第8話 覚醒のバフ
意識が、浮上する。
泥の中に沈んでいた体が、温かい光に引き上げられるような感覚。
「……ん……」
目を開けると、そこは金色の光の中だった。
いいえ、違う。
光っているのは、私を抱きしめている人の体だ。
「気がついたか、サラ」
頭上から降ってくる声。
ルシアン様だ。
私は彼に横抱きにされたまま、宙に浮いていた。
物理的に。
重力操作魔法だろうか。私たちは戦場となった森の上空数メートルに滞空していた。
「ルシアン、様……? 私、生きて……」
「ああ。君が僕を生かしたんだ。だから、僕も君を生かす」
彼の言葉と共に、私の体内に力が流れ込んでくる。
魔力のパス(回路)がまだ繋がっているのだ。
ただし、さっきとは逆。
彼の中で増幅された魔力が、私へと還流している。
枯れた泉に水が満ちるように、手足の感覚が戻ってきた。
私は恐る恐る下を見た。
地獄絵図だった森は、一変していた。
「……嘘」
黒狼が消滅したクレーターを中心に、群がっていた数百の魔獣たちが消えていた。
逃げたのではない。
灰になっている。
生き残った数匹が森の奥へ逃げようとしているのが見えた。
ルシアン様が、私を抱いていないほうの手を軽く振る。
「逃がすか」
パチン。
指を鳴らす音。
次の瞬間、逃走していた魔獣の周囲の空間がねじれ、真空の刃となって彼らを切り刻んだ。
悲鳴すら上がらない。
一瞬で塵へと変わる。
強すぎる。
原作の彼は「最強」と謳われつつも、常に魔力不足で苦戦していた。
けれど、今の彼は真の意味での「最強」だ。
私のバフでリミッターが外れ、無限の魔力供給を得た魔法使い。
まさに、歩く戦略兵器。
「団長ぉぉぉぉ!!」
「すげぇ! なんだあれ、神か!?」
地上では、第三寮の仲間たちが涙を流して手を振っている。
彼らも無事だったようだ。
ルシアン様はふわりと地上へ降り立った。
「全員、無事だな」
「は、はい! 団長こそ、そのお姿は……!」
部下の一人が言いかけて、口をパクパクさせた。
その視線が、ルシアン様ではなく、私に固定される。
「……誰だ、その超絶美女?」
「えっ」
私は自分の顔に手をやった。
眼鏡がない。
髪を触る。
サラサラとした感触。
変装魔法特有のゴワゴワ感がない。
(しまった!)
魔力切れで変装が解けたのだ。
焦げ茶色の髪は本来のプラチナブロンドに。
そばかすを描いていた化粧も落ち、魔力循環が良くなった肌は白磁のように輝いているはずだ。
「あ、あの、これは……!」
私が慌てて顔を隠そうとすると、ルシアン様が強い力で私を抱き寄せた。
隠すどころか、見せつけるように。
「僕の命の恩人だ。……それ以上、詮索するな」
低い声で牽制する。
部下たちは「は、はい!」と直立不動になったが、その目は「団長が女連れ込んでた!」という驚きと好奇心でキラキラしている。
後で質問攻めにされる未来が見える。
その時だった。
カツカツカツ。
森の入り口から、場違いなほど軽やかな蹄の音が響いた。
豪華な装飾が施された馬車。
王家の紋章。
護衛の騎士たちを引き連れて現れたのは、カイル王子とニーナだった。
「……遅い到着だな」
ルシアン様が冷ややかに呟く。
魔獣が全滅し、安全が確保されたのを確認してからノコノコとやってきたのだ。
卑怯にも程がある。
馬車が止まり、カイル王子が降りてきた。
白いマントをなびかせ、いかにも「私が指揮しました」という顔をしている。
「よくやったぞ、魔導師たちよ!」
王子は荒れ果てた戦場を見渡し、満足げに頷いた。
「我が聖女ニーナの祈りが通じたようだな。魔獣どもが弱体化していたおかげで、勝利できたのだろう?」
「は?」
第三寮のメンバー全員の声が重なった。
何を言っているんだ、この男は。
魔獣は弱体化どころか、過去最強クラスに暴れていた。
それを止めたのはルシアン様と、私のバフだ。
ニーナが王子の後ろから顔を出す。
彼女もまた、不満げに鼻を鳴らした。
「そうよ。私が遠隔で『光の浄化』を送っていたの。感謝してほしいわ」
嘘だ。
彼女の魔力波長なんて、ここには1ミリも届いていなかった。
全部、自分の手柄にする気だ。
「……用件はそれだけですか」
ルシアン様が静かに問う。
敬語を使っているが、その声には隠しきれない侮蔑が混じっている。
「報告書なら後で提出します。今は負傷者の手当てと、消耗した人員の休息が必要です。お引き取りを」
「待て」
カイル王子の目が、ルシアン様の腕の中にいる私に留まった。
「その女はなんだ?」
王子が眉をひそめる。
月明かりの下、私の銀髪が煌めいたのだろう。
彼は数歩近づき、まじまじと私を見て――息を呑んだ。
「……サラ?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が凍りついた。
バレた。
「サラ・フォン・アルディか!? 追放されたはずの貴様が、なぜここにいる!」
王子の叫び声に、ニーナも目を丸くした。
「お姉様!? 嘘、なんでそんなに綺麗……じゃなくて、汚い格好で!」
ニーナが地団駄を踏む。
私のドレス(寮母服)は泥だらけだが、彼女が反応したのはそこじゃない。
私の容姿だ。
聖女として着飾っている自分より、泥まみれの姉のほうが圧倒的に輝いて見えたのだろう。
劣等感の塊め。
「貴様、まさか魔獣を手引きしたのは貴様か!」
カイル王子がトンデモ理論を展開し始めた。
「追放された恨みで、魔獣を操って国を滅ぼそうとしたな! そうでなければ、魔導師団しかいないこの場にいるはずがない!」
「ち、違います! 私はただ……」
「黙れ魔女め! 騎士たちよ、その女を捕らえろ! 処刑だ!」
王子が騎士たちに命令する。
騎士たちは躊躇ったが、王族の命令には逆らえず、剣を抜いてジリジリと包囲を狭めてきた。
怖い。
処刑。
その言葉が重くのしかかる。
やっぱり、悪役令嬢の運命からは逃げられないの?
私はルシアン様の服をギュッと握りしめた。
「……離してください、ルシアン様」
私は震える声で告げた。
彼を巻き込むわけにはいかない。
「私が囮になります。その隙に、貴方は皆を連れて……」
「断る」
即答だった。
彼は私を離すどころか、さらに強く抱きしめた。
肋骨が軋むほどに。
「ルシアン! その女を渡せ! 王命であるぞ!」
カイル王子が喚く。
ルシアン様は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳を見た瞬間、王子が「ひっ」と悲鳴を上げて腰を抜かした。
そこにあったのは、殺意。
明確で、純粋で、絶対的な殺意だった。
「王命?」
ルシアン様が鼻で笑った。
周囲の大気がビリビリと震える。
魔力が溢れ出し、金色の稲妻となって彼の周囲を駆け巡る。
「下らない。そんなもので、僕から彼女を奪えるとでも?」
「き、貴様、反逆する気か!?」
「反逆? いいえ」
ルシアン様は一歩、前に踏み出した。
それだけで、騎士たちが突風に煽られたように吹き飛んだ。
「これは『通告』ですよ、殿下」
彼は私を守るように立ちはだかり、国そのものを敵に回すような傲岸不遜さで告げた。
「彼女は僕の心臓だ。……指一本でも触れてみろ。この国ごと消し炭にしてやる」
冗談には聞こえなかった。
今の彼には、それができる力がある。
そして、それを実行するだけの「動機」がある。
(ああ、どうしよう)
国を守る英雄が、魔王みたいな台詞を吐いている。
でも。
私の胸の奥が、熱く疼いた。
恐怖ではない。
歓喜だ。
世界中が敵になっても、この人だけは私を守ってくれる。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
「さあ、失せろ」
ルシアン様が右手を振るう。
暴風が巻き起こり、カイル王子とニーナを馬車ごと彼方へ吹き飛ばした。
物理的な「退場」だ。
「……さて」
嵐が去った後、ルシアン様は私を見下ろして、ふわりと微笑んだ。
さっきの魔王顔が嘘のような、甘く優しい笑顔。
「邪魔者は消えた。……寮へ帰ろうか、サラ」
「……はい」
私は彼の首に腕を回した。
もう、離れない。
正体もバレた。
国にも喧嘩を売った。
もう怖いものなんて何もない。
最強の魔導師様に抱かれて、私は戦場を後にした。
これから始まる「ざまぁ」と、そして甘い「お説教」の予感に、少しだけドキドキしながら。




