4.検証、開始!
「まずは定番からいきましょうか! 殿下、この鈴を持ってみてください!」
りりん、りりん、と、手の中の鈴を鳴らしながらイーリスが近寄ってくる。フィンは思わず後退った。
女性が近寄ると反射的に距離を取ってしまうこれは、女性に接触できなくなった二年のあいだに染みついたクセのようなものだ。
イーリスが首を傾げる。
「私は別に、さわられても平気ですよ」
「そうもいかないだろう」
「うーん。じゃあ、手を出していただけます? 殿下にさわらないようにしてこれを落としますから?」
うなずいたフィンが慎重にイーリスの手の下へ手を差し出すと、落ちてきた鈴が「コロコロコロ」という愛らしい音を立てた。
「どういうことだ? 君が持っていたときと音が違う」
「そうですねえ。ふふふ、やっぱり」
不思議に思うフィンだが、イーリスにとっては想定していた事態のようだ。にやりと笑って椅子に座ると、ペンをインク壺に浸して紙に何かを書き始める。
「その鈴は『呪いに反応して鳴る鈴』という呪具でしてね。もし呪いがかかっていない人が持ったら、何の音もしないんです」
「なるほど。では、君と私とで音が違うのは?」
「呪いの状態が違うからです。さっきも申し上げましたが、殿下の呪いは少し変わってるんですよね。なので、まずはどうして変わっているのかという、そこから調べていきたいと思います」
立ち上がったイーリスは、今まで自分が座っていた木の椅子をずいとフィンに押し出す。
「この部屋に他のかたが来るのは初めてなので、椅子がこれしかないんですよ。よかったら座ってください」
フィンはすすめられた椅子を一瞥し、首を横に振る。
「私は軍人だ。立ったままでも問題はない」
「そうもいきません。殿下は大事な被験者ですから」
「……被験者?」
「いえいえ、お客様です」
またしても即座に言い直す彼女だったが、結局フィンは首を横に振った。
椅子に腰を下ろす気になれないのは、この椅子が怪しいからというよりも“自分だけが座る”という状況が心苦しいせいだ。イーリスはクラリッサと同じ十八歳、年下の令嬢を立たせて年上の自分が立つなどありえない。
「君が何かを記すときに、椅子がないと困るだろう?」
あくまで固辞すると、イーリスは「そうですかぁ」と非常に残念そうに答えた。
「では、どうやって“おもてなし”しましょうかね。……あ、そうだ」
言いながら雑貨の――呪具の――棚に向かった彼女は、紋様の刻まれた革手袋をはめてひとつの腕輪を差しだす。
「この部屋に初めてお越しくださったお客様、黒い髪と黒い瞳の『黒獅子殿下』。――よろしければ黒曜石の腕輪をどうぞ。きっとお似合いだと思いますよ」
とってつけたような言葉を聞きながら、フィンはイーリスに触れぬよう慎重に腕輪を受け取った。はめてみるが特に何も起こらない。そう言おうとしたのだが、先にイーリスが人さし指を口の前に立てる。
「静かに」
その一言で、フィンの舌が喉奥に貼りついたように動かなくなる。驚きで目を見開くが、声が出ない。
「両手を上げて、跳んでみてください」
言われた通りに両腕が空へ伸びる。跳ねると指先に天井の感触が伝わってきた。
「一回転してください」
無視をしたかったがフィンの体は言うことを聞かない。片足を軸にその場でぐるりと回る。
――これはなんだ。
奇妙な感覚に冷や汗が浮かんだところで、イーリスがパチンと手を打った。
「はい、では腕輪を外してください」
外した腕輪をイーリスがそっと受け取る。
次の瞬間、全ての感覚が元に戻った。
「……今のは、なんだったんだ」
乱れた呼吸を整えながら問いかけると、イーリスは嬉しそうに腕輪を掲げて答えた。
「これは“操りの腕輪”です。身に着けると、渡した人の言うことを何でも聞いちゃうんですよ。ちゃんと効いてましたね。では……」
イーリスは薬棚に近づき、青い小瓶を手に取って机に置く。その後で呪具の並ぶ棚へ近づき、中から一つの杯を手に取った。ふう、と息を吹きかけて軽く埃を飛ばすと中央の机の上に置き、その中に水差しからの液体を満たして言う。
「殿下、喉が渇いてませんか? お客様にお飲み物を差し上げますので、どうぞ飲んでください」
「これは?」
「水です」
「本当に水か?」
「はい。水を注ぎました」
水を注いだ。それはなかなかに微妙な表現だと思う。
「杯に注がれたこれも、単なる水のままなのか?」
「あらっ!」
イーリスは嬉しそうに笑う。フィンは確信した。この中身は絶対に水ではない。なにが起きるか分からない以上、できれば飲みたくない。
だが、フィンは呪いを解きたい。彼女に協力を頼んだのはそのためだ。拒否をしていても始まらない。
葛藤は一瞬だった。
「ありがたくいただこう」
杯の水面には薄く埃が浮かんでいたが、フィンは土煙の舞う戦場を知っている。この程度はなんの問題もない。迷わず口をつけて一息に中身を空ける。
途端、強烈な苦味が口いっぱいに広がった。
吹き出しそうになるのをこらえて無理やり飲みくだしたものの、込み上げる咳までは抑えきれず、その場で激しくむせる。そんなフィンを、イーリスは興味深そうに見つめていた。
「これは『憂き目の杯』といって、注いだ飲み物に呪いをかける呪具なんです。殿下、体調に変わりはありますか?」
「ない」
強いて言うのなら、あまりに苦かったので最悪の気分だ。咳の合間にそう答えると、イーリスは「ふうん」と呟く。
「普通は口の中が痺れたり胃が痛んだりするんですけど、それはないんですね、不思議です。でも、何かあったらすぐにこの中身を飲んでくださいね」
そう言ってイーリスは先ほど取り出した青い小瓶をフィンに渡し、改めて『憂き目の杯』を覗き込む。中を確かめると紙面に何やら書きつけて、呪具の棚へ向かった。
「次は……」
「まだ何かするのか?」
「もちろんです! このくらいじゃ何も分かりませんからね!」
イーリスの言い分は分かる。この部屋に来てからしたことといえば、呪いの品をふたつ試しただけだ。
しかし生き生きとした彼女の表情や言い方から推察すると、どうしても「これは本当に呪いを解くために必要なことなのだろうか?」という疑念が湧いてきてしまうのだ。




