1 現状を確認して、水を確保しよう
(17/08/22)1章1話と2話を大幅に改稿し、話の流れが変わっています。
「参ったな……」
俺は現状を確認したあと、倒れている少女を見てゆっくりとため息を付いた。
「なんで助けちまったんだか」
ぼやく。
そう、俺は少女を助けてしまったのだ。
今の俺の状況は、どう考えても漂流者。水もない。食料もない。命が助かる保証もない。
そんなサバイバルを強制されている中、子供は正直な話……お荷物以外の何物でもない。俺が生きていくだけならなんとかなるかもしれない。しかし、子供の面倒を見なければならないとなると話は別だ。見つけるべき水も、食料も、何もかもが倍、必要になる。
今が異常事態でなくて、食料や水がある状態だったら、この哀れな少女を保護したって良かった。俺はあえて子供を見殺しにするほど冷たい人間じゃない。
だが、事情が事情だ。俺は生き延びたいし、そもそも生き延びられるかどうかすら分からない。似たようなシチュエーションの漂流事案では、飢えから人を殺して喰らう事件すら起こるくらいだ。リスクを抱える訳にはいかなかった。
「悪いが、面倒は見られない」
言い聞かせるように呟いた。少女にも、自分にも。少女はまだ眠っている。
少女がまだ起きないことを確認してから俺は立ち上がった。行動を起こそう。
なんというか、色々と確認したいことはある。山ほど、ある。昨日の出来事とか、この娘の……種族? とか。気になることを挙げればキリがない。
しかし、今はそれどころではないのもまた事実。なんせ、俺達は漂流者。とある物を早急に確保する必要があった。
水だ。
俺と少女はかなりの時間、海を漂っていた。水に浸かっていたのだから、水分については補給できている筈……なんて訳はない。
当たり前の話ではあるが、海水は摂取するための水分としては不適切だ。当然だが、不可抗力で飲んでしまった以外には海水を口にしていない。
体力も随分と消耗したし、水に浸かっていて気付いていないだけで汗も随分かいただろう。
更に、夜明けからの短い時間とは言え、日向で気絶するように眠っていた。少し暑いくらいの気温は、濡れた服のままでも凍えなくて済む分ありがたくはあるが……水分の不足を更に加速させていた事だろう。
実際に、今の俺は喉がカラカラに乾いている。脱水症状に陥る前に飲み水を確保する必要があった。
「さて、何があるかな……っと」
水を探しに行くにあたり、まず最初にすべき事は所持品の確認だ。今の自分に何ができるか把握することは非常に重要だ。
結果。ライフジャケット、身につけている衣服、安物のカラビナ一つ、チタンマグカップ、パラコード3m、キーホルダー用ミニ十徳ナイフ、メタルマッチ。
ポケットの中身は全て失ってしまっていた。
「財布もスマホも、バイクのキーも全部無いのか……。結構痛いな」
紙幣やレシートは焚き付けになるし、カギ類は貴重な精錬された金属片だ。形状によっては魚くらいなら捌ける。
平面で水を通さないツルツルの板……カード類は、自然界からは絶対に入手できない。あれば、谷折りにして樋にする事ができ、朝露や樹液を集めるのに役立っただろう。
まあ、失ってしまったものは仕方がないので潔く忘れる事にする。
逆に、なぜチタンカップやパラコードなんてものを失っていなかったのか。
それは俺が、それらを腰のベルト穴に通したカラビナに付けてジャラジャラとぶら下げていたからだ。
……なんでそんな事をしていたのか。いや、なんでと言われても困るんだよな。強いて言うなら……かっこいいから?
いや、アウトドアってその……「なりきり」みたいな部分があるんだよな。こうやって説明させられると恥ずかしいんだけれど。
アウトドア系グッズのCMか何かで、腰の後ろにあるカラビナにマグカップを吊っていて、それを無造作に取り出して湧き水を汲んで飲むっていうシーンがあったんだよな。
それに憧れていました。この話はこれで終わりにしてほしい。
パラコードについても同じで、アウトドアDIYでは紐がないと始まらない。だいたい二つの素材をくくりつけると、道具ができるのだ。
そのためにわざわざ蔓などから縄を編む猛者も存在するが、括ったパラコードをスッと取り出して即席のアウトドア用品を作り出す映像を見て……以下略。この話もここで終わりだ。
キーホルダーミニ10徳ナイフについては、これは純粋に釣りのためだ。糸を切るハサミ、針を外すペンチ、釣った魚を簡単に処理する程度ならできる小さなナイフと大活躍だ。
小指の先程しかないサイズなので、警官に怒られたりと言ったトラブルも起こりにくい。ただ、ナイフ部分の強度についてはカッターナイフのほうがマシな程度だったりする。
メタルマッチについても説明は必要ないだろう。現代版の火打ち石で、水に濡れても湿気ること無く火花を飛ばす事のできる着火道具だ。
そうです、かっこいいから携帯していました。一般的なアウトドアにおいてはライターのほうが圧倒的に便利です。
「偶然とはいえ、ラッキーだったな……」
チタンマグカップとメタルマッチを失っていないのは幸運だった。これがあれば純粋に水を運ぶこともできるし、川の水を飲料水として考えることもできる。
少量とはいえ、薪さえ見つければ水を煮沸消毒する事ができるからだ。これは大きい。これが無ければ、粘土を見つけて土器を焼くまで煮沸消毒ができない所だった。
こんな状況で腹を下したら、下手をすれば死ぬ。川の下流を流れる生水を飲むのはリスクが大きすぎる。川の上流や湧き水を探す時間敵猶予はおそらく、ない。
下手をしたら詰んでいたか博打を打つ必要があった可能性を考え、冷や汗をかいた。サンキュー、俺のアウトドア厨二病。
現状を把握したところで周囲を捜索する。
50メートルほどの奥行きがある砂浜の奥には林が広がっており、見える範囲には木しかない。下草が濃いわけではないが、藪の中に無防備に飛び込んでいくのは危険だと思う。やめ。
という訳で移動しようと考えた時、倒れている少女が目に入った。
ぐったりしたままだが、息はおだやかだ。怪我を負ったりはしていなかったようだ。いずれ目を覚ましそうだ。
しかし、このままではまずい。
カラッとしてはいるものの、日本の初夏の日中くらいの気温はある。
こんな砂浜に放置していたら遠からず熱中症にかかり、そのまま目覚めないだろうな。
「まあ、自分で勝手に生き延びるかも……しれないしなぁ……」
先程も言ったが、あえて子供を見捨てるほど冷たい人間じゃない。
仕方なくお姫様抱っこで木陰に運び、適当な流木を枕にして寝かせた。
獣がいるかどうかが分からないので、念のため枯れ葉をかぶせておいた。気休め程度だが。
「……よし、あとは頑張って生き延びるんだぞ」
少女とはここでお別れだ。後ろ髪を引かれるような感覚は、できるだけ気にしない事にする。
「おぉ、川があるじゃないか」
心配していた水源は、意外にもあっさり見つかった。
ベースキャンプから400メートルほど歩いた場所で砂浜が途切れているのを見つけたからだ。
近づいてみると海岸のすぐ奥にある崖から滝が流れ落ちており、形成された小川が海に注がれていた。
滝の脇に回って水を汲んでみる。真水だ。
「……ゴクリ」
美味そうだ。だが、このまま飲んではいけない。いくら滝=流水であるとは言え、この崖上がどうなっているか分からないからだ。沼のような場所から流れ落ちている滝なのかもしれない。
両手に掬ってみる。変な臭いもしないし、冷たくて気持ちがいい。
「落ち着け、我慢しろ……」
そのままゴクゴクと飲み干したくなる衝動を堪えて顔を洗う。少しさっぱりして頭が冷えた。
この程度の誘惑にグラついていて、今後やっていけるんだろうか。両頬を叩いて気合を入れ直すと、俺は枯れ草と流木を集めて火を熾したのだった。
それから小一時間が経過した。俺はチタンカップ一杯分の水を煮沸消毒し、カップを川の水で再冷却して自分の水分補給を済ませた。再冷却の必要はなかったけれど、こんな熱いのに白湯なんて飲んでいられるか。
しかしこの水は……滅茶苦茶うまい。変な生臭さは全然無いし、とても優しい水の味がする。煮沸消毒しなくても飲めるんじゃないか? とも思ったが、用心をするに越した事はないと思い直してやめた。
とりあえず一息ついた。腹は減っていないが、次は食料か、寝床を確保する必要がある。何もかも不足しているのだから、早め早めに動かなければいけない。
気温が低いわけでもないし、雨も……多分大丈夫。最悪枯れ草のベッドは用意できる。という訳で、優先すべきは食料だ。林の中に入って、何か食べられる野草か小動物を探そう。虫でもいい。この状況では貴重な食料だ。
チタンカップには簡易的な蓋もついているので、蓋をした上でパラコードで縛って簡易的な水筒を作り、腰のカラビナからぶら下げて出発した。
川が近いからなのか、水場に近いほうが藪が濃い。ナタもない状態でこの藪に分け入るのは骨が折れそうだし、このあたりは崖下になっていてあまり奥の方まで入れなさそうだ。
「うん、そういう理由があるからな、仕方がないな」
誰に向かってでもなく言い訳をしながら、もと来た道を戻る。
いや、確かに少女の事は気になってはいた。そろそろ起きているだろうか、とか。もう居なくなっているかな、とか。何かをしようと思っていたわけではない。遠くから様子を見ようと思っていただけだ。もし会った所で、何かをしてやれる訳でもないしな。
「……いないか」
俺が用意した枯れ草のカモフラージュの中には、誰もいなくなっていた。
目を覚ましてどこかに行ってしまったんだろう。運が良ければ助かることもあると思いたい。
「仕方ないよな」
後ろめたさは、ある。こうしていなくなってしまった少女の跡を見ると、やはりと言うか何というか、見殺しにしてしまったような気持ちが湧き上がってきた。分かりきっていた事だが。
それ以外にどうしようもないという現実的な思考、どうせ見捨てるなら海に投げ出された段階で助けなければ良かったんじゃないのか? という感情が混じり合い何とも言えない気分になる。
「やめやめ、賽は投げられた。選択を悔やんで足を止めるな」
遭難生活ではポジティブな気持ちが大切だ。落ち込んで足を止めていては、とても過酷な状況で生き残る事なんてできない。
頭を振って気持ちを切り替えようとしたその時。
「……ぁぁあーん………うあぁーー……」
俺の耳に届いたのは、遠くから聞こえる……少女の泣き声だった。