郷愁
翌朝、どこか頭の痛い感じを抱いて起きる。
窓から陽が差し込んでいる。もう昼か。
寝過ごしてしまったな。
それにしても性質の悪い夢を見たものだ。
そもそもあれは夢だったのか?
僕には分からない。
分からないことばかりだ。
僕はベッドから身を起こす。
「ああ、起きたのか、クリュウ」
耳に慣れないような綺麗な声が響く。
ああ、そういえば今の僕はイレスと過ごしていたんだったな。若干驚いてしまった。
亜麻色の髪は今日も綺麗だった。
早起きだな、イレスは。見習おう。
「それにしても、キミ。昨夜は大分うなされていたようだが、悪夢でも見ていたのか?」
うなされていたのか。
あまりイレスに心配をかけるわけにはいかないな。
「いいや、昨日から少しばかり頭痛が酷くてな。その影響かもしれない。五月蝿くて眠れなかったのならすまない。そもそも男女が同じ部屋で寝るのは褒められたことじゃなかったな。僕も最近ゴタゴタしててね。そこまで気を回す余裕がなかった。本当に悪かった」
頭痛というのはもちろん嘘だ。
だがイレスは気持ち良く微笑む。
「いいや、そこまで謝られてしまってはこちらが申し訳ないくらいだよ。キミの健康が保たれていることが何よりなんだからな」
「ありがとう。随分と優しいんだな」
そう言ってくれると助かる。
「私を奴隷から解放し、仲間にしてくれたキミの事を私は大切に思っている。キミは間違いなく私の大切な恩人だよ。そうでなくてもキミは私に白金貨二枚を差し出してくれたのだ。その分の働きはしなくてはならないと思っているし、キミの健康を気遣うのは仲間としても当然だ」
仲間、か。ありがたいな。
「そうか。だけどあまり気負うなよ。気楽に適度に適当に行動してくれればいい」
あまりかしこまられても困るからな。
「ああ、分かっているさ。キミとは長い付き合いになりそうだからな」
「それでいい。とりあえず飯でも喰いながら今後のプランを立てていくとしよう」
僕は台所へと向かった。
台所がある宿屋か。設備がいいな。
また次にレイフォルクに行く時はこの宿屋に泊まりとするか。次があればの話だが。
*****
キッチンに超然と立つ僕。
食材は宿屋の一階から拝借した。
盗んだわけではない。
女将さんとの交渉の結果だ。
宿屋のランチプランの半額を支払うことで食材だけを買ったのだ。この方が安上がりだ。
今の僕は所謂、金持ちである。
自慢したいわけではない。断じて違う。
僕は今、巨額の財産を得ている。
だが、財布の紐は締めておかねばならない。
いつ不測の事態が起きるかは分からない。
僕とイレスのどちらかが大怪我をして莫大な治療費がかかる場合も考えられる。
そういうケースに備えるために自炊は必須。
節約は使命である。
「キミ、料理が出来るのか」
亜麻色の髪をぴょんぴょん揺らしてキッチンに立つ僕のこと盗み見るイレス。
「まあ、そこそこは。これでも一時期料理人を目指していたこともあったからな」
「そうなのか。それは意外だ。本来は私が料理をキミに作るべきなのだろうが、私はそういうのはからっきしだからね」
貴族の令嬢だったイレスに家事は期待していない。ナビゲーターと僕のサポートさえ出来れば、イレスの役割はそれでいい。
役割を果たせなくともそれはそれでいい。
エイレーンの娘なんだ。
見捨てられないし、見捨てる気は毛頭ない。
「それにしてもキミは多才だな。その若さで商業で成功し、果てには料理の心得まで」
イレスは僕の格好が商人みたいだから勘違いしているようだな。生まれてこのかた、客商売はバイトぐらいでしか経験していない。
商業に成功もしていない。
僕が金を得たのは貨幣価値の変動のためだ。
五十年。事実であればあまりにも長い年月。
状況が僕にこの世界を認めろと言っている。
だが、まだ受け入れられない。
ここは五十年後です、と端的に言われたところで信じられるわけがない。
エイレーンの死も、クロルの死も同じこと。
僕がこの目で見て判断する。
覚悟、決めないとな。
「といっても所詮は男料理だ。料理人を目指そうと思ったのも大分昔だしな」
地球にいた頃の知識を活かして料理で一発当てようとも思ったが、それほど世の中は甘くない。
「ちなみに私の分の食事は用意してもらえるのだろうか」
「用意するさ。お前の目の前で一人だけ飯を食べるほど僕は性悪ではない」
イレスと話ながらも手は動かしていく。魔素を取り除いた肉食獣の魔物ハーディスの肉と植物の魔物ソラティアの葉を使う。
ハーディスの肉は地球で言う鶏肉の食感に近く、少しだけパサついている印象だ。
ソラティアはキャベツに味も食感も近いな。この世界にキャベツはないから重宝する。
腹も膨れるしな。お腹が減ってくる。
ちなみに作るのはハーディスのフライとソラティアの野菜炒めだ。
この世界の庶民食は魔素を取り除き、人間に無害な状態となった魔物の素材を用いることが多い。魔物以外の素材は値が張るからな。
そういえばイレスは貴族だったか。
「イレス、お前は魔物食に抵抗はあるか? 僕は食用魔物の素材で料理しているが」
イレスに現在進行形で炒められているソラティアを見られないように質問する。
勿体無いが、イレスが魔物食を嫌うのなら今作っているものは廃棄しなくてはならない。
僕たちの感覚でいえば、貴族にとって魔物食とは昆虫を食べる感覚に近い。
謂わば、嫌悪すべきものであるはずだ。
僕も地球にいた頃は進んで昆虫を食べようとも思えなかったしな。
「キミに養ってもらうような分際で食事に不満を言うわけがないだろう。魔物だって食べ物なら食べるさ。死んだ魔物のためにもな」
「そうか。そう言ってくれるなら良かった。それではフライも揚がったし食事にしよう」
ハーディスのフライ。ハーディス自体の犬歯が取り除かれておらず、生々しい。ソラティアの野菜炒めは見た目も悪くないし十分だ。
僕とイレスが席に着き、ナイフとフォークを手に取る。それにしてもイレスのような少女が目の前にいるとテーブルマナーを守らないといけないような気分になるな。錯覚だが。
「おおっ、流石はキミだな」
「褒められるのは悪い気がしないな」
イレスがフライを口に運び顔を綻ばせる。
自分の作った料理を美味しそうに食べて貰えるのは純粋に嬉しい。
「キミは何でもそつなくこなすイメージがあるからな。驚かないが、実にいい腕前だ」
「何だか評論家みたいだな、イレスは。それが絵になっているから余計に笑えるが」
流石はエルフェゴールの娘だ。品格がある。
こんないい娘によく育ったものだ。
素晴らしい。
「その言い方ではキミに馬鹿にされているみたいだ」
「それは違う。僕は自他共に認める捻くれた生意気なガキだが、今のは素直な賞賛だ」
お互いに食を進める中、僕は切り出す。
自身の目的を、現状を見定める唯一を。
「イレス、僕はクロラックへ行きたい」
イレスの肩が僕の言葉に小さく震える。
僕はそれを見逃さない。
そうか、イレスにとってはクロラックとは家族との決別の場所なのかもしれない。
辛い思い出もあるだろう。
だがイレスに案内されないと困るからな。
無理をさせるが、我慢してほしい。
「観光ならクロラックはお勧めしないが」
イレスは冷静に僕に指摘する。
それは本心からの言葉だろう。
イレスは自分の感情を優先するようなタイプではない。今のクロラックでは僕たちが危惧すべき何かが起こっているのだろう。
エイレーンも巻き込まれたその何かを僕は見定めなければならない。
だからこその強行軍だ。
「観光じゃない。クロラック帝国に探している人がいるんだ」
「探し人、か。キミの気分を害するようなことを言うかもしれんが、今のクロラックは内乱でピリピリしている。時期を待って行動した方が賢明だと私は進言するよ」
ん? ちょっと待て。今イレスがさらっととんでもないこと言った気がするぞ。
「イレス、内乱って何のことだ?」
「内乱とは国内の騒乱だな。一般的には帝国転覆を目的とする反帝国組織とそれを鎮圧する帝国組織との国内武力抗争のことを指す」
「違うそうじゃない。僕は内乱についての定義を聞きたいわけではない。真面目な顔で漫才めいたことをしないでくれ。調子が狂う」
それとも僕が内乱という言葉を理解できないくらいオツムの足りないガキだと思われたのか。単純にイレスが天然なだけだと思うが。
「ああ、すまない。どうにもクロラックの内乱は周知の事実だからな。キミはもしかしてクロラックの内乱を知らなかったのか?」
「その通りだ」
イレスは僕の言葉に頭を抱える。
「キミ、そんな事も知らずにクロラックに行こうとしてたのか。それは危険だったぞ。もっとも、内乱が起こっていることを知っていたとしてもその危険度の違いは大差ないが」
それは道理だな。
「内乱、か。どの勢力と勢力とが争っているのかぐらいは興味があるな」
腐ってもクロラックは帝国だ。皇帝本隊という絶大な兵力がある限り、クロラックは俄然揺るがない。最低限の治安は保たれる筈だ。
剣剣剣もいるしな。
たとえ内乱を横切ることになったとしても僕の意思は変わらない。これまで魔族と戦ってきた経験と覚悟もある。今更人間の戦いになんて殊更の恐怖もない。自身の実力を過信しているわけではないが、剣剣剣が三人束になってもいい勝負が出来ると思っている。一部の魔族を相手にするとなると今の僕では少し厳しいかもしれないがな。
あの草原で一度だけぶつかった紫の髪をした女。あのレベルは今の僕では少し危ない。
初めから天の剣を展開出来ていれば渡り合えるレベルだろうな。
「何でも次の皇帝を決めるために皇族同士で争っているらしい。私の父もその争いが本格化する少し前にそれに巻き込まれたようだ」
エイレーンが内乱に巻き込まれていた? それに次の皇帝? とてもキナ臭い感じがする。
「待て。その皇族の中にハルツというミドルネームを持つ者はいなかったか?」
僕は少々食い気味にイレスに問いかける。
クロル・ハルツ・クロラック。
僕が愛した少女の名前だ。
その名のことがまず気になった。
クロルは皇族だから。
「ああ、いるよ」
僕の焦ったような表情に少々驚きながらもイレスは僕にそう言って、その名を告げた。
「エル・ハルツ・クロラック第二皇女。それがキミの知りたい名前だろう?」
エル・ハルツ・クロラック。
それは僕の知りたい名前ではなかった。
だが何故かその名前は放っておけない。
そんな気が、した。
*****
部屋を二つに取り直し、自室を出る。
イレスからは構わないと言われたが、そうもいくまい。体裁やモラルの問題である。
「エル、ハルツ、クロラック」
僕は一人になった部屋でその名を呟く。
思えば僕は我儘なのかもしれない。
勿論、僕は愚かだし生意気だとも思う。
自分の都合のいいように未来を見て、選ぶことを避けているのかもしれない。
ここが五十年後だとも信じていない。
これは逃げているのだろうか?
だがエルという名前を聞いて少しだけ覚悟が決まった気がする。
また目的が一つ出来た。
僕はテラスから夜空を見上げていた。