転生先の乙女ゲー世界でそろそろ妨害始めます。
前作を読んでくださった皆さんありがとうございました!始めましての皆さんは、前作を先に読んでいただいたほうが分かりやすいかと思います。もしよろしければそちらから先にどうぞ。
「あゆちゃーん!あーそぼっ♪」
「きゃっ!」
ふんわりとりした赤茶の髪の少年が、長い髪の少女に背後から抱きついた。ぱっちりとした猫目を見開いてにこにこと笑っている。ずいぶんと整った容姿の少年だ。けれどもそれは格好いいというよりは、かわいいと表現する方が合っているだろうもの。
そんな少年に抱きつかれた少女――”あゆちゃん”と呼ばれた女生徒だが、突然のことに驚いたのかびくりと体を震わせた。栗色の長い髪が、背後を振り返った拍子にふわりと揺れる。
「ね、猫山くん・・・?」
そこにいた人物をみとめて、少女はぱちくりとその長いまつげに縁取られた大きな目を瞬かせた。彼女の言葉に、猫山と呼ばれた少年は名前のとおりの猫目を細めてにっこりと笑う。
「こら、何やってるんだ海梨!」
「歩さんが困っているでしょう。離れてあげなさい猫山君。」
新たに現れた二人の男子生徒がそんな少年を少女から引き離した。一人は深い緑色の髪をスポーツマンらしく短く整えた青年。もう一人は眼鏡をかけ、青に近い色合いの髪を持つ落ち着いた雰囲気の青年だ。どちらも猫山という少年同様、整った顔立ちをしている。
「勇介くん、獏野先輩・・・ありがとうございます。」
ふわりと笑う少女に、名を呼ばれた二人はほんのりと頬を赤らめながらも笑みを返した。
「・・・・・チッ。」
目の端でわずかに捉えた茶番劇に、苛立ちを抑えきれずわたしが打った舌打ちは、どうやら誰にも聞こえなかったようです。
一応机の上に図書館から借りてきた小説を広げてはいるが、わたしの意識は既にそちらには無い。わたしの、というかクラスにいる大半の生徒の意識は教室の中心で人目もはばからずにはしゃぐ彼らに向けられていることだろう。
イケメンぞろいの男子生徒達と、彼らに囲まれ親しげに会話をする愛らしい少女。乙女ゲー主人公、日比野歩の姿がそこにはあった。
お久しぶりの皆さんも、始めましての皆さんも、どうもこんにちは。烏間秋です。前回のお話をご覧くださった方は知っているかと思いますが、ここは乙女ゲー世界です。わたしはそこに何の因果か転生してしまいました。それも主人公でも脇役でもなく、ゲームに名前はおろかその姿さえ出てこないという脇役以下の存在に。
あ、勘違いしないでください。別にそれ自体はなんとも思っていませんよ?むしろラッキーだったと思ってます。不幸中の幸い、というやつですけどね。
そんなわたしですが現在、上司に当たるあるお方からの命を受け、彼らを観察、いえ監視しています。
因みにあの場にいる男子生徒三人の紹介をしておきますと、最初に主人公に抱きついていたのが猫山海梨、高一。本来は一つか二つ年下なんですが、どうやったのか飛び級しているそうです。役職は生徒会会計。
次にスポーツマン青年が鎌倉勇介、高一。同じクラスで主人公の幼馴染。学園モノの乙女ゲーでは必ずといっていいほど出てくる幼馴染キャラですね。生徒会庶務です。
最後に眼鏡の敬語青年が獏野椋、高二。これまた敬語キャラも必ず一人はいますよね。生徒会皆のお兄さん的存在・・・だそうですが、どうでもいいですね、そんなこと。生徒会書記。
このゲームは隠しキャラを覗いて生徒会役員及びその顧問が攻略対象となるので、彼らは三人とも攻略可能です。故にイケメン、と。そこに美少女主人公が加わると、もーキラキラ。あそこだけ別空間に見えますよ。うぜー。
・・・・僻みではありませんよ、断じて。他人を僻むっていうのは、相手が自分に無いものを持っていると、相手を羨んでいるのだと、そう認めるということ。あれらを羨むなんて、わたしは絶対にごめんです。
「・・・・何アレ。」
「ちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃないの?」
「ウゼー・・・。」
まぁ、そう考える人ばかりではないようですが。
わたしはひそひそと、けれども教室の中央の一団に向ける目つきだけはあからさまに会話をする女性徒たちのほうに目をやった。そこにいた三人の少女達は、ちらちらと教室の中心を、というよりはさらにその中心にいる主人公を見やっては、ひそひそと陰口をたたきあっている。
どうやら彼女らは、その容姿とカリスマ性で生徒達、特に女生徒から絶大な人気を得ている生徒会の面々にちやほやされている主人公が許せないようです。立派に僻んじゃってますね。とはいっても今の所主人公に対して何かをするつもりは無いようですが・・・。女ってコワイですねぇ。
あ、因みにこのゲーム、親衛隊とかはないんで悪しからず。ひっそり活動してるファンクラブくらいならあったかもしれませんが・・・。興味なかったので覚えてません。
「ねぇねぇ、あゆちゃん。そろそろ僕のことも名前で呼んでほしいなー。ゆーくんだけずるいっ!」
「えっ!でも・・・。」
ふいに耳に飛び込んできた内容に、わたしは女生徒たちから主人公達の方に意識を移した。ちなみにあの生徒会会計、親しい人間は誰だろうとあんな感じであだ名をつける。うっとうしいったらないですね、本当に。
さて、なぜ彼らのこんな他愛も無い内容の会話に意識を向けたかということですが、実はこれ、ゲームで言う”選択肢”ってやつだったりします。乙女ゲーをプレイしたことのある方ならご存知かと思うんですが、この選択肢の選び方次第で、好感度が上がったり下がったりするんですよね。ゆえに彼女がどの答えを選んだのか知っておくと、彼らに対する好感度、すなわちこれから誰のルートで進んでいくのかおのずと分かってくる、というわけです。勿論選択肢がでてくる全ての場面に居合わせるのは不自然かつ不可能なので、あくまでだいたい、でしかないんですけどね。
けれども入学してからはや一月。彼女の選択肢の選び方には非常に気になる点があるんです。それもわたしにとって、いえひょっとしたらこの学園にとってもひどく不都合な方向に。
・・・さて、今回の彼女の答えは。
「――できないよ・・・。」
困ったように目を伏せて答える主人公に、わたしはまたですか、と重くため息をついた。
今回の会計の質問に対する答え方は三通りあった。それは「うん、分かった!」、「えぇ!?でも・・・」それから「できないよ・・・」の三つ。今回は会計の好感度に関係する選択なので、一つ目を選ぶと好感度は上がり、二つ目を選ぶと好感度は変化しない。ちなみにどの選択肢を選んでも、最終的に主人公は生徒会役員全員を名前呼びするようになる。
・・・ともかく、どちらにせよ直接的に影響を及ぼすのは会計一人だけなので、その二つならどちらを選んでくれても問題は無かった。
けれども三つ目は違う。なぜなら三つ目の選択肢は、俗に言う「逆ハールート」につながる選択肢だからだ。
「逆ハールート」。このゲームにおけるそれも他の乙女ゲーとは大差ない。つまりは隠しキャラを除いた全ての攻略対象から愛されるという、女の子の夢が多分に詰まった至高のルート・・・なんだそうです、前世の妹いわく。
このルートは前世では最高難度のルートだった。最終的に「逆ハーエンド」というエンディングを迎えることになるわけだが、このルートに進むには共通ルートにおける全ての質問に一つも間違えることなく答えなければならず、一つでも間違えた時点でそれまでの苦労は水の泡となる。たしか前世でも乙女達はなんとかこのルートに到達しようと、ネットでスレを立てたり掲示板で意見交換をしたりと必死になっていた記憶がある。もちろん妹もそのクチです。
結果苦心の末妹はそのルートに辿り着いたわけだが、なんとこのルートには「逆ハーエンド」とは紙一重で「学校崩壊エンド」というものが付いてきた。
それは「逆ハールート」に入った後、最終章までに攻略キャラたちの好感度を上げきることができないと発生する最悪のエンディング。
それこそ、「逆ハーエンド」と並んでわたしが最も回避したいと切実に願うエンディングなのです。
内容としては、その名のとおり。舞台となっているこの学園・・・『妖明学園』がある人物の手によって壊滅させられてしまう。
そしてそれを行う”ある人物”こそが、わたしの上司にしてこの学園の理事長の一人、玖白なんです。
詳しい説明は省きます。けれどもこのエンドでは普段は冷静なはずの彼が、主人公とその攻略キャラたちの行いのせいでその強大な力を暴走させてしまう。そして主人公達だけではなく、自分の部下まで傷つけながら、『こうして学園は崩壊した』その一言だけで物語は終わるんです。
わたしは絶対に彼のそんな姿を見たくはない。怒りに任せて暴走する・・・そんな愚かしい姿は絶対に。わたしは理事長さんは高みからこっちを一人見下ろしている、そんな姿が一番似合ってると思うんですよ。決して主人公や攻略キャラたちと同じ土俵に下りては欲しくない。あの人はわたしたちよりも一段二段高いところにいるくらいが丁度いいんですよ。
・・・だからこそ、『主人公とその攻略キャラたちによって理事長は学園の理事の座を追われた』。そんな終わり方をする「逆ハーエンド」も論外なんです。あの人たちに理事長さんが劣る?そんなもの、許せるわけがありません。不愉快です。
と、まあ色々理由は並べ立ててみたんですが実際の所を言ってしまいますと、
・・・・わたしから静寂を奪おうとする、その根性が許せないだけなんですけどね!!
はい、これも前回言いましたが、この世界には”妖混じり”と言われる妖怪の力を持った人間達が存在しています。主人公は人間ですが、攻略対象たちはみんなこれです。そしてわたしも。
わたしはいわゆる”覚”と呼ばれる妖怪の”妖混じり”です。みなさん”覚”って知ってます?人の考えてることを読んじゃう妖怪です。つまりわたしは他人の考えていることを読み取ることが出来る。まぁそれだけではなくほかにも出来ることはいくつかあるんですが・・・。とにかく、そういう能力があるんだって事だけ知っておいてください。
便利って、そう思いましたか?でもこれ、意外とそうでもないんですよ。
わたしの能力は余り融通が利かないんです。つまり、読み取りたい相手の思考だけを読む、というのが限りなく難しい。どころか能力を使っていない状態でも、そうですね・・・教室の中にいる人の心の声くらいなら、絶えず聞こえてくるといってもいいでしょう。それってとっても喧しいんですよ、実は。
今でこそかなりのレベルまで聞こえないようにすることができるようになりましたが、それも完璧じゃない。幼い頃なんてそれはそれは悲惨でした。
転生者とはいえ、幼児の柔らかい脳に、延々と響き渡る声、声、声。その上心の中の声ですからね。罵詈雑言、恨みの言葉から秘め事まで・・・それこそもう発狂するかと思いましたよ。ある程度コントロールが出来るようになるまでは、外に出ることさえ出来ませんでした。
そんな煩わしいとしか言いようの無い他人の心の声ですが、理事長さんの傍にいるときだけは、全く聞こえなくなる。別の意味での緊張があるとはいえ、彼の作り出す静寂はわたしにとっては本当に貴重なものです。
だから逆ハーにしろ学校崩壊にしろ、あの人にいなくなられてしまうと困るんですよ、非常にね。それに理事長の「ただの人間と”妖混じり”は交わるべきではない」という思想も合わさって、わたしは彼女らを妨害することにしたわけなんです。
・・・・・・・が。
ええ、ご覧のとおり、妨害できてませんよね、全く。
そもそも主人公が逆ハールートをまっしぐら、突き進んでいると知ったのも最近のことでして・・・なんて言い訳してみますが、まずいんですよね、本当に。わたしとしても何とか軌道修正したいんですが・・・自分から彼らに関わるのもそれはそれでまずいものがあるので、そうもいかないんです。
そもそも彼ら生徒会と理事長さん及びその子飼いの組織である風紀委員は敵対関係にある。それもそうでしょう。人間と妖交じりとが仲良くすることを厭う理事長さんに対して、”妖混じり”のみで構成される歴代の生徒会は、それとはまったく反対の思想を持っている。すなわちそれは「人間と”妖混じり”はもっと交流を持つべきだ」というもの。そんな中理事長さん側に属するわたしが彼らに近付いたらどうなるか、その事実がばれたときのことを考えるとひどく厄介です。まぁ、わたし自身が彼らに近付きたくない、というのも多分にあるんですがね。
いまだきゃいきゃいと騒いでいる生徒会の三人と主人公に目をやって、わたしは再び重いため息をついた。
: : :
「どーしたのよ、暗い顔しちゃって。」
机にうつ伏せになって顔だけを窓のほうに向けていたわたしは、頭の上のほうから声をかけられたのに気付いて、そちらを向いた。時は放課後。教室に残っている者はわたししかいないので、どうやら皆めいめいクラブや敷地内の学生寮に向かっていったようだ。
「蜘蛛島先生・・・・。」
見上げた先にいたのは腰に手を当て、上体をこちらに傾けながらにっこりと微笑む女性・・・否、男性の姿だった。赤いルージュが引かれた口元が、ひどく色っぽい。
女性以上に女性らしい、その上背を除けばもはや美女としか言いようのないこの男性の名は蜘蛛島杏珠。わたしと同じで理事長サイドに属する、風紀委員顧問だ。ゲームでは風紀委員の犬塚狼太や鬼原由羅と共に、理事長の命を受け主人公の妨害をしていた。
「やーねぇ、秋ったら。あたし達だけのときはそう呼んじゃダメって、いつも言ってるでしょ?」
「はーい、了解しました、杏珠さん。」
その妖艶な口元を尖らせる杏珠に、そう言ってちょっとだけにっこりしてやると、彼は「よろしい」と言ってわたしの頭をくしゃりと撫でた。
わたしはこの人が好きだ。もちろん恋愛的な意味ではない。前世では好きでも嫌いでもない敵キャラの一人でしかなかったが、この学校に来てからは、相談などもしやすい彼のおかげで何度も助けられてきた。それになにより、前世では長女、今生では一人っ子であるわたしにとって、まるで杏珠は姉のような存在だ。いや、厳密に言うと兄なのかもしれないが。
とにかく、裏表のない笑顔をこちらに向けてくれる彼は、とても好感の持てる人物だ。例えそれが、わたしが”覚”の妖混じりだと知らないからだとしても。
心を読まれているかも、という疑念が募れば募るほど、人がわたしに向ける笑顔は引きつっていく。例え本人が必死でそれを隠そうとしてもだ。そして隠そうとすればするほど、それに比例して心の声も大きく聞こえてくるようになる。自分が何を思っているのか聞こえているのではないか、今まで隠してきたことを暴かれるのではないか、と。
――――わたしの両親が、そうであったように。
引きつった笑顔を浮かべながらも必死でこちらに歩み寄ろうとしていた姿が頭に浮かぶ。その映像をかき消すように、わたしは軽く目を瞑った。
「それにしても、杏珠さん。わたしに何か御用ですか?」
次に目を開けたとき、わたしは何事も無かったかのように杏珠に目をやった。杏珠は不思議そうに首をかしげていたが、わたしと目が合うと、すぐにああそうだった、と笑顔で頷いた。
「忘れるところだったわ。あんまりにも秋ちゃんが可愛いから。」
そう言ってまた彼はわたしの頭を撫でた。わたしは彼のそんな仕草にも、かわいいという言葉にも特に反応を示さず、それで?と続きを促した。や、内心では喜んでますよ?わざわざ表に出そうと思わなかっただけで。そんな風に言ってくれるのは杏珠先生くらいのものですからね。
彼もそんなわたしの態度には慣れたもので、ちょっと眉を寄せて笑っただけだった。
「理事長が呼んでいるわ。多分例の女生徒のことね。」
「・・・なるほど。」
杏珠の言葉にわたしはやれやれと立ち上がる。椅子を引いた拍子に、かたんと小さな音がした。
例の女生徒とはもちろん主人公のことだ。これまでも理事長にはそのことで何度か報告をしている。表情こそ笑顔のままだが、報告のたびに微妙に不機嫌になっていくのが分かる彼の人の姿を思い出し、わたしはわざと大きくため息をついた。
「頑張んなさい。」
そんなわたしに苦笑しつつもそう言った杏珠に、ひらひらと手を振って見せると教室を出て理事長室に向かった。
「今日もまた一騒ぎあったそうだな。」
緩やかに目を細めてこちらを見る理事長の姿に、わたしはやっぱり知ってたか、と目を逸らす。この人はわざわざわたしから聞かずとも、そのくらいのことはとっくに知っているのだ。わたしはやれやれと首を横に振ってみせた。
「知ってるんなら聞かないでくださいよー。・・・で、何か御用ですか?」
わたしは理事長に、先ほど教室で杏珠に向けたのと同じ問いかけをした。その言葉に理事長はほんの少し、分かるか分からないかくらいのものだが、笑みを深めた。
何処と無く満足そうな理事長をちろりと見る。分かってるんですよ、わたしだって。報告なんていつでも聞けるのに、わざわざ人を使ってまでここに呼び出した。それってつまり、わたしに何かやらせたいってことですよね?
「理解が早いようで何よりだ。」
そういって、理事長は手元の資料に視線を落とした。そこには例の女生徒・・・主人公に関する内容が書かれているのかもしれないし、全く関係の無い学園の資料があるのかもしれない。どちらにしろ、その内容まではわたしが立っている位置からは読み取れなかった。
「ところで、秋。クラスの雰囲気はどうだ?」
「・・・・は?」
こちらを見ないまま、ふいにその形の良い唇から発せられた質問に、わたしは思わず間抜けな声を上げてしまった。まさかわたしの学園生活の様子が聞きたいわけではないでしょうし・・・。軽く眉をよせたまま、わたしは理事長の次の言葉を待った。
「上手くやれているのか。」
「はぁ・・・、それは、まぁ・・・。」
続けられた言葉に、わたしは眉をひそめたまま、とりあえず頷いた。よもや本気でわたしの学園生活について聞きたいんでしょうかね?
けれどもその後発せられた言葉に、わたしはすぐに理事長の本意を悟った。
「学校というのもいろいろあるだろう。・・・特に女生徒には、な。」
「・・・・・理事長さん。」
わたしは先ほどまでとは別の意味で眉をひそめたまま、理事長を呼んだ。黄色味をおびた黒い瞳が、ようやく資料を離れ、こちらに向けられた。そこで言葉を途切れさせたわたしを見て、理事長はふっと笑みを伴った吐息を漏らした。そしてこちらを真っ直ぐと見据える。
「一度、理解させる必要がありそうだからな。」
底知れない威圧感を含んだその瞳から、わたしはふいっと目を逸らした。
わたしは気付いてしまった。この玖白という男が、わたしに何をさせたいのかを。そしてわたしがそれを嫌がるのを知っていて、この男は容赦なく命じるのだ。わたしが嫌がりながらも決してその命令を違うことがないと分かった上で。
「わたしに力を使え、と?」
“覚”としての力を、使えと。
わたしの言葉に理事長は答えなかった。けれどもゆるく細められた瞳は肯定と同義だ。わたしはやれやれと、今日三度目の重い重いため息をついた。
「心配せずとも、お膳立てくらいはしてやる。」
その言葉を聞きながら、わたしは理事長に背を向けた。何がお膳立てなんだか。まったく、たちの悪い男です。
・・・けれども、その言葉に結局従ってしまうわたしは、馬鹿女なんでしょうかね。
「やればいいんでしょう、やーれーばっ!」
そう言ってせめてもの抵抗に、思いっきり音を立てて扉を閉めてやる。その扉の向こうから低く笑う声がかすかに聞こえてきて、今までの不機嫌はどこへやら、自分が開き直っていくのを感じた。こちらまで自然と頬が緩んでくる。
―――――さぁ、鬼より課せられし命を果たそうじゃないか。
: : :
「ちょっとぉ、何なのよアンタ!」
「こっちは忙しいんだけど!!」
「さっさとしてくれなーい?」
不愉快なのを隠そうともせずこちらを睨む三人の女生徒に、わたしはふっと笑みを向けた。わたしが体育館裏に呼び出したこの三人はこの間、教室で主人公に陰口を叩いていた少女達だ。
どこで知ったのかは知らないが、理事長はクラスに主人公に対して不満を感じている女生徒がいることを知った上で、彼女らを利用しろといってきたのだ。
で、わたしはおとなしくそれに従うことにした、というわけです。
「何笑ってんのよ!?」
「キモイんですけど!」
彼女らの言葉に、さすがにわたしもイラッときました。仕方ない、さっさと終わらせることにしますか。
「日比野歩さん。」
「っ!」
わたしが例の主人公の名前を口にすると、女生徒たちは一瞬虚をつかれたように口を閉ざしたが、すぐにこちらを睨みつけてきた。
「それが何だって言うのよ!?」
「日比野歩さんですよ。」
「だから、それが・・・・・っ!?」
ふいに、わたしと目を合わせた女生徒達が、ぴぃぴぃとやかましかったその口をつぐんだ。そんな少女達にわたしは笑みを深めると、そのまま言葉を続けた。
「むかつく、って・・・・・思いません?」
そう言ったわたしの方を女生徒らは凝視している。わたしがさらに言葉を募らせると、彼女らの目がとろんと濁っていくのが分かった。
「生徒会の人たちは皆のものですよね?」
「それなのに、独り占めしてるんですよ?」
「ちょっとかわいいからって、調子に乗ってると思いません?」
「むかつきますよね。」
「このまま放っておくわけにはいかないと思いますよね。」
疑問系から、断定系へ。言葉を続けていくごとに濁っていた彼女らの目は暗く澄んでいき、その中に一つの感情が渦巻き始めた。それを見やって、わたしはにやりと笑った。さぁ、最後の仕上げです。
わたしは唇を開いて、その言葉を言い放った。
「―――――分からせてやらないと、イケナイ。」
途端、何かにはじかれたように、女生徒たちは目を見開いた。そしてわたしにくるりと背を向けると、校舎の方に向かって歩いていった。その目に暗い嫉妬の光を宿らせながら。
「っ、は、ぁっ!」
わたしはそれを見届けた後、耐え切れなくなってその場に膝をついた。地面にまばらに生えた短い草が手の平をくすぐる。嫌な汗が頬を伝うのを感じ、どきどきと心臓がうるさく鳴り響いているのが聞こえてきた。ぐるぐると世界が回っているように感じる。たまらずわたしは髪が汚れるのも構わないで地面にじかに額をつくと、両腕で自分の体を抱きしめた。
理事長が手を回したおかげで、幸い今ここらには人がいない。自分の無様な姿が他人に見られることは無いので、そのまましばらくじっとしていると、動悸は少しずつ治まっていった。
わたしの持つ“覚の能力は、人の心を読むことがその全てではない。
もう一つの”覚”の力。それは、相手の感情を増長・誘導するというものだ。今回はこの力を使い、彼女らの感情を誘導させてもらった。主人公への不満や嫉妬の感情を明確にさせたのだ。
もちろんあくまで”誘導”でしかないので、本来対象が持たない感情を植えつけるようなことは出来ない。今回は彼女らに明確な主人公に対する敵対感情があったから可能だったのだ。これがもし生徒会の面々や彼女の親友・雪沢芽衣などでは成功することは無かっただろう。
感情の誘導。それは便利な能力ではあるが、いかんせん反動が大きい。相手の心に介入する、というのは即ち、その人物の感情や心の声の全てを一度こちらで受け止めるということだ。煩雑で複雑なそれを受け止めようとすると、精神が容量オーバーを起こしてしまう。
そしてその結果が、今のわたしの無様な状態だというわけです。
あの理事長さんはそれを知ってて命じてくるんですから、本当にたちが悪い。従ってしまうわたしもたちが悪いですけどね。
とにかくこれで仕事は終わりです、とわたしは納まりきらないめまいを感じながらも立ち上がる。そしてそのままその場を後にした。
: : :
「ふんふんふ~ん♪」
わたしは調子外れな鼻歌を歌いながらきりきりと調節用のねじを回した。次第にぼんやりとかすんでいた風景がはっきりとしていく。
「ふ、ふん♪」
きり、という小さい音と共に、わたしはねじを回す手を止めた。改めて手に持った双眼鏡を覗き込むと、きれいにピントのあったレンズに拡大された風景が映っている。そこに映る三人の女生徒を見やって、わたしはふふ、と小さく笑った。
「もうそろそろですかねー。」
わたしが能力を使ってから一週間近くが経過している。あの後主人公に対する負の感情が増長した少女達は、予想通りすぐに主人公に対する嫌がらせを始めてくれた。
ええ、それはもうネチネチと。
とりあえずは靴を隠す、体操服を隠す。あぁ、教科書に落書きをするなんてのもありましたねぇ、そういえば。『調子乗るなブス』『生徒会に近付くな』とかなんとか・・・。なんともひねりの無い。そもそも主人公はブスじゃありませんしね。
でもああいうのって、いざやられると結構まいってしまう。主人公みたいな性格の人間ならなおさらです。
けれど彼女は誰にも相談することなく、なんでもないことのようにこれまで振舞ってきました。健気ですよねー。ちなみに生徒会の皆さんは、一部主人公の異変に気付きつつも、彼女の意思を尊重して今の所口は出していないみたいです。まぁ時間の問題でしょうが。
とにかく、一向に変化の無い主人公に例の三人は痺れを切らしてしまったようですね。というわけで、彼女達は主人公をこの場に、すなわち一週間前にわたしが能力を使った場所に呼び出しました。これも予想通りのこと。わたしはそのワンシーンをいつもの定位置であるこの屋上で観察しようというわけです。
今覗き込んでいる双眼鏡に映っているのはいじめ主犯者の三人のみ。おそらくもうすぐ主人公が訪れるはずです。待ち構える女三人。まったく、怖い怖い。
「お、来ましたね!」
少しして、レンズに移ったのは不安そうに辺りをきょろきょろと見回す少女の姿。相変わらずの美少女っぷりです。ほんと、あの三人なんて足元にも及びません。いや、彼女達だってブサイクではないんですよ?ちょっと化粧濃いですけど。
『こんにちは、日比野さん?』
『随分と待たせてくれるじゃない。』
始まりました、とわたしは唇を歪めた。耳に取り付けたイヤホンから聞こえてくるのは女生徒たちの高い声。あらかじめ盗聴器を設置しておいたのですよ、彼女らの会話を拾うためにね。わたしって準備がいいでしょう?
当の現場のほうはというと、しばらく主人公に対して嫌味を吐いたあと、三人は本題に入っていた。主人公はすっかり萎縮しています、可哀そうに。
『アンタ生徒会に馴れ馴れし過ぎるんじゃないの?』
『ちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃないわよ。』
『迷惑考えろっつーの!』
腕を組んで主人公を睨みつける三人。こわーい。
そんな彼女らに、主人公は俯いたままふるふるとかすかに震えている。怯えているんでしょうか。
『どうして、あなたたちにそんなこと言われなきゃならないの。』
と、思っていたら違ったようです。主人公はそう言うとキッと三人の女生徒を睨み返した。その強い視線に三人が少したじろぐ。そんな彼女らに主人公はなおも言い募った。
『生徒会の皆は友だちだよ。皆わたしと仲良くしてくれる、すごくいい人たち。・・・・あなた達になんて言われようとも、何をされても!』
『・・・わたしは彼らと一緒にいたいの!!』
主人公は三人を強い目で見据えながら、はっきりとそう言いきった。
「麗しい友情・・・ってわけですか。そしてその感情は時が立つごとに別のものに変化していく・・・というわけですね。」
――――馬鹿馬鹿しい。
わたしは自分の顔がさぞかしブサイクに歪んでいることだろうと思いながらも、双眼鏡を覗き続けた。レンズの向こうでは、一瞬主人公に気おされた三人が、今は再び憎憎しげに主人公を睨みつけている。そして三人のうちの一人、どうやらリーダー格らしき女生徒が口を開いた。
『何をされても・・・ですって?』
「!?」
わたしは彼女が制服のポケットから取り出したものに、目を見開いた。それ(・・)が日の光を反射してきらりと光る。
『せっかく忠告してあげたのに。・・・どうしても言うことを聞かないっていうなら、少し痛い目を見てもらうことになるわよ?』
少女が懐から取り出したのは、刃渡り五センチほどの小さな折りたたみ式ナイフだった。
「っ!・・・そこまでしますか!?」
前世で妹が見せてくれたゲームのシナリオ内でも、主人公がいじめを受けるイベントはあった。理由は同じく生徒会と仲良くする主人公に嫉妬して、というものだった。もっともゲームのなかではこのイベントは夏休み前、入学式に次ぐ学校行事イベントが終わったあとに起こるものであり、五月の今、時期的にはずれている。それにゲーム内では今と同じように体育館裏に呼び出された末、口論になるというだけのものだ。だから今回もここまで大事になるとは思っていなかった。
時期がずれてしまったためか、それともわたしが介入してしまったせいか・・・。わたしは青褪める主人公をレンズ越しに見ながら、舌打ちをした。主人公がどうなろうと知ったことではないが、こうなるように誘導したのが自分である以上、彼女が怪我でもすればさすがに多少の気分の悪さを感じずにはいられないだろう。
『ひっ・・・。』
『大丈夫よ。あなたがもう生徒会に近付かないっていう約束さえしてくれればいいんだから。』
けれども問題は無いでしょう、とナイフを持って近付いてくる女子生徒におびえて後ずさる主人公を見ながらわたしは冷静になった。結局のところ、主人公は彼女なのだから。そう、それ以外の誰でもなく。
直に、お姫様を助けるために、オウジサマがやってくる。
『貴様ら、何をしている。』
イヤホンから聞こえてきた低く良く通る美しい声に、わたしはぞくりと全身が総毛立つのを感じた。予想通り主人公に助けが来た。予想通りなのだ。・・・けれども、予想通りではなかった。
「どうして、お前がここに来る・・・っ!」
わたしは恐怖でも好意でもなく、ただただ嫌悪感であわ立つ体を押さえつけながら、ぎりりと歯をかみ締めた。
『貴様らがやっているのは犯罪行為だ。・・・どうなるか、分かっているんだろうな。』
『うそっ!どうしてあなたがここに・・・!?』
怒りをはらんだ声を出すその人物に、三人の女生徒は悲鳴のような声を上げた。
『副会長!!』
「鴉間、景司っ・・・・!」
わたしは彼女ら三人とは対称的に、搾り出すようにその男子生徒の名を口にした。
そうこうしているうちにも物語は進み続ける。
後日生徒指導室に呼び出し処分を下すといった旨を通達した後、鴉間景司は女生徒三人をその場から追い払った。そして主人公に近付いてゆく。
『まったく、お前は何をしているんだ。』
『鴉間先輩・・・。』
『一人でのこのことやって来るとはな。俺が来なかったらどうするつもりだったんだ。』
呆れを含んだ鴉間景司の言葉に、主人公はしょんぼりと俯いた。けれどもその肩はかすかに震えている。想像して、恐ろしくなったのだろうか。
『・・・・っ。先輩、わたし・・・。』
『だが、』
何かを言おうとした主人公の言葉を鴉間景司が遮る。そのまま右手を徐々に上げていくと、そっとうつむく主人公の左の頬に触れた。そして反対の手で主人公の腰を自分の方に引き寄せる。
『歩、お前が無事でよかった。』
お互いに目を合わせながら紡がれた鴉間景司の言葉。そして主人公に向けられたその表情に、わたしは耳につけてあったイヤホンを引きはずすと、片足で思い切り踏みつけて屋上を後にした。
: : :
「というわけです。」
「そうか。」
ただ今理事長さんに今日の出来事を報告中です。やれやれ、今回は本当に最悪でしたよ。能力を使わされた挙句、あの男を見るはめになったんですからね。
いつものように理事長が座るデスクの正面に立つのではなく、横側にもたれかかって体育座りをしながら報告したわたしに、理事長は言葉少なくただその一言で終わらせた。
本来、呼び出された主人公を助けに現れるのはあの男の役目ではなかった。これがゲームと現実の差異。初めてそれを突きつけられた気がした。
ゲームの中では、それをするのは生徒会長、例の”吸血鬼”の妖混じりである彼のはずだったのだ。けれどもなぜか、今回主人公を助けたのは鴉間景司だった。
癖のない艶やかな黒い髪と、力を解放したときには漆黒に変わるブラウンの瞳を思いだす。その容姿は乙女ゲーの攻略キャラクターに相応しい、麗しいものだ。
鴉間景司。一文字違いの同じ苗字を持つ、わたしがこの世で最も嫌いな男。
知らず知らずのうちに、また歯をかみ締めていたことに気付いた。
かたん、と音を立てて、ふいに理事長が立ち上がった。どこかに出かけるのだろうか。けれどもそれをわざわざきくのもなんだか億劫で、わたしはそのまま腕の中に顔をうずめていた。そうしていると、ふと、ぽんと頭の上に何かが乗せられたのを感じた。わたしは頭の上に手をやって、その何かを手に取る。
それが何かが確認できて、わたしはすぐ傍に立つ理事長を見上げた。怪訝そうにしていたのに気付いたのだろうか、理事長が口を開く。
「ご苦労だった。褒美だ。」
その顔に表情は無かったけど、冷たさのようなものは感じられなくて。わたしはその場に座ったまま、部屋を出て行く理事長の後姿を見送った。
握り締めた手の中には、包装された飴玉がひとつ、その存在を主張していた。
というわけで、前回の「敵キャラの手先をやってます」の続編、「そろそろ妨害始めます」でした!読んでくださった皆さん、ありがとうございました!いかがでしたでしょうか?理事長さんが秋にあげたアメの味は、皆さんのご想像にお任せします。
またまだ続きそうな感じで終わらせてしまいました。
近いうちに更新を再開させたいと考えています。
さてさて、真面目な話はこの辺で。以下キャラクター紹介。
猫山海梨・・・生徒会会計。高校一年生(飛び級)で”猫又”の妖混じり。赤茶の髪に琥珀色の目。年下子悪魔系キャラな攻略対象B。
鎌倉勇介・・・生徒会庶務。高校一年生で”鎌鼬”の妖混じり。深緑の髪に同色の目。主人公の幼馴染。同級生タイプの攻略対象C。
獏野椋・・・生徒会書記。高校二年生で”獏”の妖混じり。青い髪に水色の目。眼鏡男子。敬語キャラな攻略対象D。
鴉間景司・・・生徒会副会長。高校二年生で”鴉天狗”の妖混じり。黒い髪にブラウンの目。俺様キャラな攻略対象E。『妖校記』内では一番人気のキャラだった。鴉間と烏間。彼と主人公との関係は?