13.これも呪いか?
気まずい思いのまま進む帰りの時間は、行きよりもずっと長く感じられた。
馬車の揺れに身を任せながらフィンは胸の内で幾度も言い訳の言葉を繰り返す。しかし口に出すことができず、焦燥は募っていくばかりだ。
ようやく馬車は公爵邸に到着し、完全に停止したところでイーリスが顔を上げる。果たして彼女はどのような表情をして自分を見るのだろうかとフィンは身構えたが、そこには怯えも嫌悪もなく、きょとんとした表情だけがあった。
「あれ? もう着いちゃったんですか。帰りはすごく早かったですね」
フィンは内心で首を傾げる。おそらく時間はどちらも変わらないはずだが、むしろフィン自身は「謝らなくては」と気が急いていたぶんだけ進みが遅い気がしていた。
しかし一度しか呪具店に足を運んでいない自分と違い、イーリスは何度も通っている。ならば彼女の感覚の方が正しいのだろう。
――あるいは買った呪具に気を取られていたため、彼女は早く感じたのかもしれない。
そう判断したフィンがうなずくと、いつもの笑みを浮かべたイーリスは先ほど手に入れたばかりの人形を差し出す。
「はい、どうぞ。この呪具は殿下が見つけたのですから、まずは殿下が使ってみてください」
「……見つけたわけでは……」
あのときはクラリッサらしき人物を目で追っていただけだ。人形が近くにいたのは偶然でしかない。
もちろんクラリッサの話は出せないが、とにかくフィンは「自分が持つには及ばない」と断ろうと思った。
しかし、人形の薄茶色をしたボサボサ髪が、なんだかイーリスの亜麻色の髪に重なって見える。
「その呪具は“手繰りの人形”と呼ばれるものです」
我に返ったとき、人形はフィンの手の中で泣きとも笑いともつかない表情を向けていた。いつの間にか受け取ってしまっていたらしい。――これも何かの呪いだろうか。
「手繰りの人形は所有者が眠ったとき、“もっとも忘れられない記憶”や“もっとも深く心に刻まれている言葉”を、夢の中で見せてくるそうですよ。ぜひ今日は一緒に眠ってください。見た夢の内容は私にも教えてくださいね!」
「今後も会ってくれるのか?」
思わず問い返すと、イーリスは驚いたように目を瞬かせた後、「もちろんです」と言ってにこりと笑う。
「殿下の呪いを解くまでお付き合いしますよ。そういうお約束だったじゃないですか。――今日は呪具をたくさん手に入れられましたし、予定通り明日お会いしましょう」
フィンの胸で安堵がさざ波のように広がり、強張っていた顔が緩む。
そして同時にフィンは、なぜあれほど自分が不安だったのかようやく分かった。
イーリスに「もう協力しない」と言われてしまうことが怖かったのだ。
しかし彼女はこれからも会ってくれると言った。ならばきっと先ほどの“フィンの嘘”に関しては特に気にならなかったか、あるいはそれすらも研究対象になると考えたのだろう。
いずれにせよ、彼女が深く追求する姿勢を見せないのはフィンにとってはありがたいことだった。
「ありがとう。どうか今後ともよろしく頼む」
「任せてください!」
行くときと同様、御者台から降りたハンナがイーリスの手助けをする。
イーリスが地上の人になったのを見て取り、今度は後からフィンが地面へ飛び降りた。
「殿下、小離宮群までお送りしますよ」
声を掛けられて、フィンはとっさに首を横に振った。
頭をよぎったのはイーリスが男性たちに絡まれていた光景だ。
「必要ない。私だけで帰れる」
「でも。殿下は、隠し扉の開け方が分からないでしょう?」
確かにその通りではあるのだが、もしイーリスがフィンを送って行った場合、帰りは彼女ひとりになってしまう。どうにもならないときは、王宮の門まで回り込めばいい。
そう決意して重ねて断ろうとしたフィンだったが、少し離れたところからハンナがじりじりとイーリスの方へ近づいていることに気がついた。どうやらハンナはイーリスと一緒に行くつもりのようだ。
ならば、とフィンはうなずいた。
護衛が一緒になら心配はないだろう。
ハンナがイーリスの少し前を行き、そのイーリスの後ろをフィンが歩く。静かに城壁の中を進み、小離宮群まで到着して、イーリスはフィンに手を振った。
「おやすみなさい、殿下。また明日」
「ああ、おやすみ」
フィンが答えるとイーリスはハンナを連れて木立の向こうへ消えていった。
彼女たちの背を見送り、フィンも城へと足を向ける。
王宮の回廊は静かだった。
昼間には人の出入りで賑わう廊下だが今は行きかう人も少ない。わずかな使用人や、見回りの兵がたまに現れて、フィンを見かけて頭を下げる。それ以外は灯火の影だけが長く伸び、白い石床に淡い模様を描いているばかりだ。
窓の外には星が瞬き、ひときわ澄んだ夜気が差し込んでいた。
足音だけが規則正しく響く中、フィンはふと歩みを止めた。思い出すのは、暗がりで男たちに囲まれていた彼女の姿だ。
あれを目にしたときに湧いた燃えるような感情は、辺境にいたときよく抱いたものに似ている。隣国の兵が、国の境を踏み越えて現れたときの気持ちに。
――つまりは怒りだ。
多少なりとも自分と親しくなった人物に危害が及びそうになったのだから、腹が立つのは当然だ。
今回も自分の気持ちに理由がつけられた。
晴れ晴れとした気分でフィンがうなずいていると、後ろから密やかな足音がする。
「そこにいるのはフィンだね?」
呼ばれて振り返ると、揺らめく明かりがロレンツを照らしていた。
「兄上、このような時間にどうされたのです?」
「調べものだよ」
ロレンツは腕に数冊の本を抱えている。確かこの近くには書庫があるのだったか。
「フィンこそ、こんな時間まで何をしていたんだい?」
「ええと、私は……」
不意の問いに何も思いつかず、フィンはまたしても同じ言い訳をする。
「……城の見回りをしていました」
「本当に熱心だね」
微かに笑って言ったロレンツはふとフィンの手元に視線を向け、しばし考えるような表情を見せてから改めて口を開く。
「……フィン。無理をする必要は無いよ。私のところでよければ遠慮なくおいで。時間も気にしなくていいからね」
その言葉と優しい笑みを残し、ロレンツは去っていく。
廊下に取り残されたフィンは兄の言葉をはかりかねて首を傾げ、視線を落とし、次に思わず天井を仰いだ。
フィンの手には例の人形がしっかりと握られていた。
きっとロレンツはフィンが夜歩きしている理由を「ひとりで部屋にいるのが心細いから、人形を連れて散歩している」と考えたのだ。
兄に妙な誤解をされてしまった、今のフィンにとってはそれこそが一番の呪いだ。
「これはどうやって弁明すればいいんだ……!」
うめくようなフィンの言葉を、不気味な顔をした人形と星だけが静かに聞いていた。




