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【第2章準備中】呪いのせいで「女嫌い」と呼ばれる黒獅子殿下は、呪い集めの令嬢と共に解決方法を探す  作者: 杵島 灯
第1章

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8.黒獅子殿下の普通の日常

 翌日、フィンは少し早めに身支度を整えた。今日は午後から政治の場に顔も出す。限られた時間の中でやるべきことを考えなくてはいけない。

 まずは愛馬を駆ってひと汗流したあと、訓練場へ足を踏み入れる。


 帰還してから七日経つとさすがに誰もがフィンの姿には慣れてきたようだ。それでもやはり騎士たちから賞賛の声は絶えない。


「さすがは黒獅子殿下。一撃が重いですね」

「辺境ではどのような訓練をなさっておられたのか、ぜひ教えてください!」


 辺境での訓練か、と胸の中で呟いて、フィンは南の空へ視線を向ける。


 ノイマン王国ではもう何十年も大きな戦は起きていない。よって王都のような中央部では戦闘など遠い過去の話となっている。

 しかし南の辺境は別だ。国境付近には交戦の機を窺う隣国が常に兵を配備しており、競り合いは日常茶飯事。辺境伯の率いる部隊は交代で前線に詰めているし、辺境伯自身も、そして辺境伯のもとで修業に励んでいたフィンも、敵とは何度も刃を交えた。血と土埃の臭いはフィンにとって馴染みのものとなっている。


 自分が生きるため、国を守るため。

 剣を振るったあの日々は決して訓練などではなかったが、王宮にいる彼らもいつか辺境で武器を握る日が来るかもしれない。

 その、一助となれるのなら。


 フィンは刃を潰した剣を手に取る。


「せっかくだ。私で良ければ相手になろうか」


 ワッと歓声が上がり、フィンの前に打ち合いを待つ騎士たちの列ができた。中には女性の姿もある。――どうやらこのあとはうまく立ち回る必要がありそうだ。



 フィンが初めて顔を出した政務の場では、まったく分からない話が頭の上を通りすぎていくばかりだった。近くで侍従が説明してくれるのだが、言葉を追いかけるだけで精一杯で、内容を理解する余裕までは生まれない。

 ようやく一区切りついて椅子の背もたれにぐったり体を預けていると、近寄ってきた足音がフィンの横で止まる。


「疲れているみたいだね」


 帳簿を抱えたロレンツがフィンを見つめていた。


「今までは軍だけだったのに、政治の場にまで出るのだからね。ずいぶんと大変だろう?」

「正直に申し上げるのなら、戦場にいるほうがずっと楽です。ですがこれも私の務めですから」

「務め、か」


 ロレンツの言葉にしては珍しくわずかな棘があった。微かにあがった口の端や細められた目も、フィンにとっては意外なもの。

 だからといってロレンツに対する敬愛の気持ちが変わるわけではなかった。フィンは立ち上がり、兄に向けて心からの言葉を述べる。


「私は父王の息子で、兄王子の弟です。――たったひとりの兄上が王位を継がれたあと、お役に立てるよう最善を尽す。それが私に課せられたものだと考えています」


 細められたばかりのロレンツの目が見開かれる。口元の笑みも消えていた。

 この反応にはさすがにフィンも戸惑う。


「あの、兄上? 何か?」


 呼びかけるとロレンツはふいと横を向き、床に視線を落としてぽつりと呟く。


「フィンはいつも真っすぐだね」

「え?」

「なんでもない。……そろそろ食事の時間になると思う。疲れているのなら、少し休んでからおいで」


 それだけ言い残し、ロレンツは背を向けて去っていく

 取り残されたフィンは呆然とその背中を見送った。


 胸の奥にはわずかな違和感が残っていたが、夕餉の席で再会した兄はいつもと変わらぬ優しい態度だった。

 だから先ほどのことは何かの間違いであり、気にする必要はない。フィンはそう自分に言い聞かせながら目の前の皿に意識を向け、黙々と食を進めた



 夕の食事が終われば本日の“やるべきこと”は終了だった。フィンは王宮の廊下を離れて中庭のほうへおりる。昨日、イーリスと会った場所の近くだ。この辺りは人通りも少ないので、疲れたときに歩くのは気が楽でいい。

 ボタンを外して軍服の襟元をゆったりさせると、入り込む涼しい夜風が体の熱を冷ましてくれる。それが心地よくて気を緩めたせいだろうか。


「殿下」


 イーリスの声がする。

 昨日、イーリスと会った場所の近くを通っているせいで、幻を聞いてしまっているようだ。

 まずいな、とフィンは頭を振った。


「殿下―」


 しかも前方には、ボサボサの髪を揺らすイーリスが姿を見せた。幻聴だけでなく幻覚まで現れるのだからずいぶん疲れているらしい。

 今日は早く寝てしまおう、と思いながら彼女の横を通り過ぎようとしたとき、二の腕に「バチッ」とした痛みを感じて慌てて左側を見る。


 そこにいた笑顔のイーリスは、何度瞬きをしても消えない。


「……本物、か?」


 呟きに対する答えはなかったが、イーリスは軽く左手を上げた。


「殿下の“呪い”は、あいだに物があっても発動するんですね! ほら、メモ帳があっても衝撃がきましたよ! 触れなくてもいいということは……うーん、興味深いです!」


 この物言いは、まさしく本物だ。

 いくらぼんやりとしていたとはいえ、他者の気配を感じ取れなかった。己の不甲斐なさを内心で叱責しながらフィンはイーリスに向き直る。


「約束は今日だったか、すまない」


 てっきり明日だと思っていた。フィンが詫びると、イーリスは「いいえ」と答える。


「明日で合ってますよ。でも、約束をちょっと延期させてもらおうと思ったので、ご挨拶に来ちゃいました」

「挨拶に……来た?」


 ――いつから待機していたんだ?

 ――会えるかどうか分からないのに、ここで待っていたのか?

 ――誰かに見つかったらどうするつもりだった?


 浮かぶ疑問を飲み込み、フィンはただ首を振った。問いかけても型破りな答えが戻ってくるだけのはず。ならばわざわざ聞く必要はない。


「延期ということは、何か急用でも?」

「急用といえば急用でしょうか。実はですね、殿下に試していただく呪具が足りないんです」

「……あれだけの数があったのだから、足りないことはないだろう」

「もちろん、数ならまだたくさん残ってます。ですが種類に難があるんですよ。殿下の呪いは珍しいですからね、せっかくなのでいろんな効果の呪具を使って実験したいんです」

「実験?」

「いえいえ、検証です」


 イーリスはさらりと言い直した。


「ですからこの何日かは呪具店巡りに時間を費やそうと思うんです」

「……呪具“店”……」


 フィンとしては「呪具などという怪しげな物を販売する店があるのか?」という気持ちで口に出したのだが、イーリスは違うかたちで受け取ったらしい。水色の瞳を輝かせて身を乗り出してくる。フィンはいつものように一歩さがったが、


「気になります!?」


 興奮のあまりか頬を紅潮させるイーリスはそんなことにも気付かないようだ。


「殿下ならきっと気になるだろうなって思ってました! あのですね呪具店というのはその名の通り呪具を売ってる店でして、あ、もちろん堂々と看板を出すなんてことはないんですよ、だいたいは裏通りにあって昼は普通の骨董屋さんとか古道具屋さんを装っていましてね、夜になるとひっそりと小さな明かりが灯るんです、それで中に入ると棚が動かされていたり地下への階段が開いたりしてそこに『本当の品物』が並んでいるという仕組みになっていて、そういう場所ですから店主も行きかう人もひっそり行動していまして!」


 早口でまくしたてたイーリスは次に、これまで買った品を指折り数えて挙げていく。その姿が妙に楽しそうだったので、フィンは思わず呟いてしまった。


「……行ってみたいな」


 本当に疲れていたのだ、今日は。

 だから彼女の生き生きとした姿が眩しく、微笑ましく、そして少し羨ましくも思えた。その一言は、そんな気持ちの隙間からこぼれたものだと思う。


 ――ところが、今回の目的地はよりによって呪具店だ。


 思い至ったときにはもう遅かった。


「大歓迎ですよ! 殿下も一緒に行きましょう!」


 輝くような笑顔でイーリスは何度もうなずいている。その嬉しそうな姿に向けて「今のは間違い」とはさすがに言いだせなかった。

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