専属侍女の日記
四月十日
来週から国王陛下にお仕えすることになった。正直憂鬱だ。
なぜって、ルクレツィア様を放って別の方にお仕えするなんて今まで考えたこともなかったし、しかもそれを当のルクレツィア様本人から申し渡されるなんて思いもしなかったからだ。
青天の霹靂って多分、こういうことを言うのね。
ルクレツィア様は公爵令嬢で、陛下とも仲がよろしい。それで何かの折に私の話をされたら、陛下が是非とも私をと所望されたらしい。
……一体、なぜ?
自慢ではないが、陛下のお目に留まるような能力は持っていない。仕事に手は抜かない自信はあっても、何か抜きんでた特技を持っているわけではないのに。容色だって、平々凡々。陛下が興味を引かれるような人間ではないと思うのだけれど。
私が自慢できることと言ったら、お化粧の腕前くらいのものだ。これだけは、誰にも負けない自信はある。
公の場では絶対に言えないけれど、国内一の美女と褒められるルクレツィア様のお顔だって、私の技術と情熱の結晶なのだ。
ルクレツィア様をお美しくするために侍女をやっていると言っても、過言ではない。
何と言っても、彼女は私の芸術家魂を刺激する稀なる素材なのだ。その素材をみすみす捨てて、殿方のむさ苦しいお顔を毎日拝見しなければいけないなんて、私が何をしたと言うのかしら。
大体(以下、まだ見ぬ国王に対する妄想が続くため削除)
四月十三日
嫌々ながらもルクレツィア様の美貌を保つため、私の培ってきた技術を同僚に伝授した。勿論、たかが一週間で伝えきれるほど浅いものでもないけれど、ルクレツィア様のことが好きだから仕方がない。
侍女ごときがこんなことを言うのもおこがましいけれど、私はルクレツィア様のことを妹のように思っているのだ。
なんて言うと、大抵の人にはおかしな顔をされる。
私が童顔で、ルクレツィア様は妖艶な美女だから私の方が年下に見えるらしい。
それにルクレツィア様の性格は妹と言うより姉と言ったほうがしっくりくる。表面上は。
アリーセは私に代わって、我侭と評判のルクレツィア様にお仕えしなくてはいけないのが不安らしく、終始ぐちぐちと泣き言を吐きまくっていたのでとても鬱陶しかった。口より手を動かしなさい。
私だって黄色がかった緑と黄緑の違いもわからない人間に姫様を任せるのは断腸の思いなのよ、と口走ったら泣かせてしまった。
私が泣き虫の女とけちな男を嫌いだと知ってのことなのかしら。多分知らなかったんでしょうね。教えてあげたら泣きやんだのでよしとしましょう。
こんなことではルクレツィア様がすぐに癇癪を起こすのは目に見えているのに、何を考えているのかしら、陛下ったら。
四月十六日
今日でルクレツィア様ともお別れだ。
けれど当の姫様はとても機嫌がよろしいようだった。私と別れるのが嬉しいからではなく、夜会で思い人に会えるのが楽しみで仕方がないらしい。単純な方だ。おそらく私が今日で最後ということも忘れていらっしゃるのでしょうけれど、それはそれで姫様らしくていいかもしれない。
腕によりをかけて、今までで一番美しくしてさしあげた。
心残りは姫様の恋の行方をお側で見守れないということだ。
姫様は、相手のことが好きであればあるほど本心と逆のことを喧嘩腰で口にされるという特技をお持ちなので、見ていて面白…いえ、心配なのだ。
相手の方は一見、冷たそうに見えても意識的にか無意識的にか、姫様を上手く転がしているのでまあ、大丈夫だとは思うのだけれど。
(以下、追記)
姫様を送り出して、ベッドに入っていたら真夜中になって叩き起こされた。
私の安眠を妨害した張本人は、夜会におられるはずのルクレツィア様だった。
何事かと思っていたら、突然私に抱きついて号泣されたのには吃驚した。曰く、明日になったら私が陛下付きになることを夜会で思い出したらしく、慌てて戻って来たらしい。泣いているのは、それを今の今まで忘れていた罪悪感のせいだとか。
ちなみにそれを説明してくださったのは姫様の思い人である。表情があまり変わらない方なので彼がどう思っているのかわからなかったのだけれど、夜会を途中で抜け出すのは無礼ではないのだろうか。
だって今夜は陛下が即位されて初めての夜会だ。
お互いに顔見せ・忠誠を示すような意味もあるのでは?
姫様は後先考えないところがあるので多分そんなこと思いつきもしなかったのでしょうけれど、彼はそうでもないだろう。
それをおそるおそる申し上げてみると、「その無礼はお前が働いて返すことになっている」とのお言葉が返って来た。
私が陛下に誠心誠意お仕えすると約束すれば、今回の姫様の無礼はなかったことにしてくださるらしい。
……そんなことでいいのかしら?
私に出来ることなどたかが知れているというのに、陛下は過大評価だと思えて仕方がない。
思わずそう呟くと「すぐわかる」と姫様の思い人が苦々しい顔をされたので、それ以上に何かを申し上げるのはやめておいた。
四月十七日
今日は陛下にお目にかかった。
何と言うか、個性的な方だった。即位されたのが一か月前で、ルクレツィア様の侍女である私には今までお目にかかる機会がなかったのだけれど、噂だけはいろいろと耳にしていたから、実際にお会いする前から先入観に凝り固まっていたにもかかわらず、そんなものも吹き飛ぶほど強い印象を受けた。
陛下は、とても美しい方だった。
緩やかな金髪と目の覚めるような青い瞳がまるで絵画から抜け出てきた天使のようで、後光まで射していらした。まあ、その光は窓から差し込んできた朝日だったのだけれど。
朝に弱い姫様とは違って、陛下は早朝から爽やかな微笑を浮かべて私を出迎えて下さった。
こちらまで嬉しくなってしまうような笑顔は、天使様というよりも人懐っこい子供のようで、警戒心を薄れさせてしまうには十分だった。私も思わず見とれてしまっただろう――陛下が、女性用の衣装をお召しでなかったら。
私の脳裏にはある噂がよぎった。即ち、国王陛下は少し頭がおかしいらしい、という噂が。
どうおかしいのかと言うとそれには色々な説があってとてもここには並べきれない。例えば、自分が女だと思い込んでいるとか、男性を集めて侍らせているとか、女性の格好をして女王様ごっこをするのがお好きだとか。
もしかして最後のが正解なのかしら?と一瞬思ってしまってすみません、陛下。前の二つもありうるかもしれないとも思いました。
申し開きをさせていただけるなら、それまで陛下のお姿を目にしたことがなかったせいだ。
ルシアス様は、先代国王陛下の異母弟であらせられながらも、即位されるまで表舞台に出てこられなかった。
これだけの美貌の持ち主なのに、不思議な話だ。きっと、女装趣味のせいでしょうね。
そんなことを思っていると、陛下はなんと私の両手をお取りになった。仮にも一国の国王陛下が、侍女の手を、だ。
呆然としている私に追い打ちをかけるように、陛下は満面の笑みでこう仰った。
「貴女に会えて嬉しいわ。ずっと待っていたのよ」
固まってしまった私を誰が責められるだろうか。
まさか本当に陛下は私を?なんて妄想すら二秒ほど浮かんだ。
陛下はそんな私に気づいているのかいないのか、続けてこう言われた。
「ルクレツィアから貴女の話を聞いて、ずっと会いたいと思っていたの。ルディからは止められたけど、押し切っちゃった」
「こ、光栄です」
「光栄なのは私の方よ。バルトライヤ一の美女の専属侍女を手に入れられたんだから」
「は?」
ぐぐ、と陛下の手に力が込められる。
「貴女の手にかかればどんな顔でも絶世の美女になれるって、ルクレツィアが太鼓判を押したのよ?我侭で口が悪くて無駄に上から目線で滅多に人を褒めない、あのルクレツィアがよ?これはもう私に美しくなれと神が後押しをしているとしか思えないでしょう?そうでしょう?」
「あ、あの陛下」
「なあに?」
と、覗き込んでくる陛下は、ドレスを着て女性のような言葉づかいをしていても、やはり男性にしか見えなかった。
もともと綺麗な顔立ちをしていらっしゃるから見苦しくはないけれど、やはり骨格や何かで性別はわかってしまう。しかし間近でそのお顔を拝見した限りでは、素質はあると思われた。私の腕前をもってすれば、陛下を女性のように見せかけることも可能かもしれない。
気づいた時には、私は動揺していたことも忘れて陛下の手を握り返していた。
「本当に、私の腕を必要とされていますか?」
「勿論よ」
私が乗り気になったことを察せられたのか、陛下の目に熱意が灯る。
「世界広しといえども、私以上に貴女を必要としている人間はいないわ。共に歩みましょう。同じ目的のために!」
「はい、陛下!」
誰か他の人間が居れば、呆れて止めただろう。
自分でも何かが憑いていたとしか思えない心理状態だった。けれど私にとっては、私の腕を必要としてくれることは私という人間を認めてもらえることと同義だった。しかも、腕を振るう対象が男性だなんて、職人魂を刺激されても仕方がないでしょう?
私の腕が本物なら、性別なんて些細な問題、いえ、問題にすらならないはず。
結局のところ、自尊心がくすぐられてしまったのよね。この陛下を女性に仕立て上げられるのは私だけ、なんて思い上がりもいいところだけれど。
そういうわけで、私は陛下の専属侍女となった。