9 というよりも、自炊に困る人間は豚汁を作ればよい
「ふぅ……」
美祢八は、空になったグラスを桝に置いた。
――ゆらり
と、立ち上がり、掛け軸のほうへ足を延ばす。
まるで、ミヤケイッセイのタイル・カバンのような、タイルワークの掛け軸――
それ背景にして飾られる、建築オブジェのような花器と、山茶花のダイナミックな活け花。
そして、それとともに“ちょこん”――と置かれた、直径10センチほどの球体。
ムラがありながらも、高級な石の模様のような土色の球体――
すなわち、泥団子だった。
その泥団子を、美祢八は手に取ってみる。
土でありながらも、磨かれ、高級感のある球体。
まあ、“光る泥団子”として、一時期はやった“アレ”で、光らすためには石灰を用いているのだが。
「……」
美祢八は再び座し、土の球体をジッと見る。
そうしながら、土、土壁というものに、思考を馳せること――
一時期、エコという言葉がもてはやされ、光る泥団子や古民家再生ブームとともに土壁が再注目されたことがあった。
だが、特段に、土壁はエコというわけではない――
いや、まあ、それなりにはエコなのであるが、かつて多くの建物に竹などの小舞下地、土壁を用いたのは、理由は単純だ。
単に、“手に入りやすかった”――、そういうことである。
薪の力と、水運、主に米に基づいた人力をベースにした江戸までの時代では、身近にある土や竹などの材料を用いた土壁が、コスパとしては確かに最高だったのだが、明治、大正、昭和の時代――、化石燃料という“優秀な”エネルギー資源が入ってくることで、“それ”が変わる。
化石燃料という、人間でいえば数十人分の奴隷に匹敵する極めて優秀なエネルギーによって、工場でボードを作り、それを遠くからわざわざ車で運んで壁を作るという行為というか工法のコスパが土壁と並び、ついには追い越すに至った。
また、爆発的に増える人口を収める必要のある建築に、土壁では現実的に追い付かないというのもあろう。
なので――、まあ、何が「なので」という話だが、現代の石油エネルギーに紐づいた社会で、土壁がエコだどうだという話をしても、所詮は、焼け石に水程度な議論だ。
そこまで、美祢八が思考したところで、
――とっ、トコ、トコ……
と、三毛猫が、和室へ入ってきた。
「おう? 何だ、お前?」
美祢八が、しかめっ面気味の仏頂面で、猫を見る。
その三毛猫も、
「……」
と、仏頂面で美祢八のほうを見ていた。
まるで、「ほんっと、ブッサイクな顔だのう! 潰すぞ、クソガキャ」と云わんかの顔しながら。
さらに、
――スッ……
と、こんどは人の入ってくる気配がして、
「おい、飯炊きババア」
と、美祢八は振り返らずして言った。
そこには和服の、美しく髪を結った女――
すなわち、美祢八の嫁こと、時子の姿があった。
なお、この時子も活け花などの活動をしており、床の間の活け花は時子の作品という。
「おい、何を言ってるんだ。飯炊くべき系の爺」
時子が、虚無系の仏頂面で言う。
「あん?」
「いや、今日は、アンタが作る日やったろ?」
「ああ……? そ、やったけ?」
「まあ、そうだと思って外食してきたから、別にいいんだけど」
と、このふたりは交代制で飯をつくっているらしい。
なお、こと料理に関してはどちらもズボラで、美祢八の場合は、だいたい鍋系が多い。
そして、鍋と言うよりも、むしろ芋を入れて豚汁という。
というよりも、自炊に困る人間は豚汁を作ればよい。だいたいの栄養は補完できる。
鍋こそ、究極の料理だ。
それはさておき、
「ちょっち、今度、また東京行ってくるわ」
美祢八は、自分で酒を注ぎながら言う。
「ああ、そう」
時子は床の間の活け花を手入れしながら、振り向かず答える。
そんな時子を気にせず、美祢八は再び酒を呑んで佇む。
まあ、それはいい――
先ほどの、中断していた土壁の考察をここで止めつつ、スマホを触って東京での愉しみとを考える。
Gホテルの、WEBサイト。
そこにあったSNS欄には、DJ・SAWこと、のパク・ソユンたちDJの活動の予定についてもあった。
「ほう、パク・ソユンも来るんか? そうすると、“あいつ”も、か?」
美祢八が言った。
まあ、もし“何か”あるなら、それも良いだろう――
と、美祢八は何か予感がしながら、立山のグラスにグイッ……と持ち上げた。
なお、その美祢八の、手元にある紙媒体の資料――
そこには、『更新合意』――との、文字が。
この美祢八の関わる団体、来るべきシンギュラリティの時代、そして、資源エネルギーの減耗する時代に備えたることを目的とした財団。
美祢八は、元左官として、いわゆる自然素材や、かつての伝統技術を活かした活動に関わっているのがベースとして参加しているのだろう。
ただ、その資料の中には、
『人口を、〇〇万人に削減させたうえで――』
との文言が、あったのだが。