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第七話 はじまりの一歩

 聖女騒動から数日。学院は春休みに入っていた。

 ネヴィア様やグレアム様と会えなくなるのは少し寂しいけれど、そもそも私は平民で、二人とは本来交わるはずのない立場なのだから、仕方がない。

 とはいえ、ネヴィア様には、月に二度の孤児院のお手伝いで会えるかもしれないと、内心では少しだけ期待しているのは内緒だ。


 孤児院での手伝いは、学生になってから家計を助けられなくなったことを気にしていた私に、ネヴィア様が紹介してくれた働き口だ。

 お給金は高くないけれど、少しでも家計の足しになるし、子どもたちと遊んだり勉強を教えたりするのは、思っていた以上に楽しい。

 しかも、私が手伝う日に合わせて、ネヴィア様が慈善活動の一環で時々孤児院を訪れてくれることもあるのだ。

 休みの日にネヴィア様に会うために孤児院に手伝いに行っているわけじゃないけれど、普段の制服姿とは違う、華やかな衣装に身を包んだネヴィア様を見るのは、ちょっとした楽しみでもあった。



 春休みに入ってから、普段よりも多く孤児院の手伝いに通ってはいるけれど、残念ながらネヴィア様には会えていない。

 フェイランス伯爵家からということで、ネヴィア様の従者であるローランくんが時々孤児院へ菓子を届けに来ていたけれど、ネヴィア様の姿はなかった。

 最初は「忙しいのかな」くらいにしか思っていなかったけれど、こうも顔を見ないとなると、さすがに気になってくる。ローランくんにそれとなく尋ねても、「忙しい方ですから……」と答えるだけで、ネヴィア様について特に言及することはなかった。

 そんなローランくんだけど、子どもたちに淡々とお菓子を配る姿は、いつもよりもどこか表情が硬く見えた。

 そして結局、私は春休みの間、ネヴィア様には一度も会えずじまいだった。



 ネヴィア様には会えなかったけれど、春休みの間、私は自分なりにできることに励んでいた。

 一年生の間は、まだ本格的な魔法の勉強は始まっていなかったけれど、聖女という肩書だけが一人歩きしている今、何もできないままでいるわけにはいかない。救護院の院長先生のツテで、昔、私の簡易魔力適性を見てくれた魔法師に、春休みの間だけ師事できることになった。

 魔法の基礎は基本的にどの属性でも大きく変わりはないため、治癒魔法の基礎を学ぶには十分な環境だった。とはいえ、最初は全く感覚が掴めなくて、何度も挫けそうだった。でも、魔法師の先生が「焦らずに、できることから積み重ねていけばいい」と優しく指導してくれたおかげで、繰り返し練習するうちに、簡単な傷程度なら治せるようになった。

 たったそれだけのことなのに、できるようになった瞬間は本当に嬉しくて、ようやく聖女として一歩踏み出せたような気がした。

 聖女と呼ばれることにはまだ戸惑いがあるけれど、それに見合う力を少しでも身につけられるなら——そう思いながら、私は春休みの間、魔法の基礎を学び続けた。



 それなりに充実していた私の春休みだけれど、ひとつだけ気が重い出来事もあった。

 ある日の昼下がり。母は仕事に出かけていて、家には私一人しかいなかったその時、我が家に一人の訪問者が現れた。玄関を叩く音がして扉を開けると、見慣れない壮年の男性が立っていた。


「リズ様でいらっしゃいますね?」


 ぴしっとした立ち居振る舞いに、上等な生地の服。格式ばりすぎない雰囲気のその人は、丁寧に深々と一礼した。


「私はセヴラン伯爵家に仕える者です。突然の訪問、お許しください」


 セヴラン伯爵家……?

 貴族の家名に詳しくない私は、初めて耳にする名前に軽く首を傾げる。貴族がどうして私のところへ……?

 一瞬、聖女の肩書によるものかとも思ったけれど、それだけで突然使者を寄越すものだろうか?


「……貴族に仕える方が、一体何のご用でしょうか?」


 警戒している様子を見せつつ尋ねると、使者は静かに続けた。


「実は、あなたのお父上――カイル様は、セヴラン家のご出身なのです」

「……え?」


 言葉の意味がすぐには飲み込めなくて、間の抜けた返事をしてしまう。


(お父さんが、貴族の出身?)


 冗談みたいな話に、頭の中が混乱する。そんな話、今まで一度も聞いたことがない。もしかして、私を騙そうとしているんじゃ……と疑いを深める私に、使者は静かに言葉を重ねた。


「カイル様は、幼い頃からお身体が弱く、家を離れて神殿に入られました。その後、事情があり神殿を離れることになったようですが、間違いなくセヴラン家の血を引く方です」


 胸の奥が、ざわりと揺れる。確かに、私は平民には珍しく魔力がある。とはいえ、平民でも稀に魔力を持つ子が生まれることはあるものだったから、珍しいと思いながらも受け入れてきた。でも、もしお父さんが貴族の出身なら、私が魔力を持っていることにも頷ける。


「……本当、なんですか?」


 自分で発した声は、かすかに震えていた。使者の言葉が信じられなくて、私は呆然としたまま立ち尽くす。

 そんな私を気遣うように、使者は少し間を置いてから、ゆっくりと言葉を続けた。


「今回の聖女認定を受け、当家の当主――すなわち、あなたの叔父にあたる者が、あなたの存在を知りました」


 叔父? つまり、お父さんの兄にあたる人……?


「カイル様はご病弱でしたが、確かにセヴラン家の一員でした。そして、あなたもまた、その血を継いでおられる。もし望まれるのであれば、セヴラン家はあなたを正式に家族としてお迎えしたいと考えております」

「……私を、迎え入れる?」


 想像もしていなかった言葉に、頭がついていかない。


「もちろん、すぐにお決めいただく必要はありません。後日、お母上がいらっしゃる際に、改めて詳しいお話をさせていただければと思います」


 それだけ言うと、使者は深々と礼をし、「失礼いたしました」と静かに去っていった。

 私は扉の前に立ち尽くしたまま、その場から動けずにいた。父の知られざる過去、突然の申し出。何もかもが予想外で、胸の奥が不穏にざわめく。



 母が帰宅し、使者の話をすると、お母さんもセヴラン家からの使いに驚いた様子を見せていた。そして、驚きから落ち着いたお母さんが静かに口を開いた。


「……そう。とうとう来たのね」


 お母さんのその一言で、すべてが真実なのだと理解した。

 母は知っていた。お父さんがセヴラン家の出身であることも、病弱で神官となったことも。そして、還俗して平民のお母さんと結婚するために、貴族の身分を完全に捨てたことも……。

 「神の従者」の誓いを立てた父が還俗したことも問題だったみたいだけれど、さらに平民であるお母さんと結婚したことで、セヴラン家との関係は完全に断たれてしまったみたい。


「あなたが生まれてからも、あの家から連絡が来ることは一度もなかったわ。カイルが病気で伏せっていた時も、亡くなった時も……何の音沙汰もなかった……」


 母の言葉を聞きながら、私は心の中で予想していたことに確信を深める。今回の話は、結局のところ、私が聖女と認定されたからこそ持ちかけられたものなのだ、と。

 私がセヴラン家に入れば、聖女を輩出した家として名声が高まるし、聖女という立場は駒としても利用できる。だから今になって、「迎え入れたい」なんて言い出しているんだろう。

 お父さんが神官を辞めたことや、平民のお母さんと結婚したことは、貴族としては許しがたい裏切りだったのかもしれない。けれど、病弱だった父に救いの手を差し伸べることすらしなかったセヴラン家を、私はどうしても信用できそうにない。


 それにしても、神殿もセヴラン家も、こうもあからさまに「後ろ盾」だの「家」だの言われると、頭が痛くなる。後ろ盾について考えないといけないのは分かっているけれど、今のところどちらも気が進まない。

 ネヴィア様には、春休みに入る前に「後ろ盾については急いで決めないほうがいいわ。私も相談に乗るから、じっくり考えて答えを出しましょう」と言われている。新学期になったらネヴィア様に後ろ盾について相談するつもりだったけれど、セヴラン家のことをどう伝えればいいのか……。


 私はただ、普通に学院で勉強して、治療師としてそれなりに働いて、お母さんと一緒に静かに暮らしたいだけだったのに……。

 当初とは大きく様変わりしてしまった未来に、私は深くため息をついた。




 春休みが終わり、いよいよ今日から新学期。

 新しい学年、新しいクラス――そう、私は二年生から「一組」の所属になった。

 普通であればクラスはそのまま持ち上がりなのだけれど、聖女認定を受けたことで、高位貴族の子息女が集まる一組へと編入されたのだ。

 平民のクラスメイトたちと離れるのは寂しい。けれど、一組にはネヴィア様がいる!


(ネヴィア様と同じクラス……!)


 そう思った瞬間、寂しさなんて吹き飛んだ。これからは毎日、ネヴィア様と一緒に授業を受けられるし、 休み時間だって一緒。今までよりたくさん話せると思うと、嬉しさで胸がいっぱいになる。

 期待に胸を膨らませながら一組の教室へ足を踏み入れた私が見たのは、疲労の色を濃く滲ませたネヴィア様だった。化粧で整えてなおこの顔色ということは、かなり調子が悪いのだろう。


「ネヴィア様、お顔色が……」


 挨拶もそこそこに心配そうに顔を覗き込むと、ネヴィア様はいつもの優雅な笑みを浮かべて首を振った。


「少し顔色が悪く見えるでしょうけれど、昔から時折体調を崩すことがあるの。小さい頃からのことだから、心配しなくて大丈夫よ」


  さっきまで浮かれていた自分が恥ずかしくなるほど、胸の奥がずしんと重くなる。春休みの間、ネヴィア様が一度も孤児院に姿を見せなかった理由が、ようやく分かった気がする。ローランくんの表情が硬かったわけだ……。

 ネヴィア様は小さい頃からのことだと言ったけれど、それはつまり、小さい頃から体が弱かったということだろう。その言葉に、私は父の姿を重ねてしまう。

 お父さんも昔から病弱だった。いつも顔色が悪かったけれど、どんな時も笑みを絶やさない人だった。だからこそ、無理を押し隠すように笑うネヴィア様が、どこか痛々しく見えてしまう。

 ネヴィア様は何でもないように振る舞っているけれど、私はどうしても無理をしているようにしか見えなかった。何度か医務室へ行くことを勧めたけれど、ネヴィア様はそのたびに「大丈夫」と繰り返すだけ。

 頑なだったネヴィア様が折れたのは、昼休みに食堂で合流したグレアム様に、医務室に行くように言われた時だった。



 その後、医務室で救護の先生の診察を受け、ネヴィア様の体調不良は病気によるものではないため、「しばらく休めば良くなりますよ」と告げられた。大事に至らず、本当によかった。

 とはいえ、まだ具合は悪そうなので油断はできない。椅子に座って診察を受けていたネヴィア様を見ていて、ふと、あることが頭に浮かんだ。病気でないなら、治癒魔法が効くかもしれない、と。

 春休みの間、ずっと学んでいた治癒魔法。上手くいけば、ネヴィア様の苦しみを和らげられるかもしれない……。

 一瞬、失敗したらどうしよう、という不安が頭をかすめたけれど、練習の日々を思い出して自分を奮い立たせる。失敗することよりも、何もしないで後悔するほうがずっと怖かった。


「先生、よろしければネヴィア様に治癒魔法を試してもよろしいでしょうか?」

「治癒魔法ですか? そうですね、症状的に悪化の危険はないでしょうから、許可します」

「ありがとうございます!」


 救護の先生の了承を得ると、私はネヴィア様の前の椅子に素早く腰掛けた。

 「リズ……?」と戸惑いの色を浮かべて私を見るネヴィア様。まるで『治癒魔法はまだ使えないのでは?』と思っているかのようなその声に、私は小さく頷いて「任せてください」と笑顔で答える。そうして私はネヴィア様の手を取った。

 細くて華奢な手を包むように握り、そっと魔力を流し込む。


 ――淡く、温かな光が溢れた。


 私の魔力が、ネヴィア様の中に静かに染み込んでいく。

 どれくらい時間が経っただろうか。集中していた私の耳に、「あら」と小さく漏れた声が届き、私は顔を上げる。


「すごい、身体が……楽になったわ」


 ネヴィア様がふっと柔らかく微笑み、その言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。春休みの間、魔力の扱いに苦戦しながらも、諦めずに頑張った……。何度も練習したあの時間は、決して無駄じゃなかったんだ。

 その瞬間、私の中で小さな何かがそっと芽吹いた気がした。これはきっと、「聖女」としての始まりを告げる、最初の一歩なのだろう――私はそう思った。


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