ある国王と護衛騎士の逃避行1
今日は厄日だ。
薄々、俺って厄病神にとりつかれてるんじゃ?とは思ってたが、今日はそれを再確認したね。
つか、仮にも国王が臣下に向かって「私を連れて逃げて」とか言うんじぇねえよ。お断りだ。お前の護衛騎士になっちまっただけでこっちは超迷惑だってのに、この上ホモの誘拐犯になれってか。これ以上変態が増えたらルードヴィヒが発狂するぞ。
声に出してはっきり言ってやったってのにルシアスは堪えなかった。
「酷い!!ヴェンツェルは私に死ねっていうの!?叔母様に見つかったらどんな仕打ちを受けるかわかってるでしょ!?」
「なんであの人が出てくるんだよ」
「宰相から聞き出したのよ。叔母様が私の企画を耳にしたらしくて、今日にも王城に来るんですって!早く逃げなくっちゃ!!」
「一人で逃げろよ」
「置き手紙は残してきたし、脱出経路はハンバートが確保したわ。早く行きましょう」
「一人で行けっつってるだろうがっ」
本当に人の話を聞かない奴だな。耳ついてんのか。
「お前、それでも私の護衛騎士なの?主の危機に知らんぷりなんて恥を知りなさい、恥を」
「お前が言うな!」
「そんなこと言って、後悔しても知らないわよ」
「するかよ」
「どうかしらね。もし私を連れて行ってくれないなら――お前に襲われたって言うわよ」
「はあ!?」
「私は仕えるべき主。身分を越えられないのに想いだけは募ってついに……ああ、私って罪な女」
「……」
「で、どうするの?」
ふざけやがって。世界中で人間がこいつしかいなくなったってお断りだってわかってて言ってんのか、この馬鹿は。こいつの言うことなんか信じる阿呆はいまい。そうだ。俺は正々堂々としていればいいのだ。
誰が行くか。
「あの子はどう思うかしら?ほら、お前と仲のいいあの侍女の子。名前はなんて言ったかしらねえ。確かクララだったかしら?お前が実は私を、なんて知ったら…」
俺は想像した。
こいつを嬉々として女に仕立て上げるあの侍女が、嬉々として侍女仲間にその噂を広める様を。それを本気にしたエーファ様が真剣で襲いかかってくる様を。背後でルードヴィヒが引き攣った顔をして、ハンバートが手を叩いて喜んでいる光景すら目に見えるようだ。
勿論、事の元凶ルシアスはとっくに雲隠れしていることだろう。
「……」
「行くわよね?」
そして。ルシアスごときに、ルシアスごときに!丸めこまれた俺は街中で奴のお供をするはめになった。なってしまった。
ルシアスは見た目「だけ」は美人に見えないこともないので、普段よりも地味な格好をしているにもかかわらず、結構視線を集めている。もっとも、全世界の人間に注目されたところでこいつが委縮することなんてありえない。人の視線が痛いのは俺だ。何て理不尽。
そんな俺の気持ちに配慮することなど勿論ないルシアスは、能天気に空を見上げて伸びなどしている。殴りたい。
「――なんて青い空かしら。まるで私の自由を祝福しているかのようねっ」
「……」
「でも日差しが強いわねえ。日傘が要るかしら?ねえ、どう思う?」
「……」
「なーに拗ねてるのよ?お前の日傘も買ってあげるから機嫌直しなさい」
「いらねえよ」
「あらそう。あとで日焼けで泣いても知らないわよ」
「……それはあれか?色黒な俺に対する挑戦か?」
「あら、あんなところに救いの手を求める子羊が!」
「人の話を聞け!」
逃げ足の速いルシアスはドレス装着とは思えない驚異的な速さで人ごみの方に駆けていく。俺を撒くためにそうしたのかと思ったが、奴の向かう先には本当にガラの悪い男たちに絡まれる女の姿があったので、渋々後を追いかける。
ルシアスは男共と女の間に無理やり割り込むと、「嫌がっている女の子を力ずくでどうこうしようなんて紳士のすることじゃなくってよ」とまあ一応は正論を唱えた。
しかし正論でもこいつの口から言われると受け入れがたいのは俺だけか。俺だけなのか。
俺は釈然としないものを感じながらも女の側に歩み寄り、彼女が本当に女なのか確認した。こいつも実は女装した男かもしれん。五年前までの俺ならこんな馬鹿なことは考えなかった。歳月は人を変える。
男共はまさか女一人(実際は女じゃないが)で自分たちに立ち向かってくるとは思っていなかったらしく、戸惑ったように顔を見合わせた。
それに調子づいたルシアスは更に演説をぶちあげた。
「いい?腕力に訴えるなら簡単なのよ。普通の男なら当然、女よりも強いわよね。でもね、それじゃあ全くロマンがないでしょ?安易な方法よりもあえて茨の道を選ぶ。その気になれば結果は手に入れられるけど、そんなことは億尾にも出さず技巧を凝らして向こうからやってくるように仕向ける。それでこそ男ってものでしょうが!」
「あのなあ」
と男の一人が呆れたように口を挟むが、
「お黙り!!」
「はい…」
ルシアスに一喝されて大人しくなった。情けない。
「貴方たちには想像力ってものが足りないわね。よくお聞きなさい。世の中には実は男になりたかった、なんて人もいるのよ?貴方たち、そんな体たらくで彼らに申し訳ないと思わないの?例えばよ、貴方たちより私の方がずっと男に相応しいわ、と言われたら胸を張って言い返せる?」
なんのこっちゃ。
男共は狐につままれたような顔をしている。そりゃそうだ。今の内容が理解できたら、そいつはルシアスの同類に違いない。
俺はわけのわからん演説の隙に、絡まれていた女を逃がすことにした。女は戸惑いつつも「ありがとうございます」と礼を言いながら去って行った。その背中を眺めながら、俺は複雑な心境だった。
「いいことしたなあ」という達成感より「お前だけでも逃げろ」的な自己犠牲精神をひしひしと感じるような気がしてならない。
振り返れば、「今日はこれくらいで勘弁してあげるわ」と胸を張るルシアスと、「ありがとうございました…」と疲労困憊したような男共の姿が目に入った。お疲れさん。
なんつうか、こっちまで疲れるような光景だ。いや、俺は何もしてないんだけどな。
「人助けっていいことよね」
「……」
繰り返すが、正論でもこいつの口から言われると受け入れがたいのは、絶対に俺だけじゃない。
俺が初めてルシアスと会ったのは、まだこいつの見た目と中身が一致していなかった頃、つまり外見だけはまともだった十一年前だ。俺と、今は宰相補佐なんてものをやらされているルードヴィヒはルシアスのご学友に選ばれた。ある程度の身分があって年齢が釣り合っていたから、なんて機械的な理由だったが、親父は喜んだし俺も同い年の王弟に興味はあった。
第一印象はな、よかったんだよ。
当時からルシアスは見た目「だけ」は良かった。金髪碧眼のいかにも王族の若様ってかんじの美少年だ。多分、母親似だろう。俺は会ったことないが、下級貴族ながら並みいる上級貴族・王族の女どもを差し置いて「傾国の美女」の名を欲しいままにした麗人って話だ。
で、それに目をつけたルシアスの親父が、光の速さでルシアスを孕ませたはいいが、当時既に王妃がいたもんだから、当然結婚はできない。この国は一夫一妻制だからな。
しかもこの王妃ってのがやたら嫉妬深い方だったようで、どんな手を使ったか知らんが、ルシアスの母親を王城から追い出しちまったらしい。旦那の方は、まだ未練があったようだけどな。
母親は、ルシアスを生んですぐに死んだ。
ルシアスはそれから父親が死ぬまでの十四年間、母方の祖父母に育てられてひっそりと生きてきたというわけだ。
俺はともかく、由緒正しい家柄のルードヴィヒがルシアスに仕えるようにと選ばれたのは、当時の国王陛下、つまりルシアスの兄上の配慮だった。
この人がなあ、めちゃくちゃ弟想いのいい人だったんだよ。
とても無責任な親父と嫉妬深い母親から生産されたとは思えない、穏やかで誠実な人柄で、ああ、生きていたら俺は絶対こっちに仕えたかったっていうようなまともな方だ。
何でも、即位する前からルシアスにちょくちょく会いに行ってたって話で、自分が即位したら家族として迎えたいと思ってたとか。
なんで俺がそんなことを知ってるかっていうと、直接陛下にルシアスのことを頼まれたからだ。
すげえにこにこしながら「あの子を頼むよ」なんて言ってくるわけ。あれが「あの子」ってたまかよ、って今なら思うんだろうが、当時はまだ俺も若かったからな、素直に「はい」とか返事してた上に、「気の毒な王弟殿下に楽しいこと教えてやらなきゃな」とも思ってた気がする。
まあ、そういうわけで最初はよかった。
ルシアスの奴も猫被ってたんだろうが、王子の割には気取ってなくて付き合いやすかったし、むしろ堅物のルードヴィヒの方がやりにくかった。あいつが一番、常識人なんだがな。
俺が「こいつなんかおかしいんじゃねえの?」とルシアスに対して思ったのは、初対面から二カ月ぐらい経った頃のことだ。
その頃、ルシアスはちょうど、剣術に真面目に取り組み始めていた時期で、動機は剣術の達人で体格も立派な陛下に憧れたからなんだが、いくらなんでもあの練習ぶりはちょっと異常だったね。
剣術の指南役は、女ながらに常勝将軍と称えられていたエーファ様だった。あの人に毎日本気で扱かれても根を上げない十四歳って、ただものじゃないだろ。少なくとも俺には無理。いつもへらへらしてくだらないことばっかり言ってるくせに、生傷だらけになっても意識を失う寸前までぶったたかれても、泣きもしないし愚痴も言わない。
何が凄いって、そこまでして耐えてたのが全部、陛下のためって所だよ。
「兄上のお力になりたい」が当時のルシアスの口癖だった。王弟ってことで、望めばどんな教育でも受けられる環境は整ってたからな。実際、武芸も政治も真面目に学んでいたみたいだ。
陛下はそこまで厳しく教育するつもりじゃなくて、自分の母親のせいで不遇だった弟に対する償いのつもりだったんだろうが、ルシアスはとにかく陛下を神格化してたからな。
曇りなく信じてたっていうか、陛下の言うことには絶対服従というか。多分、「死ね」って言われたら死んだんじゃないか。陛下も、つくづく早死にが悔やまれる人だ。あの人が言えば、女装なんて絶対しなかっただろうからな、ルシアスも。
そもそも陛下が健在なら、今ほどこいつの変人ぶりが表立って明らかになることもなかっただろうよ。
……あ、勘違いするなよ。
陛下がいようといまいと、ルシアスがどこかおかしいのは変わりない。
なにせルードヴィヒの名前を騙って娼館に通い詰めた挙句に、本人に断りもなく自宅に娼婦全員招待したり、いけ好かない貴族を狩りに連れ出して猪の群れの中に置き去りにしたりとか、平気でやるからな。
しかも、絶対反省しねえの。
「他人の困った顔を見るのが好きなんだ」とほざいているのを、俺は聞いたことがある。
しかし流石のルシアスも最愛の兄上には逆らえないのか、というか逆らう気がもともとないのか、陛下の前では別人かって言うほど大人しかった。陛下に迷惑がかかるようなことは絶対にしなかったし、たまに咎められれば心底落ち込んでいた。
だから陛下さえ居てくれれば、俺もこんなに苦労することもなかったんだよな……ルシアスの良心が発揮される相手が、陛下限定ってことを考慮に入れるとしても。
陛下がいなくなった途端に、このざまだ。
ルシアスの能力に関しては、まあ意見はわかれるところだろうが、俺はそこそこ優秀だと思ってる。能力自体はな。と言っても、それは陛下健在時に奴が奴らしくもなく努力しているのを傍で見ていたから言えることであって、今のこの変人全開なルシアスを見て優秀とか賢王とか思う人間はいないだろう。
今はせいぜい要領がいいとか、その辺だな。
ルードヴィヒはじめ真面目で手抜きをしない部下を見極める目だけは、一級品と言ってもいい。自分が楽するため、以外の目的で能力発揮して欲しいんだが。良い国を作るため、とかな。無理か。
「ちょっと、ヴェンツェル。そんなところでぼーっと突っ立ってちゃ通行の邪魔でしょ」
ルシアスに腕を引っ張られる。
「……往来でけったいな説教かましてたのはお前だろうが」
「えー何?聞こえなぁい」
「難聴か。気の毒に」
「ちょっと!酷いじゃない!頭だけじゃなくて耳までおかしくなったですって?」
「聞こえてるんじゃねえか!しかもそこまで言ってねえし!」
「わかってるわよ。そんな目の前に人参ぶらさげられた馬みたいに力いっぱい食いつかなくてもいいのに。軽いじゃれ合いでしょ」
しれっと言い、ルシアスは足取りも軽く歩き出す。
あああ疲れる。帰りてえ。
だがこいつを野放しにしておいてはどうなるか想像もつかない。これでも、こんなんでも!国王だしな。出かける前は一人で行けとは言ったが、実際に一人で行かせたら帰ってくるまで俺の胃が持たん。
俺は肩を落とし、優雅な女装野郎にとぼとぼと続いたのだった。