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第一話 解かれる縁

「君との婚約を解消したい」


 静かな声で放たれたその言葉に、心の奥で何かが微かに軋む音を立てた。


 学院の庭園の隅に佇むガゼボ。晩春の風が吹き抜ける中、少し離れたところに座った私の婚約者――グレアムが静かな口調でそう私に告げた。ガゼボに吹く心地良い風とは裏腹に、この場に漂う空気はどこまでも重かった。

 早まる鼓動を押さえながら、私は平然とした表情で首を傾げる。


「グレアム、突然何をおっしゃるのですか?」

「突然ではない。ネヴィアも身に覚えがあるだろう。君がリズにしたことだ」


 グレアムの感情を抑えたような静かな声に対して、私はゆるりと笑みを浮かべる。

 リズ――、聖女となった私の友人……。


「覚えがありません」

「先日、リズが暴漢に襲われた。幸いにも、衣服をほんの少し切られただけで済んだが、下手をすれば酷い怪我を負っていたことだろう。リズを襲った犯人は、君と同じ青銀の髪の貴族令嬢に依頼されたと証言している」

「それは凄い偶然ですね。まぁ、その平民の証言が真実であれば、ですけれど」


 あくまで他人事のように私が言うと、グレアムは少し表情を固くしてさらに言葉を重ねる。


「犯人が所持していた金貨の入った袋には、香水が付着していたそうだ」

「そうですか」

「その香水は特別な香りで、とある高級店でのみ取り扱われていたことが分かっている。その店の名はオルヴェーラ商会、君も知っているだろう?」

「なぜわざわざそれを確認するのですか? お店で売られているということは、他の者も購入できるということではないですか」


 グレアムが並べ立てたものは状況証拠。けれど、グレアムは私が犯人だと確信している様子だった。

 グレアムは拳をぎゅっと握りしめたまま、眉をきつく寄せて私を見つめる。グレアムの指先はわずかに震えているように見えた。


「リズは犯人に待ち伏せされていた。リズの予定を詳細に知る者でなければ、あの計画は立てられない。君とリズはあんなにも親しくしていたじゃないか。どうしてあんな酷い事が出来る?」

「酷い? 衣服をほんの少し切られただけで、大げさではないですか? 仮に傷害事件に発展したとしても、リズは今はまだ平民なのですから、結局は平民が平民を襲ったというだけでしょう」


 リズが聖女に認定されたと言っても、現状は後ろ盾も決まらず、加護の力もまだ振るえない、ただ名ばかりの聖女である。今はまだ平民なのだから、騒ぎ立てるような事ではないと、私は暗にほのめかす。

 その瞬間、グレアムの眼光が鋭くなった。


「犯人は……顔に傷をつけろと依頼されたそうだ。実際、リズは一人のところを襲われ、服を切りつけられた。犯人が依頼通りに襲撃していたら、リズは顔に大怪我を負っていたことだろう。そうならなかったのは、若い女性相手にそれはあまりに気の毒だと、犯人が改心して手心を加えただけに過ぎない」


 グレアムの鋭い眼差しを受け、胸に悲哀が湧き起こる。私はその感情を押し込め、つんと澄ました表情を浮かべた。


「そう、リズは一人で……。ずいぶんと中途半端なことをしたのですね」


 誰がとも言わずに、私は冷たい口調で言い放つ。私がリズを気遣うような言葉を一つも言わなかったことがショックだったのか、グレアムの顔色がさっと白くなる。そして、拳を強く握りしめると、次の瞬間、抑えきれなくなったようにグレアムが声を荒げた。


「今の話を聞いて、そんな言葉しか出ないのか!」

「……中途半端という言葉は、リズに対して言ったのです。聖女としての自覚を持ち、一人で行動していなければ、襲われることもなかったでしょう。後ろ盾も決まっていないのですから、なおさら慎重に行動するべきだったのです」


 嫌味をこめて小さく笑い、グレアムを流し見る。グレアムはというと、覚悟を決めたような強い眼差しを私に返した。

 

「そうだな、確かにリズの立場は中途半端だった……。今回の傷害事件を受けて、ウィンステッド家はリズの後ろ盾になることを決定した」

「宰相閣下は、王家からの打診を受けることにされたのですね……」


 私は内心動揺して見えるよう、狼狽する表情を作ってグレアムに視線を向ける。


「あぁ、今回の事件を受け、父は決定されたようだ。もしリズが当家の後ろ盾を望むのであれば、養子縁組を行い、ウィンステッド一族の一員となる。確固たる後ろ盾を得れば、二度とこのような事件が起こることはないだろう。この国の宰相を務めるウィンステッド家を敵に回すような愚か者がいなければだが……」


 グレアムが私をジロリと睨む。私は唇を引き結んで、そのブラウンの瞳を見つめ返した。暫し見つめ合った後、グレアムは溜息をつきながら視線を逸らした。


「最後に確認するが、今回の事件に関して何か言うことはあるか? 弁解なら聞くが」

「弁解も何も、私には全く関係のないことです」


 先程と同様に冷ややかに返すと、私はつんと横を向いた。グレアムは「そうか……」と呟くと、ベンチから立ち上がった。


「せめて、君の口から弁解の言葉を聞きたかったよ。フェイランス家には、今日のうちに婚約解消の申し入れ書が届くだろう」


 最後に一言残し、グレアムは踵を返して歩き始めた。私は静かにベンチから立ち上がる。


「待って下さい。私たちの婚約は、王家の承認を得たものです。ウィンステッド家の一存で解消は出来ないはずです」


 私の声にピタリと足を止めると、グレアムは振り返りながら「陛下の許可は得ている」と冷たく言い放った。


(グレアムは本気なのね……)


 胸に寂寥が湧き上がる。かつて、幼い頃に手を取り合って誓った記憶、私が苦しい時に支えてくれた優しさ、それらを全て断ち切り、私は再びグレアムに声を掛けた。


「グレアムは、リズの後ろ盾になるという意味を、ちゃんと理解しているのですか?」

「ああ、理解している。リズはウィンステッド家が――私が必ず守る」


 静かな声色だけれど、そこには強い覚悟が込められていた。それは、かつて私に向けられていた誓い。けれど、グレアム自身がリズを守ると決めたのであれば、それはきっと、何より正しい……。

 いまだかつて向けられたことのない冷たい眼差しに、心が切り裂かれたような痛みが走り、思わず顔が歪む。グレアムはそんな私を一瞥した後、迷いのない足取りで立ち去った。



 彼の姿が完全に見えなくなったのを見届けると、私は顰めていた顔を緩め、ガゼボのベンチに座った。


「大衆の中で婚約解消を言い渡すのではなく、わざわざ人目のない庭園の片隅に私を呼び出したのは、グレアムなりの優しさなのでしょうね……」


 誰に言うでもない小さな呟きは、私しかいないガゼボに響いて消えた。

 人目がなくとも、ここは学院の庭園。途中、グレアムが大きな声を上げていたから、先ほどのやり取りを耳にした生徒も皆無ではないはず。仮に、聞いている生徒がいなくとも、いずれ「リズに酷い嫌がらせをして婚約破棄された」という噂が、学院中に広がることになる……。

 私は半分ほど瞼を下ろし、木漏れ日が庭園の地面の上で踊っているのをぼんやりと見つめた。私が物思いにふけっていると、ガゼボの近くの茂みがかさりと音を立てた。


「ネヴィアお嬢様、戻りました」


 茂みから姿を現したのは、我が家――フェイランス伯爵家の影と呼ばれる諜報員であり、共に学院へ通っている侍従のローランだった。

  私は小さく息を吐き、いつの間にか強ばっていた肩から力を抜いた。


「リズは?」

「本日も休みでしたが、明日は登校予定だそうです。おそらく、精神の安定と大事をとって、今日も欠席されたかと」


 なんとも言えない複雑な感情を抱きながら、「そう……」と小さく返事をすると、ローランが「今後のご予定はどうされますか?」と私に尋ねてきた。


「もちろん帰るわ。午後の授業に参加するような気分ではないもの」


(もう学院で授業を受ける意味はないのだから……)


 私の胸の内が分かったのか、ローランが一瞬痛ましい表情を浮かべた。


「……かしこまりました。では、馬車の手配をしてまいります」


 そう言ったあと、少し躊躇うようにローランは言葉を足した。


「どうか、少しでもお身体を休めてください。ここ二ヵ月……ずっと無理をされていましたから」

「そうね……、これからはゆっくりとするわ」


 自嘲気味に笑みを浮かべると、ローランは何か言いたそうにしながらも、無言で頭を下げた。


 ローランが去ると、ガゼボに静寂が戻る。

 皆と共に過ごした学び舎は、もうすぐ私にとっては「過去」になる。覚悟はしていても、少なくない時間を過ごしたこの場所を去ることに、少しだけ胸が痛んだ。

 少しの間、庭園の空気を味わった後、気持ちを奮い立たせるようにベンチから立ち上がると、私は帰り支度をしに自身の教室へと向かった。




 夕方、自室でくつろいでいた私は、屋敷へ戻ったお父様に呼び出された。私が入室すると、机の上には一通の手紙と書類が置かれていた。

 執務机に座ったお父様が、暗い表情で私を見つめる。僅かな沈黙の後、お父様は重々しく口を開いた。


「ウィンステッド家から婚約解消の申し入れ書が届いた」


 予想はしていたけれど、それでも胸がちくりと痛んだ。


「陛下も婚約解消を許可されたようだ。陛下から呼び出しを受けて、直接その旨を伺った。解消に至った騒動への苦言もな」

「……ご負担をおかけして申し訳ありません」

「こうなった以上、何もないままというわけにはいかない。ネヴィア、本当にいいな?」

「はい、覚悟は既に決めています」


 最後の確認をしてくるお父様に対して、私は静かに言葉を返す。私の決意が固いことを確認したお父様は、悲しげに顔を曇らせた。


「傷害事件や婚約解消の話は、数日のうちに学院中に広がります。どうぞ、フェイランス家当主として賢明なご決断を」

「……分かった。では、ネヴィア・フェイランス。今回の一連の騒動でフェイランス家の名誉を著しく傷つけたおまえに、謹慎を言い渡す。学院は休学とするが、ただ屋敷で過ごすだけでは、世間からの視線を遮るには不十分だろう。そこで、おまえには北方のルーセン修道院で身を慎んでもらう。出発は一週間後だ」

「……謹んで承ります」


 私は全てを飲み込み、気丈に微笑みを返した。

 そう、これは分かっていたこと。全て私の選択なのだから……。


読んでいただき、ありがとうございます。

一週間は毎日更新するつもりですので、お付き合いくださると嬉しいです。

一応、15話前後で完結予定です。


ブクマ、評価★などいただけると励みになります。

よろしくお願いします。

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