降り立った勇者
地面に叩きつけられる感覚。
「いたたたた......クロル?」
また呆けた頭で片思いの相手の名を呼ぶ。
そして横たわり、頭を抑えながら考える。
僕、クールになるんだ。
落ち着け。僕は魔王と戦っていた。
そこまではいい。
僕の年齢は19、職業は高校生だった。
今の職業は勇者というものをやっている。
僕は地球から異世界にやってきた。
名前は栗生 学良である。
辛い旅路の果てに魔王と戦っていた。
最後の戦いになるはずだった。
魔王を倒せば全てが終わるはずだった。
「まさか転移魔法でも喰らったのか?」
僕は脱力感に襲われる。
自分の力の全てを出し尽くして僕は魔王と戦っていた。なのに魔王を殺しきれなかった。
ここは見晴らしのいい草原。
青空の下、怠い身体で僕は天を見る。
僕は勇者の力を全て剣に捧げた。
即ち、自分の力を失った。
力を取り戻すまで時間がかかる。
その力を取り戻すよりも魔王の傷が癒えるのがおそらく早い。即ち僕は魔王に敗北した。
絶望。僕は草原に拳を打ち付ける。
「クソ! 何もできなかった!」
八つ当たりをする。意味がない行動だ。
「僕を召喚したクロルも! 今まで戦ってきた仲間にも! クソったれが!」
ボロクソ出る暴言。今までの僕を知る者が見たら悲しむかもしれない姿だった。
歯痒い。だが力が出ない。
騒いでる僕を見つけたのか、見通しの良い場所で偶然僕を見つけたのかは分からない。
だが一匹の狼型の魔物が僕の前に。
僕は倒れたままだ。
今の僕の力は一般人と変わらない。
目の前の魔物は弱い魔物だと容易に予測出来る。含んでいる魔素の量が少ないからだ。はっきり言って雑魚である。
だが今の僕ではその雑魚にも勝てない。
諦念が僕を支配する。
狼の魔物は僕を咀嚼しようと口を開けた。
そして当然噛まれる。反撃する気もない。
気さくに美味しい? とでも聞いてみるか。
冗談はともかく。
腹に感じる激痛で僕は起きているのか、寝ているのか分からない意識混濁状態となる。
濁った意識の中で僕は彼女と出会った。
緋色の髪の少女が僕を見て笑う。
薄い意識の中で僕は不愉快さを感じていた。
ああ、そんな顔で僕を見るな。
吐き気がする。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
僕は魔王を倒す。まだ死ねるものか。
自身の身体が熱く高揚するのが分かる。
僕の意識が何とか実像を結ぶ。
「僕を舐めるなッ!」
僕は怒りと共に魔物を蹴った。
下腹部の血を手で押さえる。
致命傷でもない。
自暴自棄にはならない。
自身の力が無くなっても足掻いてみせる。
「グォン!!!」
僕に蹴りとばされて転がる狼。
この魔物ならば、今の僕でも倒せる。
そもそも僕の経験自体は死んではいない。
その経験があれば並大抵の敵ならば撃退できる筈だ。一部の化け物には苦戦するが。
諦めていては何も始まらなかったな。
今更、僕の師匠の言葉を思い出す。
何とかなる筈だ。
そう確信して僕は魔物に肉薄する。
瞬間、魔素の気に当てられた。
僕は気圧されている。この魔素の威圧感はあの緋色の髪を持つ魔王に似ている。こんな草原でこれほどの魔素を含む存在など聞いたことがない。これほどの実力者ならばあの緋色の魔王がコンタクトを取らない理由がない。
魔族軍の切り札なのか?
ここにきて僕は絶望を感じていた。
「私のペットに何か用かしら」
上空から現れて僕を俯瞰する翼の生えた紫髪の少女。年齢は僕と同じくらいに見える。雰囲気が魔王に似ているが、この世界の魔族は女形が多いのだろうか。魔王や魔族の実力者ならば、ゲームみたいに厳つい外見でもいいのではないだろうか。全く違和感が過ぎる。
「この狼はお前のペットか。用はなかった。ただ襲われたから反撃しただけだ」
魔族はよく魔物をペットにするらしい。
地球人の犬感覚なのだろう。
「私の所有物に反撃ですって? この暗黒の時代にまだこんな馬鹿な男がいたとはね」
暗黒の時代? 何だそれは。
「お前の容貌を見るに、お前は魔族だな。何故お前のような高位の魔族がこの晴天の空を闊歩出来る。お前のような存在は各国の騎士団や帝国の勢力が魔族界から出さない筈だ」
「何時の時代の話をしているのかしら。全く呆れる男ね。それとも私と出会ったショックで混乱しているのかしら」
「時代時代となんなんだ、お前は。暗黒の時代とやらも聞いたがないぞ」
その僕の言葉に狼を抱えて笑う女魔族。
「ふふふ。どうやら狂った人間のようね。可哀想に。元々私の縄張りに侵入した時点で許す気は無かったけれど、せめて即死させてあげるわ。ペットに対しての横暴は目を瞑ってあげる。まあ所謂慈悲ってやつかしら」
「待て。僕は狂っていない。暗黒の時代とか縄張りとかいきなり何なんだ」
戦う空気になってきた。
だがそれは不味い。
今の僕では目の前の女に対して勝機はない。
いや、待て。天の剣は未だに展開は可能だ。天の剣は僕の力を喰らってさらなる力を発揮出来る状態である。弱体化した僕の身体で天の剣の一撃を目の前の女に当てることが出来れば、或いはそれが勝ち筋になる。だが、それはほぼ不可能に近い。
僕の身体能力と目の前の魔族の女の身体能力では開きがあり過ぎる。
魔族とは人の天敵。
知性と人にはない翼を持つ人に擬態した憎むべき人外だ。
目の前の敵は並大抵の敵ではない。
「本当に可哀想にね。この世界の『常識』すら忘れてしまうなんて。でも、もう少しで楽にしてあげるから」
常識だと? 余裕の笑みで近付いてくる女。魔族特有の慢心を感じるな。天の剣を当てる隙はあるか? 厳しいな。奴は極めて強い実力の持ち主。ミスは誘えない。
勝てるわけがない。僕は後ずさる。
戦闘は自殺行為だ。死ぬわけにはいかない。
この世界を救えるのは『勇者』だけだ。
この世界でたくさんの人にお世話になった。
勿論、地球にだって帰りたい。
まだまだたくさんやり残したことがある。
機会を伺え。絶対に諦めない!
死ぬわけにはいかない!
「さようなら、人間の男」
だが目の前の魔族に僕の事情は関係ない。
僕は無念さと共に心臓を女の手で貫かれた。
慈悲の欠片すらない、魔族の攻撃。
僕の道はここで終わる。
はずだった。
*****
再び混濁した意識。
狼に先ほど噛まれた時に垣間見た世界。
今度の痛みは這い上がれそうにない。
気合いでどうにかなる問題ではない。
明確な絶望。僕一人ではどうにもならない。
「何を惚けておる。勇者。どうした? そんなものか? 俺に土を着けたお前がこのザマでどうする? それにしてもあの女不愉快よな!」
混濁した意識の中で僕は魔王を見る。ノイズがかかったような黒い空間。ここは地獄だろうか。僕が最も嫌いな存在が目の前にいる。
それだけでここを地獄と連想出来る。
魔王の綺麗な声がやけにアンバランスだ。
「僕は......」
「無理に話すな、勇者。今回ばかりは俺はお前の味方だ。ここでお前に死なれては困る。利害が重なっていることは分かるな? 勇者」
利と害で利害。何の話をしている。
お前と僕には敵対関係しかないはずなのに。
「悪いが時間がない。俺がお前に干渉出来る時間は限られている。だが忘れるな。俺はお前の中にいる。俺を畏怖し、俺を崇めるがいい、勇者よ。俺とお前の利害が一致している限りは俺はお前の害にはならん」
赤いドレスの少女が僕の身体を包む。
「それでは目にものを見せてこい、勇者。あの高慢な魔族は俺も好かん故に」
高慢なのはお前も一緒だろ、という言葉を飲み込んで僕は現実に回帰する。
僕とさっきまで戦っていたはずの魔王は皮肉げな笑みで僕の帰還を見送っていた。
*****
立ち上がる。傷は既に塞がった。
何故立てたのだろう。夢を見た。
あの緋色の髪の魔王に介抱される夢だ。
後ろを向いている紫髪の美しい女。
先ほど僕を素手で殺そうとした女。
僕は長髪の彼女の肩を優しく叩く。
魔族はゆっくりと僕に振り向いた。
魔族の顔が僅かに驚きに染まる。
なぜ、生きているの。殺したはず。
そんな女の言葉を無視して僕は女の手に抱えられている狼型の魔物を手にとる。
さきほどのペットだ。汚い面をしている。
僕はそいつの頭を掴んだ。
「え?」
惚けた声で油断する女魔族。無理もない。紛れも無い人間の僕が復活を果たしたのだ。僕が知る限り二度の生を得た者はイエスしかいない。僕の復活劇は女に油断を与えた。
「これ、お前のペットだったな」
僕は狂ったような笑みで魔物の頭を素手で潰す。その顔は腹黒さを超えた外道の笑み。
僕の右手から血と魔素が溢れていく。
「なっ......!!」
「さて、先ほどの僕はお前のペットを蹴りとばしたわけだが、今度は殺してしまった。次のお前はこの僕にどんな慈悲をくれるか、実に楽しみだ。名も知らぬ愚かな魔族風情が」
「人間の男......!! お前......!!」
僕は狗の屍体を投げ捨てて少女と交戦する。
既に少女は激昂しており、僕は挑戦的に少女に笑いかけた。二人が激突する。