1 無理ぽよ、疲れたぽよ
「ぼくはブイヤベースをむさぶり食うマルセイユ人のように、絵を描いているところだ。別に驚くようなものではない。大きなひまわりの絵を描いているだけだからね。
(中略)この計画を実行したら12点ほどの装飾ができることになるだろう。全体が青と黄のシンフォニーになるだろう」
**『ファン・ゴッホ、書簡』より(訳は『もっと知りたいゴッホ 生涯と作品』から)
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つまり、空気中に散乱する太陽光の粒子、氾濫する光子である。その光子を描くことである。おそらく、畑で見上げる向日葵の印象と絵の中の向日葵の印象がどこかまだ違っていると思ったのであろう。向日葵を見上げる目には太陽光が入り、あるいは、眉毛に当たり乱反射し、視界が黄色い光線に包まれていたはずである。向日葵の背景は空色でないことにきづくと、居ても立ってもいられない。
そこで、背景も黄色で描く着想を思いついた。≪十二輪の向日葵≫のバック同様抽象的な平面にし、そこに空中に散乱する太陽光の表現を加えることにした。ホワイトを混ぜ、彩度を少し落とした明るい黄色で塗り込める背景にした。
**『先駆者ゴッホ 印象派を超えて現代へ』(小林英樹)より
(1)
ここは、とあるアート展示場。
近未来を冠した、斬新なアート美術館の広いスペースにて。
“とある展示作品群”を前にして、取材陣や、芸術および、それらに関連するビジネスの関係者などを応対する男の姿があった。
やや、天然パーマの混じった中年男――、というか“おっさん”。
どこか寝癖をわしゃわしゃしたような、お洒落とも汚いとも言いがたい天パーの頭に、ありふれた薄緑色の作業服。
ただ、その襟元からは、高級そうな黒のハイネックがのぞく。
職人くずれというか、アーティストくずれめいた、謎の雰囲気の男。
その男は、関係者の応対をしながらも、土か石灰かセメントかーー、“何か左官のような材料”と鏝やらを、まるで舞踊するように操りつつ、プロモーション的に作業をしてみせていた。
そうして、ある程度したところで、
「……」
と、男は手を止めた。
その表情はアンニュイそうに、溜め息でもつきそうな雰囲気で、男は佇む。
そんな、職人くずれアーティストとしても、絵になりそうな男の“いでたち”。
しかし、次の瞬間、
「ーーああ、疲れた……。無理ぽよ、疲れたぽよ」
「「「無理ぽよ――!?」」」
と、男の口から発せられた、おっさんにあるまじき言葉に一同が驚愕した。
そうである――
ここは、北陸は金沢の、とある美術館。
そこにある展示群こそ、この作業服姿の天パーの中年アーティスト、“る・美祢八”がプロデュース・製作した作品群だった。
美祢八は、それらの説明と、スペースの一部を用い、製作のプロモーションも行っていたわけでてる。
ただ、その美祢八の作品群なのだが、多くの人が思いえがくような、“アート作品”と呼ばれるものとは、少し異質なものでもあった。
むしろ、芸術作品と言うよりも、建築などの現場で、“職人”が“施工”しているものに近いかもしれない。
まず、そのうちのひとつ、『ゴッホの鏝絵』。
左官の技法を――、まあ、“これ”を左官の技法と言うのは議論があるようなのだが、左官の技法として認知されている“鏝絵”。
見たこと聞いたことのある人はお分かりだろうが、呼んで字のごとく、鏝で描いた絵のこと。
石膏や漆喰、セメントモルタルなどといった左官の材料を、鏝などの左官の道具を用い、飛び出たり浮き出たりした立体感のある作品を作るわけである。
西欧風には、古い建築によくあるようか、くるくる巻いたアカンサスの葉っぱなどレリーフをーー
また、日本では、土蔵に家紋などのマークや龍の絵などを立体的に起こしたものをイメージすればよろしいかと。
まあ、鏝“絵”とは言ったものの、美術的・芸術的な側面を持ちながらも、どちらかというと、建築の、意匠の一要素という面のほうが強いだろう。
中には、そのような鏝絵を美術・芸術的なものに昇華しようとした、“伊豆の長八”と呼ばれた江戸時代の職人のような人物もいたとのことだが。
近年は、一時期流行ったのエコブームの影響か、土壁や伝統的な左官技術とともに、鏝絵も見直されつつある。
それはさておき、この美祢八の作った作品も、確かに、鏝絵というか左官彫刻の一種なのだろう。
石膏や、その他特別に配合した材料で、花を――、まるでゴッホの絵画で描かれるような、うねるような独特なタッチで、立体感のある左官の彫刻に仕上げていた。
当然、その花々のモチーフとして、赤や青の色とりどりの花に混じりて、黄色の、かの有名な『ゴッホのひまわり』も含まれていた。