13 魔狼
その日はどんよりとした雲天だった。
早朝に起きて、軽く準備をしてから家を出る。
ステラはまだ寝ていたようだが、
「ステラ、昨日言ったと思うが、俺は罠の回収に行ってくる。一人でちゃんとお留守番できるか?」
という問いかけに
「うん、ちゃんとまってる」
と、しっかりと答えたので大丈夫だろう。
前回と同じく石槍、紐、石ナイフと木の升のセットに加えて十徳ナイフをポケットに忍ばせる。
この間、微妙に罠のパーツが破損していたのを現地で軽く直したんだが、石ナイフだと細かい部分の加工がやりづらかったんだよな。
いつも通りに途中の水源で喉を潤し、森に入る。
まだ数回とは言え、すっかり慣れた感じがするな。
早速罠にかかっているモフを発見する。うんうん、幸先がいい。
最初はあのもっふもふな塊を十徳ナイフ一本で加工できる自信が無かったのでスルーしていたが、今では解体台のおかげで格好の獲物だ。
遭遇率があまりと高くないので、直接モフ狩りをするよりは罠を仕掛けたほうが効率がいい……とは言え、別にモフだけを狙って罠を仕掛けている訳じゃないんだよな。
いい加減モフ以外の獲物も掛からないものだろうか。最悪、モフは見つけさえすれば手でも捕まえることができる訳なんだし。
そんなお気楽な考えでいられたのは、次の罠を確認するまでの間だけだった。
「……なんだこれ?」
本来ならモフが掛かっていたのであろう、罠のあった場所に着いた俺は、現場の惨状に言葉を失った。
焦げている。
罠があったであろ場所は、そうとしか表現できない有様だった。
罠自体、燃え残ったいくつかのパーツを残して完全に破壊されている。
木々や草には火に晒されたような焦げ跡が残っており、乾燥した時期だったら山火事が起きていてもおかしくなかった状態だ。
そして、モフの残骸。
特徴的な毛は焼け落ちてしまっており、完全な状態で残っているのは頭だけ。
魚を食べるのが苦手な子供が箸をつけた後の焼き魚のような感じだ。
食い散らかされている。その表現がピッタリだろう。
思わず石ヤリを握って、周囲を見回した。
間違いない。こいつは、何らかの獣に喰われてしまっている。それも、肉食獣に……だ。
くそ、考えが甘かったか。
ある程度探索して大丈夫だと思ったのもあるが、俺はこの土地の属性を植生や特徴から、CWで言う「森A」「森B」のどちらかだと判断していた。
その場合、一部のレア湧きを除いて危険な動物は存在しない。
そのレア湧きについても明らかな痕跡を残していくタイプの連中なので、突発的に遭遇するという事は殆どない。
もちろん、CW外のルールにも気を配っていたが、爪とぎ痕や足跡、ぬた場、サイズの大きな獣道……といった一定以上の大きさのある獣の痕跡は認められなかったので、俺はこの森の警戒レベルを比較的低めにしていた。
何故この場所が焦げているのかは分からないが、少なくともモフを喰った奴はいる。
どこからか流れてきたか、急に湧いて出たりしたのか。
それは分からないが、十分に注意するべきだろう。
そう思った瞬間だった。
「グルルルルル……」
背後からがさり、と茂みの揺れる音と共に聞こえてきたのは……唸り声。
まずい。
急に動くと、相手を刺激する可能性がある。逸る気持ちを押さえて、ゆっくりと振り向いたその先には……大きな、狼が居た。
やばい。
ひと目見て頭に浮かんだのはその一言だけだった。それも仕方ないだろう。
なんせ、眼の前に居るのは体高が俺の胸元くらいまである巨大な白狼なのだ。
その巨躯は、立ち上がれば余裕で2メートルを超えるだろう。
それが唸りながら俺を見ている訳で。うん、やばい。
今は俺のことを品定めでもしているのか、すぐに飛び掛かってきそうな体勢をしてはいない。
警戒するにも値しないという事だろうか。だが、その瞳は確実に俺を捕らえている。
その額には、埋め込まれたような赤い鉱石が仄かな光を放っていた。
なんだこいつは。CWに居たか、こんな奴?
普通の狼はいる。群れで行動するので、初期に遭遇して敵対すると意外と厄介な連中だ。
しかし狼タイプの生物は森では殆ど遭遇しない。森タイプの場所に発生するのは「樹海の遺跡」に棲みついている森狼のみで、意外にもレア生物なのだ。
だいたい、こんなサイズの奴は見たことがない。どれだけ大きくても、せいぜい腰の高さくらいまでだろう。
というか、それ以前に。
その額の鉱石? は、一体何なんだ。
まるでファンタジーRPGに出てくるモンスターのような……ファンタジー?
(げっ……こいつまさか……!)
もし推論が間違っていなければ、確認済みのエリアに今日になって急に現れた理由にも説明がつく。
多分、間違ってはいないだろう。こいつは、魔導パックで追加された森林適応のエリアボスだ。
CWには、敵対的で危険な生物も多く存在する。
その中でもひときわ危険な存在が、エリアボスだ。
エリアボスは特定の範囲内に一体だけ存在している特殊な存在だ。
その強さは他の敵対生物とは一線を画し、迂闊に手を出してしまって瞬殺された経験のあるプレイヤーは多いだろう。
必ず討伐する必要がある訳ではないが、その身体から採取できる素材は希少で価値のあるものが多く、挑戦に値する存在でもある。
しかし、ゲームを始めたばかりの何もない状態でエリアボスなんかに襲われたらなんの対処も出来ずに一方的に殺されてしまう。
それは面白くないので、その救済策として最初の一週間はエリアボスに遭遇しないようになっているのだ。
この島に漂着したのが一日目。
斧を作り、家を建てたのが二日目。
道具の有用性に気付いた三日目。
初めて罠を仕掛けた四日目。
罠の成果を得て、ステラの親になる決意をした五日目。
土器を作った六日目。
それを焼き上げ、鍋パーティをしたのは昨日……七日目。
そして今日は、八日目だ。条件には合っている。
更に言えば、エリアボスは基本的に厳しい環境にしか生息していない。
平原、森林といった開拓に適したエリアにはエリアボスが居ないのだ。
なので、人によってはエリアボスと遭遇しないままゲームが進行したというケースもあるくらいだ。
実際、俺もゲーム内でエリアボスと戦った経験は数えるほどしかない。
ところが、俺がほぼ未プレイの「魔導パック」以降では話が変わってくる。
これまで安全とされていたエリアにもエリアボスが出現するようになったのだ。
理由としては、魔導パックではこれまでの拡張パックよりも戦闘に焦点を当てているせいだ。
そのおかげでそれまでのメインだった狩猟、採集に加えて、ハックアンドスラッシュによる素材収集が大きな割合を占めるようになった。
序盤からその要素も楽しめるように……と、魔導パック以降では敵対生物の数も多くなり、その結果として序盤から遭遇するエリアボスも増えたという訳だ。
こいつには見覚えがないが、一応、攻略サイトやプレイ日記を見て色々な生物の名前や性質だけは知っている。
その知識の中に、多分これだろうと思う存在がいた。
魔狼。狼の群れを束ねるリーダーで、簡単な魔法を使う。使う魔法の属性は額に埋め込まれた魔法結晶の色で判別が出来る。
こいつの属性は多分、火だろう。あの焦げた罠とモフの理由がようやく分かった。こいつに襲われたのだ。
遭遇した場合、討伐は必至だ。
なぜならコイツの生息地域は平原、森林、草原といった開拓に適した場所。
その上、こいつは配下の狼を操って村人や家畜を襲うのだ。
折角増やした家畜や発展し始めた村をコイツに襲われたという話は、プレイ日記や攻略サイトの掲示板で何度か見かけたことがある。
幸い、この場所にはまだ村人や家畜はいない。拠点を襲われても失うものは――
そこまで考えが至った時、全身の毛穴が開き、背筋に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。
ステラが危ない。




