呪印
僕とイレスはレイフォルクの街中を歩いていた。会話らしい会話は今のところない。
「キミの名前を教えて欲しい」
奴隷にしては横柄なような、言い方を変えれば堂々とした調子でイレスは僕に尋ねる。
遠慮がないところはエイレーンによく似ている。少し愉快な気持ちになった。
「僕の名前は栗生 学良だ。栗生でも学良でも呼びたい方で呼ぶといい」
「クリュウ ガクラか。珍しい響きの名前だ。ならクリュウとでも呼ばせてもらうよ」
「構わない」
僕の師匠であるエイレーンは最初から僕の事をガクラと呼んでくれていたな、とそんなどうでもいい感想を僕は無駄に抱いていた。
「時にクリュウ。聞きたいことがある」
「ん? 何だ」
女性にしてはハスキーな声でイレスが僕に何かを尋ねようとしている。目的地かな。
ちなみに目的地は宿屋である。
奴隷を買って即宿屋へ行くとなると、いかがわしいことをするようなイメージが先行しがちである。無論、そんな行動はしないが。
「私の値段を聞きたい」
「値段? 僕がお前を買った値段か」
「そうだ。私は奴隷だ。今の服装とて粗末な皮服だ。そんな私がどれほどの価格で買われたのかを聞きたい。単純に興味だ。キミが不快な思いをするなら二度とは聞かないよ」
興味、か。確かに今のイレスは容姿こそ綺麗だが、その服装は粗末なものである。
有り体に言えば奴隷特有の服装だ。
街を歩いていたら、僕の隣にいるイレスによく注目が集まる。イレスが綺麗だからだ。
だが、その視線に憧れや嫉妬は混じらない。
何故ならイレスが奴隷だからだ。イレスの首筋に見える呪印やイレスの服装からもそれは自明の理。だからこそ、街を歩く人間はイレスを二度見る。いい奴隷を持っているな、と言いたげな表情で。まるで可愛いペットを連れている僕を羨むように。
寒気がする。虫酸が走る。それでいて怖い。
この世界の倫理観は崩壊している。
「不快だとは思わない。お前が聞きたいのなら答えるさ。お前の値段は白金貨二枚だ」
日本円にして約二千万である。
僕の今の財産の約五分の一に相当する。
奴隷としては破格の値段であった。
「白金貨二枚、か」
言葉を詰まらせるイレス。僅かながら僕を驚いたようにイレスは見ていた。
「イレス。お前の価格は奴隷としては破格だったよ。だから誇るといい。お前の能力はそれだけ高値で評価されているということだ」
イレスは何かを考えるように僕の言葉に聞き入っていた。僕の言葉が慰めになればいいがな。そうもいかないか。僕としてもイレスに思うところはある。例えば、クロラックの名家であったエルフェゴール家が没落してしまった理由も聞きたい。今は聞く気はないが。
「キミは若いのに随分と成功しているな。白金貨二枚は貴族にとっても高額だろうに」
「成功なんてしていない。僕の人生は失敗ばかりさ。この前も大きな失敗をしたんだ」
自分がこの世界に召喚された意味。
その意味と使命を僕は果たすことが出来なかった。クロルに会わせる顔がない。
僕は魔王を倒さなければいけない。
僕は勇者であるのだから、それが定めだ。
今はその定めすら見失っている。
「私がキミのことを詮索するのは越権なのだろうな。それにしても今のキミの顔は悲しく沈んでいるように見える。まあ元気を出してくれ。キミの浮かない顔はこちらも悲しい」
「元気を出せ、か。全くずるいな。エルフェゴール家の人間はなんで励ますのがこんなにも上手いんだ」
エイレーンも僕のことを何度も励ましてくれたな。イレスを見ているとお前を思い出す。
エイレーン、お前にもまた会いたい。
お前には返すべき恩がまだ残っている。
お前は野蛮だったが、正しかった。
「キミ、何か言ったか?」
「いいや、独り言だよ」
努めて独り言に留めた言葉を握り潰す。
僕はイレスと二人でレイフォルクの宿屋に入った。
*****
「宿屋客室二階か。想定では主人の邸宅だったが予想の範囲内ではあるか」
イレスの言葉である。何の想定だ。
「私の準備は出来ている。奴隷の使い道は理解しているよ。キミに報いるためにも、白金貨二枚分の働きはしなければならないしな」
イレスがベッドに寝そべり、誘うように僕を見てくる。全くもってけしからんな。
「何を勘違いしている、イレス。僕はお前と行為に及ぶつもりはない」
そのような目的でイレスを買ったわけではないし、エイレーンの子に手は出せない。
それに僕にはそういう経験がない。
勝手がわからん。
僕はベッドに寝そべるイレスを俯瞰する。
「なら私が先走ったわけか。男性にはそれぞれの順序があるのだったな。すまない。私はそういう知識には疎いんだ。浅学非才の身ではあるが、どうかこの身をキミの側に置いて欲しい」
「いいさ。今はただお前と話し会いたかっただけだ。とりあえず椅子に腰をかけてくれ。イレスの今の態勢は僕が落ち着かない」
僕を誘うように寝そべるイレスを対面に座らせて会話に臨む。
「話とは? そういえばキミは戦闘経験のある奴隷を望んでいたそうだな。こう見えても私はクロラック帝国の騎士学園で上位の成績を修めていた実績もある。護衛もできるぞ」
イレスは自分の有用性をアピールしている。
少なからず不安なのだろう。
奴隷は飽きられることを何より恐れると聞いたことがある。
「そう硬くならなくてもいいよ、イレス。僕はお前を手放す気はない。お前が僕から離れるとすれば、お前自身の意思で僕との離別を望んだ時だけだ」
イレスの顔がほんの少しだけ強張った。
当然の反応ではあるだろうな。
「クリュウ、キミはユニークな人だな。奴隷は主人から離れられない。私の首筋には呪印が施されている。キミの意に反する行動をすれば私は死ぬ。万が一、キミから逃げることに成功しても私には経済力がないんだ」
呪印とは、呪いの印である。
主人と奴隷の契約の証を無理やり押し付けられ永遠に縛り続ける。謂わば加工だった。
「呪印か。虫酸が走る。先に交渉しようと思ったがそれも辞めにしよう」
イレスの首筋に這い回る紫色の刻印。
街中でイレスの白い肌に這い回るこの刻印を見るたびに僕は不快な思いに襲われていた。
もう、限界だ。
どちらにしろプランに修正はない。
「クリュウ......?」
いきなり殺気すら感じさせるように瞳を鋭くさせる僕にイレスは困惑を示していた。
ただ僕は自身の剣の名を呼ぶ。
僕は立ち上がり、ただ悠然と手を前に出す。
「天の剣」
空間から展開される美しい僕の愛剣。
白い剣身に美しい黄金の閃光が眩い。
僕はその剣を掴んだ。
イレスの顔はまたも驚きに歪む。
「その剣は......!!」
イレスの驚愕と共にイレスの首筋に僕は剣閃を放った。未来を決めるのはイレス自身だ。
僕は仲間が欲しい。
奴隷と主人という関係に縛られたままじゃいつまでも信頼し合えない。
呪印は忌むべきものである。
だから切る。そこに躊躇いはなかった。