第7話 魔導師団の危機
肺が焼けるように熱い。
心臓が早鐘を打っている。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
私は王都から北へ続く街道を、疾風のごとく駆けていた。
本来なら馬車で一時間かかる距離だ。
だが、今の私は人間の限界を超えている。
【身体強化・脚力】
【肺活量増大】
【疲労感覚遮断】
自分自身にバフを重ねがけし、無理やり体を動かしているのだ。
景色が線になって後ろへ流れていく。
足の裏が痺れているが、止まるわけにはいかない。
空が、赤く染まっていた。
夕焼けではない。
森が燃えているのだ。
「ルシアン……ッ!」
名前を呼ぶ。
風にかき消される。
北の森の入り口が見えてきた。
そこは、地獄だった。
◇
森の木々はなぎ倒され、黒い煙が立ち上っている。
腐った肉のような異臭と、焦げ付いた臭いが鼻をつく。
そして、耳をつんざくような魔獣の咆哮。
「うわああああ!」
「下がれ! 陣形を崩すな!」
怒号が聞こえる。
第三寮の魔導師たちだ。
彼らは森の入り口付近で、必死に防衛線を張っていた。
オーク、ゴブリン、巨大な蜘蛛。
視界を埋め尽くすほどの魔獣の群れが、彼らに襲いかかっている。
普段なら数人で対処できる相手でも、これだけの数がいれば脅威だ。
「くそっ、キリがない!」
「団長は!? 団長はどうなった!」
「奥で『黒狼』を抑えている! 俺たちがここを抜かれたら、後ろの村が終わるぞ!」
彼らはボロボロだった。
私のスープで培った体力も、度重なる魔法行使で限界に近い。
それでも彼らが倒れないのは、ルシアン様が最前線でボスを引き受けているからだ。
私は彼らの横をすり抜けた。
「お、おい!? 民間人が入るな!」
「死ぬぞ!」
制止の声など聞こえない。
私は森の奥へ。
最も魔力が激しく衝突している爆心地へと走った。
◇
広場のような開けた場所に出た。
そこだけ、時間が止まったように静かだった。
いや、あまりに強大な力のぶつかり合いが、音を置き去りにしているのだ。
いた。
広場の中央。
黒いローブを纏った背中。
ルシアン・クロード。
彼はたった一人で立っていた。
その周囲には、無数の氷柱と暴風が渦巻いている。
対するは、家一軒ほどもある巨大な漆黒の狼。
「深淵の黒狼」。
Sランク指定の災害級魔獣だ。
その口からは、青白い魔力の炎が漏れ出している。
「ガアアアアアッ!」
黒狼が咆哮と共に飛びかかった。
速い。
目にも止まらぬ速さだ。
「――《氷壁》」
ルシアン様の声は冷静だった。
瞬時に巨大な氷の壁が出現し、狼の爪を受け止める。
凄まじい衝撃音が響き、氷の破片がダイヤモンドダストのように舞い散った。
防いだ。
けれど、私は見てしまった。
魔法を発動した瞬間、ルシアン様がガクリと膝を折ったのを。
「ごふっ……」
彼が口元を押さえる。
指の間から、鮮血が溢れ出していた。
そして、彼の白い首筋を、どす黒い植物の蔦のようなアザが這い上がっていく。
魔力欠乏症の末期症状。
「魔毒の侵食」だ。
(ダメ……!)
私の足がもつれそうになる。
原作小説の描写そのままだ。
『彼は血を吐きながらも魔法を紡ぎ続けた。その命が尽きるまで』
ルシアン様は、ふらりと立ち上がった。
足元がおぼつかない。
杖を持つ手が激しく震えている。
「まだだ……まだ、倒れるわけには……」
彼の声は掠れていた。
魔力はもう空っぽのはずだ。
それなのに、彼は自分の生命力を魔力に変換して、無理やり絞り出している。
「サラが……待っているんだ……」
風に乗って、その呟きが聞こえた。
心臓を鷲掴みにされた気がした。
彼は、帰ろうとしている。
私のいる寮へ。
あの温かいスープの待つ場所へ。
その執念だけで立っている。
黒狼が、弱った獲物を見逃すはずがない。
嘲笑うように口元を歪め、身を沈めた。
必殺の飛びかかりの構え。
氷の壁はもうない。
ルシアン様に、避ける力は残っていない。
「ルシアンッ!!」
私は叫んだ。
喉が裂けてもいい。
【身体強化・最大出力】!
私は地面を蹴った。
土が爆ぜる。
人生で一番速く。
光よりも速く。
黒狼が跳んだ。
鋭い爪が、ルシアン様の喉元へと迫る。
彼は虚ろな目でそれを見上げ、諦めたように目を閉じ――かけなかった。
私が、その視界に割り込んだからだ。
「――え?」
ルシアン様の呆然とした声。
私は彼の正面に滑り込み、黒狼に背を向けた。
盾になるつもりはない。
私の貧弱な体では、爪の一撃でミンチになって終わりだ。
だから、やるべきことは一つ。
私はルシアン様の胸倉を掴み、彼を引き寄せた。
抱きしめるのではない。
激突する勢いで、私の額を彼の額に叩きつけた。
「死ぬなァァァァァッ!!」
接触完了。
パスがつながる。
私の体内にある全魔力を、彼に注ぎ込む。
ちまちました「回復」じゃない。
出し惜しみなしの、全力投球。
発動、【全能力超絶強化】!
『魔力回復速度・無限』
『身体再生速度・神速』
『魔法威力・限界突破』
『全ステータス・倍加』
私の中身が空っぽになる感覚。
魂ごと持っていかれるような脱力感。
でも、構わない。
ドクンッ!!
ルシアン様の心臓が、大きく跳ねる音が聞こえた。
「……!?」
彼のアイスブルーの瞳が、カッ! と見開かれる。
瞳孔の奥で、金色の光が爆発した。
黒狼の爪が、私の背中に触れる直前。
「――触れるな」
ルシアン様の低い声が響いた。
それは声というより、空間そのものを震わせる「命令」だった。
ドォォォォォンッ!!
私の背後で、衝撃波が弾けた。
黒狼の巨大な体が、見えない壁に弾き飛ばされ、森の木々をへし折りながら吹き飛んでいく。
「……サラ?」
ルシアン様が、目の前の私を見つめている。
彼の首筋を覆っていた黒いアザが、金色の光に浄化され、見る見るうちに消えていく。
蒼白だった肌に、紅潮が戻る。
痩せこけていた体に、力が漲る。
私のバフは「治癒」ではない。
けれど、対象の生命力が極限まで高まれば、傷なんて一瞬で塞がるのだ。
魔力欠乏?
そんなもの、自己生成速度を1000倍にすれば解決だ。
「……無茶を、しますね」
私はへらりと笑おうとして、力が抜けた。
魔力を使い果たした反動だ。
視界が暗転しかける。
崩れ落ちそうになった私を、ルシアン様の腕がしっかりと抱き止めた。
「君は……」
彼の声が震えている。
状況は理解できていないかもしれない。
なぜ私がここにいるのか。
なぜ変装をしていないのか。
なぜこんな規格外の力が使えるのか。
でも、彼の手は私を離さなかった。
強く、痛いほどに抱きしめられる。
彼の体温が、私の冷え切った体に伝わってくる。
「……後で、たっぷりと説明してもらう」
「はい……覚悟して、ます」
彼は私を片腕で抱えたまま、ゆっくりと黒狼の方へ向き直った。
吹き飛ばされた黒狼が、怒り狂って起き上がる。
全身から黒い炎を噴き上げ、殺気を撒き散らしている。
恐ろしい怪物だ。
さっきまでなら、絶望の象徴だった。
でも、今のルシアン様は微動だにしない。
私を抱えていない方の手、右手をゆらりと掲げる。
その指先に集束するのは、見たこともないほど高密度の魔力。
青ではない。
私のバフを受けて、金色に輝く王威の光。
「よくも、僕のサラに牙を剥こうとしたな」
声の温度が氷点下を突き抜けている。
激怒だ。
この人、いま最高にキレている。
「消えろ。《天雷》」
彼が指を弾いた。
瞬間、夜の森が真昼のように照らし出された。
空から極太の雷撃が、黒狼めがけて一直線に降り注ぐ。
回避不可能な神の鉄槌。
轟音と共に、Sランク魔獣が断末魔すら上げられずに光の中に消えていく。
私は薄れゆく意識の中で、その圧倒的な光景を目に焼き付けた。
ああ、やっぱり。
私の推しは、世界で一番かっこいい。
◇
「……サラ! サラ!」
必死に呼ぶ声が聞こえる。
大丈夫、死んでないですよ。
ただの魔力切れ(バッテリー切れ)です。
私はルシアン様の胸の中で、安心して意識を手放した。
泥のような味がしない、温かい安らぎの中へ。




