40 ああ、タバコ吸いてぇとか……、帰ったらパチンコ行きてぇとか……、あるいは、ソープ行きてぇとか……
「何だい、チカレタって……? 飲みすぎた、とかじゃないよね?」
ドン・ヨンファが、やれやれと聞く。
「うん、飲んでない。あれから、一本開けただけよ」
「え? あれから、一本開けたの!? ソユン?」
と、まさかの答えに、ドン・ヨンファが軽くたまげる。
これから立食パーティーと言う前に、ワインボトルを一本開けたとは、一般レベルでは想定していない答えだろう。
また、パク・ソユンは続けて、
「うん。だから、全然飲んでないって。お酒は、絶対やめた」
「何? その、タバコは絶対やめたっていいながら煙草を吸いながら会見する人みたいな」
ーーー
※※『トランス島奇譚』より
「なっ、何で!? 僕にまで、カンチョーするの!?」
ドン・ヨンファは、尻の穴を抑えながら、
「いや、何となく、ぽよ」
「いや、何となくで人にカンチョーなんかしないでくれよ!」
「で? どう、ぽよ? カンチョーされて、便意とか、来てないぽよ?」
「だから、何だよ!? その、便意の確認は!? 確認するくらいなら、するなよって!!」
と、こんなところで便意の確認など、異次元の質問をしてくるパク・ソユンに、さすがに声を荒げて憤る。
その傍らで、
「くっ……!」
翁は、自身の術がふたりに効かなくなったのを悟ったのか、焦っていた。
「で? これで、どうだい? 貴方の術は、僕たちには効かなくなった」
「そうぽよー。どうするぽよー?」
優勢になったドン・ヨンファとパク・ソユンのふたりが聞く。
「ぐぬぬ……、この、私が……、こんな、連中に……」
「いや、この私がって……、アンタ、壁だよね? ぽよ」
パク・ソユンはつっこみながらも、
「で? もう、アンタの術は効かなくなったからさ? ぽよ? 私たちを、こんなところから出してくれる? ぽよ?」
と、要求するも、
「……」
翁は、まだ負けを認めようとしないのか、どこか意固地そうにパク・ソユンを睨む。
「……」
「……」
と、両者、対峙しながらも、
「はぁ、どうしても……、このまま、この黄色の空間にとじこめるってなら、ぽよ……。あっ――? そうね、ぽよ?」
と、パク・ソユンは、“ナニカ”が頭に思い浮かんだ。
そして、
「ほんの~じ――、ぽよ」
と、何か、気の抜けた呪文のように言った。
「へ――?」
ドン・ヨンファがキョトンとし、
「何、だと……?」
と、翁も思わず、怪訝な顔をした。
その、次の刹那、
――ボゥ、ワッ……!!
「なッ――!?」
ドン・ヨンファと、
「――!?」
と、翁が驚くのが重なった先――
紫の、なおかつバブルガムのような炎が生じ、まるで本能寺の変がごとく――!! 黄色の壁に囲まれた、この空間へと燃え移らんとしていた!!
***
いっぽう、黄色の空間の外――
異空間ではない、庵の中にて、
――ス、ゥィー、スゥィー……
と、ムーンウォークのように動くのは、いい歳をしたオッサンの、る・美祢八であった。
その様子に、
「……」
カン・ロウンは、美祢八という男がどんな人間か、慣れてきたとはいえ、少し困惑しながら見ていた。
その美祢八は、庵の、黄色の壁を観ながら、
「う、う~ん……、これは、いい壁やねぇ……」
「……」
と、先ほどのセリフの“デジャヴ”のようにして、
「まっ、何がいいか、分からなんだけどな」
「はぁ、」
と、再びマイペースにも、カン・ロウンを困惑させた。
ただ、そのカン・ロウンも、美祢八と同じく壁を観てみる。
セメントに、黄色を混ぜ、ムラをつけて塗られた壁。
黄色という、明るく陽的なイメージのある色にも拘わらず、その底にある灰色と蠢くようなムラ。
まるでゴッホの黄色のように、心の奥底にある複雑な不安や陰鬱に、強く共鳴するような何かを感じさせる。
「不思議な、壁ですね……」
カン・ロウンが、言った。
ジッ……と見続けていると、まるで、肉体ごと魂が、この黄色の壁に奪われんかのように感じる。
「美祢八さん、」
「ん? 何け?」
と、カン・ロウンが、美祢八に聞いてみる。
「この壁を塗った職人は……、どうして? このような壁を塗ったのでしょうか?」
「さあ、それこそ分からなんだ」
「はぁ、」
「施主あっての職人やからね、たぶん、施主の希望やないんけ? まあ、どんな壁にするか、任せるってパターンもあるけどね。そもそも、どんな思いで、壁を塗ったのかっていうと、たいていは、淡々と塗っとるよ」
「淡々と、ですか?」
「うん。ああ、タバコ吸いてぇとか……、帰ったらパチンコ行きてぇとか……、あるいは、ソープ行きてぇとか……。まあ、昔は、タバコ咥えながらだったり、酒飲みながら塗ったりするのも、けっこうおったらしいけどの」
「はぁ、」
「まあ、そんなもんよ。そんで、案外、適当に塗った壁が……、まあ、適当言ったら言い方悪いかもしれんけど……、時を経て、何か味わい深い壁になることもあるしな。名の知れた茶室の壁とかも、そうかもしれんし」
「そうなん、ですね……」
「うん。たぶん、知らんけど……」
「……」
「まあ、とはいえ……、そんな感じで、なるべく、無心で仕事をするものだが……、人間というのは、本人の意識しない、いや、気づくことのできない深層意識のようなものが、あるというべきか……」
「……」
と、さっきは、「タバコ吸いたいだの、ソープ行きたいだの」と、無心とはほど遠いことを言ってなかったかと、カン・ロウンはつっこみたくなりつつも、続きを聞く。
「時に、製作者の“そうした念”が、作るものに、まるで情報を転写するように“こもる”こともあっての……」
「……」
「この壁を塗っとった職人が、陽気な気分で塗ったのか――? はたまた、深層意識というべきところに、深い闇や、欝的なナニカを抱えながら塗っていたのか――?」
「……」
と、意味深に間を置きつつも、
「まあ、それは分からなんだけどな」
「そう、ですか……」
と、美祢八は結びつつ、
「また、あるいは、のう? 職人の意志とは関係なしに、“壁自体”が、何だろうかの? 年月を経て、まるで、“情報思念体”やったけ? そんな感じで、“知性とか意志とかいえるもの”を、持つこともある――」
「すると……、この、『黄色の壁』も、そうなんですか?」
「うん。たぶん」
「は、ぁ」
と、先ほどから意味深な言葉と、大阪人の「知らんけど」並みのことを言う美祢八に、カン・ロウンは困惑気味の相槌をしつつ、
「まあ、とりあえず、入ってみよか?」
「“入る”――、ですか?」
「ああ……。アンタの仲間の、パク・ソユンとドン・ヨンファは、この中に“いる”」
「――!」




