第四話 夢は、誰かの記憶で出来ている
耳鳴りのような風の音が、鼓膜の奥で微かに響いていた。
それは現実の風じゃない。どこか、夢の中で吹いていたような、感触の曖昧な風。
赤い空。
黒い鳥。
崩れる都市、倒れた人、真っすぐこちらを見ていた少女──
それらすべては、眠りから覚めた瞬間に霧散する……はずだった。
けれど今朝、俺ははっきりと“その夢”を覚えていた。
夢じゃない。
“誰かの記憶”を盗み見たような、重たく、冷たい映像だった。
目覚ましのベルが鳴る三秒前に目を開ける。
窓の外には、少し厚い雲が浮かんでいた。
でも、昨日と同じ“時間”が、何事もなく流れている。
いや──何も変わっていない“ように見えるだけ”だ。
俺の中では、すでに何かが、確実に軋みはじめていた。
登校中。
歩道橋の下、駅前の自販機、すれ違う通学の高校生たち。
そのすべてが、“まるで誰かが設計した現実”に見える。
視界の端でブレーキ音がする。
脳内で、一瞬だけ“銃声”に変換された。
手がポケットの中で強く握られる。
誰かに狙われている──そんな妄想が、何の前触れもなく脳裏を支配する。
(違う、落ち着け。何もない)
自分に言い聞かせても、心臓の鼓動は鎮まらない。
教室に入ると、八城 総士が待ち構えていたように振り返った。
「よっ、神永。
お前さ、最近“感情グラフ”の振れ幅バグってね?」
「なんだよそれ」
「ほら、昨日は“無表情なナイフ”って感じだったのに、今日は“寝不足の暗殺者”感あるぞ。
毎日RPGのクラス違わないか?」
思わず笑いそうになった。
だが、その軽さに救われる自分がいた。
「……そっちは、今日も“おしゃべりNPC”で頼むわ」
「上等だ。俺は今日も賑やかし専任な!」
席につくと、澪がこちらをちらりと見た。
彼女はいつも通り文庫本を持っていたが、そのページは一枚もめくられていない。
言葉はなかった。
けれど、あのときと同じ──“静かな目”で、俺を見ていた。
すると、彼女がぽつりと呟くように言った。
「昨日、夢を見たの」
その一言だけで、心拍が跳ね上がる。
「今までの夢と、何かが違ってた。
赤い空は同じ。でも、そこで“私”が誰かの名前を呼んでたの」
「名前……?」
「“さい”って」
脳がフリーズした。
まるでその言葉が“トリガー”であるかのように、意識の底に沈んでいた映像が一気に浮かび上がる。
赤い空。
瓦礫の街。
遠くで鳴るサイレンと、誰かの泣き声。
そして──誰かに、確かに“呼ばれた”。
その声の主は、澪だった。
「夢の中でね、あなたがこちらを振り返ったの。
顔はぼやけてた。でも……あなたと同じ目をしてた」
「……俺と?」
「すごく深くて、哀しくて。なのに、どこか希望みたいな光もあって──そんな目だった」
次の授業。
黒板の文字が歪んで見えた。
先生の声が遠く聞こえる。現実感がどんどん削れていく。
ノートの文字が二重にぶれて、ペンの芯が折れたとき、手が震えていた。
額から冷や汗が一滴垂れる。
視界の隅で、誰かが“こちらを見ている”感覚がある。
でも、そこには誰もいなかった。
放課後。
澪と並んで歩く河川敷。
空は薄曇り。川の水面に、重たい空気が映っていた。
「……ねえ」
隣から、ぽつりと問いが投げられる。
「もし、私たちが見ている“夢”が、本当は夢じゃなくて……
“誰かの記憶”だったら、どうする?」
「……“誰か”って?」
「たとえば、前の人生。前の世界。別の世界線。
そういうものを、私たちは夢という形で、見せられているだけだったら──ってこと」
「それ、……現実じゃないってことか?」
「ううん、現実。“別の現実”ってこと」
その時、川面に黒い影が落ちた。
澪が立ち止まり、俺もつられて動きを止める。
一羽の鳥。
三本の足。
目は一つ。
羽の縁が、夕陽に透けて燃えているように見えた。
風が吹き抜ける。
「……見えてるよな?」
「うん。はっきりと」
鳥がこちらを見た。
何も言わず、ただ存在しているだけなのに、
その存在感が“人間ではない何か”であることを告げていた。
そのとき、風の中に混じって“声”が届いた。
──目覚めよ、神永 哉。
記録はすでに、第十層に到達している。
身体が硬直した。
呼吸が詰まる。視界が一瞬、暗転しかける。
だけど、耳はその声を確かに拾っていた。
「……聞こえたよな?」
「うん。私にも」
風は止んだ。
鳥もいない。
でも、空気だけが異常に重たくなっていた。
俺の中に、“誰か”がいる。
そいつが、今、目を覚まそうとしている。
澪の夢、あの鳥、そしてあの声──全部が、俺の記憶を“引き出そう”としている。
でも、何が本当で、何が作られた幻か。まだ何も分からない。
ただひとつ分かるのは、俺はもう……
“ただの高校生”ではいられない。
遅くなりましたm(_ _)m
最後までご覧頂きありがとうございます。