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ある国王と護衛騎士の逃避行2

ルシアスがこうやって王宮を抜け出すのは、なにも初めてのことじゃない。

 王弟時代も国王になってからも、息抜きと言い張っていなくなることは度々あった。仮にも王宮の警備をどうやって突破してるんだか。国王になってからは私室の隠し通路と変態諜報員ハンバートも加わって、ますます脱走は簡単になったことだろう。

 陛下はなんだかんだ言ってこいつに甘かったから、王弟時代は脱走したところで特別なお咎めはなかった。

 国王になってからは尚更だ。こいつより偉い奴なんているわけないからな。

 凄いのはこれだけふらふらしてるくせに、誘拐とか暗殺とかそういう不測の事態に巻き込まれたことがないことだな。どんだけ運いいんだよ。更に凄いのは、王宮の連中も国王がいなくなっても誰も心配しないことだ。ルードヴィヒは頭が痛いかもしれんが。あいつもいろいろ諦めれば幸せになれるだろうに。

 ルシアスは慣れた様子で、露店をひやかしたり自分に見惚れる男どもに微笑みかけたりしている(俺からすれば気色悪いだけだ)。

 容姿の麗しさを除けば、王族と思えない溶け込みっぷりだ。

 上流階級のお歴々は庶民の生活に基本興味ないし、退屈のあまりに暇潰し目的で気まぐれを起こすことはあっても、自分の生活と程遠い別世界を覗いてみたいってだけだからな。どうしてもその場から浮くっつうか、場違いなところはある。

 しかしこいつは見事に背景の一部になっている。脱走歴の長さが窺えるな。

 王宮に上がる前のルシアスのことは、奴自身が話したがらないので知らないが、その頃から前歴を順調に積み重ねていたと、俺は見ている。

 じゃなきゃこの馴染みっぷりはおかしいだろ。なんか顔見知りっぽいやつもちらほらいるし。

 恐ろしいのは男も女も「今日も美人だな」とか「今日も素敵ね」と笑顔でのたまうことだ。いや、ルシアスの顔面にけちをつけたいわけじゃなく、どちらからもルシアスが「異性」として見えているらしいことが驚きなのだ。

 なぜだ。

 俺の周りでは完全に「変な奴」扱いなのに。「そういえば顔は良かったっけ」と時々思い出されているかも怪しいくらいなのに。

 ルシアスは、無駄な愛想を振りまきつつ、迷いない足取りで表通りから離れた路地に踏み込む。賑やかさや活気が消えて、何となくじめじめした薄暗い雰囲気が漂っている。

 だが本当に気分を悪くさせるのはそんなものではなく、すれ違う人間――ぱっと見ただけでまっとうではないとわかる人間たちの目だ。視線だけで身ぐるみはがされそうな、無遠慮な濁ったその目を見るのは初めてじゃないが、何度でも気分は悪くなる。

 それでも腰の剣に手をかけて威嚇すると、大半は慌てたように視線を逸らす。小物だ。

 俺が駆け引き(なんて言うほどのものじゃないが)をしている間にも、ルシアスはどんどん歩いていき、両脇の怪しげな店に挟まれて押しつぶされそうになっている、看板のない店の扉に手を掛け――何度か来ていなければ表向きは普通の家に見えるだろう――勢いよく店内に足を踏み入れた。

「いらっしゃい」

 恐ろしく無愛想な店主が、無機質な挨拶をくれる。しかも顔も怖い。こんな場所に立ってるからって、客商売としてどうなんだ、それは。

 一方、相手が犯罪者だろうといたいけな子供だろうと、自分を曲げるということを知らない我らが国王は満面の笑みで「はあーい、相変わらず素敵な仏頂面ね、ジョー」と手を振る。

 店主はぴくりとも表情を変えない。まさに鉄壁の無表情だ。それどころか無言で「早く出て行け」と言わんばかりに睨んでくる。

 俺はその理由を知っている。できれば知りたくなかったが。

 唐突だが、ルシアスにはある才能がある。

 ずばり賭け事で勝ち続ける才能だ。賭博から始まり、盤上ゲームや、騎士同士の決闘でどっちが勝つのか、明日の天気が晴れか雨か、などという些細な題目でも、賭けという言葉が絡んでこいつが外したことはない。勘がいいのか、運がいいのか。ルシアスにかかれば歴戦の勝負師も赤子同然だ。

 あまりにも勝ちすぎて、既にこの辺りの賭博場の半分ほどからは出入り禁止をくらっている。

 ちなみにこの店も、店主の顔を見る限りそろそろ出入り禁止になりそうだ。俺が覚えている限りでも、相手の全財産を巻き上げるのは当然、その後は大体激怒した相手と乱闘になるか、哀れな身の上話に上手くいけば土下座がついてくる。

 店にいた全員の財布を目の前に積み上げられた時は、流石の俺も開いた口が塞がらなかった。

 そんなわけで誰にとっても迷惑でしかないルシアスなのだが、昼間からこんなところに来ていることからもわかるとおり、自重しようという気持ちはこれっぽっちもない。

 店主の熱視線もなんのその、鼻歌交じりに賭け事が行われているテーブルへ向かう。ルシアスの相手になってくれるのは、まだ奴の存在を知らない初心者か、よほど自分の腕に自信がある強者のどっちかだ。どっちにしても心を折られるのは相手と相場が決まってる。

 俺は虐殺ショーなんて見たくない。というか、正直見飽きた。

 カウンターに陣取って、不機嫌な店主の面を眺めながらそれほど美味くもないつまみをつつく方がまだましってもんだ。

「どうしてあれを止めないんだ」

 座った途端、待ってましたとばかりに店主が話しかけてくる。

 というか、俺?俺が悪いのか?

「……俺はあいつの保護者じゃない」

「違うのか」

「違う」

「じゃあ本物の保護者は何をしてるんだ」

 おっさん、何でそんなに保護者にこだわるんだよ。女装はあれとしても、剣は馬鹿みたいに強いし、国王だし、とても保護が必要な人間じゃないぞ、あいつは。

 店主は無表情なりに迷っているような顔で、口を噤む。

 決心がついたのは俺が皿のつまみを八割方、平らげてからのことだった。

「正直に言うが……あれは、少し頭がおかしいのではないかと思うんだが。医者に診てもらった方がいいんじゃないか」

「……」

 正直すぎるぞ、おっさん。しかしよくわかったな。いや、誰でもわかるか。

 よくぞ見破った!あれこそこの国で一番おかしい男だ!

 と、言いたいところだが、迂闊なことを口にして後でエーファ様に処刑されるのだけは嫌なので、相手の出方を窺うためにも「どうしてそう思うんだ?」と質問してみる。こうすればこっちは喋らなくてもいいからな!

 だが喉を湿らそうとグラスに口をつけた瞬間、店主は俺を嘲笑うかのようにこう言ったのだ。

「いや、なに。以前にここに来た時、こう言っていたものだからな――自分はこの国の国王だと」

「ブッ!!」

 やべ、鼻に入った。




「何考えてるんだ、おまえは!!」 

 すぐさまルシアスを連れ出し――あれだけの短時間で、既に相手は瀕死状態だった。鮮やかすぎる――人目も憚らず大声をあげるが、当の本人はけろっとしている。

 反省どころか「もう少しで身包み剥がせたのに」とどこぞの追剥のようなことをほざく始末だ。

 お前、国王だろ。哀れな一般市民のなけなしの給料取り上げて何がしたいんだよ。いや、この際それはどうでもいい。

「馬鹿だ馬鹿だと思ってたがここまで馬鹿だとは思ってなかったぞ、馬鹿」

「四回も言わなくてもいいじゃない」

「数えなくていい。まさかお前、外に出るたびに触れ回ってるんじゃないだろうな」

「そんなことしないわよ、面倒くさい」

 そういう問題じゃない。

「じゃあ何であのおっさんにはほいほい言うんだよ!自分の立場わかってんのか?」

「なあにヴェンツェル、まさか忘れたの?何を隠そう、私はこのバルトライヤ国の女お」

「他に口外した相手はいないんだな?」

「いないわよ。ちょっと興味あっただけだし」

「興味って?」

「目の前の美女が、突然自分が国王だって名乗ったらどんな反応をするのかなって」

「……どんな反応だったんだ?」

「そう、それよ!」

 ルシアスは怒りの形相になる。

「あの中年、何て言ったと思う?『いくら見た目がいいからって頭がそれじゃ結婚は厳しいぞ』ですって!!」

「はは、言われたな」

「お黙り」

 ぎろり、と俺を睨む目つきが怖い。

 珍しく本心から苛立ってるようで、それが少し意外だった。

 ルシアスは、行動も言動も大概ふざけていてまさに傍若無人を体現するような奴だ。が、その反面、感情の起伏はほとんどない。憤慨したり、悲しんだりしていても、それは全部「そういう振り」であって、内心では何とも思っちゃいないのだ。

 そうやって他人を揺さぶって、振り回して、反応を観察している。例の「他人の困った顔を見るのが好きなんだ」発言も、そういうところから出てるんだろうと俺は見ている。

 だから、少しでも本気で怒りを見せるルシアスは、俺にとってはかなり珍しいものだった。

「そんなに怒ることか?まさかそのなりで結婚したいわけじゃないだろ」

「それはどうでもいいのよ。頭がおかしい扱いされたのが腹立たしいの」

 ……まさかお前、頭がおかしくないつもりでいたのか。

 いや、それはないだろう。流石のこいつも、自分のやってることがいかに馬鹿馬鹿しくて迷惑で脱力ものなのかぐらいはわかってる、はずだ。

 それとも――本気でわかってなかったのか?

 まさか。まさか、な。

「なによ、その顔は」

 内心が顔に出ていたのか、ルシアスは不機嫌そうに口を尖らせる。

「お前の考えてることはわかってるわよ。でも私は本気で言ってるの。百歩譲って、私のやってることや言ってることが常識から外れてるとしましょう」

「百歩も譲るところなのかよ、そこ」

「お黙り……そう、だからといって、私の言ってることを理解しなくてもいい、理解できるはずなんてないって放棄されるのは腹が立つのよ。どうして頭がおかしいって決めつけるの?その根拠は?私はずっと考えていてもわからないのに、どうしてお前たちはその一言で何もかもわかった気になっているのよ?」

「何が言いたいのかわからん。あのおっさんがお前の言うことを信じたとしたら、お前が一番困るんじゃないか?ばらしたかったってことかよ」

 ルシアスが珍しく真面目に語っているのはわかったが、これはこれで解読不能だ。専用の通訳が必要かもしれん。

「そういうことじゃ…」

 歯切れが悪い。鬱陶しいくらい意志がはっきりしているこいつにはしては珍しいことだ。さっきから珍しいことだらけだな。だからって俺にとって全く希少価値はないし、嬉しくもないが。

「つまりね」

「……」

「……」

「お二人さん、会話がなくて焦ってるお見合い同士みたいだよ」

 耳元で息を吹きかけられながら言われて、俺は鳥肌が立った。

 咄嗟に抜剣しなかったのを褒めてもらいたい。正直、「しなかった」じゃなくて「できなかった」なんだが。

 ぎぎぎ、と首を回せば見覚えのある顔がそこにはあった。

「――ハンバート」

「お久しぶりー騎士のお兄さん。いいところを邪魔しちゃったかな?」

「そんなわけあるか!」

「いいねえ、その些細な弄りにも全力で反応するところ。嬉しくなっちゃうなあ」

 抑えろ、俺。

 下手に何か言ったらこいつの思うつぼだ。

 非常に認めたくないことだが、俺は剣も口もこいつに勝てた試しがない。

「何でお前がここにいるのよ。叔母様を見張ってなさいって言ったでしょ」

 一瞬でいつもどおりの調子を取り戻したルシアスが、責めるように言う。さっきのは一体、なんだったんだ。

「ごめーん王様、ばれちゃった」

 だらしない笑みを浮かべて、ハンバートはあっさりと白状した。お前、悪いと思ってないだろ。吹けば飛ぶような軽さだぞ。

 ルシアスが顔を顰める。

「ちょっと、真面目にやってよね。何のためにお前を雇ってると思ってるのよ」

「そんなこと言ったって、僕にもいろいろ事情があるんだよ」

「お前の事情なんて知らないわよ」

「まあ聞いてよ。おばさんから伝言を預かってきたんだ」

「言ってみなさい」

「ええと…『今すぐ帰ってこなければどうなるかわかるな?』」

「……」

「……」

「……」

「おい、帰ろう!」

「な、何おじけづいてるのよ、それでも騎士なの?」

「騎士だからこそ逆らったらまずい相手はわかるんだよ!お前は馬鹿だからわからんだろうけどな!」

「酷い!また馬鹿って言ったわね!」

「そこしか聞いてないのか、お前は!」

「遊んでないで早く帰った方がいいよ。なんか凄く怒ってたから」

「そんなに?」

「最初はそこまででもなかったんだけど、話してる最中にドレスがいっぱい届いて。あれ、頼んだの王様でしょ?誰も何も聞いてなかったみたいで、おばさんが『万死に値する』とか何とか呟いてたよ」

「げ」

「そんなことしてたのかお前は…」

 どうせあれだろ、あれ。『全員強制女装舞踏会』。こういう時だけ手配が早いんだからな。俺は当日、具合悪くなる予定だから関係ないけど。

 しかめっ面で考え込んでいたルシアスは、渋々従うことに頷いた。こいつの場合、帰るのが嫌というより他人の言うことを聞くのが嫌なのだ。しかしここで駄々を捏ねた場合、後々生命の危機に陥るだろうことは火を見るより明らかだろう。

 ルシアスは、酒場で巻き上げた金をハンバートに渡し、「いつものところに、いつものやつね」とだけ言って、さっさと踵を返した。

 わけがわからない俺はその後を追って、どういう意味か訊ねる。

 返事はあっさり返ってきた。

「本当はこの後、兄上のお墓に行くつもりだったのよ。お花を持ってね。でも、叔母様をこれ以上待たせたら私がお墓に入ることになりそうだし。仕方ないからハンバートで我慢するわ」

「だったら寄り道なんてしてないでさっさと行けばよかっただろ」

「あのねえ、私は庶民と違って普段から財布を持ち歩く習慣はないの。いつもと違う動きをしたらルディに気づかれるでしょ。最近、勘が良くて困っちゃうわ。私の隠してたへそくりも没収されてたし……だからって兄上のところに雑草なんて持っていくわけにいかないじゃない」

「相変わらず、兄上大好きだなお前。でも、なんでわざわざ俺まで連れ出したんだよ?陛下のところに行く時、いつも一人で行ってるだろ?」

 勿論、無断でな。

 俺の指摘が堪えたわけではないだろうが、ルシアスは黙り込んだ。それ自体は別に珍しいことじゃない。都合の悪いことを聞かなかったことにするのは奴の特技だ。

 が、答えが返ってくるのを諦めるほど長々と沈黙した後に、まるで独り言のように呟いた「なんでもないわよ」という一言は全然なんでもなく聞こえなかった。


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