何もないウルペス山から都会へ
コメディです。
あたしはハジィ
二十一歳。
夫のアルファがこんなことをいいだしたの。
「ハジィ、なぜ都会の男の人は女性のパンツを見たいと思う? パンツを見たって、幸せになれないのにさ」
何を言ってるのかわからず、返事に戸惑ってしまったわ。
「ど、どうしてなの?」
アルファは悟ったような顔でこういう。
「都会の人たちは、幸せを知らないからパンツを見るんだよ。僕たちで牛の乳を見せるぬくぬくパークを始めて、みんなを幸せにしてあげようよ。きっと喜ぶよ!」
結局、何を言ってるのかよくわからないまま、20乳と書いてトゥエンティミルキーと読む、乳搾りぬくぬくパークが今日、開店しちゃった。
店構えはギンギンギラギラライトが回る、ぬくぬくパークそのものだけど、三頭の牛と一人の乳を搾る女性しかいないの。
なのに、看板の20乳のおかげで、お客が入って来てくれる。
どうなっちゃうんだろ。
* * *
四ヶ月前のウルペス山。
標高千メートル付近は、一面に牧草が広がり、風が吹くともみの木がざわめく、大自然しかない、まるで童話の世界のようなところ。
この高地に住むおじいさんに、母親が幼いハジィを預けたため、何もない山でおじいさんと一緒に暮らしていました。
勉強は、おじいさんに教えてもらっています。
山の大自然と、近くに住む勉強が大嫌いな羊飼い、アルファだけが友達です。彼は算数が苦手で、教えてくれるお母さんから逃げ回っていました。
ハジィの唯一の楽しみは、アルファと羊たちと一緒に、ウルペス山に登ることです。
草原を駆け回ったり、岩場を登ったり、遊び場には困りません。
ハジィは、シュネーと名付けた子羊を特にかわいがっていました。もふもふで、抱きしめると幸せな気持ちになるのです。
彼女が二十一歳になった頃、おじいさんは亡くなりました。
変わり者だったおじいさんの葬式に来てくれたのは、たったの五人という寂しいものです。
四人は黒い服を着ていますが、羊飼いのアルファは、薄汚れた長袖と長ズボンの仕事着です。でも、彼は気にはしません。
人のいないところで育ったマイペースなアルファには、冠婚葬祭のようなTPOの観念はありません。仮にTPOという言葉を耳にすれば、どんな食べ物か聞いて来るでしょう。
ハジィも、服は3枚しかなく、赤と紺のワンピースと寝まきだけです。その日は葬式なので、紺色のワンピースを着ています。
ハジィはアルファに呟くように言いました。
「アルファ、一人になっちゃったよ」
いつも元気なアルファは、キラキラした明るい笑顔で励ました。
「何を言ってるのさ」
アルファは葬式なんて気にしません。棺桶を前に彼女にプロポーズをしました。
「僕がいるじゃないか。結婚しよう」
今ここで!とハジィはさすがに思いましたが、勝手に涙が流れ、元気よくうなずきました。
「うん!」
棺桶をバックに抱き合う二人は人目なんか気にしません。
こうして結婚した二人は、山の麓の小さな村で、水のシャワー、くみ取り式トイレのオンボロ賃貸の家で暮らし始めました。
ハジィは、牛やヤギの乳搾りと、おじいさんの家の後始末で忙しい毎日を送っています。
アルファは、羊飼いの仕事をしていますが、時代の波に押されて、だんだん減っていく羊の数に危機感を覚えているようです。
フォークの音がカチャっと響く夕食時のこと。二人でじゃがいもを食べながら、アルファは意を決したように言いました。
「ハジィ、とうとう羊が二頭になっちゃったよ」
ハジィもじゃがいもをつつきながら暗い声で返事をします。
「そうね、乳搾りのバイトもいつ辞めさせられるかわからないわ」
ガタンという椅子の音とともに、アルファは立ち上がり、キラキラした顔で元気よくこう言いました。
「都会に出ようよ。ケリリを頼っていけばなんとかなるさ」
ハジィも少し明るい笑顔になりました。
「あたし、手紙を送ってみる!」
アルファは遠くを見つめ、懐かしそうに思い出しました。
「ハジィ覚えてる?ケリリが山で立ったときは感動したよね。立ち上がっただけだけど、ずっと車椅子だったんだから凄いよ」
嬉しそうにハジィが答えます。
「あたしなんて、叫んじゃった。ケリリが立ったって。感動して泣いちゃったの覚えてるわ」
三週間後、ポストにケリリから手紙が届きました。
それを見つけたハジィは、急いで家に入り、アルファに手紙を見せてドキドキしながら封を開けていきます。
「アルファ、ケリリからの手紙が届いたわ。読んでみるね」
二人はテーブルの椅子に座り読み始めます。手紙にはこう書かれていました。
『父の会社が倒産しちゃったの。もうすぐこの家も出ていかなくちゃならないわ。俗にいうホームレスね。まともに歩けないから、ゴミを漁ることもできないわ。ごめんね、助けてあげられない』
手紙を読んだハジィは唖然として呟きました。
「あたしより悲惨だわ」
横で聞いているアルファの方を向いた。
「アルファ、人生って怖いものなのね。人がほとんどいない山で育ったから、あたしたちって世間のことを知らなすぎたのよ」
いつも元気なアルファは、どんなことがあっても落ち込みません。
「ハジィ、大丈夫だよ、都会だって、ヤギの乳搾りや羊飼いの仕事ぐらいあるさ!行ってみようよ!」
ハジィはうつむき、小さな声で言った。
「アルファ、あたしはケリリの家に住んでたことがあるけど、都会で乳搾りの仕事を見たことないわ」
アルファはキョトンとしました。首を傾げ不思議そうに返事をします。
「そうなの?」
少し考えると、アルファは突然元気な声で叫び、片腕を天に刺す勢いで振り上げました。
「やったー!ビジネスチャンス!乳搾りも羊飼いも都会にないなら、僕たちが始めれば、大儲けじゃないか!大金持ちになれるよ」
ハジィは、そうじゃないと思ったけれど、大好きなアルファの輝く笑顔を見たら、反対できません。ただこういうのが精一杯でした。
「そ、そうよね」
こうして、閉ざされた童話の世界から、ハジィとアルファは仕事を求めて都会へと向かう電車に乗りました。
がたんごとん、がたんごとん...
ウルペス山から都会まで、馬車と汽車で二日を要した。
もみの木も牧草もない、人だけがひしめく大都会。
二人は駅の人混みを抜け道路に出た。周りを見渡すと、駅周囲の建物はレンガ造で2階建てが中心だが、鉄筋コンクリートで作られた3階建ての新しい建物もある。
馬のいない馬車を、アルファがはしゃぐように指差した。
「ハジィ、馬車が勝手に走ってるよ」
「あれは、車って言うの。私も最初に見たときびっくりしちゃったわ」
「あれは、車って言うんだ。うるさいし、臭いにおいがするね」
「よく知らないけど、エンジンていうのが動かしてて、排気ガスって言うのを出すみたい」
「ハジィ、遠くまで瓦屋根が連なっているのが見えるよ。たくさんの人が住んでるんだね。みんなに挨拶するの大変だ」
「都会では、みんなに挨拶はしないものなのよ」
「そうなんだ。ハジィ、都会を見て回ろうよ」
二人はあてもなく歩き始めたが、ハジィは周りの視線が気になってしかたがない。
大人になったハジィは、おっとりした雰囲気で、優しさが滲み出るような、女優なんて比較にならない超絶美人に成長していた。
大きな目、軽くウエーブのかかった髪、大きい胸も相まって、アルファと歩いているにもかかわらず、男たちは立ち止まり振り返らずにはいられない。
隣を歩くアルファは、純粋な目、純朴で無垢な表情からわかる、誠実で穏やかな性格。細身だが、羊飼いで鍛えた体。ひと目で田舎から出てきたのがわかる作業服のような服装だ。
カップルの男が立ち止まり振り返ってハジィを見つめた。
バチン!
女性がビンタを食らわし、一人で足早に歩いていく。それでも男は彼女の後ろ姿から目が離せない。
ハジィはジロジロ見られてこう思ってた。
都会の人は綺麗な服を着ているわ。それに比べると、このダサいワンピース、笑われてるのかしら。恥ずかしい!
急に現実がハジィの頭に降り注いだ。
待って、それどころじゃないわ。今晩泊まるところがないのよ。
「アルファ、すぐに住むところを見つけないと」
「大丈夫さ、すぐに見つかるよ」
不動産屋が案内してくれたのは、都会では誰も住みたくないようなオンボロアパートだった。
「そのご予算であれば、これしかございません」
二人は外から二階建てアパートを見た。アルファが不動産屋に尋ねる。
「中を見せてもらってもいい?」
アパートの部屋の中に入ったアルファが、シャワーの蛇口を回して出てくる水に手をあてた。
「ハジィ、お湯が出るよ!」
「アルファ、トイレの水が流れるわ!」
「ウルペスの家と比べれば豪華だな。温かいお湯の出るシャワー、水の流れるトイレ。隙間風の入らない建物。言うことなしだね。僕たちここに決めるよ」
アルファとハジィは感動し、即決した。
「アルファ、次は仕事だね。すぐに見つかるといいね」
数日後、仕事を求めてアルファは歩いていた。だが、簡単には見つからない。
「羊飼いを山でしていたのですが、何か仕事はありませんか?」
と聞いてまわるが、アルファの身なりから、田舎者の雰囲気を見下したような、こんな言葉を毎日浴びせられる。
『無学なお前に何ができるんだ。帰って羊と遊んでろ』
いつも元気だったアルファが落ち込んで、パブに入り浸りになった。
「ゴールドをください」
黄金の液体がタップから注がれた。アルファは受け取り、泡ごと一気に飲む。
黄金の苦い炭酸を飲み続け、歪む意識の世界で、いつも同じ独り言を呟く。
「チャンスさえあれば、絶対に成功できる。僕は牛や山羊の乳搾りもできるし、山の動物だって、植物だって知ってる。なんだってできるんだ」
ハジィも、仕事を探して街中を歩いていた。気づくと人がまばらな場所に来ていた。夜になると多くの人で賑わう昼間のネオン街だ。
突然、派手な背広の男が話しかけてきた。
「仕事、探してるの?」
「はい...」
ハジィを見定めるように、彼女の周りを一周男が回った。
「昼間だけでもいいよ」
「昼間だけでいい...?」
こうして、ハジィの仕事が見つかった。
仕事内容は、お店の中で、いろいろな服に着替え、ポーズを取ったり、歌ったり踊ったりしながらミニスカートから、ちらりと、パンツの上に履く見せ用のパンツを見せること。
変わった仕事だわ。都会にはいろいろな仕事があるのね。
都会に慣れてきたハジィは、こう思うようになっていた。
偽物パンツをチラッと見せるだけでお金がもらえるなんて、乳搾りみたいな職業になんて戻れないわ。
ハジィは店長から聞いてしまった。自分の働いているところがぬくぬくパークという種類の職業だと。
ぬくぬくパーク?お客さんたちの反応や言葉から、イメージはなんとなくできるけど、良くはわからないわ。
このことをアルファに打ち明けることにした。 ハジィは夕食を食べながら、話し始める。
「あたしの仕事ね、魔法少女っていう服や、戦闘服っていうのに着替えて、歌ったり踊ったりしながら、見せパンていうパンツをチラチラ見せることなんだ。コスプレスケベっていう仕事らしいの。でね、ぬくぬくパークって言う職種なんだって。アルファはぬくぬくパークの意味わかる?」
何事もなかったかのように、アルファは普通に答えた。
「わからないよ。山じゃ聞いたことないし」
次の瞬間、アルファがバネのように立ち上がった。椅子が倒れて壁まで滑っていく。
「ハジィ、ビジネスチャンスだよ!」
「え?」
「乳を見せながら、乳搾りだよ! 乳は多い方がいいんだ。牛と乳搾りの女の子を雇って、全部で八個だよ! 都会の人たちはきっと喜ぶはずさ!」
ハジィが心で叫ぶ。
待って、待ってよアルファ!何を言ってるの?
訳がわからないよ。
計算だって間違ってる。
牛の乳が四つで人間はニつ。合計六つよ。
まさか…数えられない...そんなわけないわ! だってアルファは、羊飼いよ!
そう思って、不安を打ち消した。
アルファが唖然としているハジィに近づいて、肩に優しく手を置く。
「ハジィ、考えてもごらんよ。乳の数が多いってことは、ミルクがいっぱい取れるってことだよ。ミルクがいっぱい取れるってことは、みんなを幸せにできるんだ」
「アルファ、意味がわかんないよ」
「ハジィは、なぜ都会の人がパンツを見ると思う? パンツを見たって、幸せになれないのにさ」
「どうしてなの?」
自信満々に、アルファが答える。
「都会の人たちは、幸せを知らないからパンツを見るんだよ。僕たちで牛の乳を見せるぬくぬくパークを始めて、みんなを幸せにしてあげようよ。きっと喜ぶよ!」
逃げちゃだめ。わからないからって逃げちゃだめよ。
「そ、そうよね……」
あたし…逃げちゃった。
「パンツよりも乳搾りさ。きっと都会の人たちは気に入ってくれるよ! みんなが来てくれたら、お金が入ってくる。お金が貯まると強くなれるんだ!」
アルファが両手を広げ、空を見上げる。
「たくさんの乳は最強なのさ!」
最強の乳ってなに?アルファはすごくいい人。でも、ビジネスセンスは壊滅的だわ。
でも、あんなに幸せそうなアルファを傷つけることなんてできない…。
それでも、確認だけはしておかないと。
「ねぇアルファ、ぬくぬくパークの意味はわかってるよね……?」
目一杯のキラキラ笑顔で、アルファが答えた。
「そんなの知らなくたって、たくさんの乳があれば、みーんな幸せになれるよ」
――ああ、この人には、そういう概念が存在しないんだ。




