第二話 婚約者としての役割
(婚約者グレアム視点)
「はじめまして、ネヴィア・フェイランスです」
ネヴィアとの婚約が成立したのは、私が八歳、ネヴィアが七歳の時だった。
初めて顔合わせをしたネヴィアはとても物静かで、澄んだ青い瞳でじっと私を見つめていた。静かに佇むその姿は、青銀の髪や白い肌と相まって、まるで雪の精霊のように見えた。春が来たら儚く消えてしまいそうだと、その時に思ったのを覚えている。
私――グレアム・ウィンステッドはウィンステッド侯爵家の三男として生を受けた。しかし、七つ年上の兄も、四つ年上の兄も共に優秀だったため、私が七歳になる頃には、自分がウィンステッド家を継ぐことはないと、子供ながらに理解していた。
いずれは、ウィンステッド家が持つ空位の爵位を継いで家を出るのだと思っていた私にとって、この婚約話は予想外のものだった。伯爵家から嫁をもらうのではなく、私が婿に入る。しかも、私が当主になるのではなく、当主はネヴィアが継ぐものと決まっていた。
フェイランス家は伯爵位ながら、ウィンステッド家と並んで建国から続く古い貴族の一つだ。フェイランス家の現当主には子供が二人いるが、どちらも女児のため、長女である七歳のネヴィアが後継者となることが決まった。
しかし、当のネヴィアはあまり身体が強くないということもあり、当主の執務を補佐できる優秀な婿として、私が選ばれたというわけだ。
婚約話を打診された時は、補佐ができる優秀な者であれば、私でなくとも良いはずだと、子供心に不満を抱いた。
しかしすぐに、この国の宰相を務める聡明な父が、誰にでも務まる役割を自分の子供に課すだろうか、と疑問を抱いた。最終的には、今の私には分からない何か深謀遠慮があるのだろうと考え、ネヴィアとの婚約を受け入れることにした。
婚約者となってから、時折ネヴィアと一緒に過ごすようになったが、話を聞いていた通りネヴィアは身体が弱かった。大病があるわけではないが、体調の浮き沈みが激しく、元気そうに見えた日の翌日には、顔色を悪くしているということがよくあった。
そんなネヴィアを、庇護の対象として見るようになるまで、さほど時間はかからなかった。私には妹がいなかったのでよく分からないが、おそらく妹を見守るような気持ちに近かったのだと思う。
ネヴィアとは定期的に交流していたが、突然の不調に対応できるよう、遠出はせず、室内で一緒に本を読んで過ごしたり、庭でお茶をするなどして時間を共にした。
今まで私の周りにいた同年代の女子は、お喋りで自己主張が激しいタイプがほとんどだった。侯爵令息という立場上、そういう女子に擦り寄られることが多かったせいもあるが、ネヴィアはそういった女子とは異なり、思慮深く物静かな性格をしていた。とはいえ、意志が弱いわけではなく、必要な時にはしっかりと主張する芯の強さもあった。
私自身、口数が多い方ではないので、ネヴィアとの時間は気を張らずに過ごせる、穏やかで心地よい時間でもあった。
婚約して三年が過ぎた頃、ネヴィアの体調が悪化した。少し日が過ぎれば回復するものの、以前よりも体調の悪い日が長く続くことが増えた。体調の良い日にネヴィアと会うこともあったが、その顔には常に思い詰めたような陰が差していた。
きっとネヴィア自身も、自分の体調の悪さを自覚していたのだろう。会う度に、私は精一杯明るい話題を振ってネヴィアを励ました。
けれど、周囲の心配とは裏腹に、見舞いも許可されない日が増えていった。何もできない無力感に苛まれ、ただ焦りばかりが募った。
体調が芳しくない日々が一年半ほど続き、「このままでは成人を迎えることも難しいのでは」と噂されるようになった頃、ネヴィアは唐突に元気を取り戻した。
ウィンステッド家から、身体に良いとされる薬や果物を頻繁に贈っていたから、もしかするとそのうちのどれかが効いたのかもしれない。何にせよ、ネヴィアの回復に私は心から安堵した。
その後、十四歳になったネヴィアは、私が在学していたグランツェル学院へ入学した。入学が危ぶまれていた時期から考えると、本当に元気になったものだ。
学院に入学してしばらくした頃、ネヴィアはとある平民の女子生徒と親しくなった。どうやら、嫌がらせを受けていたその女子生徒を助けたことがきっかけで、交流が始まったようだ。
ここグランツェル学院は貴族が勉学や魔法を学ぶ場所だが、特別優秀な者、秀でた能力を持つ者に限り、平民でも入学が許可される。ネヴィアと親しくなったリズという名前の女子生徒もその一人で、光属性の魔力を持つことから、入学を許可された平民だった。
最初は、物珍しさによる一過性のものかと思っていたが、ネヴィアとリズの交流は続いた。
私以外の者で、ネヴィアがここまで親しくするのはリズが初めてではないだろうか。婚約者として成長を嬉しく思う反面、妹が独り立ちしていくような寂しさも覚えた。
そんな二人はいつも一緒に昼食をとっていたこともあり、私がネヴィアと過ごそうと思うと、必然的にリズとも交流するようになった。
最初こそ、ネヴィアの友人だからと義務感で接していたが、リズとの交流は私にとって驚くほど新鮮だった。
一般的な貴族の子女と違い、持って回った言い方ではなく明瞭な言葉を使うし、快活な笑顔はまるで日差しのように明るかった。
話すうちにリズの人柄の良さも分かり、次第に私自身も自発的に二人の輪に加わるようになった。
私とネヴィアは共に口数が多い方ではないが、リズが加わると途端に会話が弾む。賑やかでありながら、不思議と心地よさを感じるのは、リズの持ち前の明るさと絶妙な気遣いの賜物なのだろう。
二人との穏やかな日々に変化が訪れたのは、ネヴィアとリズが一年生最後の月に魔力適性の検査を受けた時のことだった。
学院では、二年生から本格的に始まる魔法の講義に先駆けて、一年生の最後に魔力適性の検査を行うのが習わしとなっていた。その検査で、リズには非常に強い魔力と、堅牢な守りの加護があることが判明したのだ。
リズは元々光属性の魔力を持っていることが分かっていたため、将来は治癒師となることを見込まれて入学したようだが、今回の結果を受け、神殿から新たな聖女として認定されることとなった。
私もネヴィアも、この喜ばしい知らせにリズへ心からの祝いの言葉を贈った。だが、ネヴィアが再び体調を崩し始めたのは、ちょうどこの頃からだった。
学院に入学してからも、ネヴィアは時折体調を崩していたが、今回の様子はそれとは異なる。まるで十歳の頃と同じように、ネヴィアの体調は日に日に悪くなっていった……。
新学期が始まり、私は三年生に、ネヴィアとリズは二年生になった。
午前の講義が終わり、昼食の時間に食堂の前で二人を待っていると、ネヴィアがリズに付き添われるようにして食堂へやってきた。ネヴィアの顔色の悪さに気付いた私は、慌てて二人に駆け寄る。
「ネヴィア、かなり顔色が悪いな。大丈夫か?」
「グレアム様、よかった。ネヴィア様のお加減がかなり悪いみたいで……」
「こんな状態で登校したのか。なぜ休まなかったんだ?」
「二年生の初日から休むわけには……」
無理をして登校しても、体調を崩しては意味がないだろうに。私は小さく溜息をつきながらリズの方を向く。
「リズ、悪いがネヴィアを医務室へ連れて行ってくれ。私も後から向かう」
医務室へ向かう二人を見送った後、私は食堂で軽く食べられるものを用意してもらい、医務室へ向かった。ノックをして中へ入った瞬間、目にした光景に思わず息をのんだ。
淡い光が揺らめく中、向かい合って座るネヴィアとリズが手を繋いでいた。ゆるく瞳を伏せたネヴィアが、祝福のような煌めきに包まれる。
まるで神聖画のように美しい光景に、私は金縛りになったようにその場に立ち尽くした。
リズの光が止み、会話を交わし始めた二人を見て、私ははっと我に返る。呆然としていたことを誤魔化すように、私は二人に近づきながらリズに声を掛けた。
「それは、治癒魔法か……?」
「はい、そうです。最近、ちゃんと意識してできるようになったんです。ネヴィア様の不調は病気ではないとのことなので、もしかしたら治癒魔法が効くのではないかと思って、試していたところなんです」
リズは両手を握りしめ、意気揚々とした表情で笑みを浮かべる。今まで大怪我をしたことがないため、治癒魔法を目にする機会はなかったが、こんなにも神々しいものなんだな……。
「そうか……、ありがとう、リズ。ネヴィアもずいぶんと顔色が良くなったな」
「はい、ずいぶんと身体が楽になりました。本当にありがとう、リズ」
顔色が良くなったネヴィアが儚げに微笑み、リズは照れるように頬を指で掻いた。
まさかネヴィアの虚弱に治癒魔法が効くとは……。体質の問題だと思っていたから、考えもしなかった。とはいえ、治癒師は希少であり、貴族であっても頻繁に治癒を受けられるものではないだろうけれど……。
「ネヴィア様の助けになれて良かったです。また癒やしますから、つらい時は言ってくださいね」
「あなたの稀有な力を、私のために消費させるわけにはいかないわ」
「そんな、私も治癒魔法を使う練習になりますから、遠慮しないでください」
「……ありがとう、リズ」
打算ではなく、心からネヴィアを心配するリズの優しい心根が、私には眩しく映った。
その後、折に触れてリズがネヴィアを治癒する姿を見かけるようになった。しかし、治癒魔法では一時しのぎにしかならないようだ。
おそらく、不調による体力低下を一時的に癒しているだけで、根本的な解決にはなっていないのだろう。その日は元気にはなるものの、二日もすればまた顔色が悪くなってしまう――その繰り返しだった。
そんなネヴィアが、体調の悪さを押してまで登校するのには理由があった。ネヴィアは、リズが聖女に認定された頃からリズの周囲に対して神経質になっており、何故かリズに近づく者を警戒していた。
立場が変われば、周囲のリズを見る目も変わる。友人として、邪な思惑をもって近づいてくる人間を警戒する気持ちは分かるが、リズの交友関係に口を挟むのは、些かやり過ぎではないだろうか……。
体調のせいなのか、それとも何か懸念材料があるのか。まるでリズの命運を左右するかのようなネヴィアの振る舞いに、私はなんとも言えない不安を覚えた。
次話もグレアム視点になります。