第2話 推しの寮母になりました
翌朝。
私は王都の北外れにある「王宮魔導師団・第三寮」の前に立っていた。
「……なるほど」
目の前の光景に、思わず独り言が漏れる。
石造りの古城はツタに覆われ、あちこちの窓ガラスがひび割れている。
全体的にどす黒いオーラが漂っており、どう見てもお化け屋敷だ。
カラスが「アホー」と鳴いて飛び去った。
これが、国の守護者たちが住む場所?
いや、知っていたけれど。
原作の描写通りだけれど。
「現実は小説より奇なり、というか……汚い」
私は気を取り直して、重厚な扉をノックした。
反応がない。
もう一度、強く叩く。
「あのー! 求人を見て来た者ですがー!」
ギギギ、と不吉な音を立てて扉が少し開いた。
隙間から、土気色の顔をした男性がヌッと顔を出す。
目の下が真っ黒だ。
「……求人?」
「はい。寮母に応募したくて」
「採用」
「えっ」
「台所は奥。あとは頼んだ……ガクッ」
男性はそれだけ言うと、立ったまま気絶した。
嘘でしょう。
採用試験、所要時間三秒。
「あ、あの! 大丈夫ですか!?」
揺すってみるが反応がない。
呼吸はしている。ただの爆睡だ。
これが「墓場寮」の洗礼か。
私はとりあえず彼を玄関のベンチに寝かせ、建物の中へ足を踏み入れた。
◇
中はもっと酷かった。
廊下には書類の山、謎の実験器具、脱ぎ捨てられたローブが散乱している。
埃が雪のように積もっていた。
「やりがいしかありませんね……」
腕まくりをする。
掃除魔法をかけたいところだけど、まずは現状把握が先だ。
奥にあるという台所を目指して、薄暗い廊下を進む。
その時だった。
廊下の真ん中に、何か黒い塊が落ちているのを見つけた。
「?」
近づいて、息を呑む。
ゴミ袋ではない。
人だ。
黒い髪。
痩せこけた体躯。
ボロボロの魔導師のローブ。
床に這いつくばるように倒れているその姿は、まるで戦場から帰還した兵士のよう。
顔を覗き込み、心臓が跳ね上がった。
長い睫毛。
整いすぎて冷たさすら感じる造形。
間違いようがない。
ルシアン・クロードだ。
「ルシアン様!?」
悲鳴を噛み殺して駆け寄る。
脈を測る。
弱いけれど、打っている。
体は氷のように冷たい。
額には脂汗が滲み、うわごとのように何かを呟いている。
「……まだ、終わって……ない……書類……」
「寝てください! 書類より命です!」
私は彼の上半身を抱き起こした。
軽い。
成人男性とは思えない軽さだ。
原作の描写以上に、今の彼は限界を迎えている。
(どうする? 医者を呼ぶ?)
いいえ、間に合わない。
それに、これは病気じゃない。
魔力欠乏と栄養失調の併発だ。
体がエネルギーを求めて悲鳴を上げている。
「台所……台所はどこ!」
私は彼を引きずるようにして、近くの部屋――幸運にも食堂だった――へ運び込んだ。
彼を長椅子に寝かせる。
台所へ飛び込むと、そこは戦場跡のようだった。
洗い物が山積みだ。
冷蔵庫(魔道具式だが魔力が切れている)を開ける。
中身は空っぽ。
かろうじて、野菜クズを入れたカゴが床に放置されていた。
しなびた人参の皮、大根の葉、少し傷んだジャガイモ。
「これしかないの……!?」
贅沢は言っていられない。
私は鍋を引っ張り出し、水瓶の水を注ぐ。
コンロの魔石に自分の魔力を流し込み、火をつける。
野菜クズを細かく刻む。
本来なら捨ててしまう部分だけど、今は貴重な栄養源だ。
煮込みながら、私は両手を鍋にかざした。
集中する。
イメージするのは、乾いた大地に染み渡る水。
萎れた花を蘇らせる太陽。
「美味しくなーれ、元気になーれ……なんて、可愛くないですね」
詠唱破棄。
魔力を練り上げる。
発動、【状態付与】。
付与するのは三つ。
『滋養強壮』。
『疲労回復』。
そして隠し味に『内臓負担軽減』。
鍋の中身が淡い光を帯びる。
ただの野菜スープが、黄金色に輝くポーションへと変わっていく。
匂いだけで疲れが飛びそうな、濃厚な香りが立ち上った。
「よし」
器によそい、ルシアンのもとへ急ぐ。
彼はまだ荒い呼吸を繰り返していた。
シャツの隙間から、どす黒いアザのようなものが見える。
魔力欠乏症の兆候だ。
痛いはずだ。
全身を焼かれるような痛みが、彼を苛んでいるはずなのに。
「……ん……」
匂いに反応したのか、彼が薄く目を開けた。
焦点が合っていない。
アイスブルーの瞳が、ぼんやりと私を映す。
「……天使……か……?」
「いいえ、ただの寮母です。さあ、口を開けて」
私はスプーンでスープをすくい、彼の乾いた唇へと運んだ。
彼は警戒するように一度視線を逸らしたが、本能には抗えなかったようだ。
震える口が開く。
一口。
ごくり、と喉が鳴る。
その瞬間、ルシアンの目が大きく見開かれた。
「……!」
二口、三口。
私が運ぶのを待てず、彼は震える手で私の手首を掴み、器ごと口に寄せた。
勢いよく飲み干していく。
「あ……」
飲み終わると同時に、彼の体から力が抜けた。
長椅子に背中を預け、深い、深い溜息をつく。
顔色が、見る見るうちに良くなっていく。
先ほどまで見えていた首筋の黒いアザが、薄く引いていくのが見えた。
「……温かい」
ルシアンが呟く。
その瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「泥のような味がしない……痛くない……」
私の胸が締め付けられる。
今まで、どんな生活をしてきたの。
国一番の英雄が、温かい食事すら摂れずに泥のような扱いを受けていたなんて。
「おかわり、ありますよ」
私が鍋を指差すと、彼はハッとしたように我に返った。
涙を袖で乱暴に拭い、私を睨む。
いや、睨んでいるつもりなのだろうけれど、今の彼には子猫ほどの威嚇力もない。
「……君は、誰だ」
「今日から寮母として雇われたサラです」
「寮母……? こんな呪われた場所に、自ら?」
彼は怪しむように目を細める。
当然だ。
今の私は怪しい眼鏡女。
でも、私は笑顔で答えた。
「はい。お給料が出るなら、どこでだって働きます」
(それに、貴方がここにいますから)
本音は飲み込む。
ルシアンは呆れたように息を吐き、それから空になった器を悲しげに見つめた。
「……美味かった。礼を言う」
「お粗末様でした」
「だが、帰ったほうがいい。ここは君のような一般人がいていい場所じゃ……」
ぐぅ〜。
シリアスな台詞を遮って、ルシアンのお腹が盛大に鳴った。
彼は顔を真っ赤にして黙り込む。
耳まで赤い。
可愛い。
「帰るのは、お腹いっぱいになってからでも遅くないですよね?」
私は鍋を持ってきた。
ルシアンが、すがるような目で鍋を見ている。
プライドと食欲の間で揺れ動く推し。
ああ、前世の私に教えてあげたい。
画面の向こうの彼は、こんなに人間臭くて、愛おしい生き物だと。
「さあ、第二ラウンドです」
私が器によそうと、彼はもう抵抗しなかった。
スプーンを持つ手が、まだ少し震えている。
私は自然と、彼の手を支えていた。
このぬくもりが、彼を救う最初の魔法になることを祈って。




