第五話 昼ごはんとお友達
期待に胸を躍らせてグランツェル学院に入学した私だったけれど、現実は思っていたのとちょっと違った。
平民にも門戸が開かれていると言っても、結局は貴族のための学院。規律上は生徒同士は身分にかかわらず対等ということになっていたけれど、平民はどこまで行っても部外者の存在だった。
そして、そんな平民の中でも、光属性の魔力を持つ私は、良い意味でも悪い意味でも目立っていた。入学早々、同じクラスの女子生徒に目をつけられて嫌がらせを受けるほどに――。
青い空。
小春日和の暖かな日差し。
綺麗に整えられた学院の庭園には、季節の花が咲き誇る。
そして、その一角の植込みに似つかわしくない散乱した本、紙束、筆記用具、鞄……。
間違えようもなく、全て私の私物だ。地面に散らばる鞄の中身を前に、私は深い深い溜息をついた。
グランツェル学院は四年制の学校で、ひと学年が三クラスに分かれている。そして、その各クラスは身分順に一組、二組、三組と分かれていて、私は男爵位以下の貴族と平民のクラス、三組にクラス分けされていた。
生徒同士は対等という規律と矛盾しているのでは、と思ったけれど、これはこれで生徒同士の軋轢を避けるためでもあるのかもしれない。……もっとも、今まさにその軋轢を体験している私からすると、効果は少ないと言わざるを得ないけれど……。
学院初日、クラスの皆の前で各自自己紹介をしたのだけれど、その際に魔力ことを紹介したのがまずかったみたい。
クラスには、私以外にも成績の優秀さではなく魔力量の多さで入学した平民の子もいて、その子が魔力のことを話していたから、私も真似をして魔力のことを紹介してみた。私としては、ただそれだけのつもりだったのだけれど、クラスの一部の貴族にとっては、そう受け取られなかったみたい。
希少な光属性であることを、わざわざ自慢気にアピールしてくる傲慢な平民。そんな風に、貴族のお嬢様方に目をつけられてしまったというわけだ。
最初の頃は、私もクラスの平民の子たちと話したり、一緒に行動していた。けれど、貴族令嬢たちの嫌がらせがエスカレートしていくうちに、その子たちとも距離ができてしまい、私はクラスでひとり孤立を深めていた。
「流石に、こんな直接的なことをしてくるなんて思いもしなかったけど……」
溜息をつきながら、私は一番近くに落ちていた教科書を手に取り、土を払う。お昼休みに食堂から教室に戻ってみると、私の鞄が消えていた。
いつも私に嫌がらせしてくる貴族令嬢の口ぶりから察して庭園に探しに来てみると、散乱した鞄の中身を見つけたというわけだ。
「こういうのは、貴族も同じなんだね……」
快く思わない相手を排斥するのは、平民も貴族も変わらない。昔、私たち親子を蔑ろにしていた人たちを思い出して、少し胸が痛んだ。
身近な貴族といえば、救護院を援助してくださる青い鳥のおじ様だったから、貴族に対しては少し夢を持ちすぎたのかもしれない。
陰鬱な気持ちでその場にしゃがみ込み、落ちている別の教科書にも手を伸ばした。
「これは、あなたの教科書かしら?」
突然、背後からかかった声に驚いて後ろを向くと、そこには本を手にしたひとりの女子生徒が立っていた。
透き通るような青い瞳を持ち、日差しにきらめく青銀の髪は、絹糸のようにキラキラと光る。纏う色や整った顔立ちから、まるで氷の精霊みたいだと心の中でひとり呟いた。
繊細に作られた彫刻を思わせるその面差しに見とれていると、女子生徒が小首を傾げながら涼やかな声で「違うの?」と言った。
「そ、そうです! 私のです」
私は慌てて立ち上がると、お礼を言いながら彼女から二冊の教科書を受け取る。どうやらこの茂み以外の場所にも、教科書は落ちていたみたい。
教科書を渡した後、彼女の視線は私を通り越して、私の背後に向かった。
「あれも、あなたの?」
「はい……」
嫌がらせを受けていることをこんな美しい人に知られてしまったからなのか、なんだか気恥ずかしさを感じて、私は俯きながらそう答えた。
「そう……」と言いながら、彼女はさくさくと芝生を踏みしめて私の横を通り過ぎる。
「お昼休みが終わるまであまり時間がないわ。急ぎましょう」
「えっ?」
そう言うが早いか、私が振り向いた時には、彼女は散らばっている教科書や紙束を拾い集めていた。束の間、呆然とその様子を見つめていたけれど、すぐに我に返って私も拾い始めた。
「これで全部かしら」
「はい、全部だと思います」
集めた教科書やその他の物を、確認しながら鞄にしまう。全て土で薄汚れてしまったものの、失くなったものはなかった。
とりあえず、教科書が駄目になっていなくて良かった。もしインクが溢れたり、泥で汚れて駄目になっていたら、目も当てられなかったもの……。
「手伝っていただき、本当にありがとうございます。おかげで助かりました」
私は深々と頭を下げた。慌てていて気が回らなかったけれど、立ち振舞の様子から、おそらく彼女は貴族令嬢なのだろうと予想する。
「見て見ぬふりができなかっただけだから、気にしなくて良いわ。赤色のリボンということは、あなたも同じ一年生なのね。私は一組のネヴィア・フェイランスよ。あなたは?」
言われてみて初めて、彼女は私と同じ赤色のリボンをしていることに気が付いた。学院では学年毎にリボンやタイの色が異なるため、リボンを見れば学年が分かるようになっている。
大人びた雰囲気からてっきり先輩だと思っていたのに、まさか同じ一年生だったとは……。しかも、一組ということは、彼女は上位貴族だということだ。
気にしなくていいと言ってくれたけど、そんな彼女に物拾いをさせてしまって本当に良かったのだろうか……。
「三組のリズと申します。フェイランス様においては、お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「……これくらいは大した手間ではないわ」
「わざわざ足を止めてまで手伝ってくださった、そのお気持ちがとても嬉しかったです。フェイランス様、本当にありがとうございます」
「そう……、助けになれたのなら良かったわ。あと、私のことは名前で呼んでちょうだい」
そう言って、フェイランス様――ネヴィア様は小さく笑みを浮かべる。
一見、近寄りがたい雰囲気を持つネヴィア様だけれど、浮かべた柔らかな微笑みは、晴れた冬の日に舞う風花のように儚げで綺麗だった。
その後、ネヴィア様と共に校舎まで戻り、それぞれの教室に向かうため、そこで分かれる。嫌な目に遭って、一時は気持ちが落ち込んだりもしたけれど、ネヴィア様のおかげで心はすっかりと晴れ、私は足取り軽やかに自分の教室へと向かった。
「少しいいですか?」
翌日の昼休み、食堂に鞄を持って行くかどうかを迷っていた私に、ひとりの男子生徒が声を掛けてきた。
クラスメイトのひとりで、名前はローラン・ベイナム。確か騎士爵の子息だったはず……。一体、貴族様が私に何の用事だろう?
「えっと、ベイナム様……、私に何かご用でしょうか?」
「私に大仰な敬称は不要です。私がお仕えしている方が、あなたと話がしたいと仰っています。よければ一緒に来てもらえますか?」
学院では基本的に侍女や侍従を連れてくることはできない規則になっている。だから、抜け道として、侍女や侍従を生徒として学院に入学させることがあると聞いたことはあるけれど、どうやら目の前のベイナムさんはその類のよう。
貴族を侍従にするということは、相手はそれなりに上位貴族ということかな。誰だろう? 私に関わりがある人なんて、私に嫌がらせをしてくる貴族令嬢くらいしか……。
「私が仕える方は、フェイランス家のご息女です。昨日、お知り合いになったと聞きました」
「っ!?」
予想外の名前が飛び出して、私は驚きで身体を強張らせる。確かに知り合ったけれど、まさか呼び出されるなんて想像していなかった。
ネヴィア様が私を呼び出すなんて、一体何の用事だろう?
「行けますか?」
「は、はい、大丈夫です! もちろん行けます」
私は慌てて立ち上がると、机の横に掛けている鞄に視線を向けた。昨日のことがあるから、鞄を教室に残していくのは心配だけど、流石にネヴィア様と会うのに持っていったら邪魔だよね……。
私の迷いを察したのか、ベイナムさんが同じように鞄に視線を向けながら「問題ありません」と言った。
(何が問題ないのだろう……?)
「ネヴィア様の呼び出しを受けている間に、リズさんの荷物に不都合があった場合は、私が責任を持って調査し、経緯をネヴィア様にご報告いたしますので、問題ありません」
私たちの会話に聞き耳を立てている生徒や、教室内に残っている生徒に聞こえるように、少し大きな声でベイナムさんが言い放った。
貴族社会に詳しくない私でも分かる。これは、私の荷物に何かあった場合は、その原因が徹底追求されることになる、という遠回しな忠告なのだろう。
こんな風に言われたら、流石に私の鞄に手を出すような人はこのクラスにはいないよね……。心なしか、会話を聞いていたクラスメイトの顔色が僅かに悪くなったように見えた。
その後、食堂へ連れていかれた私はネヴィア様と再会し、その流れでネヴィア様と昼食を共にすることになった。
ネヴィア様と共に食堂に入った瞬間、周囲の視線が一気に集まるのを感じる。普段なら誰にも気に留められることなく、端の席でひっそりと食事をするだけなのに、いつもと明らかに違う様子に、思わず背筋がこわばった。
貴族様と一緒にお昼を食べるなんて、不思議な感じ……。
ネヴィア様の整った横顔を見ながら、本当に一緒に食べていいのだろうかと、私は改めて不安を覚える。けれど、そんな私の戸惑いをよそに、ネヴィア様は昨日と変わらぬ落ち着いた表情で、私を席へと案内してくれた。
私がネヴィア様に呼び出された理由だけれど、またクラスメイトに嫌がらせを受ける可能性が高いから、先手を打って私を呼び出してくれたらしい。上位貴族に目をかけられていると分かれば、直接的な嫌がらせは受けないだろうとのことだった。
確かに、それは理にかなっているし、先程の教室内の空気を見る限り、効果はありそう。でも、だからといって、こんなに堂々と貴族様の隣に座っていていいのだろうか?
終始、落ち着かない気持ちになりつつも、ネヴィア様の厚意を無下にしないように、話題を探して懸命に会話を盛り上げる。緊張でぎこちなかったかもしれないけれど、ネヴィア様は優しく相槌を打ち、私はなんとか最後まで食事の時間をやり過ごした。
その後、ネヴィア様の気遣いのおかげで、私への嫌がらせはピタリとなくなった。たまに陰口を言っている人もいたけれど、直接的な嫌がらせはあれ以降、一度も起きていない。
ローランくん――貴族といっても平民と大差ない立場だからそう呼ぶようにと言われた――が同じクラスということもあり、トラブルが起きないように、さり気なく目を光らせてくれているから、というのも理由だろう。
私を遠巻きにしていたクラスメイトも、今ではちゃんと視線を合わせてくれるようになったし、距離が出来ていた平民の子たちとも、以前のように話せるようになった。
最初はぎこちない空気を感じることもあったけれど、次第に前と同じように笑い合えるようになり、本当の意味で、私は平和な学園生活を取り戻した。
ちなみに、ネヴィア様との昼食は一回で終わると思っていたのだけれど、その後も毎日続いていた。ただの平民である私が、毎日一緒に食べるなんて恐れ多いと断ろうとしたのだけれど、「あなたとの昼食は、思いの外楽しかったから……」とネヴィア様にお願いされては、断れるはずもない。
ネヴィア様は楽しかったからと言っていたけれど、貴族であるネヴィア様が誘うくらいだから、きっとそれだけではないのだろう。私を気遣ってくれているのか、それとも何か別の理由があるのか……。
考えればきりがないけれど、ネヴィア様が本当に楽しそうに見えたから、それ以上深く考えるのはやめておいた。
ネヴィア様と一緒にお昼を食べるようになって少しした頃、なぜかネヴィア様の婚約者であるグレアム様とも一緒にお昼を食べることになった。おそらくは、婚約者のネヴィア様が平民の女子生徒とお昼を食べていることを耳にして、様子を見るためにご一緒されたのだろう。
グレアム様は、最初こそ貴族らしい冷淡な様子で私を観察していたけれど、なぜかその後も時折同席し、それが繰り返されるうちに、気づけばほぼ毎日ご一緒するようになっていた。
婚約者二人の昼食に私がお邪魔するのも申し訳ない、と遠慮しようとしたのだけれど、ネヴィア様から「二人だけの時よりも会話が弾むから、よければ一緒に食べて欲しい」とお願いされてしまった。
私は貴族らしい気の利いた話題振りができるわけではないけれど、三人で会話している時に、確かに会話が弾むことが多かった。
私から見て、ネヴィア様とグレアム様の二人はよく似ている。風貌がではなく、纏う雰囲気や性格が似ているのだ。
一見、人を寄せ付けない雰囲気を持っているけれど、話してみると意外と親しみやすい。そして、お喋りというよりは、口数少なく物静かな二人というのが私の印象だ。
そんなお二人だからこそ、二人きりで昼食をとる時は、会話が少なくて静かな昼食になるみたい。別に、それはそれでいいんじゃないかと思うのだけど、ネヴィア様としてはそうではないみたい。
とはいえ、流石にグレアム様が嫌がるだろうと思ったのに、何故かグレアム様までもが、ネヴィア様の提案に同意した。
グレアム様からも「普段、事務的な会話になりがちだけど、君がいると些細な話でもネヴィアと盛り上がれていい」と言われてしまったのだ。貴族二人からのお願いでは、私は頷くしかない。
「何がどうしてこうなったの……?」と私が現実逃避してしまうのも、仕方がないことだと思う……。
しばらくした後、会話の中でグレアム様がこの国の宰相のご子息であるということを知った。宰相様といえば、もちろん政治の中枢にいるあの偉い人である。
私は、驚きのあまり腰が抜けそうになったのは内緒だ。というか、ネヴィア様もそれならそうと最初に言っておいて欲しかった……。
方や由緒ある伯爵令嬢、方や宰相閣下のご子息、そして平民の私。三人で毎日昼食を共にしているなんて、本当に不思議な縁である。
そんな驚きもありつつ、ネヴィア様、グレアム様との昼食は続いた。最初こそ、ガチガチに緊張していた私だったけれど、毎日顔を合わせるうちに、少しずつその緊張も和らいでいった。
ネヴィア様が優しいのは言うまでもないことだけれど、グレアム様も平民の私に対してびっくりするくらい優しかった。私が話しやすいようにと気を配ってくれているのが、私にもよく分かった。
そんな素敵な二人との昼食時間が、楽しくないはずがない。気づけば、午前の授業が終わるころには「今日はどんな話をしよう」と楽しみに思うようになっていた。
こうして、最初は戸惑いばかりだった昼食時間は、いつの間にかなくてはならないものへと変化し、私は充実した学院生活を送るようになったのだった。