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これはたぶん、最初じゃない  作者: 星山 秀
第一章 始まりを繰り返す者

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第十八話 失われるものの形


 朝の空は、やけに澄んでいた。


 雲ひとつない青。

 風も穏やかで、通学路にはいつも通りの人の流れがある。


 ――あまりにも、普通すぎる。


 それが、逆に不気味だった。


 総士は、登校中ずっと無言だった。

 イヤホンもしていない。

 ただ、前を見て歩いている。


 昨夜のやり取りが、まだ胸の奥に残っているのが分かる。


「……なあ」


 校門の手前で、彼が口を開いた。


「今日、何か起きる気がしねえか」


 勘だ。

 だが、今の総士の勘は、軽視できない。


「起きる」


 俺は、即答した。


「もう、避けられない段階だ」


 総士は苦く笑う。


「だよな」


 澪は、少し遅れて合流した。


 顔色が、わずかに悪い。


「……澪?」


「大丈夫」


 そう言いながら、

 彼女は無意識に周囲を見回している。


 留める者としての感覚が、

 常に“揺れ”を探している。


 教室に入ると、異変はすぐに分かった。


 空席が、一つある。


 窓際の後ろから二番目。

 昨日、階段で足を踏み外しかけた女子生徒の席だ。


「……あれ?」


 クラスメイトの誰かが呟く。


 担任が、少し遅れて入ってくる。


 表情が、硬い。


「……連絡がある」


 その一言で、教室の空気が変わった。


「昨日、体調を崩した生徒がいる。

 今日からしばらく、学校を休むことになった」


 名前は出なかった。

 だが、誰のことかは明白だ。


 事故ではない。

 怪我でもない。


 だが、日常からの離脱だ。


 総士の手が、机の下で強く握られる。


(……来た)


 世界は、こういう形で奪ってくる。


 命ではない。

 だが、確実に“元に戻らない何か”。


 休み時間、澪が小さく言った。


「……昨日の階段」


「関係ないとは、言えないな」


 俺が答える。


「助けた」


 澪の声が、わずかに震える。


「でも……助けきれなかった」


 総士が、顔を上げる。


「違う」


 即座に言った。


「俺は、ちゃんと支えた」


「うん」


 澪は頷く。


「でもね」


 一拍、置く。


「世界は、“助けたかどうか”じゃなくて、

 “起きなかった未来”を消してくる」


 その言葉が、鋭く刺さる。


 彼女は、正しい。


 助けたからこそ、

 “もっと良い未来”が存在した可能性を、

 世界は潰しに来る。


 昼休み、篁朧が俺を呼び出した。


 場所は、旧校舎の踊り場。

 人の気配が、ほとんどない。


「……始まったわ」


 開口一番、そう言った。


「これは、見せしめ?」


「いいえ」


 篁は首を振る。


「調整よ」


「名を持った者の影響を、

 現実側で均すための」


「……その対象が、あの子か」


「偶然じゃない」


 はっきりとした否定。


「名が確定した直後に、

 最も近くで関与した人間が選ばれた」


 胃の奥が、冷える。


「……総士に?」


「ええ」


 篁は、視線を伏せる。


「直接的な責任はない。

 でも、因果の“接点”になった」


 それが、代償の正体だ。


 力を持った者の近くにいるほど、

 現実は不安定になる。


 教室に戻ると、総士が一人で窓を見ていた。


 声をかける前に、彼が言う。


「……俺のせいだな」


「違う」


 即答する。


「責任は、世界にある」


「でも」


 総士は、唇を噛む。


「俺が、名を持たなければ」


「それでも、何かは奪われた」


 それが、世界のやり方だ。


 名を持つかどうかは、

 奪われるかどうかとは、別問題。


「……奪われる対象が、

 “身近”になるだけだ」


 総士は、目を閉じた。


 初めて、はっきりと“失った”実感が滲む。


 その放課後。


 澪が、昇降口で立ち止まった。


「……哉くん」


「どうした」


「私ね」


 声が、低い。


「留められなかった」


「違う」


「違わない」


 澪は、真っ直ぐこちらを見る。


「留めたのは、場だけ。

 でも、人の未来までは、留められなかった」


 それは、錨の限界だった。


 名を持つということは、

 万能になることじゃない。


 むしろ、

 何を守れないかが、はっきりする。


 夕焼けが、校舎を赤く染める。


 その色は、

 これまでよりも少しだけ、重く見えた。


 第一章は、終わりへ向かっている。


 次に奪われるものは、

 きっと、もっと大きい。


 午後の授業は、内容が頭に入ってこなかった。


 黒板の文字は読める。

 教師の声も聞こえている。

 それでも、教室の空気がどこか欠けている。


 空席が、一つあるだけで。


 それだけで、日常は微妙に歪む。


 その席を、誰も見ないようで、

 無意識に何度も視線が向いてしまう。


(……消えた、わけじゃない)


 そう分かっているのに。


 休み時間、教室の後ろで小さな話し声がした。


「……あの子、大丈夫かな」

「昨日、結構ひどかったんでしょ」

「なんか、親がピリピリしてるって」


 断片的な情報。

 どれも確証はない。


 だが、方向性は同じだ。


 ――戻れないかもしれない。


 その言葉が、誰も口にしないまま共有されている。


 総士は、机に肘をついて俯いていた。


 助けた瞬間よりも、

 “助けた後”の時間の方が、彼を削っている。


「……なあ」


 低い声。


「俺、あの時」


 言いかけて、止まる。


「……続きを、言わなくていい」


 俺が言う。


「でも」


「今は、まだ言葉にしなくていい」


 無理に言語化すれば、

 自責は固まってしまう。


 澪が、廊下側の窓を見ながら言った。


「……人ってさ」


「うん?」


「“何も起きなかった未来”の方が、

 ずっと長く心に残るんだね」


 その通りだった。


 怪我をしたわけでもない。

 事故が起きたわけでもない。


 それでも、

 「もし、こうだったら」という未来が、

 消された事実だけが残る。


 昼休み、篁朧が再び姿を見せた。


 今度は、校舎の外。

 中庭の、ほとんど使われていない花壇の前だった。


「……彼女、転校の話が出てる」


 唐突だった。


「……え?」


 総士が、顔を上げる。


「正式ではない。

 だが、家庭側が“環境を変えたい”と言っている」


「そんな……」


 澪の声が、震えた。


「怪我もしてないのに?」


「怪我は、していない」


 篁は淡々と言う。


「でも、“きっかけ”が残った」


「……俺のせいだ」


 総士が、歯を食いしばる。


「違う」


 俺は、即座に否定する。


「きっかけを作ったのは、

 世界だ」


 だが、総士は首を振った。


「それでも……

 俺がそこにいなければ、

 違う未来があったかもしれない」


 それが、名を持った者の視点だ。


 世界を中心に見るのではなく、

 自分を因果の中心に置いてしまう。


「……それが、危険なの」


 澪が、静かに言った。


「総士が、自分を“原因”だと思い続けたら」


「……どうなる」


「動く理由が、

 全部“贖罪”になる」


 空気が、重く沈む。


 それは、先駆者が壊れる最短ルートだった。


 放課後、三人で帰る途中。

 通学路の途中にある小さな公園を通りかかる。


 ブランコが、風もないのに揺れていた。


 誰もいない。


 それなのに。


「……揺れてる」


 澪が立ち止まる。


 彼女が足を止めると、

 空間の揺れが一気に集中する。


「留めてるな」


 俺が言う。


「でも……」


 澪は、ブランコから目を離さない。


「ここ、留めない方がいい」


「どういうことだ」


「……ここは」


 一歩、下がる。


「“奪われた側”の余韻が、溜まってる」


 その瞬間、

 ブランコの揺れが、ぴたりと止まった。


 代わりに、

 空気が冷える。


 総士が、息を呑む。


「……これ、危ないやつだな」


「うん」


 澪は、珍しく即答した。


「留めたら、

 この余韻を“ここに固定”してしまう」


「……じゃあ」


「流す」


 澪は、意識を抜いた。


 留めない。


 揺れを、そのままにする。


 次の瞬間、

 ブランコが大きく揺れ、

 やがて、何事もなかったかのように静止した。


 空気が、元に戻る。


 だが、澪はふらついた。


「……っ」


「澪!」


 支える。


「大丈夫……」


 だが、顔色は明らかに悪い。


「留めない選択も……

 結構、削られる」


 それが、錨の新しい代償だった。


 夜。


 空白に、また文字が増える。


『失われたものは、

 取り戻そうとすると、

 さらに別のものを奪う』


 第一章は、もう容赦しない。


 奪われることに、

 意味を見出さなければ、

 先に進めない段階に入っている。


 そして、

 次に奪われるのは――


 人との距離だ。


 翌日、教室の空席は埋まらなかった。


 担任は、朝のホームルームで短く告げた。


「……転校の手続きに入った。

 詳しいことは、ここでは話さない」


 それだけ。


 名前も、理由も、説明もない。


 だが、その一言で十分だった。


 “戻らない”と、全員が理解した。


 教室は、静まり返った。

 誰も泣かない。

 誰も騒がない。


 それが、余計に重かった。


 総士は、前を向いたまま動かなかった。


 机の上の手が、微かに震えている。


 澪は、席に座ったまま、

 空席を一度も見なかった。


 見てしまえば、

 “留められなかった現実”を

 真正面から受け取ることになるからだ。


 俺は、黒板を見つめながら思う。


(……これが、世界のやり方か)


 誰かが死ぬわけじゃない。

 血が流れるわけでもない。


 ただ、

 「いなくなる」。


 それだけで、日常は二度と同じ形には戻らない。


 休み時間、総士が突然立ち上がった。


「……ちょっと、出てくる」


「どこへ」


 澪が問いかける。


「分からん」


 そう言って、教室を出ていった。


 追いかけたい衝動を、俺は抑えた。


 今は、

 彼が一人で選ぶ必要がある。


 屋上。


 総士は、フェンスに両手をかけて立っていた。


 風が強く、制服の裾が揺れる。


「……俺さ」


 背中越しに、声が落ちる。


「皆から、距離取ることにした」


 その言葉は、重かった。


「理由は?」


 あえて、聞く。


「期待されるから」


 短い答え。


「助ける前提で、

 話しかけられる」


 それは、善意だ。

 だが、重荷でもある。


「俺がいると、

 “何か起きても大丈夫”って

 空気になる」


 フェンスを、強く握る。


「……それが、怖くなった」


 正直な恐怖だった。


「逃げるのか?」


「違う」


 総士は、首を振った。


「役割を、使い分ける」


 振り向く。


「必要なときだけ、前に出る。

 それ以外は、普通でいる」


 それは、

 名に飲み込まれないための選択だ。


「……正しい」


 俺は、そう言った。


 澪は、昼休みに俺を呼び止めた。


「……私も、決めた」


「何を」


「全部は、留めない」


 彼女の声は、静かだった。


「壊れそうな場だけ、留める。

 奪われた余韻は……

 無理に戻さない」


 錨が、

 流れを止めるだけの存在でなくなる。


「怖くないか」


「怖いよ」


 即答だった。


「でも……

 留め続けたら、

 “失うこと”を否定してしまう」


 それは、世界への反抗だ。


 失われたものを、

 なかったことにしない。


 放課後、三人で帰る。


 通学路は、いつもと同じ。

 夕焼けも、同じ色だ。


 だが、歩く距離は、

 昨日よりも少し長く感じられた。


「……なあ」


 総士が言う。


「俺たち、これから

 もっと失うよな」


「ああ」


 俺は、否定しない。


「でも」


 一拍、置く。


「失った分だけ、

 選び方は、上手くなる」


 澪が、小さく笑った。


「……それ、救い?」


「違う」


 俺は首を振る。


「覚悟だ」


 その夜、空白を開く。


 最後の一文が、静かに浮かび上がった。


『失われるものは、

 選択の重さを教える』


 第一章は、

 もう終わりが見えている。


 世界は、

 次にもっと大きなものを奪うだろう。


 だが、俺たちは知っている。


 奪われた後でも、

 立ち方は、選べる。


 そして、その選び方こそが――

 次の章へ進むための、唯一の条件だ。


本日も最後まで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m

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