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数日後
さあ、今日もお勉強の時間よ!
日も暮れたころ、紙と筆に墨汁を用意して巳波医師から預かった冊子に目を通す
それには……ナント日本語が書かれている
菖からこの世界の成り立ちを聞いてからこの疑問にも納得した。最初は巳波医師の所へ行った時に散らばった書類の中から日本語を見つけたことから始まる
何気なく手に取ったソレの内容を口に出したら巳波医師は見たことのない驚いた顔をしていた。どうやら日本語が読める人間は限りなく少ないらしい
日本語を前世で習得済みの私は、お世話になっているお礼に日本語で書かれた書物を神支国の言葉に翻訳するお手伝いをしている
この世界の設定?を知るまでは、この神支国も中国語らしき言語を使い文字も漢字なので、日本語を使う国もあるんだろうと考えていた。だが、小説の作者が日本人なら中華風の設定の中に日本を感じさせるモノを混ぜていてもおかしくない
この世界の言い伝えには諸説あるが、古代には今では考えられない文明があったとされている
今まで翻訳してきた書物にもそれらしき事が書かれていたりするし
まぁ、あまり難しいことには首を突っ込まない方がいい、仮にもここは王宮なのだから。キナ臭い陰謀にでも巻き込まれたら大変だ
小一時間ほど作業をしていたら窓を叩く音がした
今日ばかりは待っていました!
「今晩は、王太子様」
「どうした?今日はやけに大人しいな。いつもの憎まれ口はどうした」
嬉しそうに笑っているが、私は待ちに待った瞬間だからにこやかに迎えたのだ
「暁様、これに目を通していただけますか」
「?」
やや古びた冊子を暁に渡すと、怪訝そうにしながらそれに目を通し始める
私は腕を組みかまえた。どうだ、これは隼に頼んでいた登城記録だ
私が暁の初恋の君でないという動かぬ証拠だ!!
パタン、と冊子を閉じた暁
アレ?
「……で?」
低くなった暁の声
私は組んでいた腕を解いて胸の前で握り込んだ。空気が少し冷たくなった気がする
「今更…こんなものを引っ張り出して何が言いたい?」
「…えっ、それは、ですから私は暁様が思っているような…」
ダンっと鈍い音がした
その黒曜石のような瞳の虹彩が見て取れるほど間近に暁の顔がある
「お前は、俺からそんなに離れたいのか?」
顔の横には暁の腕、更に詰め寄られて体が密着した
「許さない…そんなことは」
不意に掴まれた手首が熱い
いつもと違う、怜悧な眼差しと声。剣を使う、女とは違う力強いごつごつとした手のひら
暁がなぜ怒っているのかわからない。ギリッと私の手首にかかる力が増す
ドクリと心臓が跳ねた
吐息がかかるほどに、近づいた暁の顔
「椿…俺は」
…………コ…ワ……イ
「イヤッ!!」
スッと離れる気配がする
自分を庇うように上げた手の隙間から驚いたような、傷ついたような顔をした暁が見えた
「…今日はもう、帰る」
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どのくらい経っただろうか
私は壁に背を預けて小さい子みたいに体育座りをしている
情けない……
イヤッ!!とか…お嬢様生活が長すぎたな
そんなナヨナヨした悲鳴を上げるなんて、自分のことながら気持ち悪い
力が怖い
男の人の腕力だとか、この世界だと剣がある。人を傷つける力というのは総じて怖いのだ
でも、最後に見た暁の傷ついたような、痛みを堪えたような顔…
暁に私を害する気はなかっただろうに、悪いことをした……
ん?待てよ、冷静になれ自分。そもそも勝手に怒ったのは暁の方だ!
せっかく長年思い続けた初恋の君へ繋がる証拠を持って来たのに!!
沸々とした怒りが湧いてきたことで、いまだに残る手首の熱を私は無視した
『椿は暁様のことホントに好きじゃないの?』
『じゃあ、ホントに暁様とヒロインくっつけるの?』
何故か頭に木霊する誰かさんの声には『もちろん』と答えた