人ならざるもの
見れば相手はもう肩で息をしていた。
いくらか小競り合いをしていただけのつもりだったが、相手にとってはそうでもなかったらしい。それにしても僕の身体がおかしい。
明らかに人の機能を逸脱した行動をしているにも関わらず目の前の魔族を圧倒している。
人間としての僕が、である。
身体に限界を感じない。
「あり得ない! その魔素は先代と同じ力。違和感はあるけど間違いなく先代と同じ気配がある。男、お前は一体何者よ!」
知るか。僕は生き残らなければならない。
僕は女の地中真下に魔力で腕を展開。
紫色の地中から生えた六つの腕が大地から生え、女を攻撃する。
「腕六柱」
僕は指揮者のようにそう言って、腕を操作し女を殴る。この技は魔王の技だった筈だ。
だが戦いにおいて相手の技を借用することは少なくない。魔王は嫌悪の対象ではあったがあの強さは本物だった。故にこの技も強い。
「グガガァ! グガァ!」
紫髪の女は優雅さの欠片もない声を上げて上空に吹き飛ばされ、すぐに地面に着弾する。
「僕を先代と呼ぶが、その呼称の意味はなんだ。時代時代と煩い理由も聞きたいな。お前からはいくつか聞きたいことがある」
女は苦痛を浮かべた表情で僕を見る。
「私もお前に聞きたいことがあるわ。私の所有物を蔑ろにしたことも度し難いしね」
「知るか。お前は僕の言葉に応えるだけでいい」
腕六柱を発動させる。女は大地から生える腕の攻撃を避けながら僕に叫んだ。
「クッ! この技も! お前は!」
「息を荒げて健気に躱すか」
僕を懐疑的な目で見る魔族。
「調子にのるなッ!」
女魔族は僕に接近戦しかけてくる。
「答えなさい! その力は先代のものよ! 何故お前のような人間がそれを使用できる! いやそれだけじゃないわ! 何故人間が『魔素』を纏えている! 答えろ! 答えなさい!」
何を言っている。魔素とは人ならざる者が放つ瘴気。魔物や魔族が体内に持つ力の根源。危険度の高い魔族や魔物ほど魔素の気配が強い。だが僕は人間である。
この僕が魔素を使えるはずがない。
だが。
「なに......?」
だがおかしい。可笑しい。笑える。僕の身体を確認すると僕から紫色の瘴気が出ているのだ。見間違えるわけがない。これは魔素だ。
「答えろって言ってるのよ!人の身でありながら何故魔素を扱える!嘘は許さない! 私は人と魔族の違いは見逃さない。お前は紛れも無い人間。何故人間が先代の力を使える!」
魔素の力。魔王と戦っていた時はこんなものは使えなかった。そうか、人の身で僕が目の前の魔族に抗えているのはこの力のおかげ。
だがまたおかしい。人の身体と魔素は反発し合う。だが目の前の魔族は僕を人間と言う。
人間が魔素を扱えたところで、それはただの呪いにしか過ぎない。考えても仕方がない。
今は絶対に解答に辿り着けない。
僕の力の謎も、この場所の事も。
目の前の女は役に立たない。目の前の相手は戦意が強過ぎる。ならば障害は排除する。
勇者として何度も繰り返してきたことだ。
今まで磨き上げてきた僕の力が失われた痛手は大きい。だがそれでも時は進み続ける。
今分かることは人間にとって有害な魔素が僕に有利に働いていること、その一点のみ。
「魔素を扱える理由は僕にも分からない」
「いい加減なことを!」
紫髪の魔族の女と黒髪の皮服の僕の身体が低空で交差して激しい混沌を産む。拳と拳をぶつけ合う。瘴気と瘴気の刹那の衝突。魔素と魔素のスパーク。草原が紫色に染まる。
僕の身体が衝撃で瘴気から投げ出される。
周囲を見ればあの女魔族の姿はなかった。
魔素に紛れて逃げられた、のか。
「逃げ足の速い奴だ。結局情報をもらうどころか謎が増えただけだったな。殺されなかったのは不幸中の幸いではあったと思うが」
くそ。何がどうなっているんだ。分からないことが多すぎて軽く狂ってしまいそうだ。
「とりあえず魔素を抑え込まないとな」
僕は瞳を閉じてそれに努める。
これは人ではない証。
僕は人だ。人外ではない。
あの魔王の言葉が脳裏を過る。
『魔王は繰り返す』という呪いの言葉。
「あいつ......僕の身体に何かしたのか」
僕は緋色の髪の魔王の姿を思い返しつつ、自らの瘴気を押さえ込んでいた。
一先ずはクロルに会いに行こう。
これからの作戦を考えるのはそれからだ。
そんなことを僕は思う。
僕の黒髪に薄く緋色が混ざっていた。
草原の薄い水溜まりの水面に映る僕の滑稽な姿を無感動に見つめる。
至極、どうでもいい事実だった。
*****
現クロラック皇帝は仰られた。
三人の自分の子孫で最も強き者を帝にする。
これが次期皇帝の選定試練。
二人の皇女と一人の皇子が戦い合う。
一人は強い少女。
一人は愚かしい少年。
一人は優し過ぎる少女。
三者三様の三人が競い合う。
クロラック帝国、動乱期到来。
伝説の勇者の再誕の日が迫っていた。
*****
栗生 学良の昔の話だ。
昔と言っても地球の話ではない。
この世界に召喚された時のことだ。
右も左も分からない彼を優しく支えてくれた第一皇女。彼女の名はクロル・ハルツ・クロラック。クロルの為に栗生は生きていた。
今もその忠節は忘れていない。
また栗生はクロルに恋をしていた。
魔王を倒して、自分が英雄になったとしたらクロルに告白するとそんなささやかな野望を栗生は抱いていた。人目を惹く銀髪に、その優しさ。美しい外見のクロル。釣り合っていないのは栗生自身が痛いほど自覚していた。
それでも栗生はクロルが好きだった。
勇者としての彼を恐れない女の子。
それは稀有な存在だったから。
またクロルを普通の女の子として扱っていたのも栗生だけだった。
クロルもきっと、そうに違いない。
二人は惹かれ合っていたのだと思う。
だが、栗生はもうクロルに会えない。
「クハハッ、因果よな!」
魔王は高笑いしながら栗生の中で記憶を漁っていた。
その記憶は栗生の戦いの記録。
数奇な人生を辿った彼の人生。
魔王はそれを見て暇潰しをしていた。
まるで懐かしいものを見るように。
「俺はお前に同情はせぬぞ、栗生学良」
美しい緋色の髪をした少女は無感動にそう言った。