上を見上げ、不敵
勇者召喚前夜の話である。
エルはクロラック本城の中庭を練り歩いていた。
『自分の臣下に自身の姿を見せること』
これはエルの母クロル・ハルツ・クロラックの言葉である。指導者は下を見ない、とはよく言ったもので過去にそれを怠った皇帝はほとんどが革命という悲劇にあった。
それを抜きにしても臣下を労うことは大切なことである、とエルは思い至っていた。
だから自らの足で自身の拠点を回り、時折臣下と談笑を交えつつエルは歩んでいく。
エルのカリスマは優しさ、包容力に特化したものだ。突発的な畏れを民に抱かせることは出来ないが、持続性が強く忠誠も厚い。
ルイス皇女とは正反対のカリスマである。
エルを青と表現するのなら、ルイスは赤。
相反する二人は今、同じものを見ていた。
「明日は勇者召喚......ですか」
一人、明日に思いを馳せるエル。勇者は対魔族の切り札に成りうる最強のカードである。
「私に勇者を御しきれるのでしょうか? そもそも召喚自体成功するのかも......」
このような不安になる姿を他人には見られてはいけない。皇族としての義務を全うしなければならないが、エルの不安は尽きない。
夜空を見上げ、エルは明日を憂う。
そんな中、エルは一番親しい臣下の声を聞いた。自分が信を置く近衛騎士の声だ。
思わずエルの肩が震える。彼女の前でエルは弱音を見せるわけにはいかなかった。
「エル様! ここにおられたのですね!」
綺麗なソプラノボイス。
金色の甲冑に身を包んだ金色の髪の騎士。
ルイスの近衛騎士、軍神のような華々しい戦果こそないものの有象無象とは一線を画す実力の持ち主。その名はサクリ。
サクリ・アザトホース。
エルの近衛騎士だった。
長い金の髪を持つ少女である。
「あらサクリ? 今日も本城を見回ってくれているんですか? いつもありがとう」
エルの呑気な声にサクリの顔は歪む。
「私などに対するそのお言葉は非常に恐縮でありますが、御身は勇者召喚を前日に控える身です。今日はお部屋でご自重なさるようにお願いします。姿が中々見られないので拉致でもされたのかとヒヤヒヤしましたよ」
問い詰めるような口調でいうサクリ。
エルも苦笑いをするしかない。
サクリの言葉が正論だからである。
今は三皇族が争う内乱の最中。
何が起こってもおかしくはない。
「サクリには余計な心配をかけさせてしまったようですね。今日は星が綺麗ですから」
夜空に瞬く星を見て言うエル。
ふと、サクリはエルに問いかける。
「やはりあの部屋は息がつまりますか?」
現皇帝がエルのために用意した私室。
サクリはそれを不愉快そうに吐き捨てる。
「そんなことはないですよ。お父様は私によくしてくれてます。不満などはありません」
「エル様の本当のお父上は......いえ、近衛騎士の分際で失礼を申し上げました」
頭を下げて深く謝意を見せるサクリ。
「頭をあげてください。サクリが私を心配してくれているのは伝わってます。私を気にかけてくれていつもありがとう、サクリ」
ニコっと笑ってエルは慈愛の笑みを見せる。
エルの顔を見たサクリの顔に朱が混じる。
「い、いえ。ご不満があれば何なりと私にお申し付けください。私はエル様のための近衛騎士なのですから」
「ふふっ、ありがとう」
サクリに手を引かれるままに、エルは歩む。
そしてエルは、一瞬だけ中庭からクロラック本城の頂上を見上げる。
クロラック皇帝、玉座の間の城壁。
エルは無感動にそれを見つめていた。