14 防衛準備
目の前に突如現れた脅威に、俺は動けないでいた。
頭をよぎったのはステラの安否だ。だがしかし、それ以前に、今現在目の前のコイツ……魔狼と相対しているのは俺だ。
この状況を切り抜けない事にはステラを守るもクソもない。
一応、武器として石槍を一本携行している。
これもワークベンチを活用して拵えた立派な”道具”だ。見た目通りの性能ではないだろう。
しかし、実際に生物を相手にテストできていないので、どのような挙動をするかはぶっつけ本番で確かめるしかないのに、相手がコレか……。
冷や汗をかきながらも、視線を外すことなくゆっくりと石槍を構える。
「グル……」
小さく唸っていた魔狼だが、数秒後には俺から目をそらし、茂みの中へと退いていった。
「……見逃された?」
俺を恐れて、という雰囲気ではなかった。第一それなら遠くまで逃げ去るはずだ。
魔狼は茂みで姿こそ見えなくなったものの、息遣いと濃い獣臭からまだすぐそこに居る事がわかる。
しばらくして、魔狼の居る辺りからゴリッ……パキッ……といった、何かを砕くような音が聞こえてきた。
どうやら、食事をしているようだ。
獲物はモフだろうか。通常は捕食されにくいモフだが、火を操る魔狼であれば毛皮を焼き捨てられる。格好の獲物なのかもしれない。
しかし……こうも堂々と食事を始められるとはな。
本来、食事中というのは無防備な物だ。それにも関わらず、俺の目と鼻の先で平然と食事を始めたということは……俺の事を何ら脅威だと捉えていないという事だ。
獲物として見ても、後でどうとでもなると思っているのだろう。
匂いは覚えたので腹ごしらえをしてから仕留めればいい、といった感じだろうか。
何にせよ、今すぐここで交戦する事は避けられたようだ。
こんなバカでかい獣相手に、石槍一本で戦いたくはない。
哀れな獲物が作ってくれた僅かな時間を活かすため、俺は拠点に向かって駆け出した。
「はっ、はっ、はっ……!」
全力で走ったせいで息が上がって辛いが、見えてきた拠点は出発前と変わっていないように見える。
「ステラっ!!」
「あ、おとーさん! おはよぉ」
蹴り開けるようにしてドアを開けると、既に起きていたステラがとてとてと寝室から出てきた。
どうやら、いい子でお留守番をすることが出来ていたようだ。
だが、今はそれを褒めてやっている時間はない。
「ステラ、絶対外に出るんじゃないぞ!」
「えっ、う、うん」
それだけを言うと、石槍と石斧、木のスコップを持って家から飛び出した。
正直な所、拠点に戻るかどうかはかなり迷った。
俺は間違いなく魔狼に匂いを覚えられている。奴が俺を見逃したのは、いつでも狩れるから……食事の手を止めてまで仕留める必要性すら感じなかったからに過ぎない。
匂いをごまかす技術なんて俺は持っていない、せいぜい川に入れば匂いの経路をぶった切れるか……? とか、その程度だ。それができる確信もない。
であれば、俺が拠点に戻る事そのものがステラを危険にさらす事に繋がってしまう。
だからと言って拠点に戻らないでいれば、俺はいずれ魔狼に襲われるだろう。
そこで万が一俺が死んでしまえば、一人残されたステラがその後どうなるかは考えるまでもない。奴らは群れで村を襲うのだ。この小さな拠点にステラ一人では、見つかってしまえば一日も保たないだろう。
そもそも、普通に生活を続けることすら出来ないはずだ。
俺は、ステラの為にも生き残らなくてはならない。囮となって拠点から離れ、最悪犠牲になる……という覚悟を決められる立場ではないのだ。
であれば、腹をくくって魔狼を狩るしかない。
とはいえいくら”道具”としての性能が期待できるはいえ、石槍一本であのデカブツとやりあうのは無理がある。
だから、俺はここ……拠点に帰ってきた。
魔狼が腹を満たして満足しているわずかな時間。それを活かして、拠点の防衛設備を整えて奴を迎撃する。これが、俺の決めた方針だ。
道具を持って家を飛び出した俺は、まずは家の周りに空堀を掘った。ひとまず幅は5メートル、深さは3メートル程度。
CWに出てくる通常の狼であれば十分すぎるサイズだが、俺は魔狼のスペックを詳しく知っているわけではないので確実に安心できるサイズとは言えない。
とはいえ掘り切る前に魔狼が現れたらひとたまりもない。今はこの辺りで妥協するべきだろう。
木シャベルのおかげで空堀自体はあっという間に完成し、木材置き場と作業スペースと家を囲むことができた。
予め家の周りを整地しておいて本当によかった。木の枝伝いに渡ってくるという事もできないし、周囲の様子は丸見えなので内側からの警戒もしやすい。
驚くべきはシャベルの性能だ。
正直、俺は壁面が傾斜になっているすり鉢状の空堀を作るつもりでいたのだが、シャベルの見えない面で固めた土壁はものすごく頑丈になっていた。
おかげで、コの字型の垂直な壁面の空堀を作ることが出来た。
これならば堀に落ちた相手を一方的に槍で攻撃する事ができるだろう。
今は橋も何もかかっていないので、はしごを使って一旦昇り降りしないと外に出ることはできないが、緊急事態なのでそのへんは後回しにする。
空堀の内側には柵を作った。木材をワークベンチで加工し、あらかじめ幅2メートルくらいの柵を作成してから空堀の内側にどんどん設置していく。
この柵には外向きに先の尖った杭が付いているので、空堀を飛び越えようとしても柵に阻まれるか最悪の場合は杭に突き刺さるようになっている。
そして柵の内側にはいくつかバリケードのような遮蔽物を作った。
柵を乗り越えられないとも限らない上に相手は魔法を使う。
材質が木なので一時しのぎにしかならないかもしれないが、一時しのぎでもできるのとできないのでは雲泥の差だ。
いざという時に身を隠せるのは役立つだろう。
あとは予備の石槍をいくつか作り、囲炉裏に火を熾す。
なんとか、最低限の準備を整えることは出来たようだ。
「おとーさん……どうしたの?」
鬼気迫る俺の雰囲気に邪魔をしてはいけないと思ったのか。
ずっと黙っておとなしく座っていたステラだったが、囲炉裏に火を入れて少し落ち着いた俺を見るとおずおずと声をかけてきた。
相変わらず遠慮がちな娘だ。こういう緊急事態に聞き分けがいいのは助かるが、不安を与えてしまっていたのは間違いないだろう。
手招きすると嬉しそうに駆け寄ってくるので、両脇を掴んであぐらをかいた足の上に座らせてやる。
「わわっ」
少し驚いたような声を上げたが、膝の上に乗せられたステラは嬉しそうに身体を預けてきた。
軽く頭を撫でて、薪を囲炉裏に放り込む。
「森の中で狼を見つけた。それもすごくデカイ奴だ。なんでか見逃されたが、匂いは覚えられただろうな。だから、そいつが来てもいいように準備してる」
「おお……かみ……」
ステラが身震いするのを感じる。
「ステラは狼がどんな物か知ってるのか?」
「おおかみは、こどもをたべるの……。わるいこどものあじがすきで、わるいことをするとおおかみがたべにくるって……」
そう言うステラの目には涙が浮かんでいた。
「おとーさん、わたしがわるいこだから、おおかみがきたの? わたしがいいこにしてなかったから……たべにきちゃったの?」
なるほど。ステラにとっては子供の躾に使われる怖い話に出てくるくらいの知識しかないのか。
「そんな訳無いだろ。どっちかと言うと今のところ狙われてるのは俺だから、もし悪い子が居るとしたら俺だろうな」
「そんなことないもん! おとーさんはいいこだもん!」
ステラは振り返り、俺の頭を一生懸命撫でようとしている。
「ありがとな」
お礼に頭をなで返してやると、ステラは上機嫌で後頭部を俺の胸に擦り付けて来た。
しかし、子供の髪ってホントにさらっさらだな。水洗いしかしてないのに全くベタついたりしていない。エルフだからかな?
「おとーさんは、ステラがまもってあげる!」
「いやいや、危ないから」
この子は絶対に守ってやらないといけないな。
そう決意した俺は、再び家から絶対に出ないように言いつけてから家の外に出て周囲を警戒しつつ、必要なものを作成・設置していった。
そして、その日の夜。
篝火に照らされた家の周囲に現れたのは……6匹の狼と、あの魔狼だった。




