第六話 干渉(ノイズ)は始まりを告げる
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その朝、風がやけに重かった。
窓の隙間から吹き込んできた風には、春の匂いはなかった。
鉄と油と、焦げた灰──戦場の空気に似た感触。
それが現実にあるものか、記憶から引き出された幻なのか、自分でももう分からない。
登校中、通りを歩く自転車のブレーキ音が耳に刺さる。
その音が、昨日の“銃声”と重なった。
脳が無意識に“戦闘反応”を起こす。
背筋がわずかに強張り、視線が自然と高所を探す。
……狙撃を回避するための動きだった。
(俺の中で、“誰か”が目を覚ましてる)
教室に入ると、総士が目ざとくこちらを見つけて声をかけた。
「おーい神永ー。今日も“記録の覗き見”してた顔してんな?」
「……何のつもりだよ」
「いやさ、最近のお前マジで“前世の続き”生きてんじゃねーかってくらい空気が違うんだよ」
「お前はいつも空気が読めてないな」
「それが俺の武器だからな!」
軽口を叩きながらも、総士の目だけが一瞬だけ“探るような光”を宿していた。
……もしかすると、奴は何かに気づいているのかもしれない。
一限目の最中、またあの感覚が来た。
視界がズレる。
黒板の文字が二重に見える。
手元のペンが重く感じる。
指が、知らない“握り方”をしようとする。
外を見ると、校庭の端に黒い人影。
遠すぎて顔は見えないが──確かに、こちらを見ていた。
その瞬間、風が吹き込む。
風の中に、声が混じった。
──“記録体、補足済。干渉層、交差まで6時間12分”
鳥肌が立つ。
その声は、外からではない。
“俺の中のどこか”から、響いてきた。
周囲は何も感じていない。
総士も、澪も、いつも通りの表情だ。
なのに、俺の指だけが震えている。
戦闘態勢に入るように、右手の筋肉が勝手に収縮していた。
放課後。
旧校舎の渡り廊下に向かう。
人の気配がないその空間は、まるで別の世界に繋がっているかのような静けさだった。
そして、そこに──篁 朧がいた。
仮面の奥から響く声は、いつもより冷たい。
「お前の記録に“干渉”が始まった」
「……どういうことだ」
「お前が“視える”ようになったのと同じタイミングで、逆に“敵”からも視られるようになる。
情報は双方向だ。
お前はもう、“ただの観測者”ではいられない」
「敵……それは何なんだ」
「“記録を食う者”だ。
記憶ではない。“記録”──存在そのものの歴史を奪い、書き換える者たち」
「……喰われたら、どうなる」
「存在は続く。ただし、意味を失う。
“誰でもないまま、何も残せない”人生になる。
それが、お前にとっての死だ」
風が吹いた。
その風には、明らかな“ノイズ”が混じっていた。
耳の奥に響く、金属的な異音。
視界が揺れる。
廊下の空間が一瞬だけ捻れる。
──ノイズ発生。接触開始。
足元が不安定になる。
そして、現れた。
黒いローブ。顔を仮面で覆った存在。
仮面には目も口もなく、まるで“意思のない器”のようだった。
けれど確かに、“俺だけ”を見ていた。
「神永哉──記録体、捕食対象に確定」
その声で空気が震えた。
次の瞬間、空間が崩れる。
廊下の壁が波打ち、床が紙のように捻じ曲がる。
空が濁り、色彩が剥がれていく。
現実が“上書き”される──その最中。
俺の視界が、赤く染まった。
──拒絶。記録ロック、解放。
身体が動いた。
考えるより先に、拳が仮面の中心を捉える。
──砕けた。
中から出てきたのは、顔ですらなかった。
のっぺりとした、“情報だけで構成された闇”。
敵の正体は“人”ではない。
……それは、存在の“穴”だった。
「……神永!」
澪の声が聞こえた。
気づけば、彼女が俺の背後に立っていた。
「来てるの……感じる。
あなたの中の“記録”、今、動き出してる……!」
彼女の瞳が揺れている。
けれど、その揺れは“恐怖”ではなかった。
“共鳴”だった。
俺たちは繋がっている。
夢で、記憶で、存在の奥で。
そして次の瞬間、敵の数が増えた。
左右に、もう二体。
その動きは、人間のものではなかった。
滑るように空間を移動し、こちらに詰め寄ってくる。
だが──俺の中で、“何か”が指示を出していた。
左足で距離を詰め、床を滑らせて滑空するように敵の懐に入る。
右肘を引いて、振り抜く角度は──42度。
その先にあるのは、確実な破壊。
「……これは、俺の動きじゃない」
だけど間違いなく、“俺の中”から出たものだった。
気づけば、敵の姿は霧のように消えていた。
篁朧の姿も、気づけば見えなくなっていた。
ただ、澪と俺だけが、その場に取り残された。
「神永くん……
あなた、記録を覚醒させたんだね……」
彼女がそう言ったとき、俺の胸の奥に何かが“刻まれた”。
これはもう、逃げられない。
俺は、選んだ。
記録を開き、抗うことを。
そして、誰かを守るために──戦うことを。
大幅訂正させて貰いました。。
最後までご覧頂きありがとうございますm(_ _)m