2.『呪い集めの令嬢』
フィンは進み出て胸に手を当て、令嬢に頭を下げた。
「突然すまない。私はノイマン王国第二王子、フィンだ」
「まあ。勇猛果敢と名高い、『黒獅子殿下』でいらっしゃいましたか」
ゆったりとした調子で言い、彼女は優雅に腰をかがめる。
「お初にお目にかかります。イーリス・バルツァーと申します」
やはり『呪い集めの令嬢』だった。髪は妙でも言動はごく普通のようだ。
「通りすがりに今の話を聞いてしまった非礼を詫びたい。大変申し訳なかった」
「開けた場所ですから、聞こえてしまうのは仕方のないことです。お気になさらないでください」
婚約を断られたばかりだというのに、イーリスには少しも悲しそうな様子が見られない。
視線を移すと、上着をなびかせる彼はもうだいぶ小さくなっていた。その姿を目に映しながらフィンは呟くように尋ねる。
「……いいのか?」
「はい」
返事は相変わらずゆったりとしたものだった。
「実を申しますと、私はこれまで何度も、縁談を断られてまいりました。焦れた父はついに、自らの影響が及ぶ家にまで、話を持ち込んでしまったのです。ですから私は、密かにあの方を呼び出して、お気持ちを確かめていたところでした」
でも、と言って彼女は彼の方へ顔を向ける。
「このようなことになりましたから、父には『私から断った』と、話を持って行くつもりです。良い言い訳を考えなくてはいけませんね」
静かに微笑む彼女の横顔には恨みも未練もなく、ただ相手を思いやる気持ちだけを感じる。その内面に潜む芯の強さをフィンは感じ取って心は決まった。
――彼女に相談しよう。
きっと彼女なら、どんなに異様な呪いの話でも受け止めてくれる。フィンにはそんな確信が芽生えたのだった。
「君は呪いについて詳しいと聞いたが、本当だろうか?」
フィンが尋ねた途端、彼女の水色の瞳が輝いた。
「呪いに関して私の右に出る人物はいないと自負しております。呪いの話題を出されたということはもしや殿下は呪い関連でお困りですか。私でよければ話を伺いますよ」
「……他言無用で願えるか」
「もちろんです誰にも言いません、さあ遠慮なく思い切ってどんどん話してください」
やけに早口になったのは気になるが、イーリスの笑みはずっと優しかった。その表情に後押しされ、フィンは初めて秘密を口にする。
「私には『他者と接触できない』という呪いがかかってるらしい」
ただし嘘もついた。
触れることができないのは女性だけだ。
正直に言わなかったのは「女性に触りたくて必死になってる」と思われたくないせいだった。
「今から五年前の話だ。十六歳の私は辺境へ住むことになった。国内一の武芸者である辺境伯のもとで、剣術の鍛錬に励むことになったんだ」
異変が起きたのは辺境で三年を過ごしたころ、よろめいた侍女に手を貸した際、叩かれたような衝撃が伝わってきたのが最初だった。
しかもこの衝撃は相手にも伝わるらしい。ならば痛い思いをさせないようにと女性を遠ざけるうち、「王子は女嫌い」との噂が辺境で流れるようになってしまった。
これらの“女性”を“他人”に置き換えつつ、フィンは話を終える。
「この不可解な現象を私は呪いだと思ってきたが、君はどう思う?」
「呪いで間違いありません、それもなかなか珍しいタイプですよ! 殿下はこの呪いをどうしたいですか? もっと強くしたいですか? 効果を少し変化させたいですか?」
「いや。解きたいと思っている」
「あらー」
残念そうな声色の理由は聞かなくてもいい気がした。
「呪いの解除法を知っていたら、教えてもらえないか?」
「うーん。……あ!」
小さく唸っていたイーリスが、ひとつ手を打つ。
「私に触ってみてください! どこでもいいので!」
フィンの質問に対するイーリスの行動がさっぱり分からない。だが、彼女はニコニコとしながら両手を広げて待っている。
――これは呪いを解くために必要なことなのかもしれない。
そう自分に言い聞かせ、フィンはためらいがちに彼女の髪へと手を伸ばした。髪なら痛みを与えずに済むだろうと思ったのだ。
ところがその瞬間、イーリスの笑みがにやりとしたものに変わったので、フィンは思わず動きを止める。
「殿下? どうしました?」
「違う場所にしようかと」
「一度決めたのですから髪にしましょう。大丈夫です、殿下の選択は間違ってません! はい、どうぞ!」
なんだか怪しい雰囲気だったのでやめたかったが、イーリスが頭を差し出す様子は愛馬の「褒めてくれ」とねだる姿を思い起こさせた。それでつい肩近くの髪に触れると、やはり叩かれたかのような「パン!」という衝撃が手に来る。
問題はそのあとだった。周囲に焦げ臭さが漂って、亜麻色の髪が一房ハラリと落ちる。こんな現象は今まで見たことがない。
「なっ……大丈夫か!」
「すごいです!」
しかしイーリスはフィンの心配なんてどこ吹く風だ。
短くなった髪を手にして喜色満面で叫ぶ。
「見てください殿下! 髪が焦げてます! 実は私の髪にもちょっとした呪いがかかってるんですが、今まで焦げたことはありませんでした! きっと呪い同士が触れたせいで威力が上がったんですよ! これは新しい発見です!」
未知の現象を目にして『呪い集めの令嬢』はご満悦のようだ。
――今の行動は呪いを解くために必要なわけではなく、好奇心によるものだったのか。
先ほど普通だと感じたのは間違いだった、と苦笑するフィンの前に、イーリスの手が差しだされる。
「行きましょう殿下、私は面白い場所を知ってるんです! そこに解除の手がかりがあるかもしれません!」
「いや、しかし」
舞踏会が、と言いかけてフィンは口をつぐむ。しばらく考え、くすりと笑い、うなずいた。
「行こう」
そうだ。行先が違う。
女性に触れられない王子と婚約を断られた令嬢が向かうのは、舞踏会なんかではない。
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こちらは不定期連載になるかと思います。
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