三者、陣営
クロラック第一皇女、別邸にて。
二人の男女が考えを巡らせていた。
「まったく、私が大規模な行動を起こそうとしても全てあの馬鹿の所為で台無しね」
青髪の少女がイラつくようにそう言った。
彼女の名はルイス・ソラウ・クロラック。
クロラック皇帝に最も近い少女である。
彼女の父、現クロラック皇帝はルイスを含む三人の皇位継承権を持つ三人の中で最も強き者を次期皇帝にすると言った。
クロラック帝国の仕来りに乗っ取った厳粛な決まりごとを皇帝は歪めはしなかった。
皇帝を継ぐ、即ちそれは才能を示すこと。
皇帝が代わる節目にクロラック帝国はこのように皇帝の座を賭けて一族で争いを行う。
クロラック皇帝本隊を除けば、ルイスが率いている兵の数は約勢力の半分である。
十分に頂点を取れる数字であった。
しかし、ルイスには事情があったのだ。
「第一皇子を打倒したとしても、あの子がお前を許さないだろうな。第二皇女はおせっかいなくらい優しいときてる。手詰まりだな」
「トール。あんたも他人事みたいに言わないでちょっとは良い案を出しなさい」
「良い案つっても今は待ちの一手だろ。明日は数十年ぶりに勇者召喚の時期が整う。相手がどんな行動を取るかは分からねぇが、明日には俺たちの陣営にも変化はあるだろうさ」
不遜にも投げやりにルイスの言葉に応じるのは、ルイスの近衛騎士トールである。
軍神の名は伊達ではない。
彼はクロラック単体戦力で最強格であり、第一皇女ルイスが最も信頼する騎士であった。
年齢もルイスと似たような感じに見える。
偶にいい加減なのが瑕ではあるトールだが、ルイスの戦力の中では皇帝本隊の剣剣剣と並ぶ戦力ではあった。
「私の目的は一つよ、トール。暗黒の時代を終わらせ、人の尊厳を取り戻す。この世界を化け物どもに支配させるわけにはいかない」
「お前の目的がそれなら俺もそれだ」
ルイスはトールに呆れた目を送る。
「あんたは相変わらずいい加減ね。少しは自分の意見や目的も持ちなさいよ」
「俺の目的つったら女遊びや読書だしな。それは今の給料で十分に叶ってる。これ以上望むことは今更何もねぇよ。あとはお前が皇帝になるぐらいが俺の数少ない目的だろうな」
黄色い髪をした精悍な顔立ちのトールは極めて尊大に皇女ルイスにそう言い放った。
「あんた、不敬罪で牢屋にぶち込んでやろうかしら。それに皇女の前で女遊び宣言なんていい度胸してるわね。読書も嘘っぽいし」
「嘘じゃねえよ。俺は読書家だ」
「自分から読書家を宣言する奴は大抵信用できないわね。私、あんたが本を読んでる姿なんて見たことないんだけど」
「本はちゃんと読んでるからな」
トールの訴えにため息を吐くルイス。
「給料に関して私があんたに関与することは基本的にはないけどね、トール。あんたは私の近衛騎士なの。私の近衛騎士というポストは所謂、騎士としての到達点であり目標よ。あんたに憧れる騎士は少なくない。あんたに影響された騎士が一斉に奇行を始めたら収拾がつかなくなるかもしれないわ。私は内紛に時間を掛ける余裕はないの」
「今の状況も内紛と言えるけどな」
「そうね。それは大いに同意するわ。私は先祖を尊重する方だけど、皇族同士の争いをルールとして定めた最初のクロラック皇族の顔には容赦なく顔パンを決めたいわね」
「悪しき風習ってやつだろうな」
「ええ、今は人と人で争う時間はないの。人間の終わりは迫ってる。世界の四割が現状魔軍に支配されているわ。なのにくだらない」
憎々しげに今の状況をくだらないと吐き捨てるルイス。最もな意見ではあった。
「ルイス。言葉遣いが危ういぞ」
「あんたの前だからいいの。あんたの言葉遣いはもっと丁寧にした方がいいけどね」
「言うじゃねえか」
ルイスとトールは少しだけ下品に笑い合う。
彼らは理想的な関係だった。
第一皇女は己を理解してくれる部下を持っている。勇者召喚の準備も万全だ。
勇者召喚、それは皇族にしか行えない魔法と一般的には言われていた。
先代皇妃クロルは伝承に伝わる勇者召喚を現実に変えた天才である。
ルイスは第二皇女を、自身の妹を警戒していた。あの娘はルイスにとって愛すべき存在ではあったが、その才覚はルイスにとって畏怖の象徴でしかなかったのだ。
だからルイスは秘策を用意した。
勇者召喚までのお膳立ては偉大なる皇妃クロルが編み出した。
ならばルイスはそこに物量を加える。
クロルの時代には出来なかったことをルイスは試そうとしていた。
勇者は化け物だ。最初こそ普通の人間とはあまり変わらない存在だが、力をつける。
クロル皇妃が召喚した先代勇者は魔王と相打ちになるほどの実力を身に付けた。
正統なる血統を持つ第二皇女がどう出るかはルイスには分からない。
だがルイスに負ける気はなかった。
必ず第一皇子を殺し、第二皇女の命を守ったまま勝利し皇帝の座を手に入れる。
ルイスにはその意志があった。
その目には現実が描かれる。
「勇者、ね」
「ん? 勇者召喚に不安でもあんのか? お兄さんが慰めてやろうか」
ふざけた調子のトールに苦笑を零しながらルイスは手元のティーカップに手を伸ばした。
*****
ここは第一皇子の陣営。クロラック某所。
愚かしい第一皇子は焦っていた。
また、第一皇子ミルエルは一人の三十代前半の男の臣下を側に置いている。
第一皇子のミルエルの年齢は十代前半。
まだ若いのだ。
「明日が勇者召喚だって! 馬鹿な! そんな話は初めて聞いたぞ、エビデンス!」
怒り気味に臣下にそう言う緑髪のミルエル。その甲高い声は変声期を迎えていない子供の青臭さを感じさせるものだった。ミルエルに怒鳴られた臣下の名はエビデンス。第一皇女や第二皇女の元に兵が流れる中、ミルエルの元に残り続けたミルエルの股肱の臣である。
「坊っちゃま、私は以前から勇者召喚の日取りについては坊っちゃまに深く申し上げていた筈です。お手を煩わせることにはなりますが、どうか召喚にご協力をお願い致します」
「そんな事を言ったって、僕は何も用意してないんだぞ! 勇者召喚には様々な素材が必要らしいじゃないか! どうしたらいいんだ!」
文字通り頭を抱えているミルエル。
対する第一皇女ルイスは勇者召喚に必要な素材をしっかりと入手していた。
しかもルイスは素材を手に入れるために協力を依頼した組織や店舗に賄賂まで流した。
他の者はどのような存在であれ、勇者召喚の素材を入手できない徹底ぶりである。
二人の姉妹に比べて、非才と蔑まれがちなミルエルではルイスの策には抵抗できない。
だが優雅にもエビデンスは応えた。
「いえ、素材は予めこちらで用意しております、坊っちゃま。坊っちゃまはそのお心のままに勇者を召喚すれば良いのです」
そのエビデンスの言葉にミルエルの顔は輝いていた。その目には未来が描かれる。
「おおっ! 流石優秀だな、エビデンス! ならば僕にあとはまかせておくがいい!」
「ははっ!」
エビデンスは敬愛すべき主君に頭を下げる。エビデンスはミルエルが他の皇帝候補に比べて侮られ、この国の民にも愚かだと陰口を言われていることを理解していた。
そしてミルエルがその事実を薄っすらと理解していることもエビデンスは理解している。
第一皇女や第二皇女は確かに優秀だ。
第一皇女は皇帝候補の半分の勢力を形成し第二皇女はそのカリスマだけで二割の兵力を手に入れている。対するこちらの兵力は三割。
エビデンスが苦悩を重ねてかき集めた兵力である。数こそ第二皇女の兵力に勝っているがその練度はお察しである。先行きは暗い。
だが、エビデンスは思う。
ミルエルはまだ若い。まだ成長していない獅子である。側から見ればミルエルに皇帝としての資質はないのかもしれない。
だがエビデンスはミルエルこそが皇帝に相応しいと確信していた。ミルエルの我儘の中に隠れている優しさがエビデンスには分かる。
ミルエルの中にある皇帝としての資質は他二人の姉妹に侮られる程度のものではない。
エビデンスには覚悟がある。
ミルエルと共に生きる覚悟があった。
「あと、エビデンス。いい加減に僕のことを坊っちゃまと呼ぶのはやめろ。僕ももう立派なクロラック男児だからな、はははっ!!」
陽気に高笑いするミルエルを見てエビデンスはきっちり否定の言を述べる。
「申し訳ありませんが、それは出来かねます坊っちゃま。私にとって坊っちゃまはいつまでも坊っちゃまなのですから」
ミルエルは頬を膨らませて、エビデンスのその言葉に駄々をこねた。
エビデンスはミルエルの機嫌を損ねない程度にミルエルを窘めていた。
*****
栗生 学良がかつて愛した少女の名はクロル。クロルの血を色濃く受け継ぐと思われている第二皇女は憂げに本城の一室から世を見る。
第二皇女の美しい銀髪の髪に、白すぎる肌は若かりし頃のクロルを彷彿とさせる。
第二皇女の名前はエル・ハルツ・クロラックである。旧皇帝とクロルの子供だった。
伝説の家系の正統なる血統を持つ少女でありクロル皇妃の生き写しとまで言われる少女。
「私などが本当にここにいてもよろしいのでしょうか」
現皇帝に譲られたクロラック城の一室で虚空に向けてエルはそう寂しげに一人で呟く。
「でもこんな私を慕ってくれる民も臣下もいるにはいます。だから」
城下町を見てエルはそう呟く。幼い頃から父の元で過ごしたエルは皇帝の政策に提言をすることも多かった。減税や移民の受け入れのほとんどがエルの皇帝への提言で実現したものである。皇帝の政策を剛とするならエルの政策は主に柔の役割を担うことが多かった。
人気取りだとか、イメージの押し付けと批判する者も多かったがエルの人柄は優しい。
その政策はやがてエルの人気に繋がった。
此度の三者の戦い、皇帝を決める戦いに辞退はない。エルは本音を言えばこんな戦いは辞退したかった。だがミルエルの為にも参戦は避けられない。第二皇女であるエルがルイスに下ればミルエルは殺されるだろう。
兵力を持たないエルに集った兵はその人柄と人気によるものだ。そのカリスマは呪いの域にあると言っても過言ではない。
幼い頃からミルエルとは比べ物にならない優秀な成績とカリスマがあったエル。
その目には理想が描かれる。
「私は大きな秘密を抱えています。明日は勇者召喚の日ですが」
懺悔をするようにそう漏らすエル。
勇者召喚。エルはそれをしない選択をしようと思った日もあった。
だが、万が一ミルエルやルイスが勇者召喚に失敗したら魔軍はさらにつけあがるだろう。
勇者の再誕に期待する声も大きい。
ならばエルに迷いはなかった。
愛すべき母クロルが残した先代勇者の遺物がエルの手元にはある。
「そういえば、母さまはよく先代勇者様のことをお話しになられてしましたっけ」
エルは愉快げに優雅に笑う。
クロルと先代勇者の黄金の日々。
その話を幼い頃からエルは興味津々に聞いていた。先代勇者の名前もよく覚えている。
耳に残る、いい名前だとエルは思う。
「そう、確かお名前は」
五十年前突如消えた勇者が遺した鞘。
即ち遺物。天の剣の鞘である。
エルはそれを所有していた。
クロルにとって勇者が最良のパートナーであったようにクロルは勇者に思いを馳せる。
明日は勇者再誕の日取り。自身の不安を隠すようにエルはクロルの最愛の名を述べた。
「クリュウ ガクラ様」
魔王を討ったとされる伝説の勇者の名前だった。