ある国王の結婚
私、ダイアナ・アウスタリアは人生で最も重大なイベントを迎えようとしている。
何を隠そう、結婚するのだ。
お相手はそこそこ大きくてそこそこ発展している国バルトライヤの、今をときめく国王とか。まあ、悪い話ではない。父上や爺やが口を揃えて褒めちぎっていたのは当然としても、風聞から判断しても国王はそれなりに有能らしいし、バルトライヤとの関係を強化しておくにこしたことはない。飛びつくべきお話だ。しかも申し出てきたのはあちらの方から、らしい。
物好きな連中もいたものだ。
私の噂を知らないわけもないだろうに。知っていたら知っていたで、なぜ私をご指名なのか興味深いところなのだが。
「聞いているのですか、姫様!!」
上の空になっていたのを気づかれたのか、爺やが凄まじい形相で雷を落とす。
私は適当に頷いておいた。本当は耳を塞いで退散したいが、生憎と馬車に閉じ込められている現在の状況下では無理な相談だ。まったく、私の見合いになぜ爺やがついてくるのか。先日、私よりも孫娘を結婚させてやれと言った時は何か感動していたくせに、結局ついてきた。これはきっと父上の大いなる意志が関係しているに違いない。揃いも揃って、説教が長い所と同じ話を何度も繰り返す所はそっくりだ。現に、今も目の前で三度目か四度目かわからないバルトライヤ国王礼賛が続いている。
曰く、容姿端麗、頭脳明晰、文武両道、博学多才と、一体どこの超人かと言いたくなるほどの褒めっぷりだ。
「お前が結婚すればいいんじゃないか?」
「何を仰います!」
つい口に出してしまったせいで噛みつかれる。本当に噛みつかれた方がましだ、と思い、爺やが私に狂犬よろしく噛みついてくる図を想像したら笑ってしまった。
「笑っておられる場合ではありませんぞ!何としてでもこの話をものにしなければ、姫様の明日はありません」
「何?私はお先真っ暗なのか?」
「何を驚いているのですか!よいですか、殿下はもうすぐ二十一歳。これは王族としては売れ残りもいいところですぞ!修道院行きも考えねばならないかもしれません。それでもいいのですか!?」
「よくはないなあ、うん」
「そうでしょうとも!殿下のように飽きっぽくて我儘な方が、あの生活に耐えられるとは思えませんからな!むしろ修道院の方が迷惑です」
「お前、それは酷くないか?」
「酷いものですか。陛下も言っていましたぞ。あのじゃじゃ馬を押しつけられる国はとんだ災難だ、と」
押しつけようとしている張本人が、よく言う。
じゃじゃ馬と言われようと私の心にさざ波ひとつ立つことはないが、それが相手の耳に入ったら婚約は即取り消しになるだろう。世の殿方はおしとやかで従順な女性を好むものだ。現に、最初の婚約が相手の病死で壊れて以来、私と一生を共にしようと申し出てくる王族はほとんどいない。
確かに、趣味が狩りと乗馬、おまけに見合いの場に男装で臨んだりしたら遠慮されても無理はないが、夫となる相手に素の私を知ってもらおうと考えてのことだ。私はそれほど器用な方ではないし、その場だけ取り繕って結婚したとしても破綻するのは目に見えている。
大体、性格や嗜好も知らない他国の女をほいほい懐に入れることに、不安を抱かないのだろうか?
まあ、その辺りは私が口を出すことではないが――私の恰好を見ても可笑しそうに笑ってくれたのは、一人だけだったわけだし。
「どんな方なんだろうな…」
バルトライヤ国王は、と続けようとした私の呟きは、爺やの喚き声に遮られた。今までの熱弁を全く聞いていなかったことがばれたらしい。
そして再び繰り返される長ったらしい説教は、目的地に到着するまで私を辟易させるのだった。
そんなわけで、バルトライヤに着く頃には私は疲労困憊だった。
王宮の入り口まで出迎えに現れたのはいかにも切れ者といった印象の細長い男で、肩書は宰相補佐であるらしい。宰相が病床にあるとかで、非礼を詫びる生真面目な様子は爺やと似たものを感じさせた。もしこの国に嫁いだら、こういう男が爺やのように口うるさくなるのかと思うと憂鬱だが、それは脇に置いておく。
「お気になさらず。お身体を大事にと、伝えておいてもらえますか?」
できるだけ、深窓の姫君っぽく見えるように振る舞ってみる。
見たか、爺や。私だって猫ぐらい被れる。
「……して、国王陛下はどちらに?」
私を華麗に無視した爺やの興味は、噂でしか知らない若き国王にあるらしい。
なぜかその問いに宰相補佐――フレイザー卿は、顔を引き攣らせた。
「へ、陛下は少々政務が立て込んでおりまして……申し訳ありませんが、先にお部屋の方にご案内を」
「ようこそいらっしゃい!!」
フレイザー卿を遮るように、誰かが勢いよく抱きついてきた。
その人物に私は不覚にも見惚れてしまった。一言で表現するならば、そう、「きらきらした人」とでも言えばいいだろうか。驚くほどに美しい女性だった。目鼻立ちがはっきりしている割にくどくない顔立ちに、金髪が生き物のように波打っているかの人は、神話の世界の住人にも思えた。
つい「負けたな…」と呟く私に、彼女はきょとんとした後、得意気に高笑いした。
「ほほほ、私の美貌はアウスタリアの姫君さえも魅了してしまうのね。罪な女だわ」
「あの、貴女は一体」
「あら、御免なさい。私はこの国の王です。ルシアと呼んで頂戴」
「は?」
「バルトライヤ国王は男性の筈では?」
私の疑問を爺やが代わりに口にする。自称バルトライヤ国王は、うっとりするような微笑を浮かべて私の手を握り締めた。
「確かに私の生まれた時の性は男だけれど、それで美しく着飾ることを諦めるべきではないわ。性別とは個人を引き立てる素養であって、個性を殺すものであってはならないと思うの。姫君もそう思わなくて?」
微笑んではいるが、やけに目が真剣だ。そんなにこの問いは彼女、いや彼にとって重要なものなのだろうか?とはいえ彼の言うことには私の考えと通じるものがあったので、私はしっかりと頷く。
「そのとおりですね。性別を理由にして、趣味をやめさせようとする権利など誰にもないと思います」
「あら、貴女も苦労したのね。噂は聞いているわ。アウスタリアの姫君は男の恰好を好む変わり者だって」
「貴方こそ、そこまで女装を極めている時点で相当変人では?でも凄いですね。私の国には貴方がそんな趣味をお持ちだなんて噂は全く聞こえてこなかったのに」
「私は何も隠しているつもりはないのだけれどね」
「そのお陰で臣下は苦労します」
苦虫を噛み潰したように言ったのはフレイザー卿だった。なぜか隣で爺やが深く頷いている。何を通じ合っているんだ、お前たち。
「――まあ、意気投合されたのはいいことです。陛下、ダイアナ殿下を部屋までご案内して差し上げて下さい。私はこの方といろいろとお話ししなければならないので」
と言って、爺やを見やる。
「別に構わなくってよ。そうだ、疲れていなければ庭園までご一緒しない?珍しい花が見られるわ」
「喜んで」
私は素直な笑顔を返した。
普通、とはいいがたい恰好ながらやけに堂々としているこの人を見ていると、何だか楽しくなってきたのだ。
庭園は本当に素晴らしかった。
ありとあらゆる花が豪快に、けれど華麗に咲き誇る様は壮観の一言だった。思わず歓声を上げた私に、陛下はとても嬉しそうな顔をした。笑ってはいなかったけれど、そんな気がしたのだ。
「兄上がとても花の好きな方だったから、今でもまめに手入れをさせているの」
「先代にはお会いしたことがあります」
「兄上に?」
「ええ。私が十四の時に、一度だけ。何を隠そう、婚約者候補として」
「婚約?兄上と、貴女が?」
意外そうな顔だ。確かに、あの時の私は今に輪をかけて落ち着きもなく、とても誰かの伴侶となれる人間ではなかった。無理やり飾り立てられ、服に着られたようになって不機嫌だった私と、対等に話してくれたことを覚えている。子供扱いされることが面白くなかった私にとって、その反応は新鮮だった。弓矢で獲物を狙っている時の緊張感が好きだとか、女物の衣装は動きづらくて嫌いだとか言っても、眉を顰めたりお説教しないのが嬉しかった。
「『君はこれからもっと綺麗になっていくだろうから、羨ましい』と言われました。『その頃には私はおじさんだ』って」
おじさんじゃない!と私は癇癪をおこしたのだ。おじさんでも結婚するもん!と。
二年後に彼が病死しなければ、本当に式を挙げていただろう。私が子供を産める体になるまでは婚約者という関係に留まっていたが、少なくとも父上は乗り気だった。
彼が亡くなった時はとても落ち込んだ。そして誓ったのだ。彼のような人でなければ結婚しない、と。
「じゃあ貴女がお見合いを何度もぶち壊しているのは、兄上のせいなの?」
「せい、って…。まあ、そうです。私は理想が高いのですよ、陛下」
「そのようね」
「貴方はどうなんですか?」
「どうって?」
「どうして女装なんてしているんですか?」
陛下は意表を突かれたようだった。初めてされる質問とも思えないが。
「……あら、言うまでもないことよ。私は着飾るのが好きなの。趣味よ、趣味」
「そうでしょうか」
「そうよ。貴女こそ、どうしてそんなに疑うの?」
「女の勘です」
「……」
「さっき言いましたよね。『隠しているつもりはない』って。ただの趣味なら、普通は隠すと思うんです。知られれば知られるほど、周りからうるさく言われるに決まっているんですから。だから貴方にとって、女装するってことには何か意味があるんじゃないですか?」
あって欲しい、という願望も少しある。
あの『彼』の弟が何を考えて女装をしているのか、知りたいと思った。
「貴方が私を信用できない、と言うならそれでも構いません。でも私は貴方がどういう人間なのか、知りたいんです。だから私が王族として非常識な振る舞いをしていた理由をお話ししました。貴方にもできれば正直になってもらいたいんです。口に出さなければ、お互いに理解なんてできるわけがありませんから」
突然、陛下が笑い出した。
面食らう私に、「失礼」と陛下は息も絶え絶えに断る。
「どうして兄上が貴女を可愛がったのか、わかった気がした」
「は?」
「貴女は自分を恥じていない。それが羨ましかったんだ」
「?」
勝手に納得されても、私には意味がわからない。私にもわかるように説明してくれないものだろうか。その気持ちを察していないわけもないのに、陛下はゆったりと腕など組んで首を傾げる。
「私のこの姿には、意味があると言えばある。上手く説明できないが、そう――罪滅ぼし、かな」
「罪滅ぼし?」
失礼ながら、そんな殊勝な性格には見えないが。というか、なぜ女装が罪滅ぼしになるのか。
私の顔を見て、陛下は可笑しそうに目を細めた。唐突に、ああ似ているな、と感じた。『彼』もこんな顔で私を見下ろしていたことがある。顔のつくりは全く違うのに、初めて彼らが兄弟だと実感した。
「それは誰に対する罪滅ぼしですか」
わかるような気がしたが、敢えて訊ねた。陛下は苦笑する。
「それは訊かないでくれ。相手はもうとっくの昔に私を許していて、私が勝手に思い悩んでいるだけだから――いや、許されたからこそ、かな。私は捻くれているから、『気にしなくていい』と言われても額面どおりに受け取れない。『もういい』と突き放されたように感じる。だからこういう恰好をして、『非常識』だの『変人』だの『気持ちが悪い』だの言われれば、少しは相手のことが理解できるかと思った……と言っても、何のことかわからないか」
「よくわかりませんが……貴方がとてもその人のことを好きなのは伝わりました。嬉しいです」
「嬉しい?」
「私もその方のことが大好きですから。同士が見つかって嬉しいです」
そう言うと、陛下は本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう」