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告白

 

 これを読む時、お前はどんな顔をしているのだろう。

 悲しそうな顔だろうか、それとも嫌悪や軽蔑に満ちた顔だろうか。そもそもこの手紙を受け取ることも拒むかもしれないな――いや、すまない。お前を責めたいわけではないんだ。おかしいのは私だということは重々承知しているし、自分で隠し続けておいて理解されないことを嘆くのは筋違いというものだろう。

 ……駄目だな。覚悟を決めたつもりだったのに、上手く言葉が出てこない。

 お前に見られたことについて弁解するつもりはない。私はドレスを着ようとしていた。そこにお前が入って来た。それだけのことだ。

 ――なぜ?

 ただ、着てみたかったからだ。ずっと着てみたいと思っていた。貴族の令嬢達が衣装や装飾品に金をかけるのは無駄遣いだと、お前は言っていたことがあるな。私はそうは思わない。私はずっと羨ましかったんだ。誰憚ることなく着飾ることが許される彼女達が、とても羨ましかった。

 女性の格好をしたかった、というのはきっと正確ではない。

 私は女性になりたかったんだ。

 理解できないか?あの時のお前はそういう顔をしていた。これが手紙で良かったよ。目の前にいたら、きっとお互いに辛かっただろう。責めたいわけじゃない。でも、最期まで否定されたら、と思うとお前と直接話す勇気がどうしても出てこなかった。

 私は臆病だ。

 思えば幼いころから、自分がどうあるべきか、ということについて人一倍敏感な子供だった。私は王太子だし、いずれは王になるべき立場で、だからあらゆることを上手くこなさなければならない、周囲の期待に応えなければならないと誰に言われるでなく察していたと思う。だから物心ついてからずっと抱えていた違和感も、私にとっては罪でしかなかった。

 最初にそれを自覚したのは、五歳の時だったと思う。

 母上に絵本を読んでもらっていた時だ。内容自体はよくあるもので、悪党にさらわれたお姫様を勇者が助けに行く冒険譚だった。普通と違うといえば、お姫様は結局、勇者に助けられる前に病気で死んでしまったのだが、当時の私は思ったものだよ。何て可哀想なんだろう、と。好きな人に会う前に一人きりで死ななくてはならないなんて、何て可哀想なんだろう、と。

 わかるか?

 私はお姫様のほうに感情移入していたんだ。

 男なのに、勇者にはこれっぽっちも興味がなかった。「勇者様のように勇敢な男の子になれるといいわね」と母上に言われて、困惑したことを覚えているよ。

 その時は、まだその程度のものだった。男だからと言って、必ずしも勇者に憧れるというわけでもない。

 だけど成長するにつれ、私の感じる違和感はどんどん強くなっていった。

 王として、心技体の全てが周囲より優れていなければならない。その考えは理解できたし、重荷ではあったが不満を持ったことはない。だけど剣を持たされて、叩かれ、怒鳴られ、「男子たるものこの程度で弱音を吐いてはなりません!」と言われるのだけは、耐え難かった。

 それがおそらく、私が初めて「男」という性に恐怖感を抱いた時だろう。

 教官が怖い、という感覚とは違う。ただ何となく、教官に言われた「男子たるもの」のあるべき姿と、私自身が重なることはないだろうということを漠然と感じ取っていて、それが得体の知れない恐怖感となっていたのだと思う。

 私にそこそこの剣才が備わっていて、本当によかったと思うよ。でなければ、もっと早く破綻が訪れていただろう。

 成長期になって、体がはっきりと男の特徴を現してくると私の意識もはっきりと苦痛を感じるようになった。

 日ごとに伸びていく身長。しっかりとした肩幅。太い腕や腿。その全てが私は嫌で嫌でたまらなかった。男として見れば、堂々として立派な体格を持つことは、むしろ自信になるはずだ。でも、私が考えたことと言えば、どうやってこの体を周囲から隠すか、ということだった。

 勿論、隠すなんて甚だ非現実的な話だ。

 王太子である私は常に人目に晒されていたし、晒されても涼しい顔で堂々と立ち居振る舞うことが求められていた。味方の振りをして隙を窺う、毒蛇共に対して見た目の面でも侮られるわけにはいかなかったから、武人らしい私の外見は武器にもなった。

 隠すどころか利用するべきものだ、私の体は。

 その実、誰にも見られたくない、こんな体は気持ち悪い、と今にも叫び出したくなる衝動は、常に私の中にあった。

 口にしてはいけない感情だとわかっていた。口にしたところで、どうなると言うのだろう。周囲にどうして欲しいのか、私自身がどうしたいのか、そんなこともわからないのに、こんなわけのわからない鬱屈で自分以外の人間を悩ませることに、何の意味があるというのか。

 わかっていた。私が我慢すればいいことは。それが、この上ない自己否定であったとしても。

 「王」という仮面が用意されていたのは、私にとって好都合だったよ。「男」としての自分よりも「王」としての自分の方が、演じるには幾分楽な役割だった。

 私は王として、出来る限りのことをしたつもりだ。至らぬこともあったが、全身全霊を傾けて国をよくしようと努力した。今にして思えば、私人としてけして満たされない自分自身を、せめて公人としては満足させようとしていたのかもしれない。差し迫った事柄があるわけでもないのに、常に焦燥は私と隣合わせだった。

 一番、辛かったのは「恋」を自覚した時だ。

 相手は外遊に来ていた某国の王子だった。無口な方だったが、根は優しい人だったと思う。バルトライヤにいる間は、年が近いこともあって私が案内を務めることも多かった。彼に会える日は、自分でも驚くほど心が弾んだものだ。それが気の合う友人に対する友情ではなく、異性として意識してのことだと気付いたのは、彼が帰国して、結婚式の招待状が届いてからのことだったけれど。

 あの時ほど、自分を嫌悪したことはない。

 笑顔で彼を祝福する私は、周りからは当たり前の姿に見えていただろうが、本人にしてみれば滑稽の一言だった。友人の祝い事を心の底から喜べないばかりか、花嫁に嫉妬すらしていたのだ。私が彼女のように可憐で守りがいのある姿かたちをしていたら、彼は私のものだったのに、と。考えるだけでも馬鹿馬鹿しい話だろう?肉体を取り換えることはできないし、こんな私に好意を寄せられても彼は迷惑なだけだろう。

 それでも私は落ち込んだし、決定的に自分のことを嫌いになった。

 何故、私はこんなおぞましい体を持って生まれてしまったのだろう。家臣や民が私を素晴らしい為政者と称えても、私は自分の体も魂も何一つ好きになれはしない。それでいて、往生際も悪く、誰かに自分を認めて欲しい、必要として欲しいと願ってもいる。本当に、どうしようもない人間だ。長年の習慣で、表面を取り繕うことだけは出来たのは幸いだった。

 ルシアス、お前は信じないかもしれないが、私はお前に救われていたよ。

 周りの者たちはしばしば私がお前に甘すぎると思っていたようだ。一応、自覚はしていた。お前は私に「国王」も「男性」も求めない、唯一の人間だった。では何を求めていたのかと言われると、はっきりとは答えられないのだが……少なくともそれは私の求めていたものと極めて近かったのだと、そういう気がする。だから私は自分を愛するようにお前を愛することができた。自分が得られないものを与えてお前を満たすことで、私自身も幸福を感じることができた。

 ……この流れで頼むのは卑怯かもしれないが、母上を許してやって欲しい。

 前に言った通り、私の記憶は曖昧だ。聞いた当時は、何のことかもわからなかった。本気で探せば証拠を見つけることもできただろうが、私にはできなかった。あの人は、哀れな人だ。突き放して正論で叩き潰すのは、せめて私以外の者に委ねたかった。

 無論、お前には母上を裁く権利がある。

 父上がお前を顧みなかったのも、母上がクリスティーネを妬んだのも、祖父母がお前を疎んじたのも何一つお前の責任ではない。

 クリスティーネが生きていたら、お前はもっとたくさんのものを得られただろう。

 だから、私は頼むことしかできないし、お前が母上を処刑したとしても恨みはしない。本当だ。

 そして最後にこれだけは言っておきたい。

 私はお前を許すよ。

 お前は優しい子だ――少なくとも、私にとっては。こういう形で別れを告げてしまえば、お前は自分を責めるかもしれない。お前には、そんなことで心煩わせて欲しくはない。あんな現場を見ればお前がああいうことを口にするのは当然だし、いつかこうなることはわかっていた。

 不思議なことに、今はとても穏やかな気持ちだ。

 何を恐れることも思い悩むこともなく、本当に心安らかにあれている。

 私はやっと自由になれるのだ。

 だからお前が悔いることなど、一つもない。

 できれば――祝福して欲しい。私の自由を。私の死を。

 そして忘れないで欲しい。

 私が賢王でも良い兄でもなく、ちっぽけな人間であったことを。


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