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ある国王の天敵とはいかなる人物か


 陛下が失踪された。

 それはいい。いや、よくはないが、いるよりはいいと思うしかない。何しろ、例の「全員強制女装舞踏会」は未だに取り消されていない。貴族連中は当然、そんなものに出席したがるわけもなし、かといって陛下の望みとあらば無碍に断るわけにもいかないということで、毎日のように私に文句を言ってくる。陛下は陛下で、顔を合わせるたびにドレスのデザインがどうの化粧の段取りがどうのと頭がおかしいとしか思えないことを矢継ぎ早に捲し立て、私の心労を増やす手伝いに余念がなかった。

 その陛下が、今度は失踪だ。

 ご丁寧に、置き手紙まで残して。

『私の主張が理解されないことにはとても傷つきました。しかしそれも私の修行が足りないせいでしょう。皆を説得するにはどうすればいいか、最善の方法を見つけるために旅に出ます。探さないでください』

 手元の、しわくちゃの紙に目を落として私は眉間を押さえた。

 ちなみに、しわくちゃなのは私が一度握り潰してしまったからである。何が悲しくて、こんな手紙を二度も三度も読み返さなくてはならないのか。

「陛下は、何か言っていたか」

「いえ、特には」

 手紙を発見した侍女は、俯いて震えている。笑っているのだ。咎めるべきなのかもしれないが、そんな気力も湧いてこない。

「お前が最後に陛下に会ったのはいつだ?」

「早朝に、お化粧のためにお会いしました」

「……その時、何か変わった様子は?」

「いいえ。いつも通りです。『今日もお綺麗ですわ』と申し上げたら、『これでルディもいちころね』と嬉しそうに仰られて高笑いされておられました」

「……それは、いつも通りだな」

 不本意ながら、似たような現場は何度か目撃したことがある。 

「行き先に心当たりは?」

「まあ閣下。私が知っているわけはありませんわ」

「そうだな…」

「でもハンバート様なら何かご存知かもしれません」

「あいつか」

 侍女のあげた名に舌打ちする。

 ヴラジミール・ハンバートは陛下の使っている間諜だが、元は隣国に与していたといういわくつきの男である。

 そんな男を、陛下はどんな手を使ってか自分の部下に引き抜いてしまった。

 ハンバートの知らないことは誰も知らない、と言われるほど何でも知っている男だ。陛下の逃走先の十や二十、苦もなく答えられるだろう。

 しかし私としては陛下と並んで大いに関わりたくない男でもある。

 なぜかといえば……いや、よそう。素面で書くにはあまりにもおぞましい話だ。

「すまないが、呼んで来てくれ」

「かしこまりました」

 有能な侍女が、迅速に行動するべく退出しようとした矢先、向こう側から勢いよく扉が開いた。

 それに衝突して侍女はしたたかに鼻をぶつけたが、彼女を気遣う余裕は私になかった。こんなふうに扉を蹴破るような勢いで開ける人間は、私の知る限り一人しかいない。

 案の定、扉の向こうから姿を現したのはエーファ・フォン・ベルハウゼン様その人であった。

 エーファ様は私を視界に捉えると同時に、にやりと肉食獣のような笑みを浮かべた。

「久しいな、フレイザーの倅」

 ――断わっておくが、エーファ様は女性である。

 それどころか先々代の陛下の妹君、つまり陛下の叔母上にあたる貴い方だ。現在はベルハウゼン公爵家に降嫁されたが、それ以前は王族ながら騎士団を率いる歴戦の戦士として名高かった。

 彼女の軍の通った後には草一本残らず、敵軍は彼女の名を聞いただけで逃げだしたという伝説まで残っている。

 当時、幼かった私にはその話が事実かどうか断言はできないが、少なくとも「本当かも知れない」と思わせる迫力が、エーファ様には備わっていた。

 何しろ、陛下が唯一、頭の上がらない方である。

 ああ見えて陛下も相当な剣術の使い手なのだが、エーファ様はそれを凌駕する天才だ。化け物と言ってもいい。

 武力を背景に陛下を脅すエーファ様の図は、陛下にお仕えする私としては見慣れた光景である。

 もっともここしばらくはベルハウゼン領に引きこもっていらして、お姿を見かけることもなかったのだが――。

「お久しぶりです、エーファ様。なぜ、ここに?」

「なに、里帰りだ。気にするな。少々、面白い噂を耳にしてな」

「面白い噂?」

「ああ。何やら我が甥が女装舞踏会を開催するらしいと聞いてな。前にあれほど言ったのに、未だに馬鹿な振る舞いをやめないのは叔母として嘆かわしい限りだ。だから可愛い甥のために、教育的指導をくれてやりに来たのさ――盗賊討伐にも飽きてきたしな」

 暇潰しに討伐される盗賊が気の毒だ。いや、法を犯す者たちに同情する必要もないのだが。

「お越しになられるのは構いませんが、連絡くらいしてもらえませんか。これで私も多忙な身ですので」

「気取ったことを言うな。ほとんどルシアスの尻拭い係だろう、お前は」

 エーファ様がにやにやと笑う。公爵夫人と言うより、居酒屋の酔っ払いのような笑みだ。

「それに私だって連絡ぐらいした。宰相にな。だがさっき挨拶に行ったら、花粉症が酷くて早退したと言われてな。ルシアスの姿も見えん。きっと私を恐れて逃げたんだろう。軟弱な奴だ。まあ、危機察知能力は優れていると言えるがな」

 私は手にしたままの手紙を、もう一度握り潰した。

 女装に対する理解を得られなくて傷ついた、などというふざけた理由を信じたわけではなかったが、なんのことはない。エーファ様が来られることを察知して逃げたのだ。うっかりそれを陛下に教えたのは宰相だろう。責任追及を恐れて仮病を使っているに違いない。

 そして陛下の捜索も、陛下が見つかった場合にエーファ様を宥めるのも、私がやらなくてはならないのだ。

 疲労感にぐったりしていると、エーファ様が同情するような顔をする。

「お前も大変だな。我が甥ながら、誰に似たのか……あれの兄が生きていた時は、まあまともに見えたのだが」

「まとも…ですか」

 確かに先代国王陛下――陛下の兄上が生きておられた時は、陛下は女装などしていなかった。それどころか、男らしい顔立ちとがっしりした体格の先代陛下に憧れて、エーファ様に剣術を習いたいと無謀な申し出すらしたくらいだ。私から見ても、先代陛下は有能でおまけに人格も非常に良かった。陛下が懐くのも理解できるし、その頃は陛下にもまだ可愛げがあったことも否定しない。

 だが、しかし。

 無断で市井に遊びに出掛けたり、手持ちの金が尽きて娼館から帰してもらえなくなったり、挙句に勝手に私の名前を名乗って借金を肩代わりさせようとしていた陛下がまともなんてことは、絶対にない。

 とはいえエーファ様は私の暗い過去になど興味はないようで、うきうきと拳を鳴らしている。

「まあ私に任せておけ。相手は所詮、あの馬鹿甥だ。ルシアスの一匹や二匹、すぐにいぶり出してやる。まずは」

 そこでエーファ様の目つきが変わった。

 たとえて言うならば猪が虎になったような劇的な変化だ。

「そこの鼠を血祭りに上げてやろう!」

 ふん!と気合の声と共に、どこから取り出したのか、エーファ様が短剣を投げつける。短剣は何もない壁に刺さったが、「わあ」と間の抜けた声が響き、第三者の存在を証明した。

 エーファ様はつかつかとその短剣の刺さった場所に歩み寄り、なんとその壁を引き戸のように開いて、中から男を引っ張りだした。

 隠し部屋のようなものだろうか。確かに王宮にはあちこちにそういうものもあるが、自分の執務室にもあったとは知らなかった。

 だがそれに驚いている暇はなかった。なぜなら引っ張り出された男は、少し前に呼び出そうとしていた諜報員――ヴラジミール・ハンバート本人だったのだ。

 ひょろりとした痩せた体型とぼさぼさの髪以外に、特徴らしき特徴の無いハンバートは、エーファ様によって床に転がされ「いてて」と呑気な声を上げた。

 そして次に発した言葉が

「酷いじゃないか、おばさん!」

 である。

 私は確信した。この男の死を。

 案の定、手加減なしでエーファ様に殴られて悶絶することとなった。エーファ様はそれだけではおばさん呼ばわりが許せなかったのか、愛用の長剣を躊躇いもなくハンバートの喉元に突きつける。ハンバートが異常にのけぞっているところを見ると、突きつけると言うよりも押しつけているのだろう。

「いたたたた、いた、痛いってばおばさん。もっと優しくしてよ」

「黙れ。貴様この私を二度もおばさん呼ばわりするとは、生きて帰れると思うなよ」

「いえ、それはどうでもいいのですが盗み聞きしていたわけを」

 聞いて下さい、と続けようとするもエーファ様の眼光の鋭さに口を噤む。

「どうでもいいとはなんだ、どうでもいいとは!このようなどこの馬の骨とも知れぬ男に、この私が『おばさん』呼ばわりされたのだぞ!このような無礼を許しては王国の威信に傷がつきかねん!ただちに処刑するべきだ」

 熱弁にもほどがある。

 私としてはハンバートが処刑されることには諸手をあげて賛成したいところだが、陛下の行方を捜すためには必要な男だ――非常に残念ながら。

「エーファ様の仰ることもごもっともですが、この男はこれでも腕利きの諜報です。陛下を捕まえるために大いに役に立つでしょう」

「むう、そうなのか……仕方ない。大事の前には私情を殺すことも必要だからな。おい、貴様。聞いていたな?命が惜しければ私に協力しろ」

「ええー……僕これでも王様の部下なんだけど」

「ふん。それでこそこそと盗み聞きか。ルシアスに見張っていろとでも言われたか?だが我が甥は失踪中だからな。お前を扱き使おうが不敬罪で処刑しようが、文句は言えん。わかるか?ここにはお前と私しかいない。何をしようが、全ては闇の中だ」

 私が黙っていること前提なのか。

 しかしハンバートはエーファ様の脅しにも屈しなかった。それどころか、間の抜けた笑みで「そんな脅しに僕が降伏するとでも思ってるの、おばさん」と言い放った。

「僕は王様を裏切らないよ、絶対にね」

「ほう。言うではないか。まがりなりにも臣下としての忠誠心はあるということか」

「そんなんじゃないよ。王様はね、僕が一番欲しいものをくれるって約束してくれたんだ。だから、僕も王様のことは裏切らない。そういう約束だからね」

「欲しいものだと?」

 エーファ様は興味深げな顔をし、私は眉間に皺を寄せた。その「欲しいもの」が何なのか、私はよく知っていたのだ。

 私の心中など知る由もないエーファ様は、嬉々として言葉を重ねる。

「それは面白い。言ってみろ。買収が可能な相手は大歓迎だ。体に聞いてもいいが、手間がかかるからな」

「うーん、そんな大したものじゃないんだけどね……女の子」

「何?」

「だから、女の子だよ。僕が欲しいもの」

「女の子…だと?それは女が抱きたいということか?」

「違う違う。何聞いてたのさおばさん。よく聞いてよ。僕はね、成人する前の女の子にしか興味ないの。より細かく条件を言えば十二歳から十五歳の色白の子がいいなあ。あ、でもあんまり肉付きがいいのは嫌だね。胸やお尻は程良く未発達で、ちょっと節ばった感じの体つきが好み。小さめの服を無理やり着てれば尚良しなんだけど狙ってやってるんじゃなくて自然にそうなってないと燃えな」

 私はハンバートを殴り倒した。

 エーファ様は咄嗟に反応できず、目を白黒させている。

「……それは、あれなのか。犯罪ではないのか…?」

「あ、失礼だなあ。そりゃー全く清い関係じゃあないけどさー双方合意の上だよ?それに本番までは滅多にいかないし?まあ大抵は手を握ったりキスしたり舐めたり咥えられたりで満足」

「もういい、貴様の言いたいことはわかった。作戦会議を行う。暫しそこで待て」

 と言って、エーファ様は私に手招きする。

 ハンバートから少し離れたところで声を潜め、

「物は相談だが」

「お断りします」

「…まだ何も言っていないぞ」

「言われなくてもわかります。いいですか、私は娘をあのような変態に差し出すつもりはありませんからね」

「人聞きが悪い。目的のための尊い犠牲だ」

「犠牲ということは認めるんですね」

「ただ一緒に遊ぶだけという条件をつければ問題あるまい」

「問題あります。第一、娘はまだ二歳ですよ。あの変態の好みにも一致しません」

「だが母親はバルトライヤ一の美女だぞ。希少価値はあるだろう。将来性に期待ということで」

「あの変態に目をつけられたらどうするんですか!とにかく私は断固として断ります。娘を変態に捧げるくらいなら陛下の一人や二人、野垂れ死にしようが行方不明になろうが大いに結構です」

「交渉決裂か…」

 エーファ様は何やら苦々しげな顔をしつつ、ハンバートの元に歩み寄る。そして言った。

「おい、貴様。心して聞け。特殊な趣味を持つ貴様のために、我が娘と交流することを許可してやる。その代りに、明日までに甥を捕縛しろ。いいな?」

「公爵様の娘かあー。確かに毛色が変わってていいかもね」

「ただし」

 と、気味の悪い笑みを浮かべるハンバートに、エーファ様が指を突きつける。

「あくまでも『交流』するのみだ。手を握ったりキスしたり舐めたり咥えさせたりは一切認めん」

「えぇーそれの何が楽しいのさ」

「黙れ。貴様も変態の端くれなら、どんな困難な状況でもそれなりに快楽を感じてみせろ」

 大真面目な顔で意味不明なことをエーファ様が言う。

 その意味不明な言葉は、なぜかハンバートの琴線に触れたらしく、奴は挑戦的な顔つきでエーファ様を見上げた。

「へえ。言うね、おばさん。そこまで言われたら本気出さないわけにはいかないよね」

「ふん。好きにしろ。私は娘の自主性を尊重しているからな。娘が本気でお前の趣味に付き合ってもいいと言うなら文句は言わんさ。ただし少しでも無理強いしたら、貴様のナニを切り落として犬に食わせてやるから覚悟しておけ」

 勝手に変態と交友関係を結んでおいて自主性も何もない。

 私はエーファ様の息女に同情を禁じ得なかったが、私の力では娘を守るだけで精一杯である。聞くところによればベルハウゼン公爵令嬢は令嬢らしからぬ剣技の持ち主だという。そうそう変態の思うどおりになるような娘ではないだろう。何しろエーファ様のご息女だ。誤って変態を不能にでもしてくだされば尚良いし、そうなれば将来的に私の娘の身の安全も保障されていいこと尽くめである。

 私が僅かな希望に思いを馳せているうちに、エーファ様とハンバートの話は決着がついたようだった。

 急にやる気に満ちてきびきびと出ていくハンバートを見送りながら、これでいいのかと自問するも私では陛下の思考を読み切れない以上、仕方のないことなのだろう。目には目を、変態には変態を、だ。

「これで万事上手くいくな」

 傍らで至極満足そうにエーファ様が腕組みをする。

 上手くいってもらわねば困る。おそらく陛下は女装のまま街中におられるだろう。恥という概念が欠如している上に、残念ながら思慮も浅い。

 あれが自国の国王であると国民が知ったら、革命が起きるかもしれない。

 だが想像すると頭が痛くなるので、私はひとまずそのことを全て頭から追いやり、深く溜息をつくしかなかった。


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