第四話 別れの冬、始まりの冬
(聖女リズ視点)
大好きなお父さんが亡くなったのは、私が七歳の時だった。身体が弱く、病弱だった父は、私と母が見守る中、静かに息を引き取った。寒い冬の日のことだった。
私たち家族は、下町の集合住宅で親子三人、慎ましやかに暮らしていた。元々、私の家庭は病弱な父に代わり、お母さんが下町の救護院で働いて家族を養っていたから、父が亡くなった後も、私たちは貧しいながらも生活を送ることができていた。
大きな変化といえば、以前は父と一緒に家で留守番していた私が、お母さんと一緒に救護院へ行って簡単な手伝いをすることになったことだろうか。
家で留守番することもできたけれど、一人で家にいるとお父さんのことを思い出して、どうしても寂しい気持ちになってしまうため、お母さんにお願いして、救護院に連れて行ってもらうようになった。
近所の子どもが集まって、簡単な読み書きを学べる「学級」という場所もあったけれど、私は家でお父さんから文字を教えてもらっていたため、元々そこには行っていない。
そもそも、私には友達と呼べる子がいなかった。それどころか、私たち親子の周りにいたのは、意地悪なことを言ったり、悪意のある陰口を叩くような人たちばかり。学級に行ったところで、嫌な気持ちになって帰るのは分かりきっている。
唯一、私たちに優しく接してくれたのは、救護院でお母さんと共に働く人達だけだった。
私たちが周囲に悪く言われていたのには、理由がある。亡くなったお父さんは神官だった。ただの神官ではない、非婚を貫き、生涯を神に捧げると誓った「神の従者」と呼ばれる特別な神官だったのだ。
そんなお父さんが、神殿の救護院で働いていたお母さんと出会い、恋をした。神への誓いを破るなんて普通は許されるものではないけれど、お父さんは神官を辞め、お母さんと結婚したらしい。
あまり詳しく話してくれなかったけれど、当時は凄く大変だったのだと、お母さんは言っていた。
私たちが近所の人に嫌われているのは、そういう理由である。どこからかお父さんのことが伝わり、近所の人たちに冷遇されるようになったわけだ。
「神への誓いを汚した者」「背信者」「神に呪われた者」なんて陰口を言う人までいた。そして、その悪意はお父さんだけでなく、お母さんや私にも及んだ。私のことを「呪い子」や「異端の子」と言ってくる子供もいて、すごく悲しい気持ちになったのを覚えている。
自分自身のこともそうだけれど、両親のことを悪く言われるのが、私には何よりも辛かった。
私たちが住んでいた辺りは神殿の信奉者が多いこともあって、余計に私たち家族への風当たりが強かったのだと思う。
暮らしていた地区は、下町の中でも比較的貧しい人たちが多くて、神殿が行っている炊き出しや配給で生活を繋いでいるという人がたくさんいた。そういう神殿が救いになっている人たちからすると、どうしてもお父さんの存在が許せなかったのだろう……。
小さい頃は、晒される悪意にうまく理解が追いついていなくて、私はよく泣いていた。でも、そういう時はいつもお父さんが優しく慰めてくれていた。
「お父さんが身体が弱いのは呪われているからだって、みんなが言うの。私も呪われた子だって……」
「大丈夫だよ、リズ。リズは呪われた子なんかじゃないよ。リズと母さんは父さんにとって生きる希望で、幸せそのものなんだ」
「本当……?」
「本当だとも。父さんがこんなに幸せを感じているのに、リズが呪われているなんて、あるわけないだろう? それに、父さんの身体が弱いのは、生まれつきのものだからね。どうしようもないことなんだ」
お父さんは、そう言いながら私の頭を優しく撫でてくれた。私は呪われてなんかいないと分かってほっとしつつも、お父さんが元気になれないことを悲しく思ったのを覚えている。
その後も、誹謗中傷や陰口は続いたけれど、受け流し方を学んだ私は、徐々に泣くことはなくなっていった。傷つけられる痛みがなくなるわけではないけれど、他人からの悪口よりも、お父さんやお母さんの言葉の方がずっと大事だったから、その痛みも気にならなくなったというのが正しいんだと思う。
そんな生活の中、お父さんは、私やお母さんへの悪口をいつも否定してくれたけれど、自分自身への中傷については否定したことがないし、近所の人達のことも悪く言ったことは一度もなかった。
お父さんがそう言っていたわけではないけれど、誓いを破ってお母さんと一緒になったことに対して、お父さんなりに後ろめたさを感じていたのだと思う……。
だから、お父さんが悲しい顔をしている時は、「お父さんとお母さんの子供に生まれて、私はとっても幸せよ」とお父さんを励ました。それは、お父さんが最後の時を迎えるまで、ずっと続いた。
お父さんが私を慰めてくれたように、ちゃんとお父さんを元気づけられたかな……?
お母さんが言っていたけれど、お父さんは幼い頃から長くは生きられないと言われていたみたい。だから、お父さんがここまで長く生きられたこと自体、奇跡のようなものだって言っていた。
奇跡でもいい。でも……できることなら、もっとお父さんと一緒にいたかったな。
その後、十歳になった私は、救護院で看護師見習いとして働くようになった。七歳のころからずっと通っていたこともあって、救護院の院長先生も快く私を受け入れてくれた。
近所の人達は相変わらず私たち親子に当たりが強かったけれど、そんなことを気にする暇もないくらい、見習いとして忙しい日々を送っていた。
見習いとして働き出して二年と少したった頃、私はお母さんと一緒に救護院の院長先生に呼び出された。
何か失敗しちゃったのでは、とドキドキしながら院長室へ向かったけれど、そこで聞いたのは、想定とは全然違う話だった。
「この度、救護院に新たに資金援助くださる貴族様が現れたんだよ」
「それは良かったですね、院長先生」
お母さんは、突然振られた話に戸惑いながらも、喜びの言葉を口にした。いつも気難しそうな顔をしている院長先生も、顔をくしゃっとさせてにこにこと笑っていた。
院長先生は、見た目は意地悪なお婆さんのようだけれど、その実、いつも人を見捨てられない優しい人だ。貧しい人からは治療費を僅かにしか受け取らないから、救護院は常に火の車であることを私は知っている。
基本的に貴族の援助で救護院は成り立っていると聞いているけれど、さらに資金援助してくれる貴族が現れたのであれば、本当に喜ぶべきことだ。
「どうやら、お忍びで下町に来ていた貴族様が怪我をした際に、この救護院を利用したらしいんだ。それが縁で資金援助を申し出てくれたらしい」
「へえ、そんな方がいたんですね。どんな貴族様だったんですか?」
救護院には、小さな怪我から大きな怪我まで、一日にいろんな人が訪れる。いろいろと事情がある人もいるから、患者さんのことはあまり詮索しないことが不文律になっているけれど、たまに品が良い人が来ることもあった。
「匿名を希望されているようで、援助してくださる貴族様の詳しい情報は分からないんだ」
「匿名で援助くださるなんて、立派な慈善活動家でいらっしゃるんですね。それで、資金援助が増えたのは分かったんですが、なぜ私が呼ばれたんですか?」
「それは、その貴族様を治療したのはリズだからだよ」
「えっ、私ですか?」
うーん、特に覚えがない。特徴的な人であれば覚えているだろうから、あまり目立たない感じの貴族様だったのだろう。
もしかしたら、本人じゃなくて貴族様の子供の治療をした可能性もある。私が年齢的にまだ幼いこともあって、やんちゃな子供の治療は私に回ってくることが多いのだ。
「ここからが本題なんだが、その貴族様が言うには、治療してくれた人から魔力の気配を感じたらしくて、もしかしたら魔力を持っているのではないかと言われたんだよ。見た目や年齢からして、すぐにリズだってことが分かったから、こうしてあんた達を呼んだんだ」
「えっ、私に魔力ですか!? そんなこと急に言われても、すぐには信じられないというか……」
「まぁ、あるかどうかは調べてみれば分かるだろう。それで、どうするんだい? 調べる気があるなら、私の知り合いに頼んであげるよ。簡単な検査くらいはしてくれるはずさ」
突然降って湧いた話に、私は戸惑いながらお母さんを見る。お母さんはというと、何かを考え込むように真剣な表情をしていた。
「お母さん?」
「――っ! えっと、魔力検査の話だったわよね。リズはどうしたい?」
私の呼びかけに、お母さんが驚いた表情で私を見た。
魔力があると言われても、私自身はピンときていない。けれど、まったく興味がないかと聞かれれば、そうでもない。もし本当に魔力があって、それを活かせる仕事に就いたら、もう少しお母さんを楽にさせてあげられるかもしれないし、引っ越しだってできるだろう。
貴族様の勘違いという可能性もあるけど、まずは魔力検査を受けてみないと、話は始まらないよね……。
「せっかくだし、検査くらいなら受けてもいいかなって思っているよ」
「そうか、なら手配しておいてあげよう」
後日、私とお母さんは院長先生の知り合いの魔法師を訪ねて、簡単な検査をしてもらった。
結論から言うと、私に魔力があるのは本当だった。しかも、私の魔力は光属性とのこと。
魔法師の説明によると、魔力を持つ貴族でも四大元素である水・火・風・土が大半で、光や闇属性の人は珍しいらしい。しかも光属性は治癒魔法が使えることもあり、貴族の間でも重用されるとのことだった。
まさか自分がそんな珍しい魔力を持っていたなんて、本当に驚きである。今まで救護院でお手伝いや仕事をしていたから、怪我を治せる治癒魔法の素質があったなんて、なんだか不思議な縁を感じた。
貴族様が感じたくらいだし、今まで気づいていなかっただけで、何か兆候があったのかな?
もし、自分の力に早くから気づいていれば、お父さんはもう少し長生きできたんじゃ……、という考えが頭に浮かんだけれど、魔法師から治癒魔法は怪我にしか効かないと言われて、残念なような、ほっとしたような気持ちになった。
もし治癒魔法が病気にも効いたなら、私はきっと自分を責めずにはいられなかっただろうから……。
魔法師からは、今後はグランツェル学院に入学して、魔力の扱い方や治癒魔法の勉強をするといいと言われた。光属性の魔力の持ち主なら、貴族のための学院にも入学できるみたい。
こうして、私はグランツェル学院への入学を目指すことになった。
とはいえ、学院への入学は十四歳からだ。それまでは、今まで通り救護院で見習いをしながら入学時期を待つことになったのだけれど、驚いたことに、私に魔力があること、学院への入学を目指すことを聞いた匿名の貴族様が、私の学習支援も申し出てくれたのだ。
光属性の魔力を持っているので、入学できることは間違いないとはいえ、何の予備知識もなく入学したとしても、貴族の勉強についていけるはずもない。入学前にある程度の勉強は必要だということで、学習するための本や道具の援助を受けることにした。
貴族様の資金援助のおかげで救護院の経営が以前より安定したのに、その上私のことまで支援してくれるなんて、匿名の貴族様には本当に感謝しかない。匿名だから会うことはできないけれど、お使いの方に感謝の気持を綴った手紙を託し、届けてもらった。
ちなみに、匿名の貴族様は私たちの間で「青い鳥のおじ様」と呼ばれている。援助金にいつも添えられているカードに青い鳥のワンポイントが入っているため、救護院の皆で敬意と感謝を込めて、そう呼ぶようになったのだ。
青い鳥は幸運や希望の象徴とされているから、これほどぴったりの名前もないだろう。
援助してもらった本を頼りに、救護院で働きながら合間の時間を使って勉強を始めた。仕事と勉強の両立は大変だったけれど、今までかつてないほどに一生懸命勉強した。
子供の頃にお父さんからいろいろなことを教えてもらってた基礎学習があったおかげで、本さえあればなんとか一人でも勉強できたのは、幸いだったと思う。
十三歳の冬、グランツェル学院の試験を受けた私は、光属性の魔力の持ち主ということで無事学院に合格を果たした。魔力検査と共に受けた筆記の試験もそれなりに解くことができたから、入学してから勉強についていけなくて困ることはなさそうで、私はほっとした。
そして、学院への入学が決まったことを機に、私たち親子は学院へ通いやすく、かつ救護院にも近い住まいへと引っ越すことになった。
入学すると私が救護院で働けなくなるし、学院に通うことで出費も増える。本来ならそんな余裕はないはずだったのだけれど、青い鳥のおじ様とは別口の援助があったのだ。
将来の希少な治癒師である私の入学を歓迎した学院側から、特待生として学費免除や生活費の援助などが提案されたのである。そのこともあり、新たな住居へと引っ越すことが決まった。
冬雲の広がる寒い日、生まれ育った我が家を引っ越す日がやってきた。
お母さんの帰りを待ちながら、外を覗き込んだ夕暮れ。お父さんと一緒に立った台所。包丁で私が指を切った時、お父さんはすごく慌てていたっけ……。
そんな思い出の詰まった家とも、今日でお別れだ。私は家に残る思い出の一つ一つを目に焼き付ける。寂しさで胸が締め付けられるけれど、それでも不思議と足取りは軽かった。
きっとこの先に待っている未来は、今よりずっと広くて明るいはずだから……。
この話を含め、五話ほど聖女リズ視点の話が続きます。