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二十


 朝になってもスゥハは目を覚まさなかった。

 もうスゥハが起きることは無い。それが分かっていても、僕はスゥハが目を覚まさないかなぁとスゥハを抱いていた。

 昼過ぎまでそのままぼんやりしていると、外から魔狼の吠える声がした。

 僕はスゥハをベッドに横たえて、布団をかけて、


「ちょっと出てくるよ。すぐに戻るからね」


 スゥハの赤い髪を撫でて外に出た。


 扉を開けて石の階段を降りる。随分と雪が積もっていた。

 外には魔狼の長、フイルがいた。

 フイルにスゥハのことを話す。昨晩のことを。だからもうスゥハと話はできないし、スゥハのお菓子も無いよ、と。

 フイルは目を閉じて聞いていた。黙祷するように。

 明後日に魔狼の一族を連れて来る。スゥハに挨拶をさせてくれ。そのときまでにどうするか決めてくれ、と。


「どうするかって?」

「人間には人間の弔い方があるのだろう。スゥハの身体を町の人間に渡すか、ユノンが食べるのか。それまでスゥハと二人でいるといい」


 フイルはそう言うと森に帰っていった。


 大樹寝室に戻る。


「ただいまー」


 もう、おかえりなさいとは聞こえない。

 ベッドに眠るスゥハが寒くないように、毛布を直して布団を上からポンポンと叩く。

 スゥハは微笑んだまま、よく眠っている。

 僕も眠くなってきた。だけどこの寝室で寝て意識が途絶えたら変化の魔法が解ける。いきなりドラゴンの姿になったらこの家が壊れてしまう。

 外に出てドラゴンの姿に戻る。離れたくなくて、大樹に身体を巻き付けるようにして寝た。

 雪に覆われて寒かった。

 夢の中で見るスゥハは、くるくると表情を変えていた。一番多いのは笑顔で、次は頬を赤くして上目遣いで僕を見上げる顔だった。


 一日過ぎた。起きて家の屋根の雪を手で落とす。

 

 変化魔法、『人間、角あり尻尾つき』


 眠ってるスゥハの頭を撫でて、しばらくぼんやりとする。

 明日は魔狼の群れが来る。

 魔狼とスゥハを会わせてあげないと。

 スゥハのドングリクッキーを思い出す。スゥハのレシピのドングリクッキーを作って、明日、魔狼といっしょに食べよう。

 

 スゥハのいない台所は寂しい。ドングリクッキーを作りながら調べの小箱を思い出す。

 ゼンマイを巻いて音楽を聞きながら調理すれば寂しくないかも。キリキリとゼンマイを巻いて。

 調べの小箱から小さくメロディが流れる。不意に歌ってるスゥハを思い出して、心臓がえぐられるような痛みを胸に感じて息が止まる。

 慌てて調べの小箱を止めて、荒れた呼吸を落ち着かせる。

 知らなかった。こんなに痛いなんて、呼吸が止まるほど痛いことがあるなんて。

 スゥハといると、新しい発見が多いなぁ。

 ゆっくりと深呼吸して。

 スゥハがクッキーを作っていた様子を思い出しながら、丁寧にクッキーを作る。


 翌日、スゥハを着替えさせる。寝巻きを脱がせて聖女の長衣に。街のお祭りでスゥハが祭壇に上がるときの服。スゥハの服の中で一番豪華な服。

 スゥハのお化粧道具を開ける。

 街のお祭りのときにスゥハが使うお化粧道具。頬を少しだけ赤くして、口紅で唇を赤くする。


「行こうか、スゥハ」


 スゥハを抱き上げて外に出ると、もう魔狼の一族が外で待っていた。


「早いね、みんな」


 魔狼がみんなで踏み固めてくれたのか、石の階段の下は雪が平になっていた。そこに寝室にあった熊の毛皮を敷いてスゥハを寝かせる。

 魔狼がひとりずつ無言でスゥハの顔に額や頬を擦り付ける。中には小声でスゥハになにか囁くのもいる。

 ひととおり終わったところで、みんなでスゥハを囲んでクッキーを食べる。

 魔狼とスゥハの思い出を話して、楽しいことを思い出して少し笑う。

 僕もスゥハも気がつかなかったけど、魔狼とフイルがどんな目で僕とスゥハを見てたのか初めて聞いて、ちょっと驚いた。

 ドラゴンが好きな人間も、人間に惚れたドラゴンも、変と言われれば反論できないけどさ。

 フイルが、


「スゥハの菓子はうまい」

「ちゃんと出来てるかな?」

「あぁ、それでユノン。どうするか決めたのか?」

「スゥハのこと? うん。町の人達には悪いけど、スゥハはこの大樹の根本に埋めようかなって」

「ユノンがそれで良ければ、それでいい」

「僕のわがままだけどさ」


 魔狼のひとりが、


「それでは(それがし)が後ほど街の者にスゥハのことを伝えましょう」

「君たちが人間に気を使うなんてね」

「この森に住めば、そうなってしまうのでしょう」


 ドラゴンの姿に戻る。爪で穴を掘ろうとすると、フイルが、


「我らに任せろ。ユノンはスゥハと最後の別れをすませろ」


 と、魔狼が群れで雪を掻き分け、凍った地面に穴を掘る。

 ありがとうと言って、僕はスゥハを両手で持つ。最後に二人で空を飛ぼう。

 羽ばたいて雪に覆われた森を上から眺める。季節ごとに姿を変える深い森。スゥハと二人でキノコとか木の実とか薬草を採った森。

 僕が水浴びをしてた滝が上まで凍って、大きな氷の柱になっている。

 この滝でドラゴンの姿で水浴びしてるのを、スゥハはうっとりと眺めていた。虹を纏う僕の姿が素敵だって。

 町の方まで飛ぶ。上から見ると森を切り開いて大きくなった街がある。

 昔は森に隠れて、どこにあるかもわからないくらい小さな村だったのに。

 

 スゥハが人とドラゴンの垣根になって、僕達の住み処と魔狼の領土は聖域となった。スゥハが街の人達にそう説いた。街の人達も僕と魔狼を敬うようになって、人間との無駄な争いもほとんど無かった。

 ドラゴンの財宝や角を狙うよそ者が来ることもあった。それをスゥハが身体をはって止めた。そのときにスゥハがケガをしたこともある。

 それを見た街の人達は、自分達で森を守ろうと守備隊を作った。彼らが一攫千金を狙う不心得者を魔狼より先に退治するので、魔狼の方は出番が無いとか言ってた。

 街の人達もスゥハが持ってくる僕の作った道具や薬が目当てだったのだろうけれど。今では僕と魔狼を崇める祭壇とか聖堂が街にある。

 今は雪に覆われているけど、森を切り開いて作ったソルガム畑に川から水を引く水路もある。

 近くの村からも移り住む人が増えて大きくなった。

 スゥハが頑張って、餓えと病を減らした街。

 

 街の上を人間を脅かさないように距離をとって飛ぶ。

 雪をかぶった街の中、厚着をした人達が僕を見つける。大人は手を合わせて拝み、子供は歓声を上げて追いかけてくる。

 スゥハ、見える? 聞こえる?

 あれがスゥハの街、ドラゴンの聖女の街。

 シノムのように追いかけてくる子供がいるよ。

 両手に持つスゥハは微笑んで眠っている。


「お待たせ」


 大樹に戻ってくるとすでに穴は掘られていた。魔狼にかかれば積もった雪も凍った土もたいしたことは無かったみたい。

 スゥハの毛布と枕をとってきてスゥハの身体を毛布でくるむ。

 毛布の中に調べの小箱を入れておく。音楽があればスゥハも寂しくないかな。

 大樹の根本の穴の底に枕を置いてスゥハを横たえる。

 さよならと言おうとして、さよならと口にしたくは無くて、


「おやすみ、スゥハ」


 と、誤魔化した。

 魔狼といっしょにスゥハに土をかけて、スゥハの埋葬は終わった。

 魔狼は森に帰っていき、


「たまに、様子を見に来る」


 心配したのかフイルが一言。ありがとうと応えるとフイルは森に帰っていった。

 僕はドラゴンの姿で、スゥハを埋めたところに覆い被さるようにして少し眠った。

 雪が身体の上に積もって寒かった。

 

 それからは、ぼんやりと毎日を過ごした。


 大樹寝室の水の入った樽は外に出して。

 封印魔法、『施錠』

 大樹寝室の玄関に繋がる扉と木造家屋に繋がる扉、二つに魔法で鍵をかける。

 台所に残っていたもの。腐りそうなものは捨てて、保存していた食料と薬と倉庫の中の使えそうなものは、魔狼に頼んで街に持って行ってもらった。


 ドラゴンの姿で石を削る。人間の真似をしてスゥハの墓石を作る。

 白い大きな石を丸く削って磨く。スゥハと二人で見た満月のように。

 できた真ん丸の石を大樹の根本に半分埋める。

 春になったらこの石の回りに花を植えよう。赤い花がいいな。スゥハの髪の色のような。


 スゥハに言われたとおりに夜更かしはしないようにした。

 寂しくて眠れないときには、スゥハの服に鼻を埋めてスゥハの残り香を嗅いで目を閉じた。

 一日に一回はなにかを口に入れるようにした。ドラゴンは食べなくても大気のマナを取り込んで生きていける。

 だけどスゥハが言ったから。森の中で草とか木の皮とかキノコとか花とか、何でもいいからなにか一つ口に入れる。

 そんな日を過ごしていたら、フイルが猪を一頭くわえて持ってきた。


「ドラゴンが木の皮をかじるな。木が丸裸になれば森が荒れる」

「ごめん、気をつける」

「食うならちゃんと食え」


 どさっと雪の上に猪を置く。


「ドラゴンはそんなに食べなくても大丈夫だよ」

「魔狼も同じだ。だが食うときには食う。半端なことをせず、食らうならしっかりと食え」


 ありがとうと言って、フイルにもらった猪にかぶりつく。噛みついたところから血が溢れる。ドラゴンの姿で生肉にかぶりつくなんて、どれぐらい久しぶりのことだろう? 噛みちぎってよく噛んで飲み込む。肉と血が、命が、喉を通って腹の中に染みていく。

 ふいに涙が出た。

 猪の肉を骨ごと噛み砕いて飲み込む。涙がボロボロ溢れる。


『お腹がすいてひもじくなると、悲しくなったり心が貧しくなったりしますから』


 本当にそうだね。お腹が空いていたわけじゃないけれど。餓えていたことには違いは無い。

 温もりに飢えているときに、不意に優しくされて、胸の中で塞き止めていたものが溢れ出す。

 悲しくて泣いてるんじゃない。優しくされて涙が止まらなくなる。

 泣きながら猪を食べる。あぁ、思い出した。ずいぶんと昔に洞窟の作業机の上で、スゥハは焼いた魚を食べながら声を上げて泣いていた。あのとき、こんな気持ちだったんだ。今になってやっとわかった。

 

 猪一頭をきれいにたいらげて、


「ありがとう、フイル」


 振り向いてお礼を言ったけれど、フイルはそこにいなかった。

 涙を流すドラゴンを見たくなかったのか、僕に気をつかってくれたのか。どうやらずいぶんとフイルには心配させてしまったみたいだ。フイルの気遣いが嬉しくて、また涙が出た。

 スゥハがいなくなってから、やっとちゃんと泣けた。ありがとう、フイル。



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