこんな番組に出ているのかさっぱりわかりませんよ……』
『わからないとおっしゃいましてもAさんの場合、実際に逮捕されている訳ですし、警察だって何かしら掴んでいなければ、なかなか逮捕とまでは行かないのではありませんか? でも誤解しないでください、Aさん。この度は実はAさんは無実なのではないかと、今回の逮捕に私が強く疑念を抱いた事により、出演オファーを出させていただいたんです。言うなれば番組はAさんの冤罪を信じているんです。無実であれば是非この番組を利用してください! 冤罪の証拠となる事実を正直に話して、ご自分の冤罪を証明してください!』
『証明してくださいって…………。あのですね、冤罪の証拠と言いますが、そもそも僕が幼児にいたずらしたって言う、馬鹿馬鹿しい事実無根のその証拠を逆に見せてもらいたいですよ……』
『それでは犯罪者の常套句ですよ、Aさん。開き直っては、私がやりましたって言っているようなものです』
『いや、だから……』
『それでは逆効果です!』
『…………』
『Aさん、事実無根と言うのであれば悲観したコメントは避け、正々堂々とご自分の正義を信じ、事実だけをズバッっとお話しください。それが前向きな結果に繋がるんです』
『いや、事実だけと言いましても……。僕は普通に仕事して慎ましく暮らしていただけで、人に迷惑をかけるような事など一切してませんから』
『それでは薄いですね……』
『薄いってなんですか、薄いって』
『ところでAさんはお独りですよね?』
『なんですか急に。そんな事関係ないじゃないですか?』
『いや! 私は容姿端麗のAさんが36歳となった今も尚、頑なに独身を貫いている事に事件の真相が隠されているのだと推測しています。Aさん、事件に繋がる重要な何かを隠してはいませんか? 私はどうもそこが鍵なんだと考えています!』
『隠すも何も、36歳で独身の男なんてごまんといますよ。そんな事言ったら世の中犯罪者で溢れかえってしまうじゃありませんか……』
『いや! これは私独自の地道な取材から浮かび上がって来た事件解決に繋がる推測です! 冤罪を証明できるかがかかってるんです! どんな些細な事でもいいんです、何か思い当たる事はありませんか?』
『いや、思い当たる事も何も……』
『一つでもいいんです! がんばって思い出してください、Aさん!』
「おねぇちゃん。ぼく、なにをおもいだせばいいの?」
「決まってま……え?」
可愛らしい男の子がヤクルトを持って見上げている。
Aさんは?
私、牛乳持ってる?
ん?
「え、瑛太っ! し、知らない人とお話しちゃダメでしょ!」
「いたいよ、ママ。そんなにひっぱったらてがとれちゃうよー……」
「…………」
あの子供を引きずって行くお母さんは二十代後半くらいだろうか。
私も今子供を産んだらあんな感じになるのかな?
えーと。
牛乳、どうしよう…………。
【あーあーあああああーあ、あーあーあああああー♪】
あ、春臣さんから着信だ。
お読みくださりありがとうございました!
明日の更新は夜になるかも知れません。




